機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島のレビュー・感想・評価
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ファーストにおいて描きたかった意図とは違う作品という印象
最近勧められてガンダムシリーズを見始め、次々と様々な作品を観続けています。
ファーストガンダムにおける『ククルス・ドアンの島』というエピソードの本質的な部分は、それに至るまでのイセリナとの対峙、母との再会を語らずしては見えてこないのでは?と思っています。なので長くなりますが、ファーストにおけるドアンのエピソード周辺でのアムロの成長についての個人的な考えを書きたいと思います。
「ガルマ様の仇!」と言い放ち銃を向けるイセリナに対して、アムロは「ボクが…仇だって!?」と衝撃を受けますね。アムロはここではじめて、自分がモビルスーツで闘うごとに誰かの大切な人を殺しているのだという現実を突きつけられ、大きく動揺しました。
さらに、その後の母との再会では「人を撃つなんて!」「あの子はそんな子ではなかった」等と言われ、戦うことは非人道的な行為であり、非情な人間のすることだというような扱いを受けます。
母のショックたるや相当なものだったのでしょうが、ここまで生きるために必死で戦ってきたアムロにとって、母からのそんな言葉はあまりに残酷に思えます。
この2つの出来事から、味方側の都合しか見えていなかったアムロが、自分達も今まで敵から受けてきたのと同様の行為を働いているのだという事実に気づきます。戦場で戦うということは所詮人殺し行為に過ぎず、自分は非情な人間に成り下がってしまったのだという潜在的なショックをアムロは抱えたまま15話のドアンのエピソードへと繋がります。このジレンマを抱えた状態で、かつてアムロと同じ経験をしたドアンのその後の生き様に触れることで、アムロが新たな希望を見出だし、改めて戦う意義を取り戻すという構造となっています。
子供たちに慕われるドアンを見たアムロは、「よくも味方につけたものですね」という言葉を吐きます。それは、彼だってモビルスーツで戦う人殺しなんだ、非情な人間なのだから、何も知らない子供たちを騙して懐柔している上っ面の平和に過ぎないんだというアムロの強い非難が表れている台詞だと考えられます。自分自身がイセリナや母から突きつけられた事実を、ドアンに突きつけている構図と取れます。それでいて、「ぼくはジオンの侵略者と戦っているんだ」と自分はやむを得ない理由で戦っているのだと、理解してくれない人や、自分自身に言い聞かせるかのように言い放ちます。
アムロ自身がまさにその時苦悩していたからこそ、自らの生み出した罪を考えもしないで、のうのうと穏やかな生活を送ることができるドアンが許せなかったのだと考えられます。
しかし後半では、あの子供たちの親を殺したのがドアンであったことをアムロは知ります。つまり、ドアンはかつてアムロと同じ経験をしていたのですね。ガルマを殺した仇となったアムロと同じように、ドアンはあの子供たちの親の仇で、戦災孤児を生み出した張本人でした。アムロは、その事実とともに、ドアンが自分の犯した罪を受け入れて、背負いながら生きる道を選んでいたのだということを知りました。これ以上悲しみを増やさないようにと、子供たちを守るために戦うことを選んだドアンの生き様は、すでに多くの人間の命を奪い行き場のないショックを抱えたままのアムロに一つの希望や道しるべを示すこととなりました。ドアンを自分に重ね、こんな事を経ても、人はただ殺したり、奪ったり破壊的な道に堕ちるのではなく、誰かを守りながら、未来ある子供たちを見守りながら生きていくことができるのだという希望をドアンに見出だしました。それだけではなく、最後はアムロ自身に「やがていつか、人は武器を捨てて生きていくことができるはずだ」という新たな考えが生まれ、あのラストのシーンへと繋がったと考えられます。絶望的な心理状態のアムロが、ドアンの生き方に触れることでその後の未来への道しるべを見出だし、最後には自らの内に生まれた希望によって行動を起こしました。
