LOVE LIFEのレビュー・感想・評価
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理性と感情のせめぎあい
細部にまで張り巡らされた設定とストーリー。
訳あり家族に突然降りかかるこれ以上ないような災難。これはきつい。この事件を掘り下げるだけでも濃い話になりそうだが、映画はそれぞれの気持ちの深いところまであぶり出す。
木村文乃演じる妙子の一本気なホスピタリティーは物語の推進力となるが、出色は永山絢斗と神野三鈴の親子だ。自分の気持ちより、周囲に合わせて常識的に親切に振る舞う善人。息子の方が母親よりより理性的であるが、逆にいうと他人と一定の距離を取り本心は見せず、状況で行動を選ぶ冷たさを感じる(けれど誰より犬や猫に懐かれてるのが面白い)
母親は事件で動揺して出た自分の本音を持て余し宗教にすがるがすがりきれない理性の持ち主だ。(それゆえに悩みは解消されない)
優しいが弱いと見えた妙子の元夫は、結構したたかな奴で、お節介なほど親切に見える妙子は大事な岐路ては計算高さを見せる。
世の中は理不尽でままならないけど、折り合いをつけて生きるしかない(それもいずれ破綻するかもしれないけれど、ずるしながらでも今を生きるしかないのだ)
「よこがお」も面白かったけど、どちらもスッキリとした結論を示さないモヤモヤを残したところがいいと思う
光と猫と中古
オッパ、オッパ、オッパ♪何なんだ、この曲は。序盤で義父(田口トモロヲ)が歌っていた7番もある演歌も意味不明だったけど、逆に矢野顕子の“LOVE LIFE”が際立ってしまった。ジャズ色の強いこの曲の歌詞も「どんなに離れていても愛することはできる」という歌詞によって、映画全体のテーマにもなっています。
最愛なる息子敬太の突然の事故死。妙子(木村文乃)の連れ子になるのだが、再婚相手の二郎(永山絢斗)にも懐いているし、二郎の両親にもようやく母子ともに認められようとしていた矢先のことだった。悲しみに暮れる夫婦の前に行方不明となっていた前夫のパク(砂田アトム)が現われ、不穏な空気に包まれる。風呂場での事故だったため、二人とも自宅の風呂には入れず、団地の隣の棟に住む両親の風呂を借りる日々が続いていた。そして両親は田舎の方に引っ越しが決まり・・・といった展開。
パクがろう者であるため、日本語、韓国語、韓国手話が使われているが、障がい者を扱うというより、言葉、手段が違うだけといった雰囲気にも納得。むしろ、妙子を中古品扱いする義父の嫌味が強烈に映る。いや、俺なら木村文乃がバツイチでもバツ3であっても大歓迎だけどね。中古といえば、パクの再就職先も中古品を扱っている業者さんだった。
社会問題要素も豊富で、妙子が勤める市民相談センターでのホームレス支援や在日外国人が生活保護を受けられない問題などが伝わってくる。また、パクの前妻との息子がコーダであったり、ろう者文化も当たり前のように扱われていました。
砂田アトム本人もろう者であり、手話にしてもちょっとした行動にしても自然に演じられていた。また、ろう家族のCODAが目を合わせてコミュニケーションを取ることが、学校の先生に注意されるといったことがパンフに書かれていましたけど、それに対して二郎が妙子の目をそらして会話するといった対照的な性格も描かれていました。
