機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島のレビュー・感想・評価
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匂いに言及する意味
初代ガンダムの、エキストラ的なエピソードが映画化するというのは大胆な発想だ。シリーズの中で独立性の強いエピソードだからこそ、アレンジして膨らませやすいのもあったんだろうし、ククルス・ドアンはインパクトのキャラクターだったことは確かだけど。
しかし、なかなか面白い作品になっていたし、戦争をどう描くのかというガンダムシリーズの命題に沿った作品でもあった。戦争孤児たちとの生活描写にかなりの時間を割いているのだが、アムロもそもそもまだ子どもなのだ。普段の大活躍ぶりがそのことを忘れさせてしまう時があるが、この映画ではアムロは一貫して少年だった。
本作の決め台詞「戦争の匂い」とはどういう匂いなのだろうか。映像では匂いを表現できない。匂いに言及されると、観客は想像を働かせるしかない。戦争を知らない観客に戦争のことを想像してもらう手段として匂いに言及するのは上手いやり方だと思う。観客はその匂いを想像するしかないが、アムロが少年なのにそれがわかるのも切ない。
「ファーストガンダム」で1話完結の「ククルス・ドアンの島」だからこそ実現できた、新しい劇場版ガンダムの形。
「機動戦士ガンダム」が放送開始から43年を経ても、これだけの認知度があるのは、いかに革新的なアニメーションなのかを物語っていると思います。
これは、モビルスーツというロボットの魅力的な形を作ったり、アムロ・レイやシャア・アズナブルといった代表的なキャラクターが生まれたことも大いに関係があるのでしょう。
これらの有名キャラクターが、現在も「名探偵コナン」などの作品に大きな影響を与えていることを知らない人もいるのかもしれません。
この最初の「ファーストガンダム」以降に、様々な「ガンダム」シリーズも生まれましたが、やはりこの「原点」となる「ファーストガンダム」の人気がダントツに高い現実もあります。
ただ、「ファーストガンダム」の世界観を描くと、自ずとキャラクターデザインは制約が出てしまうため、最新の「閃光のハサウェイ」と比べると「時」の流れを感じてしまうのは仕方のないことなのでしょう。
とは言え、本作では特にモビルスーツの描き方を中心にかなりクオリティーが高くなっています。
そして、見慣れてくると、キャラクターデザインも自然な感じに見えてきます。
「思い出補正」という概念があり、人は昔のことを知らず知らずに美化してしまう面もあります。これは、私も気を付けているつもりですが、やはり「ファーストガンダム」では「思い出補正」をしているのだと思います。「以前見た時はもっとキャラクターデザインが魅力的だった」と思ったりしますが、改めて当時の映像を見てみると、「43年前の映像」という現実が如実に出ていて、本作ではかなり現代化したのだと判断できます。
本作は「シン・機動戦士ガンダム」とも言える作品で、「ファーストガンダム」の1話(第15話)が独立した内容で題材も良いため、これをリメイクし108分に拡大しています。
私はこのリメイク構想は成功したと考えています。1つの作品として魅力的にするため時系列を無視したり、「ドラゴンボール」のようにユーモアを取り入れるのは作品のメリハリをつける上で良いと思っています。
物語自体も軍のエースパイロットが戦場で「護るものを変える」という深いもので、ククルス・ドアンが後半でアムロに問いかける言葉や、アムロが最後にククルス・ドアンに提案する言葉の重みは、本作を名作へと昇華させています。
本作のように独立した物語はまだあるので、それの映画化も期待したいです。
ザクが岩を投げない
全体的にギャグテイストで緊張感に欠ける。
役割の無い登場人物と多すぎる子どもキャラ。
カメラワークや演出が古臭い。
子どもキャラのカットシーンが多すぎ。
ガンダムを利用した教育映画だった。
子供の頃に戻れた。ありがとう!
久しぶりの若き日のホワイトベースクルー。
新しい声優さんも遜色なし。
惜しむらくはもっとガンダムの戦闘シーンが見たかった。
あとククルスドアンの背景をもう少し掘り下げてほしかった。
6部作くらいでガンダム全部リメイクしてくれないかなぁ。。。
セイラさんの言い回し・・・お嬢様に振れ過ぎていませんか?