物語全体を見ると、イセリナさんとの対峙の流れからここまでで、アムロにめざましい心理的な変化が起こったのだということに気づかされ、つくづく感嘆するばかりです。なので、アムロがその時どんな心理状態であったのかの描写を入れるか否かで、このエピソードの重みがぐっと変わってくると思うのです…。
これは自分の想像に過ぎませんが、こうして自分が決して邪悪な人間に成り下がったわけではないと知ることで、それまで戦ってきた意義自体を再確認することもできたのではないかと思います。生き延びるために銃を取るほかなかったけれど、それは結局殺すのが目的ではなく、自分や周りの人の命を守るための戦いで、突き詰めると皆で生き延びていつか平和に暮らせる未来を望んでのことであると自覚し、そのあるべき未来をドアンに託したという形なのではないかと思います。
なので、アムロのそこらへんの心理描写を少しでいいから描いてほしかった…。
あのガンダムで踏み潰すシーンも、あの青年を守らなくては、目の前の1つの命を守りたい、という戦いにおける根源的な動機を描いているのかもしれない。でもそうだとしたら、もうちょっとデリケートに描けたはず…。あれでは虫を踏み潰してるくらいのめちゃくちゃ軽薄なサイコパス行為にみえて仕方がないです…。この作品はファーストで訴えているであろうテーマをベースに考えてはいけないんですかね。
ザクの戦闘めちゃくちゃかっこよかったので、個人的にこの映画はザクのかっこよさを讃えるためのものという位置付けです。褐色のサザンクロスのビジュアルも好きな色合いで、その点では満足です。あと作中のドアン信者が信者過ぎてもう面白い。
最後の花火の意図は理解できるけど、危険を遠ざけてひっそり生きようとするが故に灯台を直さなかったくらいなのでさすがに違和感あるというか、そこまでの派手な演出はいらないのでは?と思ってしまいました。
個人的に、オリジンやこの作品でのカイ・シデンの性格がすごーく引っ掛かります。ファーストやΖで描かれていた人間性とは、似たようで根本的なスタンスが全く違うように思えてなりません。あまり好きではないですね。
物足りない
アマプラにて鑑賞
ORIGINからの流れをくむものの密度が薄いというか、あまりMSが登場してくれない。
スクリーンで観たら印象が変わるとかとも思うのだけど、多用されるデジタル的なズームバックにOVAの匂いを感じ、予算的に圧迫でもされてたのだろうかと首を傾げる。
雰囲気は良かった。
連邦の白い悪魔と呼ばれるにたる雰囲気がしっかりあってゾクリともする。
ドアンのザクにしても、その脅威はガッツリと描かれはして、オープニングアクトにはゾクゾクした。
なのだが…期待値を高くし過ぎてしまったと項垂れる。ドラマ寄りの構成でも悪くはないが、やはり目的はMSなのではと思うのだ。
1番はサザンクロス隊とスレッガー機の不甲斐なさである。新規参入のMSでありながら、活躍してくれない。やり方はあると思うのだけど、やってくれない。
サザンクロス隊のザコっぷりたら…こけおどしもいいとこだ。隊長機の小物っぷりが…なんであんな立ち位置にしてしまったのだろうか?
MSのデザインとか背負ってる背景とか、とっても良かったのに…腹立たしい。
ドアンに加勢するガンダムの登場シーンは「ダサい」としか言えず、一気に冷める。
あのシュチュエーションと物語で、もっとMS戦を描いてくれてたらと残念なのである。
まぁ、それでも、ドアンと子供達の分量は多すぎると思われる。ラストにカルデラに全員集合してる意味も分かんないし…セイラさんとか絶対行かせないんじゃないのかなぁと思うのだけど、子供を抱いてまるでピクニックにでも行くような空気感だったしなぁ…。
ただ今作でマ・クベのキレ者っぷりが見れて良かった。テレビシリーズでは見掛け倒しもいいとこで、その役職とキャラのギャップが甚だしかったように思うのだが、今作では、歯応え充分であった。
MSがもっと見たかった。
シャアのザクはリミッター解除による強化が描かれてはいて…そのシャアに匹敵するドアンのザクにはどんなトリックがあったのだろうか?
