ザリガニの鳴くところのレビュー・感想・評価
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マザー ネーチャーズ ドーター
はい。良く私のやんちゃレビューを覗きに来て頂きましたね。ありがとうございます。
私が住む江戸川区は全域が海抜0メートル地帯なんですよ。だから私は湿地の少女 カイア(デイジー・エドガー=ジョーンズ)の気持ちに共感してしまいました。
江戸川区は金魚の養殖が盛んでした。しかしどんどん傾いて金魚池が放置されて普通の池だらけになったんです。
そこに良くザリガニ釣りに行ったよなー。いわゆるアメリカザリガニ。言っておきますが鳴きませんよ。ザリガニは。でも池にはウシガエルがいて、それは鳴いてたなあ。
戦後食料事情が厳しかった頃、ウシガエルを食料ガエルとして輸入して、餌としてアメリカザリガニも輸入したんですね。
結果論は承知ですが・・・浅知恵だったかなあ。奄美大島でマングースを放ったのも・・・
やはり例え少しであっても人が自然体系を壊すのは良くないのかなあ。魚のブラックバスとかブルーギルとかもそうですよね。
さて長々と面白くない事を語ってごめんなさい。オチもなくてごめんなさい。
さてと・・・もう少しだけ語らせて頂きます。私の近所の池はやがて埋め立てられ空き地になったんです。小学校の校庭くらいあります。
やがて近隣の住民はそこに粗大ゴミを捨て始め、さらに廃車が捨てられます。
一回カウントしたんですが、アバウト50台!さらにですよ・・・あり得ないものが・・・なんと!
死体‼️
うちにも警察が来たもん。
ホラーな話しですいません。
いやね、今は平和な住宅地ですからね。ただね・・・割と最近の話です。近所の道が通行止めになっていたんですね。
なんと!マンホールの作業員が地下で爆発に巻き込まれ、不幸にあいました。都市ガスではなくメタンガスです。
私の地域は海抜ゼロメートル地帯です。過去、地下には生物や植物の死骸が堆積しているのです。
それがメタンガスの発生源になった。
いやねあの日はヘリコプターの音で目が覚めたもん。他人事じゃない。
これまたホラーな話しで申し訳ない。
普通の住宅地の地下にメタンガス。視界がぐにゃりと歪み、足元が崩れる。
さてと枕は終わりです。
物語はお金持ちの青年、チェイス(ハリス・ディキンソン)の墜落死体から幕を開けます。被疑者は湿地の少女、カイア(デイジー・エドガー=ジョーンズ)時は1969年。
そして回想。少女時代。父親はDVで母を始終殴りつけます。また湿地の家は貧しく、カイアは常に裸足なんですよ。もうね不憫だし可哀想だし見てられない。
いいですか!裸足だと破傷風、つつが虫病と危険がいっぱい。さらにノースカロライナには蠍がいます。
裸足ダメ!絶対ダメ!
おいおい松田聖子聞いてるか?
裸足の季節じゃねえよ‼️
失礼しました。カイアは1日だけ裸足で学校に行きます。もちろん勉強はわかりません。すぐに行かなくなります。
そして母は耐えきれず出て行き。兄弟も出て行きます。父親も出て行き。とうとう一人ぼっち。寂しい。悲しい。そんなカイアを救ったのは湿地。ムール貝を採って雑貨屋に売ることで、禄を得ます。いやこの雑貨屋の黒人夫婦が本当に良い人。カイアは町の人に疎まれていますが常に寄り添ってね。靴も作ってくれた!
あー良かった!安堵した。どうでも良い話しなんだけど、この映画を観てから何回も夢を見る。私が裸足で、靴屋が見つからない。どうしよう?