ジオン軍を脱走し子供たちと暮らすパイロットの活躍を描く物語。
ファーストガンダムTVシリーズの一エピソードの映画化。
地味なエピソードだっただけに、映画化には疑問しかありませんでしたが、上手に膨らませて映画に相応しいエピソードに仕上げていたのには感心しました。
戦闘シーンの迫力は流石にクオリティ。一見の価値があるとは思います。
ただ、それでも、小部隊同士の戦闘にならざるを得ず、当然映画としての評価も低くならざるを得ません。
戦闘シーンに制約があるのなら、人間ドラマとしてもう少し魅せられなかったのでしょうか?
例えば、ククルス・ドアンがジオンから脱走した経緯をしっかりと描くとか・・・子供たちの親を虐殺したシーンを描き、彼の苦悩を実感出来れば物語に厚みが出るように思われます。
例えば、セルマとの関係をもっと描いても良かったかもしれません。彼女との恋愛関係があって、それでも軍を離れざるを得なかったドアンの苦悩を描ければ、物語はもっと厚くなったように思えます。セルマを後任の隊長にしていれば、人物関係も整理出来たかもしれません。
アムロは、この映画では主役になり得ないのですから、ドアン全振りにした方が、映画の完成度は高まったように思います。
私的評価は、厳しめです。
展開に楽しめた
地球連邦軍のオデッサ作戦のために、ベルファストに向かうホワイトベース。カナリア諸島のある島にいる、残置蝶者の掃討を命ぜられる。島に降り立ったアムロらの前にザクが出現し、ガンダムは苦戦。気絶したアムロは、ククルス・ドアンと子供たちの世話になる。一方行方不明になったアムロを、ホワイトベースは置いていこうとし。
TVシリーズで30分完結の名作を、他のストーリーを織り込んで、大幅に変更し映画化。作画崩壊でも有名で、そのザクの顔を再現していたのが、ちょっと笑えます。ジムは相変わらずだけど、ザクが強く、胸躍る展開に楽しめました。
スレッガーさんには、もう少し活躍してほしかった。わけあり風なザクの女性パイロットも、物足りない。マクベは、器の大きいところを見せて良かった。
ガンダムのパラレルワールド
最初に謝ります。
安彦良和は監督(製作)作品にロクなものがない、作画、キャラデザでヤメとけっていつも(ORIGIN、クラッシャージョウ)言っておりましたが、本作は「映画」として面白いものでした。やれるもんだな。
さて、映画にカッコ書きとしたのは理由があります。予想はしてましたが、ってか予告ティーザーとか見てればわかりますが、オリジナルに対してのパラレルワールドなんですよね。この作品。なので、「ククルス・ドアンの島」としての映画として鑑賞するならとてもおもしろい、よく出来たストーリー(ギャク的表現除く)だし、作画崩壊(笑)もなく、映画としての音響もまずますでした。
でも、自分、オリジナルをみてはまった世代なんでどうしてもオリジナルの世界が頭にあるわけで、
・この時点でジムが大量投入されている
・スカート付きザクってドムへの愚弄じゃねえかよ(激怒)
・スレッガーさん、ジャブローからだろ。
・え?ブライトさんが士官候補生から一気に少佐、ですか?え?さすがに・・・
・え?え?オデッサ作戦の前に正規軍扱いされてましたっけ???
・ん?レビル配下に「正式に」なる前は、塩の調達が問題になるくらいに補給に苦しむくらいに邪険にされてたよな・・・。で、
・あれ?ホワイトベースにジムとコア・ブースターがある。。。で、レビル配下ではない。とするとマチルダさんは「消された」?
・そもそもドアンの島は五島列島(少なくとも日本のどっかの島)のどっかのはず・・・
・そうそう、オデッサ作戦でのホワイトベースの侵攻ルートは中央アジア経由でしたよね?それがベルファストから回ってって、どこの並行世界だよ。ってことはランバ・ラルは地球に来ないのか??
とかとか。
と場面ごとに頭が?????となるのです。
一方、ドアンがジオンを脱走する前の状況や経緯がよく分かったり、島の裏設定だったり、モビルスーツの戦闘シーンの迫力だったり面白さは秀逸でした。なるほどねえ、こっちはこっちでしっくり来るねえ、でした。なお、これはどうしようもないことなのですが、古谷さんと古川さんくらいしか声優が残ってない中、二人ともさすがに経験をました中での演者の構成、演技から、オリジナルはとっくに終わってたんだな、と当たり前のことを実感して寂しくもありました。
つまり、「ククルス・ドアンの島」という映画として、ピンなら秀逸で面白いのですが、「ガンダム」という括りで行くと、とっ散らかった、いや、ガンダムの名を簒奪した全く関係のない酷え作品じゃないかと思った次第です。
と、評価に困った作品でした。
なお、特別料金の意味は分かりません(納得できてない)。
金の掛かった同人作品?
