千夜、一夜 : 映画評論・批評
2022年10月4日更新
2022年10月7日よりテアトル新宿、シネスイッチ銀座ほかにてロードショー
田中裕子マルチバースの始まりか。「待つ女」の思いが詰まった新たなる代表作
テレビドキュメンタリーのディレクター出身、久保田直監督による8年ぶりの劇場映画第2作。出演は前作「家路」に続き田中裕子。脚本も同じく「家路」、そして田中の中期代表作「いつか読書する日」を手がけた青木研次。
佐渡島に住み水産加工場で働きながら、30年前に姿を消した夫を待ち続ける登美子(田中裕子)。当時は北朝鮮の拉致疑惑も取り沙汰され、必死に各所を回って夫を捜す姿は、メディアでも取り上げられていた。そんな彼女の存在を知り訪ねてきた島で働く看護師の奈美(尾野真千子)もまた、教師の夫・洋司(安藤政信)が2年前に失踪していた。似たような境遇の奈美と手がかりを探る登美子は、次第に彼女と自分を、洋司を夫とだぶらせていく。そんな時、偶然渡った新潟の街で登美子は洋司の姿を見つける。
14年の「家路」では震災後の福島を舞台に、避難命令を受けた人々の思いを描写した久保田監督。今回は新潟を舞台に拉致問題を導入にしつつも、感情の矛先はあくまでも残された妻たちの気持ち、すなわち消えた夫と待たされる自分という内側へと向かう。ドキュメンタリー出身でありながら、今回は社会性や告発よりもドラマ性を重視した印象だ。
その中心となるのが田中裕子扮する登美子の存在。これはキャラクター設定は違うものの、監督の前作「家路」で田中が扮した役名と同じなので、久保田監督と脚本家の青木研次の中では、登美子サーガというかマルチバースが構築されているようだ。「家路」での登美子は認知症の兆候を示しながらも、息子と立入禁止区域の生家に帰って行く母親役だったが、本作の登美子は埋み火のような夫への思いを再びたぎらせる妻となっている。
最近は「はじまりのみち」「ひとよ」「おらおらでひとりいぐも」と病身や老け役の多かった田中だが、本作では前述の「いつか読書する日」の美奈子役に見られるような大人の女性を体現。過去に縛られながらも、かつての男に人知れず情念の火を灯し続ける美奈子は、他人の夫を探すことで自分を解き放つ本作の登美子と重なって見える。
今も年間8万人が失踪する現状に久保田監督が着想を得たという本作だが、55年前に同様のテーマで今村昌平が撮り上げた実験的ドキュメンタリー「人間蒸発」でも、1966年の国内失踪者は9万1千人だと言及されている。この「人間蒸発」は失踪ものの先駆けとして知られ、クライマックスに向け迷走を重ねるが、本作もまた思わぬラストを迎える。両作は全くタイプが違うものの、自ら消えた者と待つ者たちは、いつの世も想像を超えた物語を秘めていることを教えてくれるのだ。
(本田敬)