はい、泳げません : インタビュー
長谷川博己&綾瀬はるかが語る、泳ぐこと、生きること。そして、演じること。
ユーモラスなタイトルに、イラストレーターユニット「100%ORANGE」が手がけたチャーミングなイラストビジュアル。軽やかなイメージをまとう映画「はい、泳げません」(6月10日公開)は、泳げない男と、泳ぐことしかできない女の、希望と再生の物語。「舟を編む」で第37回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した渡辺謙作監督が、ノンフィクション作家・高橋秀実氏(※高は、はしごだかが正式表記)の同名エッセイをもとに、自身の知人の過去の体験も参考にしながら作り上げた。
「泳ぐこと」を通して、心を通わせていくふたりを演じるのは、長谷川博己と綾瀬はるか。ドラマや映画で好評を博した「鈴木先生」や、ドラマ「デート~恋とはどんなものかしら~」など、理屈っぽい役を演じてきた長谷川が、水に顔をつけることもできないほどのカナヅチなのに、言い訳ばかりする堅物な哲学者・小鳥遊雄司(たかなしゆうじ)に。運動神経抜群で、「劇場版 奥様は、取り扱い注意」で華麗なアクションも披露した綾瀬が、美しく生き生きとした泳ぎを見せ、陸よりも水中の方が生きやすいという不器用な水泳コーチ・薄原静香(うすはらしずか)に。まさにはまり役といえるキャスティングで、小鳥遊と静香コーチが結ぶ唯一無二の関係は、より魅力的なものとして立ち上がっている。
長谷川と綾瀬は、夫婦役を務めたNHK大河ドラマ「八重の桜」以来の共演となり、映画では初共演を果たす。インタビュー前の撮影中から、何か言葉を交わしては、笑みをこぼすふたりからは、久々の共演の喜びと、互いへの信頼関係が伝わってくる。笑いが絶えない和やかなムードのなか、インタビューに応じてくれた。(取材・文/編集部、写真/堀弥生)
大学で哲学を教える小鳥遊は、水に顔をつけることが怖く、全く泳ぐことができない。屁理屈ばかりをこねて水を避けてきたが、ひょんなことから水泳教室に通うことに。彼は強引に入会を勧めた静香コーチが教える教室で、にぎやかな主婦たちとともに水泳を習い始める。小鳥遊は泳ぎを覚えていくなかで、元妻・美弥子(麻生久美子)との過去や、シングルマザーの恋人・奈美恵(阿部純子)との未来など、目をそらし続けてきた現実と向き合う。それは、ある決定的な理由で水を恐れることになった小鳥遊の、苦しい再生への第一歩だった。
冒頭、大学の講義で小鳥遊は、「知識と、知性や教養は違う」「知性とは自分を変えようとする意志」「新しい経験を積むことが大事なんです」と、学生たちに説く。その後、彼は水への恐怖を克服するために、避け続けてきた水泳を“経験”することに。水に触れるたびに大騒ぎし、プールに入ってからも「泳がない理由」を探し続ける小鳥遊と、ときには彼を納得させる言葉を投げかけ、ときには子どものように怖気づく姿を「小鳥遊!」と容赦なく一喝する静香コーチのコミカルなやりとりには、笑いがこみ上げてくる。
しかし、そんな心地よい笑いに身を委ねていると、ふたりが心の奥底に秘めてきたある記憶、ある後悔が、ふと顔をのぞかせる。まるで、キラキラと光を反射するプールに入り、思っていたよりも深かったことに気付く瞬間のように――物語は、違った表情を見せ始める。
劇中では、「泳ぐこと」「生きること」というふたつの行為を行き来しながら、小鳥遊の一進一退の日々が描かれる。人が泳げるようになる過程には、いくつかのステップが設けられている――どんどん次のステップに進む日もあれば、失敗したり、逃げ出したりする日もある。嵐に見舞われる日もあれば、凪に身をまかせる日もある。失い続ける人生のなかで、誰もが抱える“弱さ”や“脆さ”。さざ波のように繊細に揺らぐ感情を、丸ごと包みこんでくれる物語に身を浸せば、無傷ではいられない人生にも、光を見出すことができるかもしれない。
