君の忘れ方 : 特集
付き合って3年。結婚間近の恋人が、事故で死んだ。
大切な人を失った悲しみと、どう向き合えばいいのか?
自身も父を亡くした監督が描く“グリーフケア”の重み…
これは恋愛映画ではない。喪失と愛と再生の物語――。
ガラス越しに並ぶ坂東龍汰と西野七瀬を捉えたポスター。「爽やかな恋愛作品?」という第一印象は、鑑賞し始めるとあっという間に覆る。
1月17日から公開中の「君の忘れ方」。付き合って3年になる恋人・美紀(西野七瀬)との結婚を間近に控え、幸せな日々を送る昴(坂東龍汰)。しかし、「一緒に帰ろうよ」と留守電にメッセージを残したまま、美紀は事故で突然、亡くなってしまう――。
本作は爽やかな恋愛映画でもなければ、悲痛な受難ものでもない。死別の悲しみや嘆き(グリーフ)に寄り添う“グリーフケア”を主題とし、主人公・昴が深い喪失感に苦しみ、向き合い、やがて再生していく様子を、実直に映し出す愛の物語だ。
誰しもに訪れる大切な人の死。そのとき、私たちはどうすればいいのか――答えはさまざま、人それぞれ。それでも、誰かを救うかもしれない“答えの一つ”が、この質実剛健な作品に描かれている。だからこそ私たちは、可能な限り多くの人に、「君の忘れ方」が届いてほしいと願ってやまない。
監督・脚本は、自身も父を亡くした経験を持ち、映画作りを通じてグリーフケアを体感したという作道雄(さくどう・ゆう/34歳)。
京都大学法学部を卒業し、映画の道に進んだ異才にインタビューを敢行し、グリーフケアについて、映画で“死”を扱うことへの率直な思い、そして「君の忘れ方」にこめた想いなど、作品をもっと深く味わうための重要な話をうかがった。
インタビューが行われたのは映画公開3日前。多忙なはずの作道監督だが、限られた時間のなか、とても丁寧かつ真摯に質問に答えてくれた。
■恋愛映画を目指したのではなく、「光に向かってもがく人を描いた映画」を目指した
まずは本作のジャンルについて。第一印象でラブストーリーだと思われることもあるそうだが、作道監督は「わかりやすいラブストーリーではありません」ときっぱり語る。それでいて、「暗い映画ではない。光に向かってもがく人を描いた映画です」と、悲しみを描きつつ、それだけではない映画だと強調する。
実際、群像劇のようにさまざまなジャンルがミックスされ、通常の邦画とは一線を画すルックとトーンが目を引く本作。先行上映会では「ラブラブな日々からスタートするかと思ったら全然違う」とやはり驚かれたそうだが、喪失から光へと向かう主人公の姿に励まされる観客は多かった。特に10代の若い観客たちからは、作品のトーンも相まって、普通の感覚とは違う“新しい映画”として受け入れられたという。
■監督自身が父を亡くした経験…切実な想いがこもった、当事者による作品。
グリーフケアや、大切な人の喪失からの再生というテーマをなぜ選んだのか? 4年ほど前に製作委員会に入っている会社から、グリーフケアを描く脚本を依頼されたことが始まりだった。
「たとえば、“余命もの”というジャンルだと、ヒットしている作品がたくさんあります。僕もそういう映画を観て琴線に触れる部分が必ずありますが、そういう作品は、残された日々をどう慈しむかという物語が多いと思います。ですが本作のテーマは余命とはちょっと違う。主人公は誰を喪失するのか、どういうタイミングで喪失するのか、いろいろと悩みました」
作道監督自身、小学校1年生のときに父親を亡くしている。末期がんだったという。
「当時のことを母や兄に聞いたら、とにかくあっという間で悲しみに浸る間もなかったと言っていました。この経験があって、死生観を描くこれまでの日本映画との乖離を感じていたのが自分のなかでは大きかったです」。
劇中では、昴の家庭環境に作道監督自身の家庭環境や、父の死と向き合えない家族の思いなどを一部、投影しているという。監督の経験が、意識的にせよ無意識的にせよ、物語全体に盛り込まれた特別な作品と言えよう。
「小学生のときは父の死をあまり理解できなかったですし、全く向き合っていなかったと思います。作道家一同、兄も母もきっと同じでしょう。その向き合えていない感じは、昴の母を演じた南果歩さんの役に少し投影しています。
悲しみの癒し方がわからないまま、内にこもっちゃう感じはずっとありました。人に父親が亡くなっていることを話すことはありますが、うまく言語化ができない。『親父いないんだよね』くらいしか言えなかったです。
この映画の脚本を書くことでいよいよ向き合う時が来たかという感じもしましたし、書いたことで向き合えたとまでは言いませんが、父の墓前に手を合わせるときに語りかけるようになりました。
そこに父がいるというよりは、その方が自分の心が癒されるとわかった。今年も年始に墓参りして、『君の忘れ方』はこうでこうで、ここが大変だったという話を長い間してきました。向き合わなければという思いはずっとありました。これまでも僕の作品のなかには喪失や時間経過がどうしても入るので、無意識に持っていたテーマだと思います」
作り手の実感がこもっているからこそ、作品全体に“切実な何か”がにじみ、他の作品とは異なる特別なオーラが満ちみちている。ぜひご自身の目で、全身で体感することをおすすめしたい。
■物語のメッセージは… 悲しみへの向き合い方は人の数だけある