おいおい!聞いてるか?B'zさんよー
裸足の女神じゃねえ‼️
すいません。カイアはハイティーンになりました。
そこに現れた美青年。テイト(テイラー・ジョン・スミス). 子供時代から顔馴染みです。鳥の羽根を介して恋仲になります。
しかも文盲のカイアに言葉を教えてくれます。そしてカイアの描く精緻なイラストに感銘して図鑑を出す事を提言。
しかしテイトは大学に進学してカイアとは疎遠になるんですね。長い長い待ち時間。テイトはあらゆる意味でカイアの全て。四年ですよ。四年。
そして待ち合わせ。久しぶりの邂逅。しかしながら待てど暮らせど、こねえ‼️いやこいよ。おいテイト!
あみんを見習えよ‼️
そこに、現れたのが稀代のクソ野朗、チェイス。
いやね湿地の描写が繊細でね、そして様々な生き物。素晴らしいんです。
カイアは過酷な湿地で育った少女。沢山の生き物は友人であり師匠であり生きる糧。
私はカイアだし、カイアは私だ!生き物大好きな私としてはシンパシーしかない!
閑話休題、リーガルサスペンス。さて陪審員裁判が始まります。そして評決は・・・,
はい。ここで、筆を擱くところ・・・
ここから激烈ネタバレに入ります。完全に!
良いですか?言いましたよ。ネタバレ言いますよ?
ノーリターン ポイントですよ。
えーーと・・・
実は・・・
早よ言えや‼️
犯人はヤス。
ポートピアか‼️
評決はナット ギルティ!無罪!良かったー信じてたよー、カイア。
カイアは結局、テイトと結婚して老衰でなくなりました。天寿ですね。しかし・・・
チェイスに渡した貝殻のネックレス(キーチェーンかも)
を遺品整理の時にテイトが発見。つまり・・・
カイアはチェイスを殺していました。
いやね大混乱だよ。私はカイアが無罪だと信じていたんです。だから無罪評決の時にホロリとね・・・
さらにネタバレの先なんですが。このドラマになんか不自然な部分は有りませんか?それはね・.・・
なんで父親出て行った?
他の人たちは映像で見せてるのに、ナレーションのみって変でしょ?
うん。カイアはやってる。
視界がぐにゃりと歪み、足元が崩れる。
父親の死体は湿地の家の下に有ります。それこそが湿地に拘る理由。
ザリガニの鳴くところ。
2回目だったらハードルは低い。
カイアはスナネコ。スナネコは砂漠の天使と言われるネコ。しかし人口保育でも飼育員さんに威嚇。
水は飲まない。水分補給は獲物から摂る。
自分の身は自分で守る。スナネコは見た目はもの凄く可愛い。しかしペットにはならない。猛獣。
足元が崩れそう。
言っておきますが私の妄想です。
クリエイターは全員女性。意味深長。
そんなこんなで、楽しい映画・・・か?
ジェンダーバリバリの映画かな?
お付き合い頂きありがとうございました。
湿地の娘
ノースカロライナ州の湿地に長く1人で生きる少女。
町の人は、
“狼が混ざっている“
“人と猿の中間のミッシング・リンク“
“暗闇で眼が光る“
そう言って蔑み仲間外れにした。
親に見捨てられ家族に捨てられた少女が、
自然を親友に強く生き抜くストーリー。
ラブロマンスと、ひとりの男性の死の真相を裁く
法廷ミステリーでもある。
1950年代初め。
6歳のキャサリン・クラーク(カイア)は、
父親の暴力に耐えかねた母親が、湿地の家を出ていった。
姉や兄まで次々と去り、カイアは父親と2人きりになる。
心を保てたのは《湿地の自然・・・鳥や貝や羽根や植物》と
戯れる時間。
(湿地は全てを洗い流し、心を癒した)
そして父親まで湿地を去る。
しかしカイアはミル貝をドラッグ・ストアの黒人店主夫妻に売って
生活を保っていた。
カメラが美しい。
湿地の樹々や沼に渡ってくる白雁。
沼を泳ぐカイア、モーター付きのボートで移動するカイア。