ノリが同人作品。
山羊の逃亡とか、スレッガーとセイラの会話をわざと下ネタに取られる言い方にしたり・・・・・アムロが行方不明時、次の任地に向かう命令を無視する為の三文芝居とか全体的に同人。
それでも、基本設定がしっかりしてくれていれば良かったんだけど・・・・元が四人だった島の子供が20人に・・・・。確かオリジナルでも有った、戦場で親が死んで泣いている子供を見て脱走を決意するシーンも入れられてたけど、あの状況で20人も連れて行く余裕。しかも、何かの集団だったら兎も角、そうでも無い様子。
孤島なのに、パンとかも食卓に並んで・・・・・まぁ、冷凍生地を焼くだけとか有るだろうけど、バッテリー壊れて冷蔵庫も使えないって言ってたし・・・・。
アムロがバッテリー直すのは良いけど、子供たちは兎も角、アムロなら灯台の灯りを付けたらどうなるか分かるだろうに。
戦闘もザクにやられるガンキャノン二機、ドアンのザク一機に対して、敵はザク三機なのに、チャンバラの様に順番に戦う・・・・・。挙げ句、スレッガーのジムは着地に失敗して頭部が飛んじゃうとか・・・。
エンドロールでシャアが出てて「出た?」と思ったら、回想の数秒の台詞だけ。
最後、ドアンと子供達をどうするのかなぁと思ったら、島に置いたままなのかぁ。まぁ、ホワイトベースは次の任地に行くから載せられないけど、「漂流者がいる事は連絡したから、しばらくしたら迎えが来る」くらいの台詞をブライトに言わせて良いんじゃない。もしくはそれを提案したけど、ドアンと子供たちが拒否したとかね。あの島で20人が生きていく食料無いし、当然医療も無いし。良い感じのイラスト付きでエンドロール流してたけど、見殺しやん。
君は、子供たちを守る事が出来るか…?
所謂“ファースト”の劇場版としては1982年の『~めぐりあい宇宙編』以来40年ぶりとなる。
が、ここで疑問が沸く。“ファースト”の新作劇場版などどうやって作るのか…?
以前『~THE ORIGIN』があったが、あれは“前日譚”。そもそも“ファースト”はTVシリーズ全43話で一本の作品として完結している。続きを作ったらそれは派生作品になるし、新エピソードなど蛇足に過ぎない。
そこでユニークな手法。『ドラえもん』の映画でもよくある。TVシリーズの一つの話を劇場用に“リメイク”。
『ドラえもん』の場合は基として別物語に話を拡げるが、こちらは概ね踏襲しつつ、新たな要素や解釈を加えた“大胆翻案”。
ロボットアニメの金字塔である“ファースト”の名エピソード中から選ばれたのは、ファンの間でも“神回”と呼ばれる第15話。
上層部より残敵掃討の命を受けたホワイトベース。洋上のある無人島へ。
アムロもガンダムに乗って索敵中、一機のザクの奇襲を受け、消息を絶ってしまう…。
負傷したアムロは助けられていた。この島で暮らす子供たちと、ジオン兵ククルス・ドアンによって…。
『機動戦士ガンダム』が当時の他のロボットアニメと一線を画すのは、単純な勧善懲悪でない事。
一応連邦軍が善、ジオンが敵と配置されているが、TVシリーズの中で連邦軍兵士が民家で横暴したり、ジオン兵士の人間味ある姿が描かれたエピソードも。本作はその象徴と言える。
島の子供たちは戦争孤児。
戦争によって家族や家、本来歩む筈だった人生を奪われた。
別にドアン自身が子供たちから奪った訳ではない。が、戦争に加担していたのは紛れもない事実。
自分のやってきた事が彼らを孤児にしている…。
そしてドアンは闘いを放棄した。
子供たちを守り、保護し、孤児であっても明るさと健気さを失わない彼らと共に生きる事を…。
しかし、“古巣”は彼を許さなかった。
ドアンが指揮していた“サザンクロス隊”。
ドアンの所在を知り、現隊長は憎しみを燃やす。
裏切り者に粛清を。死を。
そんな中でアムロは…。
連邦vsジオンの本筋とはさほど関係の無いエピソード故、劇場版三部作からはカット。
しかし改めて見ても、一つの話としては優れている。
アムロと敵対側兵の交流。
過去からの呪縛。ドアンと元部下の因縁。
ドアンと子供たちの運命。
戦争の愚かさ。
それでも争いは避けられない。何の為に闘うのか…?
