千夜、一夜
劇場公開日:2022年10月7日
解説
劇映画デビュー作「家路」で高く評価されたドキュメンタリー出身の久保田直監督が、日本全国で年間約8万人にも及ぶという「失踪者リスト」に着想を得て制作したヒューマンドラマ。「いつか読書する日」の青木研次がオリジナル脚本を手がけ、愛する人の帰りを待つ女性たちに待ち受ける運命を描き出す。
北の離島にある美しい港町。登美子は30年前に突然姿を消した夫の帰りを待ち続けている。漁師の春男は彼女に思いを寄せているが、彼女がその気持ちに応えることはない。そんな登美子の前に、2年前に失踪したという夫・洋司を捜す奈美が現れる。奈美は自分の中で折り合いをつけて前に進むため、洋司がいなくなった理由を求めていた。ある日、登美子は街中で偶然にも洋司の姿を見かける。
主人公・登美子を田中裕子、奈美を尾野真千子、春男をダンカン、洋司を安藤政信が演じる。
2022年製作/126分/G/日本
配給:ビターズ・エンド
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30年とは気が遠くなる年月だ。それほどの長い間、行方不明の夫を探し続ける妻をどう描くか。全ての答えは田中裕子の存在感に凝縮されていると言っていい。映画の肝とも言える最初のワンシーンを目にするだけで、ヒロインの背負ったものや感情の内側がじわっと流れ込んでくる。なぜいなくなったのか。その理由がわかれば、残された側の気も少しは楽になるのだろうが、手がかりは一切なし。それゆえ彼女の人生は何もない浜辺のような寂寥感と共に広がる。もはや日常の中で笑うこともなければ、泣くこともない。無駄な希望も持たないし、かといって絶望もしないーーーそこに浮かび上がるのは「待つ」という生き様だ。彼女だけではない。本作には他にも多様な人々の「待つ」姿が重ねられる。そうやっていつしか、小さくとも濃密なタペストリーが編み上がっていくかのような感慨が本作にはある。主人公に想いを寄せるダンカンがこれまた味わい深く記憶に刻まれた。
2022年9月30日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会
久保田直監督は劇映画デビュー作「家路」(2014)で、東日本大震災と原発事故で被災して生家が警戒区域になった福島のある家族を描いた。そしてこの新作「千夜、一夜」では、北朝鮮による拉致の疑いが完全には排除できない失踪者(警察の用語では「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」)、いわゆる“特定失踪者”の家族を題材に選んでいる。80年代からドキュメンタリー制作に携わってきた久保田監督の経歴も考え合わせると、“国民的な受難”とでも形容できそうな、日本で起きた大きな悲劇の中で家族や個人がどう生き、どうサヴァイヴしているのかを、劇映画というフォーマットを通じて私たち観客に伝え、考えてもらおうという意志が強いのだろうと想像する。
北の離島(あえて土地を限定しない意図からか、劇中では明言されていないが、背景の建物や施設などに「新潟」「佐渡」の文字が映っており、実際に佐渡島でロケが行われた)で30年前に突然姿を消した夫の帰りを待ち続ける主人公・登美子役、田中裕子の演技だけでなく、凛とした佇まい、存在感そのものに胸を打たれる。高齢で足腰が弱っているのを表現するためだろう、立ったまま薬缶から湯飲みにお茶を注ぐ姿は「おらおらでひとりいぐも」(2020)の桃子ばあさんを彷彿とさせるし、周囲の声に動じず頑固に家族を想うキャラクターは「ひとよ」(2019)の稲村こはるに通じるものを感じる。なお、「ひとよ」での役は長らくの不在を経て家族のもとに帰ってきた母であり、不在の夫を待ち続ける妻を演じた本作との対照性も興味深い。ともあれ、田中裕子が近年体現してきたキャラクターたちは、彼女の存在感も相まって、女性は、母親はこうあってほしいというような、理想の女性像、母親像を観客が投影しやすくなっているのかもしれない。