もしノーマルなザクでと言うならば、彼はシャアを凌ぐ程のパイロットであり、ジオン軍として戦争に参加しなかったのは連邦にはラッキーだったなぁとふとそんな事を考える。
と、同時にシャアのブランド感が薄れたなぁと。
後、今作のガンキャノンのバックパックが素敵だ。プラモが出るみたいなので買おうと思う。
ガンダムの姿をしたイビツな何か。
ガンダムファンを30年以上やってきました。これまで全ての映像作品を見てきました。
なので本作も見ました。
感想はタイトルの通りです。
ビジュアルこそハイクオリティな現代風作画になっていますが、褒められる点はここだけ。
他は目も当てられないほど酷い改変がなされていました。
そもそも論として、ククルス・ドアンという作品はTVアニメ15話の時点で完成した作品です。
それを本作は映画化にあたり、回想シーンや戦災孤児とヤギのギャグシーンで無理矢理108分まで引き伸ばしています。
その為とにかくテンポが悪い。ダレます。
加えて過剰な劇伴の多用、無駄に多いスローモーション、大仰な演技をするキャラクターの芝居によってとにかくクドい。
序盤の戦闘シーン以降、蛇足としか言いようが無いパートが1時間以上も続きます。
この構成にはストレスを感じずにはいられませんでした。
次に問題なのが本作のタイトル。
「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」
このタイトルだと、まるで富野由悠季監督によるいわゆる"ファーストガンダム"の1エピソードのリメイク作品のように見えますが、現実には異なります。
上映前にこのようなテロップが表示されます。
「この映画は1979年に放映された機動戦士ガンダムの15話を"翻案"したものです」と。
翻案…というのは"内容を別の作品に書き改める事"を指します。
そう、本作は富野監督によるファーストガンダムのリメイクではなく、安彦良和によるジ・オリジンなのです。
この点を伏せたタイトルには違和感を感じずにはいられません。
「劇場で最新のファーストガンダムを見れる!」
そう誤解してスクリーンで見た多くのファンは、既にリュウさんが他界しスレッガーがジムに乗っているホワイトベースの様子に混乱した事でしょう。
初対面でタメ口をきく安彦版アムロや、ポンコツな安彦版スレッガー、エースパイロット化した安彦版ドアンに疑問を抱いたはずです。
ここまで改変されたククルス・ドアンの島は果たして我々の知る「機動戦士ガンダム」と言えるのでしょうか?
否、絶対に違うと私は断言します。
これはあくまでも、安彦良和による独自解釈のオリジンユニバースなのです。
他にも不満は数え切れないほどありますが。酷評が延々と続きそうなのでこのあたりにしておきます。
生理的嫌悪感にも似たストレスを感じたガンダム作品は後にも先にも初めてでした…とだけ言っておきます。
安彦さん、ガンダム成功における貴方の功績は非常に大きいものでした。それは疑いようのない事実です。
とはいえ、ファーストガンダムをこれ以上の改変するのはやめていただきたいです。
やるならオリジン名義でお願いします。
そしてファンの方、特に富野由悠季作品を愛するファンには視聴をオススメしません。
ガンダムを知らない層にもオススメしません。
いっそ水星の魔女を見てください。
宇宙世紀に触れるのはアナザーを見てからでも遅くなんてないのです。
MSはかっこいいけど話の展開はモヤっと
当然ながら映像はキレイで、動き回るMSはカッコイイ!けど、ククルス・ドアンが軍を抜けた理由(匂わせ回想はあるけど)とかサザンクロス隊との因縁とかあの島にいる理由とか、子供たちは何なんだ(戦争孤児なんだろうけど)とか、もうちょっと丁寧に描けばすっきりできそうなのに…と言う点が多くてモヤっとする。何より手当してもらっといて礼も言わず話も聞かずガンダム探し出すアムロがなかなかにダメなやつでイラッとする。
ちょっと古くささを感じる
昔の絵柄だし。
ちょっとアムロの顔が細くなってる。
でも目がピカーっってなると、あーコレコレ、カッコイイ。
モビルスーツって中に人いるから
ばーん!ってなったら当然人死んでるのよね。
ってしみじみ思い出しました。
カッコいいんだけど。躊躇なく相手殺すアムロ。
子どもなのに、、。いや、子どもだからか。
初代ガンダムが動くのは良かったがしかし
メカニック的には良かったが、なぜこれほどまでにストーリーが改変されてしまうのか?テレビ版はストーリー的にもとても良く戦争の側面をよく描写しているのだが。子供が多すぎで悲壮感があまりなく、服も小綺麗で食事も豪華。その割に畑は小さく苗だけという謎。リアリティーがないのだね。空想の中で組み立てた?