劇中では当然、昴以外にも、悲しみに向き合う多くの人々が描かれる。亡くなった妻の幻影が見え、話しかけ、そこにいるのが当たり前のように生活し続ける人。夫が亡くなった事件に今もとらわれている人――。
物語は観客の心に届けられる“郵便”でもある。メッセージとしてどんな思いをこめたのか、聞いてみた。
作道監督「人それぞれの悲しみがあるので、向き合い方も『それぞれでいい』ということが一番伝えたかったことです。昴は自分の孤独と向き合った結果傷ついていました。なんでそんなことまで描かないといけないんだろうと、悩むこともありましたが、昴が自分の孤独を大事にする意味では、大事なシーンだと思いました」
■実際にグリーフケアに参加し、入魂の脚本執筆。考えてみれば、グリーフケアを扱った映画は非常に多い
脚本は微に入り細を穿ちリアルさを追求しているが、「死生観という自分の中でもやもやしていることと向き合うのでとにかく大変だった」といい、共同脚本の伊藤基晴とともに書き上げるまで実に3年の月日が必要だった。
「書き始めて2年ほど、その間に『ALIVEHOON アライブフーン』やドラマ『ペットにドはまりして、会社辞めました』の脚本を魂込めて書きましたが、本作以外の時間の記憶がほぼ“ない”というくらい、自分にとっては空白の時間でした」
それほどに時間と労力をかけた入魂の一作。作道監督は、映画として扱うにあたり、実際にグリーフケアに参加している。
「映画の取材だと伝えて参加させてもらいました。そこで僕も父のことをしゃべったのですが、身体の芯から熱くなる感覚があって。もちろん、強制されて行く場所ではないですが、(自身の場合は)結論としては行ってよかったなと思っています」
グリーフケアの概念が広まったのは近年のことだが考えてみればグリーフケアである映画は古今東西、とても多い。「葬送のフリーレン」「永い言い訳」「ドライブ・マイ・カー」「ライオン・キング」「スパイダーマン」etc……。
実のところ、映画ファンは何度も目にしてきた題材にもかかわらず、「グリーフケア」という言葉自体はまだ、広く知られていない。このギャップについて「もったいないなと思っています」といい、本作を通じて「まずは多くの方にグリーフケアの存在を知ってもらって、悲しみを抱えている人にはいつか参加してもらえたらと思っています」と願いをこめた。
■映画=エンタメで“死”を扱う葛藤「この映画があってよかったと思う人が増えると信じたい」
静かに寄り添ってくれるようなこの感動作を鑑賞し、心が満たされると共に、大切な人を失ったとき、どう向き合えばいいのか教えてもらったような気がした。そしてインタビューで話を聞くうちに、人の“死”を映画というエンタメで消費することに対して、作道監督自身どのように考えるのか興味が湧いた。
というのも筆者自身、有名人の訃報を書いたり、死を扱った映画の文章を書くとき、その商業性と加害性に悩むことがあるからだ。訃報を掲載する理由は、(もちろんその人の死を悼むことが主だが)突き詰めると「サイトに訪問してもらうきっかけづくり」は否定しきれない。それを、直近に悲しんでいる人が読んだらどういう気持ちになるのか……。
いち映画サイトのいち記者がそう思うのだから、映画監督の葛藤はさらに大きいのでは――。
「葛藤はめちゃくちゃあります。すごく抵抗感がありました。正直にお話しすると、自分も死別を経験していることが、エクスキューズ(言い訳)っぽくてどうなのか、とも思うことがあります。本作のインタビューを受ける際、リレートークのように必ず父のことを話してきましたが、もっと直近に悲しいことがあった人の気持ちを、僕はどれくらい慮れるんだろうって今も思っています。
ただ、(本作の製作を通じて)昔に比べると“申し訳ない”という感情はなくなりました。以前は僕のようなものが作って申し訳ございませんという気持ちがあったんです。それよりも、(死を扱いこそするものの)たくさんの人に観てもらえば、この映画があってよかったと救われる人が増えると信じたいです。僕のなかで、作品をヒットさせたい気持ちとか、批評家に観てもらいたい気持ちの本質はそこ(映画や物語が誰かを救うこと)だなと思っています」
■進学校→京都大学法学部へ。そこからなぜ映画の道へ?
最後に、作道監督の経歴に触れてインタビューを締めくくろう。京都大学法学部を卒業し、映像制作の道を歩んだ異色の経歴なのだ。
「もともとは中高生時代からテレビドラマが大好きで、高校3年生まではテレビ局に就職しようと思っていました。テレビ局のプロデューサーは大学を卒業して、30歳くらいから企画が通るようになると調べました。進学校に通っていたことも相まって、頑張って受験勉強して京大に入学しました。そこで映画研究会に入ったのですが、シネフィルたちの洗礼を受けまして(笑)。テレビドラマより映画ばっかり見ている人たち。『これなら作道くんもわかるかもしれない』って、邦画だったら北野武監督とか黒沢清監督とか、洋画だと王道ですがジム・ジャームッシュやヒッチコックを勧めてもらって観たときに、『うわー、面白い!』ってなっちゃったんです。今もテレビドラマはすごく好きですが、強烈に引き付けられるのは映画でした」
作道雄監督が紡いだ映画「君の忘れ方」が、1人でも多くの映画好きに寄り添うことを……寄り添ってもらった1人の記者が、今も強く願っている。
「君の忘れ方」は1月17日から全国で公開中。