――改めて本作のオファーが来たときの思いと、脚本を読んだ感想を教えてください。長谷川さんは、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」(2020)以来、初の主演作となりました。
長谷川「2019年の夏前くらいでしょうか、大河ドラマ『麒麟がくる』の撮影の最中にオファーをいただきました。そのときは撮影に入ったばかりだったので、『面白いな』とは思ったんですが、『とりあえず、大河が終わらないと冷静に考えられないな』と思って。大河ドラマも、新型コロナウイルスの影響で撮影が止まり、感染したら止めてしまうというプレッシャーもあるなかで、なんとか終えることができました」
長谷川「この状況でいますぐ何かをやるというよりは、しばらく落ち着くまでは何もできないかなと思っていたんですが、そのときにまた、本作の孫(家邦)プロデューサーから、お話を頂きました。コロナ禍での長期の撮影を経て、これからどうしていこうかなと考えているときに、もう1度脚本を読んだら、過去の自分と向き合う小鳥遊が、一度自分のあり方を見つめなおそうとしていた僕自身の状況と重なって、やってみるのも面白いんじゃないかなと思いました」
綾瀬「私は最初、ユニークなタイトルを見て『面白そうだな』と思って、あとは長谷川さんが出演すると聞いたので、興味が湧きました。脚本を読んでみると、水泳がテーマで、水中がお母さんのおなかの中と重ねられているところや、泳ぐことと、人生や生きることをかけてお話が作られているところが良いなと感じたので、出演したいと思いました」
――おふたりは大河ドラマ「八重の桜」(13)で共演されています。久々の共演は、いかがでしたか。
長谷川「何の違和感もなく、すぐ役に入れました。綾瀬さんは、ふっと役に入るんですよね。大河ドラマのとき、(共演した)西島秀俊さんとも『すごいな』と話していたんです。普段は明るく天真爛漫な感じなのに、ふっと演技のモードに入る。『えっ……全然違う、すごいな』と、こっちがなかなか対応できなかったりして(笑)。今回もふっと役に入る瞬間があったんですが、僕も再共演ということもあってか、お芝居しやすかったので、すごく助けられました」
綾瀬「長谷川さんは、この役がすごくぴったりだなと思いました。小鳥遊さんというか、『小鳥遊・博己』なんじゃないかと感じるほど、はまっていたと思います(笑)。特に、酔っぱらって鼻歌を歌うシーンが絶妙で、素晴らしくて。好きなシーンです」
長谷川(笑顔)
――劇中には、渡辺監督が書かれた、心に残る素敵なセリフが多く登場します。綾瀬さんは、静香コーチが小鳥遊にかけるセリフに、好きな言葉が多かったとおっしゃっていますね。
綾瀬「例えば、当たり前のことを言っているようですが、『浮こうとするんじゃなくて浮いちゃう。生きようとするんじゃなくて生きちゃう。流れに身を委ねてください』というようなセリフが好きですね」
綾瀬「私自身、これまで水泳をやってきたわけではなく、今回を機に練習するため、久しぶりにプールのなかに入ったんですが、改めて『水のなかってこういう効果があるんだな』と発見したことが、いくつかありました。例えば、何も考えずに浮いてみるとリラックスできるとか、お母さんの羊水のなかをイメージできるとか。『水のなかって神秘的な場所なんだな』と。泳ぐことは、ひとりで頭のなかを整理して、自分と向き合う時間にもつながるのかなと思いました」
頭でっかちな屁理屈で、泳げない理由を訴え続けていた小鳥遊は、静香コーチの言葉や考え方を受け入れ、自分なりに納得することで、徐々に水と向き合うようになっていく。まさに、静香コーチが海の底で溺れている小鳥遊の手をとり、ともに浮上していくように。