とにかく、映画の中で細かなことが奥深いため、なかなか一度に理解できるものじゃなかった。『よこがお』のような時間のギミックはないものの、深田監督の思いがあちこちに詰まっていると思われす。パクの放浪癖や孤独感は理解しがたいものがあったけど、本来人間は誰でも孤独なもの。死ぬときは誰かがそばにいても一人なんだと。だけど、愛することは離れていても(死んでいても)できる。死んだことを忘れたい、前を向いて歩かなきゃいけないことはわかるけど、忘れちゃダメなんだというのも理解できる。“LOVE LIFE”の歌詞は人によって色んな意味を受け取ることができるだろうけど、戦争によって離ればなれになってる人たちのことまで考えてしまいました。
パクが上着の中に隠した猫が顔を出して引っ込めるシーンは秀逸(偶然の賜らしい)。その猫が懐いている二郎に差し出すところも意味深。また、鳥除けのために吊したCDの光があざといほど上手く使われ、常に光のバランスが揺れ動く心を表現しているようで興味深かったです。じわじわと様々な思いを交錯させ、まるで文学的映画のような内容でもあったけど、これが深田流の新しい形なんだろうなぁ。
人は皆1人なのです。
幸せに見える夫婦に突然おそいかかる不幸と共に、何かが少しづつ崩れていく話。
この作品妙子の母が言う「誰かがいても結局死ぬ時は1人」という言葉がすべて。登場人物達は全員誰かと一緒にいるのに疎外感を感じもするし、ここが自分の居場所だと感じもする。毎日一緒にいても所詮はお互い他人、お互いがお互い全く知らない世界を持っている。
例えば冒頭、妙子の息子敬太のオセロ優勝大会おめでとう会を身内だけでやっている時義父はどことなく浮いているけど、この集まりが同時に義父の誕生日会だったため職場の人達が合流した瞬間、完全にその場は義父のホームになり妙子は端に追いやられる。
こういう誰かが影になったり陽のあたる場所を得たりは繰り返されていて、結局誰かの100を独占することは出来ない。2人の住む家が元々義理の父と母が住んでいた場所であるように、かつては居場所だったところが失われることもある。こんなん、1人でいるより孤独が強調されて辛すぎる。
恐らくこの家族の中で妙子が居場所を作れたのは敬太がいたから。その存在が無くなった時、前の夫との絆を感じ始める。でも面倒を見てあげられるのは自分しかいないと思っていた元旦那にも、ちゃんと居場所があって妙子には知らない世界があった。そもそも敬太にもオセロ仲間という妙子が知らない世界を持っていた。それを悟った時に表れるタイトル『love life』が清々しかった。
個人的に、敬太の死は不運の事故というのは大前提として、義父がアホみたいな演歌大音量で歌ってなかったら倒れた時の衝撃音ですぐ駆けつけられたんじゃないか?ってだれか言ってよ!!と思った(笑)
「LOVE LIFE」って曲、矢野顕子だったんだ。この夫婦の場合はかなり特殊なケースだとは思うけど、“人生こういうことってあるよな”と思わされるところはある。秀作とは言えないまでも佳作。
①“90年代のヒット曲です”とラジオから流れてきたけど「知らねえぞ、でも声は聴き馴染みはあるなァ、誰だろう」と思っていたら矢野顕子でした。②ごく初めの方で子供が死んでしまうから、此れは重たい話かな、と思ったけれども、少し違って何とも不思議な感触の映画。③『よこがお』はヒロインにどうしても感情移入出来なかったが、本作では妻の妙子の気持ちも夫の二郎の気持ちも理解できる範囲内である。しかし、何と言ってもパクの存在が秀逸。④先ずは、敬太の葬儀に闖入、この時点で妙子の前の夫で敬太の父であることは察しがつくが、いきなり妙子にビンタ(お前に妙子何故かに怒る資格ねえだろ、と反感)し、その後何故か「おうっ、おうっ」と変な嗚咽をした後飛び出して行って“なんや、あのオッサン?”