夢の涯てまでも ディレクターズカット

劇場公開日:

夢の涯てまでも ディレクターズカット

解説

「パリ、テキサス」「ベルリン・天使の詩」のビム・ベンダース監督によるSF大作「夢の涯てまでも」(1991)のディレクターズカット版。1999年、制御不能となった核衛星の墜落が予測され、世界は滅亡の危機に瀕していた。そんな中、ベネチアから車であてのない旅に出たクレアは、お尋ね者のトレヴァーと運命的な出会いを果たす。トレヴァーに心ひかれたクレアは、旅を続ける彼の後を追う。トレヴァーは世界中を巡って映像を集め、父親が発明した装置を使ってその映像を盲目の母親の脳に送り込もうとしていた。キャストには「蜘蛛女のキス」のウィリアム・ハート、「死刑台のエレベーター」のジャンヌ・モロー、「エクソシスト」のマックス・フォン・シドー、「東京物語」の笠智衆ら世界中の名優が集結した。日本では2021年11月、特集上映「ヴィム・ヴェンダース レトロスペクティブ ROAD MOVIES/夢の涯てまでも」(21年11月5日~、Bunkamuraル・シネマ)で劇場初公開。

1994年製作/287分/G/ドイツ・フランス・オーストラリア合作
原題または英題:Bis ans Ende der Welt - Director’s Cut
配給:東北新社
劇場公開日:2021年11月29日

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(C) Wim Wenders Stiftung 2015

映画レビュー

1.0未来予知?

2024年10月7日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

難しい

寝られる

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映画イノッチ

5.05時間になるべくしてなった作品

2023年8月9日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

泣ける

難しい

幸せ

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chibirock

3.0分かっていたけど

2021年12月12日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

やはり長かった。後編では意識も少し失った。

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Mr. Planty

5.0【考察: 僕たちは見えているか】

2021年12月2日
iPhoneアプリから投稿

そういえば、随分前になるが、カナダのケベック州で、(おそらく)太陽フレアによる大停電が起きたことを思い出した。

僕たちの身の回りのものが、ほぼほぼ、AIも含めて電子化してしまって、いつか大規模な太陽フレアで、世界中が機能停止してしまうような日が来るかもしれないのだ。

申し訳ないけど、SFチックで、ちょっと、ワクワクする。

ところで、手動運転っていうのは、マニュアル運転って字幕で訳す方が良いと思うんだよな。

(以下ネタバレ)

この作品の途中休憩までの前半部分は、ちょっと珍道中っぽい。

笠智衆まで登場して、ヴィム・ヴェンダースの小津安二郎への敬愛っぷりも垣間見られるが、笠智衆演じる箱根の旅館の親父さんの「目で見るものと、心で見るものは違う」という言葉が、作品を通して、意味があるように感じられる。

前半部分では、意図的にだとは思うが、訪問した国の状況をステレオタイプに見せることによって、僕たちは、知ったかぶっているだけで、世界のことを、実は、ほとんど見てもいないし、知ってもいないと示唆しているような気がする。

「東京画」にもあったパチンコ屋の場面や、竹の子族チックな服装も、そうした意図で演出されたのではないのか。

「心で見る」とは、よく考えて見て、理解するということだろう。

そして、この作品の後半部分は少し入り組んでいる。

盲目の母親のために作られたことになっている視覚イメージ転送装置は実は、視覚的経験のイメージ転送装置だ。

見て、記憶が鮮明なものだけをイメージ化出来るのだ。

つまり、記憶が重要な役割を果たしているのだ。

見えていると信じているものは、実は自分の記憶が頼りなのであって、客観的なものでは決してない。

そして、アボリジニーの集団と、現代欧米人の個人を対比させることによって、記憶とは何か、変化するとは何かを提示しようとしているように感じられるのだ。

アボリジニーが、口伝や歌で残してきた有史以前からの記憶。

個人が、手放すことが出来ないどころか、執着して囚われてしまう記憶。

アボリジニーの集団の記憶は、生きていくために集団で蓄積された知恵であり、ある意味、客観的だと思われるが、現代人の個人の記憶は、実は都合よくピックアップされていて、イメージとして映像で回収されるされる「夢」は、"改ざん"された記憶なのかもしれないのだ。

そして、夢に囚われてしまうクレアや、サム、ヘンリー。

母親に映像を見せたいと考えていたことなど嘘のようで、調和など、どこにも見当たらない。

しかし、冒頭から、クレアに付き添おうとするジーンと、ジーンの回想の小説を通じて、"運よく生き残った"人間は変化を受け入れ、夢に囚われずに前に進むことが出来るのだと気付かされる。

ふとしたことで彷徨ってしまう人の心、つまり、クレアの心と、それに寄り添おうとするジーン。

クレアを元に引き戻したが、しかし、クレアの元を敢えて離れるジーン。

ヘンリーの墓の前で、取り返しのつかないことをしたと知るサム。

この3人の対比も示唆的だ。

多数の核ミサイルへの懸念が広がっていた世界で、核エネルギー衛星の墜落・撃墜という状況を設定し、こうしたことを人類は回避できるのだと示しているところもきっとある。

僕たちは、果たして、この映画作品を、考えて観ることが出来ているのだろうか。

そして、想像することが出来ているだろうか。

実は、これが、この映画の最大のテーマかもしれない。

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ワンコ

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