個人的な話で恐縮だが、佐渡島には地縁もなく血縁者もいないのに、二十代後半にたまたま訪れた両津港近くの料理店で店主や常連客たちと飲みながら話す機会に恵まれ、佐渡の人たちの温かさにすっかり魅了されてしまい、その後も数年たってから思い出したように訪問して、これまでに合計6回訪ねている。そんな佐渡ファンとしてちょっと物足りなかったのは、長年にわたり島で暮らしている設定の人物らの言葉が、ほぼ標準語だった点。佐渡弁は温かみがあり、島の住民方の純朴で親切な人柄を表すようで本当に素敵なのに……。その点が鑑賞中ずっと気になっていた。やはり、あえて土地を限定しない意図から方言を避けたのかもしれないが。
2022年11月10日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
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新潟県の佐渡島、イカの加工工場で働く60歳間近の登美子(田中裕子)は、30年前に夫が突然姿を消した。
拉致被害者の可能性があり、特別失踪人に指定されている。
登美子は、これまで夫の消息を訪ね、夫の帰りを待ち続けていた。
そんなある日、登美子のもとに、30代の若い女性・奈美(尾野真千子)が現れる。
彼女の夫も2年前に理由なく突然に失踪、拉致被害の可能性が信じた奈美は、夫が消えた理由を知りたかったのだ・・・
というところからはじまる物語で、夫が姿を消した女性ふたりを対比して描く物語(のようだ)。
ま、それはおおむねそのとおりなのだけれど、対比されるのはふたりの女性だけでなく、女性という意味では、もうひとり登場する。
地元における特別失踪人捜索者支援をしている初老の男性(小倉久寛)の妻で、彼女は認知症を患い、最愛の夫が目の前から消えてしまったと思い込んでいる。
この認知症の妻の存在が物語に奥行きを与えており、彼女がいないとなると、登美子と奈美の対比だけでは薄っぺらくなってしまう。
さて、奈美の夫であるが、案の定、拉致被害ではないことが終盤判明。
登美子と対峙する奈美の夫(安藤政信)の口から語られるのは、漠然とした不安である。
この漠然とした不安というものは、わからない人にはわからないが、感じている者にとっては強迫観念に近いようなもので、逃れることが難しい。
奈美の夫が感じた漠然とした不安の契機は、妻・奈美との結婚なのだが、もうひとり、漠然とした不安を抱え込んでいる男性が登場する。
登美子の幼友だちで、長年彼女に恋慕し続けていた漁師の春男(ダンカン)である。
彼の不安の契機は、ひとりでいることで、恋慕の感情は、いわば言い訳めいたものである。
その春男も中盤、ふと姿を消してしまう。
男というものは、不意に姿を消すものなのか・・・
たぶん、消すんだろう。
いなくなることで、それまで「いた」ことを証明する。
なんだか歪んだようなレゾンデートルだ。
一方、女は姿は消さない。
いつづけることが存在証明、レゾンデートルだ。
姿を消したふたりの男(奈美の夫と春男)がふたたび姿を現してからは、過去観た映画を彷彿とさせる。
映画は『いつか読書する日』。
田中裕子演じる登美子のキャラクターも似ている気がするが、男性陣も似ている気がする。
似ている気がするのも道理で、本作の脚本は同作を担当した青木研次。
なるほど。
なお、映画の時代背景は、いまから少し前(たぶん10年ほど前)の設定なのだろう。
拉致被害が多かったのは70年代後半~80年代前半(登美子の夫の失踪時期を考えるとそうなる)。
なので、時代背景がいま現在だみると、奈美が夫の失踪を拉致と考えるのには合点がいかない。
10年ほど前ならば、拉致被害者の帰国もあり、理由なき失踪を拉致と結び付けてしまったのにも合点がいきます。
2022年11月6日
Androidアプリから投稿
初めにごめんない!ここ何回か書いてるが、またも地方映画でほぼ標準語。
それにしても年間8万人も失踪者の方がいるの??
舞台の場所が拉致の可能性もある場所で、舞台が重要なとはこの映画に関しては一定の理解は出来るかなー