と思わせる。⑤その後、聾唖者(「おうっ、おうっ」という泣き声にも納得)でかつ韓国籍の韓国人と日本人とのハーフとわかり一気に心の振り子は同情に振れる(我ながら単純)。妙子の“あなたのことは絶対に許せないけれど、誰もが気遣って何も言わず、敬太の死を早く過去の事にしようとしているなか、あなただけが怒ってくれて嬉しかった”という台詞が更に後押し(この台詞はとてもリアル)。それまで涙を見せなかった妙子がパクに叩かれた後はじめて号泣したのもこの台詞で納得がいく。⑥いつも暗い顔をして無愛想な妙子だけれども根は困った人をほっておけない性格なんだろうね(私がいなければ、という変に頑固な一途さと正義感もあるようだし)。元夫で家出した時は必死で捜した(二郎の言)くらいだから、やはりほってはおけず空き家になった義理の両親の家に済ませるくらい(二郎に相談せずにするのは流石に如何かと思うが)。それを見つけて怒鳴り込んだ後の二郎の独白(パクさん耳聞聴こえないから)も夫の気持ちと観客の気持ちとを代弁していて永山絢斗好演。“でもね、二郎君、パクさん耳聴こえないし、日本で暮らすの大変だから許してやろうよ”とこちらも甘くなって声をかけたくなる。“あんたも気の迷いで元カノにキスするくらいだしさあ。”と。永山絢斗、『ふがいない僕は空を見た』(原作大好きです)の時は如何にも高校生だったのに大人になりましたねェ。⑦で、韓国にいる父親が帰国なので韓国に帰りたいから旅費を貸して欲しい、とパクさん。フェリーの港まで送りに行ったら“あたし、やっぱりあの人を一人にしておけない”と過去の愛情が蘇ったのか、同情や正義感なら夫を置いていくのは行き過ぎだよなァと思いつつ、この夫婦此れで終わりかと心配していたら・・・⑧で、パクさん、韓国にいる父親が危篤だからと韓国までの旅費を貸して欲しいと妙子達にねだる。フェリー乗り場まで送りに行ったら、妙子さん、“私、やっぱりあの人を一人にしておけない”と爆弾発言のうえパクさんと韓国までついて行ってしまう。愛情が蘇ったのか、同情心や正義感からなら夫を置いていくのはちょっとどうだろう、この夫婦此れで終わりかと心配していたら・・・。⑧韓国に着いた途端、パクさんが二郎が言ったとおり、本当に勝手過ぎる男だったことが判明。結婚式で韓国にいたチマチョゴリを着た女の人(前の前の妻?親戚のおばさん?)に飛び蹴り喰らうのもわかるわ。もう一人の息子の結婚式に出たい為に父親が危篤だと嘘をつくは、韓国でも妻子を置いて失踪していたは、一人の息子を亡くしたからもう一人の息子に会いたくなったは、結婚式に呼ばれたら20年ぶりなど何のそのホイホイでかけていくは、身勝手のし放題じゃないですか。しかも、旅費を出してくれて韓国までついてきてくれた(パクさんにしてはありがた迷惑だっただろうけど)妙子を雨の中に置き去りにして自分だけ雨宿りに行くは、何ともはや泣くにも泣けず、笑うにも笑えない。⑨でも、こういう人って実生活にもいるよね。本作では聾唖者ということで目隠しされちゃったけど、本人に悪気はないけれども周りを振り回す人(男女を問わず)。私の周りにも振り回されたひとが何人もいるし、私も一度か二度は振り回された(私は振り回してはいないと思うけど、多分...)ホント、泣くにも泣けず笑うにも笑えず(まあ苦笑いくらいはするかな)。⑩さて、この夫婦、今後どうなるのだろう。私は元の鞘に戻るような気がする。「おかえり」と言った妙子に対して「おかえり」で返した二郎。そして「ただいま」と返した妙子。人生いろいろあるよね。でも愛しいから『LOVE LIFE』?