色々な人が登場するが必然性もなくテレビ版を思い出してガッカリすること多し。なんだか皆妙に太ってて肉感的だし。スレッガーさんあんなに太っててプヨプヨしてないだろ(涙)
面白く無く、ストーリー的にもイマイチだけど、愛すべきガンダム作品
映画としては40点。
ガンダム作品としては20点。
だけど、安彦良和さんのキャラデザ(監督も)で、古谷徹のアムロと、古川登志夫のカイシデンが楽しめるんだから、ファン心理として70点。
といった感想。
うまく説明できないけど、面白さとか、ストーリー的に(戦況的に)辻褄が合わないとか、そんなんどーでもよくて、動く安彦ガンダムが楽しめた、それだけで満足なんだよ!
ファーストガンダムって神聖化しちゃっているから、下手に話をイジることができない。唯一、イジることができるのは、監督の富野さんと、作画監督の(THE ORIGINの作者の)安彦さんぐらいなもの。
でも、富野さんは全然イジってくれないし。一方で安彦さんはファーストガンダムを色々描いて、良くも悪くもファーストガンダムワールドの幅を広げてくれるので、助かる。
ってか嬉しい!!
1stガンダム以外は
ある意味、あらゆるガンダムがスピンオフ作品であるとも言えるが、この「ククルスドアンの島」は、最高傑作かもしれない。
ガンダムとは何かが真の意味で分かっているスタッフが作っている。劇中曲の使い方もその一つだ。
このスタッフで、このクオリティーで1stガンダム全話を完全再現してほしい。それを死ぬまでに観たいと願っている人は世の中に何百万人といることは確実だ。
何処ら辺りのエピソード?
最初のガンダムのエピソードなんだけど、何処ら辺りのエピソードなのかがサッパリしない。
しかも、あんな高性能のザクが出てきたんなら、アニメ本編でも出てきているのでは。
思い出せん・・・
ファーストリアル世代への映像特典
TV版「ククルス・ドアンの島」を観た人なら、
観る前からどう映画化されたか大体想像が付く。
そして大体、思ったとうりの作品だった。
内容的には少々古臭く幼稚。可もなく不可もなく。そして長過ぎる。
そしてキャラ達の性格も富野的ではなく、安彦的になっている。
同一人物であって、同一人物ではない感じ。
あと、どうしても納得いかないのは、アムロがドアンに負けた事。
時系列的にスレッガーが居るという事は、ジャブローの後な筈なので、
その時にはもうアムロは、ニュータイプとして覚醒しており、
あのシャアですら、歯が立たぬ程の無敵状態な筈なのに、
全く何も出来ずに、圧倒的に負けるなんてありえなくない?!
作画も良くも悪くもオリジナル当時より絵崩れをしており、
全体的に丸帯びた顔だったのに、皆、細くスラっとしてしまっている。
その点は安彦良和先生も、何時ぞや雑誌のインタビューで認めている。
見所といえば、ディティール、クオリティが良くなったくらいで、
過度な期待はせず、ファーストリアル世代への
映像特典くらいな気持ちで観た方が無難です。
マ・クベのセリフが好き。
監督が作者なんだからそうなんですが、THE ORIGINのキャラがヌルヌル動いていて、ちょっと感動。シャアは本当に一瞬の回想だったけども、戦闘シーンは迫力があった。爆発しないので地味だけど、コクピットを一突きするシーンが、アムロのポテンシャルを示していた。
ブライトの私室にて、ミライさんがチェアに座るときの仕草・雰囲気が今後の二人をすごく連想させて良かった。マ・クベの「パリは燃えているか。ニューヨークは・・・以下略。私の部下にも文化を愛するものがいたということか・・・。」が司令官としては最悪の展開だけど、心の同志としてはちょっと嬉しい気持ちも垣間見えてこの映画1好きなセリフだったりした。
ゴップ若かった。最近ジョニー・ライデンの帰還のゴップしか見てなかったから滅茶苦茶若く感じた。この時はきっとそこまで老獪な感じでもなかったんかな・・・。
あわよくばマ・クベの駆るギャンを見たかった。
エンドロールの絵が好き
雰囲気程度のガンダム知識でも置いてけぼりにされず観れた。長く感じたけど良かった。
説明しない無駄のない会話、ドムみたいな動きするザクとエンドロールの絵が好き。
アムロの視線
期待せずに鑑賞。
このストーリーのアムロは少年であり、
ククルスドアンが主役だった。
15話のストーリーを膨らませた内容なので、
戦闘がメインではなく、戦争孤児(ガンダム ではサブテーマか)ストーリー。
本編より、人間味のあるストーリーに改変しているので、1stガンダム独特の重さは感じなかった。
誰が敵なのか、誰が誰を守るのか、守る為には殺すしかないのか…キャッチーなストーリーの中にも考える事は出来た。
戦争の匂い…
それを感じることが出来るのはアムロだけか…
最後のアムロの表情と視線がなんとも言えない感じが伝わってくる。
どんなに皆が笑顔を見せても、
戦争の最中である事の切なさを感じた。
自分の中では
アムロの笑顔の記憶があまりない。
Amazon primeのお薦めより
これは誰を狙って作った作品なんだろ?
