WANDA ワンダ

劇場公開日:2022年7月9日

WANDA ワンダ

解説・あらすじ

アメリカの底辺社会の片隅に取り残された女性の姿を切実に描き、1970年ベネチア国際映画祭最優秀外国映画賞を受賞した、バーバラ・ローデン監督・脚本・主演のロードムービー。ペンシルベニア州のある炭鉱で、夫に離別されたワンダは、子どもも職も失い、有り金もすられてしまう。わずかなチャンスをすべて使い果たしてしまったワンダは、薄暗いバーである男と知り合う。ワンダはその傲慢な男と行動をともにし、いつの間にか犯罪の共犯者として逃避行をつづけることとなる。公開以降、アメリカではほぼ黙殺された作品だったが、2003年にイザベル・ユペールが本作の配給権を買い取りフランスで上映。07年にオリジナルのネガフィルムが発見され、10年にマーティン・スコセッシ監督が設立した映画保存運営組織ザ・フィルム・ファウンデーションとファッションブランドGUCCIの支援を受け、プリントが修復された。日本では22年に初の劇場公開。

1970年製作/103分/アメリカ
原題または英題:Wanda
配給:クレプスキュールフィルム
劇場公開日:2022年7月9日

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(C)1970 FOUNDATION FOR FILMMAKERS

映画レビュー

3.5 1970 Indie Treasure

2022年6月9日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

Barbara Loden directs and stars in this Bonnie & Clyde-esque road movie that echoes some of the crossroads energy from Badlands, The Brown Bunny, or a Takeshi Kitano movie. Perhaps it wasn't intentional at the time but it certainly stands out today as a feminist masterpiece. I'm curious why they decided to release this film in Japan 52 years after the fact, but it sure is a classic you can't miss.

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Dan Knighton

4.5 バーバラ・ローデンという奇跡ーー忘れられたアメリカ映画の金字塔

2025年12月7日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

忘れられないすごい映画を、また1本観てしまったーーそんな感想である。たくさん映画を見た今年のマイベスト5の一本決定だ。
最初に思い出したのは、今年初鑑賞して大ファンになった中国の映画監督ジャ・ジャンクーの「青の稲妻」だ。石炭産業が下火になり寂れ始めた炭鉱町で、教育も十分ではなく、何ら仕事の能力もなく、どこへも行けない状況の中で生きる人の姿を、記録するように見事に描いた作品だ。登場人物たちも、本当にそこにいる人を映し出したかのような現実味があった。
本作は、プロの演技者は、主演の監督自身と、逃避行を共にする男性の2人だけのようだ。あとは素人を起用して即興的に撮影したのだという。ここも「青の稲妻」とも共通している。

本作のストーリーはシンプルだ。職を失ったシングルマザーのワンダ。彼女が、強盗の男と逃避行の旅をしていくロード・ムービーで、その部分は「俺たちは明日はない」を思わせるところもちょっとあって犯罪映画でもある。
しかし、本作はジャンルやストーリーで語れる映画では全くない。1970年当時のアメリカ内陸部の貧しい白人労働者階級の姿を生々しく記録していること。そして、そこで、どうにもならない自分を抱えて生きる人間が描かれていること。それが現代にもつながる普遍性を持つ力を持っていること……それらが合わさって、55年経った今、さらに大きく価値ある映画となっていると思う。
あまりに素晴らしかったので、ネットで調べてわかったことと絡めてまとめておきたい。

本作の監督・脚本・主演は、女優バーバラ・ローデン。長編映画制作は本作一本だけだ。カンヌ映画祭外国語映画賞という快挙にも関わらず、アメリカでは配給されなかった。その後、忘れられた映画になっていたが、90年代後半から、映画史家などに〝再発見〟されカルト的評価を受ける。そして、2003年にフランスの大女優イザベル・ユペールがフランスで本作をDVD化したことから再注目されるようになった。そして、今回の「カンヌ映画監督週間」のように、特集上映で再上映される作品となった。
フェミニズム文脈での評価は、当時からあったようだが、ローデン本人は、それについては本意ではなかったようだ。

ローデンは、アメリカの巨匠映画監督で、アクターズスタジオの創設者としても知られるエリア・カザンの妻(25歳の年の差婚)でもあった。カザンとは葛藤も抱えつつ、別れることはなかった。ローデンは本作から10年後の1980年、48歳の時にガンで早逝している。

本作は、当時アメリカでは「救いのない物語」「理解できない」「面白くない」と評価され。評論家からも主人公のワンダが「魅力的でない」「知的ではない」と批判された。確かに「魅力的な主人公が、困難を克服し、成長して、何かを成し遂げる」といったハリウッド的な英雄の旅の構造は、本作にはない。ただ、そこにいる自分と同じく、ままならない人生を生きる人がリアルにそこに存在していることに心を動かされるのである。
本作を強く推奨する現代の女性監督ケリー・ライカールトや、先のジャ・ジャンクーなどと同様、救いも安らぎもない生々しい現実を描く映画作家の系譜の一つの出発点となる人物でもあるように感じる。