だんだんじわじわ
傑作「本気のしるし」に続きメ~テレ制作。木村文乃のポスターで期待が盛り上がる。そして期待通りの力作でした。
冒頭からこれでもかと複雑なベクトルが絡み合う個々の関係性も素直に頭に入ってくるので難解にはならない。
役者は主役陣はみな良く、実は心配していた木村文乃も自然だった。子役がすごく良かった。
木村文乃の妙子にはどんな性格形成上の背景があるのか、困っている前夫を援助せずにいられない。また現在の夫には言えないことも前夫には話せたりする。なぜかこちらも現夫視点でめちゃめちゃ妬けたりする。山崎紘菜も良かった。奥さん絶対気づいてる、なんて。
しかし妙子の性格や行動、夫に相談もせず前夫を義父母の部屋に保護したり突然何も語らずフェリーで渡韓を決めたり、自分の妻だったら流石に腹が立って仕方ないだろう。鑑賞直後はここに引っかかってレビューがかけなかった。一週間経って少し冷静になったがやっぱり妻だったら困るなあ。
皆が本音を隠して生きている
愛する我が子・敬太を失った母・妙子の再生ドラマかと思いきや、妙子と次郎、夫々の過去の愛憎にまで物語は転じ、最後まで予想できない展開で面白く観ることができた。
監督、脚本は深田晃司。これまでにも「歓待」で移民問題を、「さようなら」で原発問題を取り上げながら、同時代的な社会問題をテーマとして取り入れてきた俊英である。本作では社会福祉や移民、ホームレスといった問題を取り上げながら、一組の家族に起こった悲劇を巡る数奇なドラマを語っている。ちなみに、妙子の義母が敬太の死をきっかけに信仰に傾倒していくが、これも「淵に立つ」との共通性が認められ興味深かった。
このように今回は深田監督の過去作からの引用が幾つか見られ、そういう意味では集大成のような作品に思えた。
物語は中盤で妙子の前夫パクが登場して急転する。終盤の展開が少し雑に映ったが、妙子の”ある選択”がもたらすラストの顛末には、実にいたたまれない気持ちにさせられた。
妙子からすれば、敬太を死なせてしまった原因が自分にあるという贖罪の念があったのだろう。失ったパクとの愛をもう一度取り戻したいという気持ちがあったのかもしれない。しかし、そんな彼女の思いは見事に打ち砕かれてしまう。愚かな選択と一蹴することはできる。しかし、彼女の止むに止まれぬ気持ちを想像すると不憫でしょうがなかった。
観終わって、色々と考えさせられる作品である。一組の夫婦の軌跡の物語、愛についての物語、あるいは手話が印象的に登場してくることを考えると、昨年観た「ドライブ・マイ・カー」のようなディスコミュニケーションをテーマにした物語という捉え方もできよう。
いずれにせよ、観た人が様々な角度から様々に解釈できる作品であることは間違いない。非常に懐の深い作品である。
個人的には、本作は人間の二面性について描いた作品…というふうに捉えた。
ここに登場する人物は皆、本音を隠し、表面を取り繕って生きている。自分を含め人間であれば誰でもそうした面はあると思うが、それをこの映画は痛いほど鋭く突いている。
例えば、次郎は妙子を気遣う優しい夫であるが、その一方で非常に薄情な男でもある。無口な義父も妙子に対する感情を前面には出さない。しかし、自然とそれは態度に表れてしまう。義母も妙子に朗らかに接しているが、何気ない一言から彼女の本音が見え隠れする。
そして、妙子もこの再婚にどこか負い目みたいなものを感じていたのではないだろうか。おそらく彼女は次郎の過去の女性遍歴についてすべて知っていたと思う。しかし、それを一切詮索しないで、現在の平和な結婚生活を壊さないように心掛けているように見えた。
「和をもって貴しとなす」という言葉がある。周囲に波風を立てない殊勝な心掛けは、いかにも日本人らしくて、それ自体美徳と言えなくもない。しかし、自分の意見をはっきりと主張する外国でも果たしてそう言えるだろうか?