現実問題でも戦争が問題になっているからこそ、響くメッセージ。
作画は遥かにクオリティー&迫力アップ。
ガンダムvsザク、ザクvsザク、クライマックスのサザンクロス戦…。
基のエピソードのシーンも再現するなど、ファンには堪らないだろう。
先述の通り“大胆翻案”。新たな設定や要素、描写も。
サザンクロス隊は本作での新設定。ドアンを苦しめる過去として、これは悪くないが…
子供たちが4人から20人以上に増えた。もっとドアンと子供たちの交流を深めようとしたのだろうが、全員が深掘りされている訳ではない。
スレッガーがもう登場している…!
30分弱の一つのエピソードを100分超えの長編にした故、間延びした感も否めなく…。
キャラ一人一人、眉間に皺を寄せるようなリアクションがやたらと多く、よりドラマ性やキャラ描写を増したと言うより、ちとテンポに欠ける。
ヤギのドタバタギャグシーンなど、せっかく尺を伸ばした中で絶対に時間を割く必要あったのか…?
『スター・ウォーズ』が『特別編』として再公開された時、オリジナルに手を加えられ、熱心なファンからは冒涜と非難された事あるらしいが、それと似た感を受けた。
オリジナルはバイブル故、賛否両論。熱心なファンからはかなり厳しい声も目立つ。
オリジナルでアニメーションディレクター/キャラデザイン/作画監督を努めた安彦良和が「自分にとって最後のガンダム」との意気込みで監督。
不滅の人気の作品は時に、作り手側の思いと見る側の望みに“ズレ”が生じる事もしばしばあるが、それも作品を愛するからこそ。
アムロ=古谷徹やカイ=古川登志夫は続投(シャア=池田秀一も)、ブライトやマ・クベなどすでに旧声優が故人になっているキャラの新声優は違和感なく、メインキャラのドアン役の武内俊輔も好演。オリジナルの音楽を編曲して使うなど、心憎い演出も。
賛否が出るのは当然。が、個人的には一本の作品として見応えはあった。
何より“ファースト”をまた新たに見れた事が最大トピック!
ファーストにおいて描きたかった意図とは違う作品という印象
最近勧められてガンダムシリーズを見始め、次々と様々な作品を観続けています。
ファーストガンダムにおける『ククルス・ドアンの島』というエピソードの本質的な部分は、それに至るまでのイセリナとの対峙、母との再会を語らずしては見えてこないのでは?と思っています。なので長くなりますが、ファーストにおけるドアンのエピソード周辺でのアムロの成長についての個人的な考えを書きたいと思います。
「ガルマ様の仇!」と言い放ち銃を向けるイセリナに対して、アムロは「ボクが…仇だって!?」と衝撃を受けますね。アムロはここではじめて、自分がモビルスーツで闘うごとに誰かの大切な人を殺しているのだという現実を突きつけられ、大きく動揺しました。
さらに、その後の母との再会では「人を撃つなんて!」「あの子はそんな子ではなかった」等と言われ、戦うことは非人道的な行為であり、非情な人間のすることだというような扱いを受けます。
母のショックたるや相当なものだったのでしょうが、ここまで生きるために必死で戦ってきたアムロにとって、母からのそんな言葉はあまりに残酷に思えます。
この2つの出来事から、味方側の都合しか見えていなかったアムロが、自分達も今まで敵から受けてきたのと同様の行為を働いているのだという事実に気づきます。戦場で戦うということは所詮人殺し行為に過ぎず、自分は非情な人間に成り下がってしまったのだという潜在的なショックをアムロは抱えたまま15話のドアンのエピソードへと繋がります。このジレンマを抱えた状態で、かつてアムロと同じ経験をしたドアンのその後の生き様に触れることで、アムロが新たな希望を見出だし、改めて戦う意義を取り戻すという構造となっています。
子供たちに慕われるドアンを見たアムロは、「よくも味方につけたものですね」という言葉を吐きます。それは、彼だってモビルスーツで戦う人殺しなんだ、非情な人間なのだから、何も知らない子供たちを騙して懐柔している上っ面の平和に過ぎないんだというアムロの強い非難が表れている台詞だと考えられます。自分自身がイセリナや母から突きつけられた事実を、ドアンに突きつけている構図と取れます。それでいて、「ぼくはジオンの侵略者と戦っているんだ」と自分はやむを得ない理由で戦っているのだと、理解してくれない人や、自分自身に言い聞かせるかのように言い放ちます。
アムロ自身がまさにその時苦悩していたからこそ、自らの生み出した罪を考えもしないで、のうのうと穏やかな生活を送ることができるドアンが許せなかったのだと考えられます。