ローデン監督が演じる主人公ワンダの表情の乏しさは、自分自身の価値観と判断というものがないことの表れでもある。ワンダは、状況や周囲の人の意向に流されるまま生きている。ヤバい状況になっているのに、それを判断する大局観みたいなものがなく、そこにいる身近な相手、近づいてくる人の意向に合わせて動いている。
彼女は、計画性とか自律性などが欠如している。仕事もちゃんとこなすことができない。失業して、以前の職場に再就職を頼んでも「君は仕事が遅すぎる」とあっさり断られる。
日本の作家、鈴木大輔がベストセラー「最貧困女子」の後に書いた「貧困と脳」で書いた〝働けない脳〟の存在が見てとれる(僕自身も、かつて病気で、大幅に知的能力が落ちた時期を経験し、彼の本には、当時の自分のことが書いてあると感じている)。
努力では解決できない「どうにもならない無力さ」を彼女は抱えている。ずっとぼんやりした不安感が心を占めている状態のはずだ。そして、それは自由と自立の国アメリカでは救われない人でもあるし、それは現在の日本でも変わらない。
若いうちに結婚・出産した女性が、離婚した途端に、貧困状態となってしまうこと。十分な社会的支援は受けていないこと。近寄ってくる男性に搾取されてしまうことーーこれらは、現代の日米でもかなり起きていることだ。

ローデン監督は、自分のことを「ヒルビリーの娘」と称していたそうだ。貧しい労働者階級の出身で、子供時代には虐待もあった。16歳からニューヨークに1人移り住みモデルやピンナップガールとして稼いだ後、アクターズスタジオで学び、女優となった。
彼女の子供時代はあまり明らかでなはいが、現アメリカ副大統領J.D.ヴァンスの自伝「ヒルビリー・エレジー」で描かれたアメリカ内陸部の白人労働者家庭と重ねて見てしまう。肩を寄せ合って生きる強い家族の絆(裏返しの抑圧、長く続かない結婚)、暴力と飲酒、ドラッグといった気晴らし。教育には早々と見切りをつけ、自分の胆力一つで場当たり的に生きようとする態度……そんなものがあったのではないかと想像している。
モデルとしてすぐに活躍できたにも関わらず、当初から彼女は自己評価が低かった。役者を目指しているにも関わらず、「自分はみすぼらしくて、不十分だ」と感じていた。

状況に流され、その場にいる相手に合わせて生きていること。
自分は不十分だと思い、常に不安を抱えていること。
周りに合わせて生きていること。
苦しい状況や搾取的な場面から、自ら抜け出そうとしないこと。
そもそも抜け出すためのリソース、手持ちの武器を持ち合わせていないこと。
……これらは、決して特殊事例でもなんでもないと思う。少なくとも僕自身は大いに共感するところがあった。それなりに主体的にサラリーマン生活を送ってきたつもりでいたけれど、退職した今、振り返ってみると、同じだったということがよく見えてきた。だからこそ、本作にも、他人事でない思いを抱いてしまう。

強盗の男性に「お前はよくやった」と言われて、この映画で初めて、主人公は嬉しそうな表情を浮かべる。彼女は、巻き込まれ、都合よく使われている。「なんで」と思うけれど、それは観客だから見えることで、彼女には、目の前の相手が全てで、承認してもらいたいのである。そして、それは僕自身にも多々思い当たる経験がある。

彼女の25歳年上のエリア・カザンとの関係も複雑だ。「マイフェアレディ」を思わせる年上の裕福な教養人と、無教養だけれど、可能性に満ちた若い女性のカップルと言っていいと思う。
男性目線では、足長おじさん的な、倫理的な愛情物語かもしれないが、女性目線からすると、自分の言葉、表現や思想といったものが持てない自分に対して、全てを持っている憧れであり、内心の大きな反発を抱える相手でもある。
カザンは、ローデンを一貫して支援しつつも、理解できなかった。その後悔がカザンの自伝に告白されている。

「彼女は、私が想像していたより遥に大きな才能を持っていた。
 私はそれを認めきれなかった。」

ローデンの死後、カザンは数年間抑鬱の生活を送り、自伝で「私の人生で最も大切な人物だった」と書き残している。
25歳年下のローデンは、カザンにとっては保護の対象であるとともに、魅力的な相手で、いつ自分から逃げていくかわからないという思いもあったようだ。カザンの自伝の中でも、ローデンのすぐ感情的になる田舎者な部分と同時に彼女の性的魅力が強調されている。

カザンは、ローデンの次回作企画を強く後押ししなかった。彼女はまだ未熟だと考えていたからのようだ。

「彼女の中には何か“火種”がある。
 しかしそれは、誰かが見つけなければ一生くすぶるままだ。」

そう思って彼女を支援してきたにも関わらず、彼女の〝火種〟の結実である本作を認めることはできなかった。しかし、彼女の没後に本作が高く評価されるとともに、カザンの考えも変わり、才能を認めるに至ったようだ。遅すぎたのである。