カイアのモノローグは、詩のように知的で心に沁みる。
そして美しく成長したカイアをデイジー・エドガー・ジョーンズが、
逞しくて感情豊かな野性の娘を、情感込めて演じています。
幾ら沼地が好きでも、カイアもひとりの女性。
兄の友達だったテイトは、なにかと面倒をみてくれて、
学校に行かないカイアに字を教える。
そしてカイアには貝や鳥を描く才能があった。
大学へ進学して町を去るテイトは、カイアに出版社の連絡先を
メモして渡してくれる。
「きっと本にしてくれる、お金になるよ」
しかしそれっきりテイトは帰ってこなかった。
そして第2の男性=裕福な家庭のどら息子チェイスが近づいて来る。
結婚を匂わせて恋人関係になるが、婚約者の存在を知り傷付くカイア。
別れを告げると暴力が始まった。
チェイスはカイアの父親と同じ種類の男。
カイアの部屋をめちゃめちゃに荒らして、生活を壊す。
《生物は生きるために生命を懸けて闘う》
《生死は罪ではない、生存本能》
・・・カイアの言葉です。
ラストの見せ方がとても素晴らしい。
どんでん返しの衝撃!!
全世界で1500万部をセールスした大ベストセラー。
動物学者のディーリア・オーウェンズの処女作。
日本でも「本屋大賞」の外国書部門の1位を受賞。
私は正直の所。
ミステリーとしては、内容が乏しいと思います。
1960年代。
真剣な捜査は行われたのでしょうか?
女性が犯行を実行するにはかなりの無理がある。
185センチ85キロ位の男を、高所から突き落とす。
短時間の間にトンボ帰りして、編集者と打ち合わせをする。
靴も服も汚れなかったのでしょうか?
バスやホテルの目撃証言ひとつも無いなんて?
違和感といえば、「狼少女、猿のミックス・リンク」
そう呼ばれるにはあまりに清潔感あるお姿。
そして彼女の家は、後半にはアンティーク調のまるで
絵本のような可愛らしいインテリア雑誌に載るような家と家具です。
お風呂に入るのもままならないなら、髪は絡まり、
洋服や身体は垢まみれのはず。
まず風呂に入れてゴシゴシ洗い流すシーンからはじめるべき。
ライトノベル的ラブストーリー。
「君に読む物語」が大好きな私に、アレコレ言う資格もないのですが、
撮影の素晴らしさに較べて、内容の軽さが気になりました。
ザリガニって英語でcrawdadって言うんだね
多様性のひとつの形
この物語のバックボーンはタイトルに象徴される湿地帯の自然である。主人公はそこで家族から取り残され一人孤独に、しかし自力で生きていく。やがて、若い男の遺体が発見され、「湿地の女」として蔑まれてきた主人公が犯人とされる。主人公が弁護士にその来歴を語る形で物語は展開し、観客は主人公に感情移入しながら、主人公の生をともに生きていく。テイトとやり取りする鳥の羽や主人公の描く昆虫たちの細密画なども含め、豊かな水の自然は繊細で十分にエモーショナルであり、観客の共感を引き出す。だから私たちは結末を穏やかな気持ちで受け入れることができる。
昨今流行りのダイバーシティという言葉がある。多様性を意味するこの言葉は「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ)というように肯定的なものとして捉えられがちである。しかし、生物の多様性という概念は人間だけでなく自然、ひいては地球環境全体を指すべきものであるし、善や悪という概念を超えたものである。湿地帯の自然とともに生きた主人公は人間の矮小さ、邪悪な性質を退け、観るものにカタルシスと癒しをもたらすのだ。
湿地は全てを飲み込む
ノースカロライナに広がる湿地で1人の青年が死体で見つかった。
容疑をかけられたのはこの湿地で1人生き抜いてきた少女。
裁判を通して明かされる少女の人生と湿地の絆と事件の真相に心が動かされた。