しかし後半では、あの子供たちの親を殺したのがドアンであったことをアムロは知ります。つまり、ドアンはかつてアムロと同じ経験をしていたのですね。ガルマを殺した仇となったアムロと同じように、ドアンはあの子供たちの親の仇で、戦災孤児を生み出した張本人でした。アムロは、その事実とともに、ドアンが自分の犯した罪を受け入れて、背負いながら生きる道を選んでいたのだということを知りました。これ以上悲しみを増やさないようにと、子供たちを守るために戦うことを選んだドアンの生き様は、すでに多くの人間の命を奪い行き場のないショックを抱えたままのアムロに一つの希望や道しるべを示すこととなりました。ドアンを自分に重ね、こんな事を経ても、人はただ殺したり、奪ったり破壊的な道に堕ちるのではなく、誰かを守りながら、未来ある子供たちを見守りながら生きていくことができるのだという希望をドアンに見出だしました。それだけではなく、最後はアムロ自身に「やがていつか、人は武器を捨てて生きていくことができるはずだ」という新たな考えが生まれ、あのラストのシーンへと繋がったと考えられます。絶望的な心理状態のアムロが、ドアンの生き方に触れることでその後の未来への道しるべを見出だし、最後には自らの内に生まれた希望によって行動を起こしました。
物語全体を見ると、イセリナさんとの対峙の流れからここまでで、アムロにめざましい心理的な変化が起こったのだということに気づかされ、つくづく感嘆するばかりです。なので、アムロがその時どんな心理状態であったのかの描写を入れるか否かで、このエピソードの重みがぐっと変わってくると思うのです…。
これは自分の想像に過ぎませんが、こうして自分が決して邪悪な人間に成り下がったわけではないと知ることで、それまで戦ってきた意義自体を再確認することもできたのではないかと思います。生き延びるために銃を取るほかなかったけれど、それは結局殺すのが目的ではなく、自分や周りの人の命を守るための戦いで、突き詰めると皆で生き延びていつか平和に暮らせる未来を望んでのことであると自覚し、そのあるべき未来をドアンに託したという形なのではないかと思います。
なので、アムロのそこらへんの心理描写を少しでいいから描いてほしかった…。
あのガンダムで踏み潰すシーンも、あの青年を守らなくては、目の前の1つの命を守りたい、という戦いにおける根源的な動機を描いているのかもしれない。でもそうだとしたら、もうちょっとデリケートに描けたはず…。あれでは虫を踏み潰してるくらいのめちゃくちゃ軽薄なサイコパス行為にみえて仕方がないです…。この作品はファーストで訴えているであろうテーマをベースに考えてはいけないんですかね。
ザクの戦闘めちゃくちゃかっこよかったので、個人的にこの映画はザクのかっこよさを讃えるためのものという位置付けです。褐色のサザンクロスのビジュアルも好きな色合いで、その点では満足です。あと作中のドアン信者が信者過ぎてもう面白い。
最後の花火の意図は理解できるけど、危険を遠ざけてひっそり生きようとするが故に灯台を直さなかったくらいなのでさすがに違和感あるというか、そこまでの派手な演出はいらないのでは?と思ってしまいました。
個人的に、オリジンやこの作品でのカイ・シデンの性格がすごーく引っ掛かります。ファーストやΖで描かれていた人間性とは、似たようで根本的なスタンスが全く違うように思えてなりません。あまり好きではないですね。
物足りない
アマプラにて鑑賞
ORIGINからの流れをくむものの密度が薄いというか、あまりMSが登場してくれない。
スクリーンで観たら印象が変わるとかとも思うのだけど、多用されるデジタル的なズームバックにOVAの匂いを感じ、予算的に圧迫でもされてたのだろうかと首を傾げる。
雰囲気は良かった。
連邦の白い悪魔と呼ばれるにたる雰囲気がしっかりあってゾクリともする。
ドアンのザクにしても、その脅威はガッツリと描かれはして、オープニングアクトにはゾクゾクした。
なのだが…期待値を高くし過ぎてしまったと項垂れる。ドラマ寄りの構成でも悪くはないが、やはり目的はMSなのではと思うのだ。
1番はサザンクロス隊とスレッガー機の不甲斐なさである。新規参入のMSでありながら、活躍してくれない。やり方はあると思うのだけど、やってくれない。
サザンクロス隊のザコっぷりたら…こけおどしもいいとこだ。隊長機の小物っぷりが…なんであんな立ち位置にしてしまったのだろうか?