ファーストが好きだった人を狙ったとは思えない。
だからといって、SEEDファンが見るとも思えない。
だから、この程度の集客だったのでしょう
でも、私の感想は有りだと思ってます。
ハッピーエンドで良かったです!!
歳を取ったファーストのファンが、
細かいことを切り離して見ると
良い作品のような気がします。
二回目見たら感想が変わりました。
映画館で一回今回Amazon Prime Videoで二回目です。
結構評価低めの人も多く細かい評価の内容は人によって違いますが皆さんの言うことも分かる気もします。
私もファーストガンダムの映画が久しぶりに遣ると思って期待値は相当高かったですが実際見てみたら思っていたのとは結構違ったので拍子抜けでした。
戦いの場面も少ないですし特にガンダムの活躍シーンがほんの少しでしたしもっと戦いの場面が多いのかと思っていたので機動戦士ガンダムというよりドアンのファミリードラマみたいでがっかりでした。
なので映画館二回目見ようかと最初から決めていましたがヤメました。
ちなみにトップガンマーベリックは3回見に行っていますw
ただ改めて二回目を見てみたら機動戦士ガンダムのククルス・ドアンの回としてみると納得いかないものでしたが一つの物語としてみると悪くはないのではないかと感想も少し上方修正でした。
たぶん最初見たままだったら星3つもつかなかった可能性がありますが。
もともとククルス・ドアンの島の20分ちょっとの物語を五倍近くに引き伸ばして作った映画ですから無理が出るのも致し方ないですが其れにしてはよくまとめたかと思います。
ただファーストガンダムの映像化はこれで終わる可能性も高いですので出来ればアムロ・レイのガンダムでの活躍をもう少し入れてほしかったのが本音ではあります。
この俺さ
テレビシリーズでは、まだ未熟さが残る時の話ではあったが、既にアムロ・ガンダムが死神化している。井戸のシーンでの恐怖を覚えない姿は、既に生死を超越しているようにも思える。迷いなく急所を突く一太刀と虫のように踏み潰す様はガンダムの凄さより、この少年兵の乾きに思える。子供と和む彼とこの虚無の二面性について、掘り下げてはいない。
テレビシリーズの別の話と抱き合わされたドアンが自らに課した任務であるが、その任務によりドアンが隠遁したのか、それとも厭戦なのかが不明瞭になったように思う。ラストの名台詞がボヤける。
殺陣の面白さは大盤振る舞い。実に楽しい。男女見境なく斬り捨てるところは大いなる前進。それをやらなきゃダイバーシティに欠ける。しかし、あくまでも絵であるアニメーションとCGのアンバランスさは是非とも解決して欲しいところ。活劇さが失せてしまう。
作家、俳優は卒業すべき
映像技術は時代なりに進化しており、美しく、見応え充分である。が、画が古い。
安彦良和という作家が相当に古いまま、アップデートしていないのだと思った。
かつてのテレビまんがの時代、セルアニメの時代性にはとても良くマッチしていて、
素晴らしい作家として、一時代を築かれたレジェンドであることは間違いないのだが、
現代において、彼のアニメーションの演技演出は軽すぎ、漫画すぎる。
人間はどこまでいっても滑稽な存在だという人間哲学があるかとお見受けするが、
オリジンにおいてもそうだったが、氏の漫画家ゆえの作家性と言うのならば、
今日日こんな演技をつけさせるということが、もはや古いとしか言いようがないし、
意図的なのであるとすれば、古い作品のリメイクという虚構に、自ら、踊らされた「作為」が過ぎる。
その作為は声優の演技も乗っ取っており、
アムロ、カイ、シャアのレジェンド声優の演技も、相当に難しい・・というか無理がある。
自分でかつての自分を再現しようとして、逆に違和感が強い。(セルフカバーの悪い輪廻に憑りつかれているように思える)
やはり声優も俳優なのだから、身体性に沿った歩みがあるはずなのだが、それがない。
(そして今後、こういった分野は、AIの仕事になってゆくのでしょう。
今の古谷徹よりも当時のアムロらしい、劣化のない、誰もが聞いても違和感のない声が宛てられるようになるだろうが、、それは別のお話)