パクは在日ホームレスという社会的弱者である。本人が意図していたかどうかは別として、その立場を利用して妙子と寄りを戻していった。彼もまた表裏の顔を使い分けたわけだが、しかしここに登場する他の日本人に比べると随分と図々しい男だと思った。それが個人の性格によるものなのか、国民性なのかは分からないが、実に厚顔にして”したたか”である。
一般的に日本人はシャイで本音を言わない人種だと言われている。その生態を本作は見事に突いていると思った。自分自身にもそうした所があるので、これには余計に納得させられてしまう。
したがって、妙子の顛末にも他人事ならざる憐れさを覚えてしまうのである。
もう少し妙子の心情がわかるように描いて欲しい
夫・二郎(永山絢斗)と再婚し、義両親と多少の問題は有ったが、オセロが強い6歳の息子・敬太と3人で幸せな生活をしていた妙子(木村文乃)だが、再婚して1年になろうとしていた義父の誕生日に、敬太を風呂での事故で失ってしまった。葬儀で悲しんでた妙子の前に、5年前に失踪した前夫で敬太の父親のパクが現れた。再会後は、韓国語手話が出来ることから、市役所でろう者のパクの困りごとを聞く助けをし、担当となり、身の回りの世話をするようになった。一方の二郎も、両親の引っ越しを手伝った際、妙子との結婚前に付き合ってた元カノの山崎の実家に近いため、彼女と2人で会っていた。
二郎と妙子の夫婦はどうなる、という話。
失踪した夫を探す手伝いをしてるうちに妙子の良さに気づき元カノを振って結婚した二郎、というのはわかった。ありえそうだった。
元夫が見つからず、1人で子育てをしてた妙子が二郎のプロポーズを受けたのもわかる。
風呂の湯を抜くように二郎に言われてたのをしなかった妙子、というが、防災に関しては風呂の湯は抜かない方が良く、カビ対策なら早めに水を抜いておいた方が良いだろうけど。なぜ二郎が水を抜くように言ってたのかはわからなかった。
パクが失踪した理由もわからず、なぜ妙子がパクに惹かれ結婚したのかもわからず。
住むところがないからといって義両親のアパートを二郎にも無断でパクを住まわせたかもわからず、その後、父の危篤でパクに金を貸し、突然韓国へついていく選択をしたかもわからず、妙子は常にパスポートを持ち歩いてたの?
とにかく妙子の行動が不自然で、理解できなかった。
元夫のパクも実は妙子と結婚する前にろうあ者の妻がいてそこからも失踪してたというクズのような男だと描かれる。よけいでも妙子がパクに惹かれた理由がわからなくなった。
妙子役の木村文乃、夫の二郎役の永山絢斗、元夫のパク役の砂田アトムなと良かっただけに、もう少し「なぜ」を少なくして欲しい。
木村文乃ファンとしてはそこが不満点でした。
矢野顕子の曲聴いてもわからなかった観賞者のレビューです。
うっすら反宗教映画
深田監督の作品は好き。だから楽しみにして行ったけど…
主人公の妙子は一人息子を亡くす。でも再婚したばかりで新しい夫や義父母がいるから、悲しむことすら許されないような環境にいる。息子の死を、母としては向き合いたいのに、妻としては忘れ去らければいけない。
唯一息子の死を共有出来たのが、突然現れた元夫のパク。彼は聾唖で、公園で浮浪者のような生活を送っていた。福祉課で働いていた妙子は、夫の二郎の合意のもと、パクの生活支援を手伝う。
妙子は元夫のパクと接することで、暗い闇から抜け出せるような気がしたんだと思う。それに加え、韓国人だし手話でしかコミュニケーションが出来ないし、自分がいないとこの人は何も出来ないと思うほど、心が救われる。でも。それは勘違いなんだ、と言いたいんだと思う。新しい夫の二郎を振り切ってまでパクについて釜山に帰るが、当のパクは案外居場所があり、妙子がいなくても余裕で暮らして行けそうな感じ。
夫の二郎には、人間はどこまで許容できるか、という問題を背負わせたかったのかな。妙子と同じ福祉課で働く二郎は、聾唖のパクに情けをかけ、妙子がパクの面倒を見ることを許すけど、本当は面白くない。だから元カノと浮気する。そしてパクが自分の家に勝手に上がられてた時にはプッツン。
冒頭にシスターが登場したり、二郎のお母さんがキリスト教に入信したり、宗教的な要素が映画をうっすら覆っているが、この映画は宗教の教えの限界を問いかけているのかと読んだ。人は人を助けることでのみ救われる、これも思い込みだと言ってるようなもんだし。どんな人間にも許容できる限度があるってうのもそう。そもそも神様がいて子どもがあんな状況で死ぬか。