MSのデザインとか背負ってる背景とか、とっても良かったのに…腹立たしい。
ドアンに加勢するガンダムの登場シーンは「ダサい」としか言えず、一気に冷める。
あのシュチュエーションと物語で、もっとMS戦を描いてくれてたらと残念なのである。
まぁ、それでも、ドアンと子供達の分量は多すぎると思われる。ラストにカルデラに全員集合してる意味も分かんないし…セイラさんとか絶対行かせないんじゃないのかなぁと思うのだけど、子供を抱いてまるでピクニックにでも行くような空気感だったしなぁ…。
ただ今作でマ・クベのキレ者っぷりが見れて良かった。テレビシリーズでは見掛け倒しもいいとこで、その役職とキャラのギャップが甚だしかったように思うのだが、今作では、歯応え充分であった。
MSがもっと見たかった。
シャアのザクはリミッター解除による強化が描かれてはいて…そのシャアに匹敵するドアンのザクにはどんなトリックがあったのだろうか?
もしノーマルなザクでと言うならば、彼はシャアを凌ぐ程のパイロットであり、ジオン軍として戦争に参加しなかったのは連邦にはラッキーだったなぁとふとそんな事を考える。
と、同時にシャアのブランド感が薄れたなぁと。
後、今作のガンキャノンのバックパックが素敵だ。プラモが出るみたいなので買おうと思う。
ガンダムの姿をしたイビツな何か。
ガンダムファンを30年以上やってきました。これまで全ての映像作品を見てきました。
なので本作も見ました。
感想はタイトルの通りです。
ビジュアルこそハイクオリティな現代風作画になっていますが、褒められる点はここだけ。
他は目も当てられないほど酷い改変がなされていました。
そもそも論として、ククルス・ドアンという作品はTVアニメ15話の時点で完成した作品です。
それを本作は映画化にあたり、回想シーンや戦災孤児とヤギのギャグシーンで無理矢理108分まで引き伸ばしています。
その為とにかくテンポが悪い。ダレます。
加えて過剰な劇伴の多用、無駄に多いスローモーション、大仰な演技をするキャラクターの芝居によってとにかくクドい。
序盤の戦闘シーン以降、蛇足としか言いようが無いパートが1時間以上も続きます。
この構成にはストレスを感じずにはいられませんでした。
次に問題なのが本作のタイトル。
「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」
このタイトルだと、まるで富野由悠季監督によるいわゆる"ファーストガンダム"の1エピソードのリメイク作品のように見えますが、現実には異なります。
上映前にこのようなテロップが表示されます。
「この映画は1979年に放映された機動戦士ガンダムの15話を"翻案"したものです」と。
翻案…というのは"内容を別の作品に書き改める事"を指します。
そう、本作は富野監督によるファーストガンダムのリメイクではなく、安彦良和によるジ・オリジンなのです。
この点を伏せたタイトルには違和感を感じずにはいられません。
「劇場で最新のファーストガンダムを見れる!」
そう誤解してスクリーンで見た多くのファンは、既にリュウさんが他界しスレッガーがジムに乗っているホワイトベースの様子に混乱した事でしょう。
初対面でタメ口をきく安彦版アムロや、ポンコツな安彦版スレッガー、エースパイロット化した安彦版ドアンに疑問を抱いたはずです。
ここまで改変されたククルス・ドアンの島は果たして我々の知る「機動戦士ガンダム」と言えるのでしょうか?