長谷川「『生きることと泳ぐことは、似ているようで似ていない』というような、静香コーチのセリフがあるんです。自分にとって、『泳ぐことって何だろうな』と考えさせてくれる、良いセリフだなと思いました。自分にとって『泳ぐこと』というのは、いまやっている仕事だろうなと。そして、いろんな役を演じることと生きることは、似ているようで似ていないなとか、いろいろと考えました」
長谷川「やっぱり役者の仕事をするにあたって、『この感情やこの感覚は何に起因しているんだろう』と、自分の過去を遡ることがあるんです。トラウマやいろんなことを思い出して葛藤もあるのですが、そこにぶち当たっていかないと、出せない感情もあると思っています。演じるときに過去を遡るということは、泳ぐなかでいろんな記憶を思い出していくことと、つながっていく気がしました」
――長谷川さんは、「渡辺監督とは創作過程でたくさん話し合いをさせて頂きました」とおっしゃっていますが、具体的にはどのようなやりとりがあったのでしょうか。
長谷川「渡辺監督ご本人が脚本も書かれていて、映像的に挑戦したいこともあると思うんですが、演じるうえで、小鳥遊の変化はもちろん、キャラクターの一貫性にも常に気を配りました。その感覚的な部分と映像での見せ方の間で矛盾する点が生じることもあり、その都度監督と話をして軌道修正していくという形になりました」
長谷川「渡辺監督は、映像の感覚が素晴らしかったです。画角のイメージができているから、どういうものを撮るのか決まっているんだなと感じましたね。映画は画で見せることが大事で、役者が悩んでいるところも、画の説得力で何とかできてしまうことが分かって。僕も頭でっかちに考えすぎたなと思いましたし。このキャラクターがそういう人間だったから良いのかなって結論づけましたけど(笑)。あと、小鳥遊と静香コーチの夜のプールでのシーンで、渡辺監督がカメラ越しに映像を見ながら涙されていることがありました。ご友人の実体験を織り交ぜた物語ということもあって、何か思うところがあったんだと思います」
――綾瀬さんは、渡辺監督とのタッグはいかがでしたか。
綾瀬「私は、撮影全体が部活みたいだったことが印象的でした。私の撮影は90%がプールのなかだったので、渡辺監督もずっと水中に入っていて、『よーい、スタート』『はい、オッケー』『はい、上がろう』という雰囲気で。地上とは違って、一緒に水中で撮影し、間近でお芝居を見て頂くと、どこか“部活感”というか、一体感がありましたね。水泳も、コーチの役なので、きれいな泳ぎ方を見せたいと思い、1カ月くらいは練習して臨みました」
――劇中では、小鳥遊と静香コーチが抱える喪失感や過去の傷が、少しずつ紐解かれていきます。そうしたものといかに向き合い、人生を歩んでいくか、というテーマについて考えたことを、お聞かせください。
長谷川「喪失感や過去の傷と向き合うことは大変で、しんどい瞬間もあります。ただ、そういう時期があったとしても、無理に克服しようとしなくても、自然に時間とともに流れていって、いつかデトックスされていくんだなと感じます。誰もが皆、いろんな辛いことがあると思いますが、その状況を無理に打開しようとしなくても、自然と消えていく。消えていくのも、悲しいことでもあるのかもしれないけど、それでもいいんじゃないかなと、この作品を通して感じました」
綾瀬「自分のなかに葛藤があって、その感情を克服したいと、ずっと思っていたら、必ず(苦しい状態から)抜けられるときがくるんですよね。周りのひとつひとつ、小鳥遊さんだったら静香コーチをはじめとした周囲の人の一言一言が、本当に自分のなかで腑に落ちた時に、一歩を踏み出し、乗り越えられるときが来ると思いました。そうした過程も含めて、その経験があって良かったなと、最終的に思えたら良いですよね」