ザ・ホエール : 映画評論・批評
2023年4月4日更新
2023年4月7日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー
追い詰められた人間の心を描かせたらこの監督の右に出る者はいない
余命わずかな体重272キロの孤独な男の物語と聞いて、暗く陰気な映画なのではないかとイメージするかもしれないが、ブレンダン・フレイザーが演じる主人公チャーリーにスクリーンで出会えば、そんな懸念は物語が進むうちにすぐに吹き飛んでしまうだろう。本作は、喪失感と罪悪感によって精神的に閉じこもってしまった人間が、人生の最期に殻から抜け出し、無償の愛を捧げようとする、贖罪と救済のドラマである。
原作は劇作家サミュエル・D・ハンターによる同名舞台劇。「レスラー」で第62回ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞し、「ブラック・スワン」でナタリー・ポートマンに第83回アカデミー賞最優秀主演女優賞をもたらしたダーレン・アロノフスキー監督が映像化した。第95回アカデミー賞で最優秀主演男優賞をフレイザーにもたらし、メイクアップ&ヘアスタイリング賞も受賞している。
重度の肥満症となった主人公が部屋のソファにほとんど座っているような異色の室内劇の映画化に挑戦し、緊迫感みなぎるヒューマンドラマに仕上げたアロノフスキー監督の鬼才ぶりに改めて感嘆する。愛するものと疎遠となり、死を意識するほど精神的に追い詰められた人間の心の軌跡を描かせたらこの監督の右に出る者はいないのではないだろうか。観客は主人公の部屋の中にいるような錯覚に陥るほど息づかいを感じ、登場人物たちの内面世界に連れて行かれる。
そして、毎日メイキャップに4時間を費やし、45キロのファットスーツを着用して40日間の撮影に挑んだフレイザーの渾身の演技に圧倒される。観客は冒頭からその肥満体型に度肝を抜かれるだろうが、いつの間にかフレイザー演じるチャーリーの深い悲しみと愛、その人間性に心を震わせられるに違いない。第95回アカデミー賞助演女優賞にノミネートされたホン・チャウが演じる、チャーリーを支える看護師リズが、ふざけて体をくすぐった時に見せるチャーリーの愛嬌のある笑顔が、この作品の雰囲気を一変させる。
また、疎遠になっていたチャーリーの17歳の娘エリ―をNetflixの人気ドラマシリーズ「ストレンジャー・シングス」で注目された若手女優のセイディー・シンク、元妻を「マイノリティ・リポート」のサマンサ・モートンが演じ、容易には克服できないチャーリーへの思いと苦悩を表現。3人が幸せに暮らしていた頃の思い出のシーンが要所に挿入されるが、チャーリーは娘との関係を修復できるのか。正直に生きることの大切さを伝え、ありのままに生きればいいと切望するチャーリーの叫びが、心身のバランスを崩して長らく表舞台から遠ざかっていたフレイザーの復活劇とも重なって胸が熱くなる。
舞台劇のラストシーンは一気に暗転して終わるというが、映画は異なるラストが待っている。現実逃避の負のスパイラルから抜け出し、人は最後に贖罪と救済を得られるのか。この深遠なテーマを突き詰めた先にある希望の光を目にしたら、しばらく椅子から立ち上がれないだろう。
(和田隆)
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