目を見て話す、という表現を使ってたが、心の支えになるのは宗教的な教えではない。人と向き合うことなんだ。なんかシークレットサンシャインみたい。
映画を見終わった直後はよく分からなかったけど、何日かじっくり考えたらこんな内容だったんだなぁと。
目
外国籍のろうあ者と婚姻して、
子供を産んだあと、
離婚再婚をした女性と、
その再婚相手の男性との心情を
表現した作品でした。
始まってすぐ、
誕生会のくだりを観たときに
あぁこれはだめだ
帰りたいと思いました。
時間とお金を負担して
何を見せられているんだ…
loveという要素に
愛するという暖かい意味を感じて
劇場にきましたが
作中からは、
自己偏愛と惰性しか感じません
でした。
妙子のパクに対するものや
二郎の妙子に対するものや
義両親の若い夫婦に対するもの…
ぬるま湯で胃の裏側を
逆なでされるような
感情を浴びせられているようで
気持ちわるいです。
木村さんの演技や仕草が好きなので
楽しみにしていたのですが
評価が割れている理由が
わかりました。
悲しい出来事を
昇華させるような
話の流れならいいのですが。
なんというか、
やるせなさを呑み込んで
それでも
生きていく様子が
表現されているんだと
おもうのですが、
ちょっとズレてて
しんどいです。
それぞれの登場人物の
自己解決をみせられるので
なんだそれって、
なります。
民子のパクへの思いや
二郎の民子への思いについて
どんなことされても、
好きなんだという
感情表現や愛情が生まれた
背景描写があったら
理解できたかもしれませんが…
それがないので
何故そこまで執着するのか?
行動に共感できず
気持ちわるくなりました。
あぁ
そういうところに惹かれて
そういう行動になるんだなと
いう、
腹落ちがないですね。
ストーリー内での
イベントから読み取れる内容で
これを愛の形って表現されても
そうですかー
わざわざ見せてもらわなくても
良かったですーっていう感想。
搾取されるだけの
優しい親切は
日常のリアルで
おなかいっぱいなので。
目を見ない関係って
心を知りたくない
知られたくないってこと
なのに…
矢野顕子のLoveLifeが圧巻
前半の劇中と最後にLoveLifeがかかり、ものすごく響く。前半はとてもシリアスで緊張感あり、一方、ストーリー終盤で何故そんなことに!というシーンもあったが、振り切っていて最後は何かすっきりした。
#67 誰かを守りたい人達
可愛がっていた自分の子供を亡くした母親が子供の代わりに社会的弱者の元夫を庇護し始めるお話。
ホントはテーマが違うのかもしれないけど、私にはそう映った。
新しく出来た家族がちょっといびつなせいか、聾唖者で韓国語の手話でしか意思疎通できない元夫を主人公がかまい始める。
元夫は路上生活者なのに猫を拾ってきちゃうし、その猫を新しい夫に押しつけちゃうし、新しい夫も結局猫の面倒見ちゃうし、早い話がどの人も何かの面倒を見ることで人生が満たされ、そして結構無責任な人だらけなお話。
それにしても元夫が韓国人という設定に若干無理があるような。
つまり主人公は多分元々韓国語が話せて、なんらかの理由で韓国語の手話を覚えて元夫と知り合ったんだろうけど、韓国語手話しかできない人が日本の社会で暮らせるとはとても思えない。
どう見ても多摩地区の団地っぽいのに、関釜フェリーで釜山に向かうのはおかしい!
さらに韓国で車に乗せてくれたアジュンマが結構な慶尚道訛りなのに、それをスラスラと聞き取れるとはとても思えない。
ツッコミどころ満載だけど、全編を通してそれなりに癒されるので結構お勧め。
子を亡くす夫婦の関係性
1人息子を亡くす夫婦の2人の関係性を描く。
結婚した2人それぞれ少しずつすれ違う中で、今後も寄り添い共に歩むことなのか、最後に2人が出す結論がどの様なものなのかは分からない。
けどそのことに対して興味を持つことが出来なかった。
物語の過程で互いの行為により起こるであろう答えが想像出来なかったことにどうしても共感を得なかった。
幸せってなんだっけ?
冒頭は、子供さんのオセロチャンピオンのお祝いに
職場の方々の協力と義父の誕生日も兼ねている。
しかし、奥さんと義父母なんか仲悪い?
