私、あなた、彼、彼女
劇場公開日:2022年4月29日
解説
後の多くの映画作家に影響を与えたベルギー出身の女性監督シャンタル・アケルマンが、1974年に当時24歳の自身を主人公にモノクロ映像で撮りあげたセルフポートレイト的作品。ひとりの若い女性が、自室で家具を動かし、手紙を書き、裸で砂糖を口にする。やがて家を出た彼女はトラック運転手の男性と行動を共にし、その後訪れた家で女性と激しく愛を交わす。共演に「預言者」のニエル・アレストリュプ。「シャンタル・アケルマン映画祭」(2022年4月29日~5月12日、ヒューマントラストシネマ渋谷)上映作品。
1974年製作/86分/R18+/ベルギー・フランス合作
原題:Je, tu, il, elle
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム
スタッフ・キャスト
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まだ20代そこそこだったシャンタル・アケルマンが自分主演で撮った本作は、ヌーヴェル・ヴァーグ的でもあるし、またアメリカン・ニューシネマ的でもある。前半はとにかく家から一歩も出ずに過ごそうとする若い女の姿を記録映像のように撮っていて、後半は一転ロードムービー的な展開になるのだが、倫理のゆらぎも娯楽映画的なダイナミズムも排除して、本当に画面の中には誰かが「いる」しか言いようのない時間が続く。しかし意味性や理想化から解き放たれた主人公の姿は社会の規範からも自由に見えて、フェミニズム的な意味でも非常に批評性を獲得した作品になっている。そして湧いてくるいろんな理屈を押し流すかのように、終盤のラブシーンがシンプルな肉と肉との貪り合いとして差し出される。その居直りは暴力的でもあり、また作り手の確信でもあるのだろう。おそるべき才能だし、この数年後にはあの『ジャンヌ・ディエルマン』を撮れてしまう飛躍にも驚くばかりである。
2022年10月6日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館
冒頭で眠たくなる映画だった。あの調子でずっと続いたらどうしようかと思った。ラスト辺りの行為がダンスのようにも見えて新鮮だった。
2022年7月23日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館
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昔、観たマルグリット・デュラスの白黒の映画に似ていると思っていたら、実はデュラス本人も注目していたようで…
代表作の『ジャンヌ・ディエルマン』は途中で席を立ったようだが、こっちの方は割と好きだったんじゃないかな?
但しデュラスの映画のような、フィクショナルなファンタジーというか、虚構における解放区への誘導というか、ある種の自由を発動させる余白というか、そういった諸々を拒否しているというか…
肉弾戦のようなベッドシーンも、欲望剥き出しの”ぶつかり合い”のようで、お互い自由気儘な交歓に見えつつ、どこか意図されたコレオグラフィのようで…
一見ヴァイタルな行為に見えるのだが、そこに開放的で野放図な悦楽は見えなかった。
セルフ・ポートレートなショットが続くので、本人のプライバシーを曝け出しているようにも見えるが、全て創作かもしれないし、または、その組み合わせかもしれない。
ノンフィクションのような切実なリアルは殆ど感じられないため、間違いなくフィクションであろうが、実体験や即興性も導入しているようだから、現実の出来事のように見えなくも無くて…
作られた物語という人工的な虚構性からの解放は試みたかったかのかもしれないが…
ず〜っと主人公のプライベートな世界を延々と映していくので、最初から最後まで引き込まれはするが、フィルムの外へ広がっていく”何か”を感じることは出来なかった。
まあ、殆ど密閉空間しか映されないから(ある意味ヒッチハイクでのシークエンスも含めて)最初から、そういう意図だったかもしれない。
この閉塞感は、ポスト・ヌーヴェル・ヴァーグ(アメリカン・ニューシネマも含む)特有か?
ゆえに最後のエンドクレジットでのフランスの童謡によって、何か初めて外界の空気を吸ったような気分にもなった。
しかし、この人なんで80年代に日本で注目されなかったかな?
『囚われの女』なんか、カイエ・デュ・シネマで年間2位だったというのに。
ジャームッシュや山本政志などが注目された頃、回顧上映しても良かったのに。
シャンタルアケルマン、観れてよかった。
途中まで、私の休みの日みたいやな
くらいの呑気さで観ていたが、
最後まで観てみるとこれ、凄い映画なんじゃないか!?
と思わされる。
ジェンダーとかフェミニズム論で語ると、
すごい論文が出来そうな……。
普通じゃないよね、本当。