本作は何と言っても画面いっぱいに広がる湿地の美しさ、自然の隅々まで細かく描く繊細さで自分が湿地に存在するかのように圧倒的没入感が凄まじかった。
自然描写だけでなく、人と人との温かい交流、線が引かれる緊張感のあるやり取り、複雑な人間の関わりが本作にドラマ性を加え、事件に引きつけられるミステリー要素もあり、見入ってしまった。
カイアのロマンス、神秘性、ミステリアスの要素が複雑に絡み合い、観た者がずっと考え込んでしまうほど魅力に溢れていた。
湿地は観た者の感情さえも全てを飲み込んだ。
鑑賞動機:原作の評判10割
読んでないんですけどね(読めや)。テイラー・スウィフトのCarolina を聴きながら書いてるわけだが、無性に染みる。映画の内容に寄せて作ったのかな。
法定物として、弁護士役のストラザーンをメインにどう切り抜けるか、という興味で観てたので、やれやれよかったよかったと気を抜いたら、アレですよ。ちょっとこんな時どんな顔したらいいのかわかんない。
ある種の「信用できない語り手」ものではあるのだが、映画のシーンとしては嘘は描かれないので、「その場にいた」以上は不確定という理解。真実はカロライナの湿地だけが知っている、か。まあでもそういうことなんだろうけど。何十年も立って亡くなった後に明かされる、という構造はあまり見たことないかも。彼女の一生は幸せだったのだろうか。
湿地の娘の数奇な運命
この映画(原作未読)は、裁判の場面と弁護人が主人公カイアと会話する拘置所の場面が現在進行形で描かれ、主人公の幼少期から事件前までが自分語りで振り返えられる。
我々は数奇な生い立ちの主人公に感情移入せざるを得ない。
湿地帯の一軒家に取り残され一人で生活する彼女に、町の人々は好奇の目を向けるのだから、可哀想でならない。
自給自足を余儀なくされた少女を、雑貨店を営む黒人夫婦だけが優しく見まもっていた。
この夫婦も、この町で商売を始めた頃は差別の壁にぶつかったのかもしれない。あるいは、子供がいないようなので擬似我が子のように感じていたのかもしれない。
だが、そんな彼らにも本当に彼女を護ることはできないのが現実だ。
もう一人、幼い頃に川で出会った少年テイト(青年期:テイラー・ジョン・スミス)が唯一の友人としてカイアの味方だった。成長して再会したこの青年から、カイアは文字を習い、彼女が湿地帯の生物を観察したスケッチが本になるとヒントを貰う。
ただ、カイアの運命を変えた最大の要因がこの青年でもあるのだ。
湿地帯の風景を捉えた映像、特に若い男女を自然の中心に置いたいくつものシーンの映像美は特筆すべきだ。
併せて、カイア役のデイジー・エドガー=ジョーンズが本作の価値だと言える。
自然に囲まれて一人で生活する逞しさと、他人を警戒する臆病さが同居した少女を繊細に演じていて、遂に暴力に屈しないと誓ってからの強い眼差しが印象的だ。
湿地帯の一軒家で一人で生きていくには、映画で見られる自給自足の苦労だけではなく、自然の驚異があるはずだ。周囲にいる野生動物たちの中には危険なものもいるだろう。
だが、映画で見る限りそれはなく、カイア自身が湿地帯の自然の一部なのだと思わせる。
古い話だが、「ジャングル・パトロール」(だったかな?)という湿原を警備する保安官とその家族を描いたテレビドラマがあった。モノクロだったと思う。内容は全く覚えていないが、ホバーボート(というのかどうかは知らないが、スクリューではなくプロペラで進むボート)で川も沼も(たしか陸地も)走り回っていたのを覚えている。
この映画の舞台とは異なるのかもしれないが、時代背景は近いと思うので、あんなパトロールボートが出てこないか、少し期待してしまった。
さて、法廷サスペンス映画としては、大きな欠点があると思う。