職場の女性にも結婚寸前で、今の奥さんに取られて
同じ職場にいてる。奥さんは、連れ子がいて元ご主人は、韓国人の聾者で逃げたみたい。なんかややこしい。
お祝いの最中に子供は、風呂場で足踏み外して亡くなってしまう。一転して、悲しみに。逃げた元旦那も駆けつけて。奥さんは、ホームレスの相談員でご主人も役所の人。奥さんは家のお風呂に入れなく、すぐ近くの義父母の家でお風呂にはいる。田口トモロオがいいね。
韓国手話も共通点あるね。元旦那と釜山に船で行って
実は、この元旦那も元家内と子供がいて、その結婚式に。今の旦那は、連れ子が死んでも涙が出ず。元旦那も生きてる息子が大事。やるせないなあ。奥さんは日本に帰ってきて、元旦那から猫もらって散歩にでるシーンは希望だよね。オッパー オッパーと雨の中で踊り。ラストの矢野顕子さんの歌が救いかな?
苦痛な120分
登場人物の誰にも共感できず。
終わりまで見るのが苦痛でした。
何を伝えたいのか全くわからない。
主役の妻の行動が理解できず。
さらに夫の包容力も意味不明。
お金と時間を返して欲しいと感じる作品でした。
オススメ出来ない作品
【"どんなに離れていても、愛する事は出来る・・。"哀しき物語だが、ラストシーンには人間の絆の大切さを感じた作品。今作は、人と人の繋がり、様々な愛の形を、”痛みを含めて”描いた作品でもある。】
- 妙子(木村文乃)は、6歳のオセロが強い息子と、再婚した二郎(永山絢斗)の3人で幸せに暮らしていた。
義父(田口トモロヲ)とは、ギクシャクした関係だが・・。(序に言えば義母(神野美鈴)も”私達の孫が欲しいわ・・、とか言っている。)だが、ある日2人は不慮の事故で息子、敬太を失ってしまう。-
◆感想
・今作品は不慮の事故で息子、敬太を突然失った、妙子と二郎の関係性と、夫々の揺れる感情を絶妙に描いている。
- 事故を知った妙子の元夫のパク(砂田アトム)が葬儀場に突然現れ、妙子を平手打ちした後、自分の顔を何度も何度も殴るシーン。
そして、妙子は自らの心の痛みを、身体 の痛みとして感じさせてくれた、韓国籍で聾唖者の元夫パクの面倒を見始める・・。-
・一方、二郎も元カノ、山崎(山崎紘菜)との距離を縮めて行く。
- "何をやっているんだ!"という想いと共に、彼らは夫、妻意外の"誰か"にすがっているのであろうと思った。
妙子が、自分のせいで息子を溺死させてしまったと思い込み、ずっと自宅の風呂に入れない姿。だが、パクに手を握って貰いながら漸く、風呂に入る姿。
一方、二郎は途中から自宅の風呂に入るようになる・・。-
・二郎が言った言葉"俺たち、いつから目を見ないで話す様になったんだろう。"
- 彼は元カノの山崎からも、同じ事を言われている。
目を見ないで話すという事の意味を考えさせられるシーンである。
妙子と二郎は、冒頭から心から、笑わない・・。-
・パクが韓国に"父が危篤だから"と帰るシーン。パクが手話で妙子に伝えた言葉"乗り越えなくて良いんだ。君は敬太君の傍に居れば良いんだよ"
その言葉を聞いて、妙子もパクについて行く。
- この言葉は沁みた。そして、妙子は二郎と、一度距離を置こうと思ったのではないか、と私は思った。離婚も視野に入れていたのかもしれない・・。-
・けれども、パクが韓国に帰った理由は別れた妻との間に出来た息子の結婚式に出席する事が分かったシーン。
ー 妙子は、パクの息子に会った時に、”自分は息子の傍にいなければいけない”と悟ったのであろう。雨が降る中、一人佇む妙子の姿と表情が印象的である。
<今作品は、妙子と二郎の愛、2人と息子の愛を代表として、様々な愛の姿を"痛み"を含めて描いた作品である。
ラスト、妙子と二郎が昼食前に散歩する姿をロングショットで捉えたシーンは、2人の将来の、僅かな光を感じた作品でもある。>
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