本来、俳優に古い役を、50年経っても同じ声、同じ演技を求めること自体がナンセンスなのですね。
卓越した技術で(ある程度)再現できる事ははあるだろうが、
俳優には歳相応の役を、今の古谷徹には今の古谷徹に、相応しい仕事があるはずで、
それを用意しないのは、起用側の罪であろう。(オールドファンの執着も理由のひとつである)
(40になっても50になってもアイドルをアイドルのまま卒業させないと、おかしなことになるのと同じで、
人にはそれぞれ、年齢に応じた相応しいステージがあるように思う。
その年齢、その時代、その瞬間にしか創り得ない 掛け替えのない仕事があるはずなのだ。
その俳優の技術や特性が、成長した結果、リメイクにマッチしているならば、それもまたOKなのだ。
それを無視して、ただただ同じ俳優を起用することがナンセンスなのである)
そういう意味では、安彦氏にも今の安彦氏に相応しい仕事があるように思う。
ご本人には、後輩へ伝えたい想いが強くあると思うが、観る限り、この仕事はそうでないだろう。
また、これも監督の作家性に依るものと思うが、
モビルスーツに人間の演技をつける必要はない。
ガンダムという作品において、モビルスーツには兵器という役割があるはずなのだ。
(メカ設定上にも、パイロットの感情がフィードバックされるような技術はなかったと思う)
そこを乗り越えてしまうと、ガンダムという作品性を自ら否定してしまう。
原作の1エピソードをうまく膨らませ、キャラクターの深掘りをさせることで、作品性は非常に良かった。
とても面白かった。
WBクルーのキャラクターも活きていたし、ブライト、マ・クベなど、いちばん株を上げたように思う。
とはいえ、ガンダムという作品テーマからは当然、逸脱できる事はなく、原作の最終回をそのまま落とし込んでいて、
アムロに仲間ができ、武器を捨て、還れる場所があることに彼自身が気づく物語なので、
ジオン側の兵士にもまた、
自ら戦いを捨てる事ができれば、還れる場所は作れるはずだということに
ドアン自身が気づき、自らザクを捨てるという選択ができていたら、
よりテーマは明確になったように思う。
が、そのあたりは、原作との兼ね合いで、どちらを優先するかという事になる。
当然、メインの客層としてのオールドファンへのサービスも必要であるのだが、
個人的には、原作をもう少し離れ、破綻があっても、一本の映画作品としての自立が観たかった。
とはいえ、それはそれで炎上するのが、火を見るよりも明らかで、
現代において、名作のリメイクというのは、非常にヤリヅライものだなあと、強く感じた。
ガンダム
THE ORIGINを観た時に、このクオリティでファースト観たいと思っていたので、この映画を知った時は、なかなか嬉しかったです。
物語は意外と、ほのぼのしたシーンも多く、そんなにガンダムガンダムしてない印象を受けましたが戦闘シーンのアニメーションはクオリティが高く、やっぱりガンダムだなって感じでした。
人の死に対する描写や心の動きは、ファーストより、やや強めに描かれてたように思いました。
BGMが終始最高でしたね、古き良きものからアレンジがあったり新しい曲も入っていたり絶妙なバランスで、ラストの歌も、とても良かった。
こらからも、このクオリティでガンダムシリーズ幾つか作って欲しいですね。
予想外の名作
相変わらずの骨格ゴムかよ?な合わない動きの基本オリジンガンダムの流れなアニメーション。
それが如何に脚本が秀逸であろうが肌に合わないのがつらい、という感想になりそうなものですが、これはどうしてそのマイナス面を十分にカバーするどうしてか名作でありました。
脚本が作家性に合致しており、一本の短編を見事に映画にしていた。
モビルスーツ戦は見やすくアクションと止めも良かったし、何より一番アニメーションとしてよかったのはアムロのガンダムに乗っていないシーン、畑を耕したり、特に穴にローブで降りていくシーンだったりした。
これほ新しい発見だった。
なので、これは良いガンダム映画だ、と伝えておきます。
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