検察側の公訴事実の立証が不明確なところだ。
弁護側を主体とする物語なら、絶対不利な証拠で追い詰められてこそサスペンスが生まれる。
弁護人の台詞で追い詰められた状況だと説明されるが、その一方で状況証拠や証言をあっさり駆逐してみせる。
この展開だから、最後のどんでん返しは想像できてしまうのだ。
差別意識によってバイアスがかけられた裁判だと言わんばかりでリアリティを感じないのだが、時代背景的に『アラバマ物語』('62)と近いことを思えば、未成熟な田舎町の裁判なら、そんな起訴もあり得るのかとも思ったりする。
原作は、アメリカでは2年連続のベストセラー、日本でも本屋大賞を得たというから、恐らく小説ではこの辺りのサスペンスがうまく表現されているのだろう。読んでいないのが恥ずかしくなってきた…😅
ところで、ザリガニは鳴かないのだから、母親が言う「ザリガニが鳴くところ」は存在しない場所だと思う。あるいは、主人公を一人残して最後に逃げ出そうとしている兄からの伝聞だから、母親の言葉ではないかもしれない。兄はザリガニが鳴かないことを知っていて、妹を連れては行けないが、せめて安心はさせようと発した言葉だったのかもしれない。
湿地帯全体を「ザリガニの鳴くところ」と称しているという見方もあるが、父親から逃げる先を指して言われたのだから、違うのではないか。
(鳴かないが、ザリガニが何らかの音を発することはあるみたいだ)
裁判を終えた後日譚では、年老いたカイアと夫が湿地帯で暮らしている。
この裁判を経て、町に変化があったのかは分からない。
湿地帯に暮らし、自らも湿地帯の生態系に身を委ねた"湿地の女"の物語... 魔女裁判の如き法廷で少女が愛と死と憎悪の渦巻く半生を訴える青春映画!!
1950年代のノースカロライナ州の閉鎖的な海辺の田舎街、隣接する湿地帯で街の人気者の青年が遺体で発見され、その湿地帯にただ一人で暮らす年若い変わり者の女性が容疑者として逮捕され、偏見だらけの住民で構成された陪審員たちを向こうに、現役を退いた老弁護士と無罪を訴えて孤軍奮闘する法廷ミステリー。
しかしその一方で、ヒッピーの如き奔放な両親の家庭で育った主人子の少女が周囲からの侮蔑に見舞われながらも学を身に着け、限られた人間関係の中で二人の青年と恋に落ちそして…という青春映画としての側面も色濃いです。
そして何より、そこからのハートフルなエンディングに差し掛かったところでの冷や水を浴びせかけられるようなどんでん返し・・・"自然と生きるには何よりも生物として強かでなくてはならないのか"と嘆息するような余韻も有ります。
ミステリー映画はスッキリ胸が晴れる結末か、それともやがて来る暗雲を予期させる鬱な幕切れのどちらかに振り切った作品が最近とみに多いように感じますが、本作のそのグラデーションぶりはなんとも言えない味わいでした。
映画だからなのか小説もそうなのか
渦中の人となるカイヤを見ながら、こんな風に生きていけるのか?という疑問が常に付き纏った。しかしあれは主にカイヤ自身から語られるストーリーなのかもしれず、だとすると映像化の塩梅が非常にうまい。
ただ、生きるために。
小説未読、前情報は予告のみ。
昨今流行りの「驚愕のラスト!!」と意外な結末を売りにした予告が印象的で、どんなサスペンスドラマなのかと楽しみに鑑賞。「グリーンナイト」後のハシゴ鑑賞だったからなのか、話が染み入る染み入る…笑
個人が感じる映画の善し悪しは、好きな監督や俳優、世界観などで多少なりとも甘くなりがちだと思っている。また、いかにその映画に共感し、自己投影、陶酔、感情移入できたかは、かなり大きな作用になると思う。
この作品は特に、いわゆる「女性的」な感覚が強く、男性よりも女性の方が好む映画ではなかろうか…。