カザンが創設したアクターズ・スタジオで教えた演技は「演技のリアリズム」を刷新するアメリカ映画の革命でもあった。「エデンの東」で主役に抜擢したジェームズ・ディーン始め、出身俳優リストにはアメリカの大スターが名を連ねている。
ローデンもアクターズ・スタジオで学んでいるが、彼女の映画は、リアリズムという点で、カザンの方法論のはるか上をいくものになっていると思う。映画を構造化し、骨格を構築していくというカザンの方法論とは、全く違う方法で撮影された。カザンはその卓越性を認めることができず、ローデンも生前はアメリカで高く評価されるに至らず、本作が遺作となってしまったのが、本当に残念である。

ワンダは、社会と周囲に対して「自分自身とはこれだ」という輪郭をはっきり持つことができなかった人だ。そして、彼女を作品として生み出し、自ら演じたローデン自身もまた、そのはっきりしない自分に苛立ち、カザンという巨大な才能の元で、自己不信を感じ続けていた。
その彼女が一度だけ、彼女自身の輪郭を明確に刻みつけたのが「ワンダ」であると思う「ワンダ」の中には、世界の重力に抗しきれず、敗北し続ける私たちの姿が刻み込まれていると思うのだ。

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nonta

2.0 素材のままでドカンと眼の前に置かれて

2025年8月23日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

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ねこたま

4.5 潜在的タブーテーマの衝撃作

2024年10月9日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

一昨年位に公開された時に気になってはいたが見逃して、やっとAmazonで配信されていたので早速鑑賞しましたが、劇場で見れなかったことに凄く後悔しました。
失敗したなぁ~、予想を超えた傑作であり問題作でした。

1970年ベネチア国際映画祭最優秀外国映画賞を受賞したバーバラ・ローデン監督・脚本・主演のロードムービーで、当時アメリカ本国ではほぼ黙殺された作品だそうです。
1970年といえばアメリカンニューシネマのムーブメントの真っ只中であり、本作もその様な作品なのかと予想していたのですが、全く違っていましたね。
私自身アメリカンニューシネマの影響を受けて育てられたので余計に分かるのですが、テーマの核になるモノが全く違っていました。
所謂今に残るアメリカンニューシネマの傑作作品群は、当時の社会性というか時代性から生み出された作品ですが、本作は(ルック的には似通っていますが)時代性よりも、人間の普遍性を描いた内容になっていました。だからこそ半世紀以上経った今になって発掘されたのだと思います。本作の持つテーマは今でも(いや、今の方が)切実に感じられる問題だからです。

見終わって感じたことなのですが「本作の様な問題を扱った映画って、あまり見かけないよなぁ~」って事ですかね。
上記した様にアメリカンニューシネマなどの作品でもその時代の社会の問題を扱っていますし、昔から映画というモノは差別や暴力や犯罪や戦争などの社会問題は扱っても個人の能力的な優劣を問題にした作品は殆ど無い。ひょっとしたら、業界内でタブー視されているのかも知れませんが…、しかし現実社会では何よりもこの問題が、この社会で生きる人々にとっては一番大きな問題になって来る。
だからこそどんなに優れた作品を鑑賞しても、映画は何処か夢物語であったり、現実社会との乖離を感じざるを得ない。
当時の社会批判真っ只中のアメリカで何故黙殺されたのか?の原因を考えると、本作が余りにも普遍的人間性の真実を突いているので観客にも敬遠されたような気がします。

もう少し具体的に考察すると、最近You tubeでインフルエンサーのホリエモンがよく口にする表現ですが「境界知能」を扱った作品だと思えます。
大雑把に説明すると、知能指数分布を五つに分割して下から①“知能障害:5%”②“下位境界知能:15%”③“平均:60%”④“上位境界知能:15%”➄“天才:5%”(あくまでも目安の数値)に人間の知能的な優劣が存在していて、①と③~➄は映画の素材としても取り上げられますが、②については殆ど取り上げられません。
“社会不適合者”という言葉はよく使われ、①~➄まで全ての分布の人間にそのような要素はあるのですが、特に①と②は社会生活をする上で確実に社会的なヘルプが必要になるのです。それが、①の場合の支援は誰にでも理解できるのですが、②位の場合が国や社会や状況によって理解されない場合が多く(②と③の区別が表面上分らない為)、社会も一般人も見えないフリをしたがる(虐げる)存在になりやすく、社会自体がその存在から自ら目隠しをしたがる、かなり深刻な社会問題だと個人的には思っています。

本作の主人公が完全に②に位置するキャラクターなのは確実なのですが、この様な人達にスポットを当てた作品など今まで殆ど見たことが無かったし、社会そのものが見えないフリをしている存在自体をテーマしている作品という事で、個人的には非常に衝撃的な作品となりました。

追記.
少し前に見た『冬の旅』も非常に衝撃的な作品でしたが、本作とは対極の作品であった様に本作を見て思えました。
あちらの主人公は④の「境界知能」を持った“社会不適合者”が主人公の物語であり、どちらにしろ見ないフリをするだけでない、社会に適合できない人間に対する認識を一般人ももっと持つべきなんだと、両作を見ながら思いましたね。

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シューテツ

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