(2つの性別でお話することを不快な方がおられましたら申し訳ありません)
動植物に強い愛情を持ち、救われる日々。一方、属する人間界の理不尽さに怯え、静かに耐え忍ぶ日々。ただ、生きる為に必要な事を選択し、多くを望まずささやかな日々。貧困、家庭不和、嫉妬や疑念に身を焦がしながらも、それでもいつかは…と甘い幸せを願う日々。図らずしも強くなり、前を向き、手に入れたはずの幸せは束の間…消えてゆく。
私はこの映画の冒頭から最後まで涙が止まらず大号泣、翌朝まで目の腫れは引かなかった。 自分と重なる自然界への強い愛情と敬意。そして生育期のバックグラウンドによる苦悩、情熱、そして失望。
「共感」してしまったからだ。
しかしこれはあくまでも「私」だから。
他の誰でもがそう感じるとは全く思わない。
作中何度も出てくる鳥の羽が意味する愛のメッセージも、チーム繊細さんには「なんて素敵なの!!」と胸きゅんでも、動植物に興味の無い方には全く別の印象だろう。また、主人公の「唯一の救い」である自然界への執着に関しても共感が出来ず、「いやさっさと街に越せよ」などと、本末転倒、入り込めないかも知れない。
サスペンスの仕上がりとしては、普通かなと思います。極上サスペンスとか、この結末がスゴイという程でもないかなと思います。ただ、ある意味怖さはあります。感じる方は。
勿論原作は映画に盛り込めてない部分もしっかりと描かれていると思うので別のお話。あくまでも映画「ザリガニの鳴くところ」の印象。
自然界は善悪の概念で生きていない。
生に対して貪欲なものだけが生き延びられる。
ただ、生きるために、生き続ける。
私はこの作品、好きです。
美しい映像と強い覚悟
上映終了間近で原作を読破して鑑賞した。
原作は去年か一昨年のミステリ小説部門で上位にランクされていた。上映終了が間近に迫っていて、大慌てで原作を読んだ。原作は家族、世間から疎外され、一人で生き抜いていく少女の孤独な魂を描いていて、その心情に感動した。少女の心を癒やすのは沼地の自然だ。小説ではその場面がよく描かれて感心した。但し、沼地の環境が私にはよく想像できない。鳥や生物の名が書かれていてもどんな姿・形をしているかよくわからない。映画であれば当然スクリーンに映写されるので理解できる。だから、どうしても上映終了前に鑑賞したかった。
映画は原作小説をはしょった物で、これは仕方がないだろう。上映時間の制約がある。原作を読んだ感想は、殺人事件を絡ませる必要があるのだろうかとの想いだ。まあ、それでは娯楽小説にならず、全世界で一千万部も売り上げはできないだろう。
さりげない伏線の配置
伏線回収がたまらなく好きだ。だからミステリーが好きだと言っても過言ではない。これ見よがしに伏線を陳列するよりも、さりげなくちりばめてくる方が好きだったりする。そういう意味でこの映画の伏線のちりばめ方は素晴らしい塩梅。観終わってから、あのシーンとかあのセリフとかも伏線だったかーなんて余韻を楽しむことができる。ちなみに原作は未読。
最後の展開は少し予感していたから驚きはなかった。でも、そこに至るカイアの壮絶で、でも優しさに満ちた人生を感じ取ることができたから問題ない。いやー、カイアの伝記のような話だった(実在してはいないけど)。こんな重厚なミステリーは意外と埋もれがちだが、公開から結構たってるのにそれなりにお客さんが入っていたから口コミで人気が高まったのかもしれない。
でも、タイトルの意味が未だにちゃんと理解できないでいる。原作を読めばもっとわかる類のことなんだろうか。
瞬きが惜しくなる映像と、緊張が心地よいセリフと。
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