否、絶対に違うと私は断言します。
これはあくまでも、安彦良和による独自解釈のオリジンユニバースなのです。
他にも不満は数え切れないほどありますが。酷評が延々と続きそうなのでこのあたりにしておきます。
生理的嫌悪感にも似たストレスを感じたガンダム作品は後にも先にも初めてでした…とだけ言っておきます。
安彦さん、ガンダム成功における貴方の功績は非常に大きいものでした。それは疑いようのない事実です。
とはいえ、ファーストガンダムをこれ以上の改変するのはやめていただきたいです。
やるならオリジン名義でお願いします。
そしてファンの方、特に富野由悠季作品を愛するファンには視聴をオススメしません。
ガンダムを知らない層にもオススメしません。
いっそ水星の魔女を見てください。
宇宙世紀に触れるのはアナザーを見てからでも遅くなんてないのです。
MSはかっこいいけど話の展開はモヤっと
当然ながら映像はキレイで、動き回るMSはカッコイイ!けど、ククルス・ドアンが軍を抜けた理由(匂わせ回想はあるけど)とかサザンクロス隊との因縁とかあの島にいる理由とか、子供たちは何なんだ(戦争孤児なんだろうけど)とか、もうちょっと丁寧に描けばすっきりできそうなのに…と言う点が多くてモヤっとする。何より手当してもらっといて礼も言わず話も聞かずガンダム探し出すアムロがなかなかにダメなやつでイラッとする。
ちょっと古くささを感じる
昔の絵柄だし。
ちょっとアムロの顔が細くなってる。
でも目がピカーっってなると、あーコレコレ、カッコイイ。
モビルスーツって中に人いるから
ばーん!ってなったら当然人死んでるのよね。
ってしみじみ思い出しました。
カッコいいんだけど。躊躇なく相手殺すアムロ。
子どもなのに、、。いや、子どもだからか。
初代ガンダムが動くのは良かったがしかし
メカニック的には良かったが、なぜこれほどまでにストーリーが改変されてしまうのか?テレビ版はストーリー的にもとても良く戦争の側面をよく描写しているのだが。子供が多すぎで悲壮感があまりなく、服も小綺麗で食事も豪華。その割に畑は小さく苗だけという謎。リアリティーがないのだね。空想の中で組み立てた?
色々な人が登場するが必然性もなくテレビ版を思い出してガッカリすること多し。なんだか皆妙に太ってて肉感的だし。スレッガーさんあんなに太っててプヨプヨしてないだろ(涙)
ファーストガンダムのキャラ達にまた出会えた幸せ
本編なら30分の回を、映画の尺に伸ばしているのでどうしても間延び感は否めない。
また所々で、登場人物の感情表現にどうにも違和感を感じる場面があった。「はっ?」または「え?」かな、ちょっとうまく言語化できないのだが、とにかく何かに気づくシーンの表現。 例を出した方がいいな。
例)
夜、机にむかって仕事中のドアンにカーラが飲み物を持ってくるシーン。ドアンが「もう少し辛抱してくれ。戦争が終わったらこんな不自由な暮らしも終わる」とカーラに言ったときの、カーラが息を飲み込んで驚きの表現をするシーン!。 なぜそんな「はっ!?」と驚くのかい??
こんな感じの不自然な箇所がところどこにみられた。大げさ&タイミングがおかしいのよ。ひょっとしてこれも尺を伸ばすためか??
まあ、しかし懐かしのキャラたちが「新たに動いている」のを観るのはとても新鮮だった。40年ぶりに自分の知らない新しい面をみれるなんて。
そういうのを作ってくれただけでもう「よし」としちゃう。
面白く無く、ストーリー的にもイマイチだけど、愛すべきガンダム作品
映画としては40点。
ガンダム作品としては20点。
だけど、安彦良和さんのキャラデザ(監督も)で、古谷徹のアムロと、古川登志夫のカイシデンが楽しめるんだから、ファン心理として70点。
といった感想。
うまく説明できないけど、面白さとか、ストーリー的に(戦況的に)辻褄が合わないとか、そんなんどーでもよくて、動く安彦ガンダムが楽しめた、それだけで満足なんだよ!
ファーストガンダムって神聖化しちゃっているから、下手に話をイジることができない。唯一、イジることができるのは、監督の富野さんと、作画監督の(THE ORIGINの作者の)安彦さんぐらいなもの。
でも、富野さんは全然イジってくれないし。一方で安彦さんはファーストガンダムを色々描いて、良くも悪くもファーストガンダムワールドの幅を広げてくれるので、助かる。
ってか嬉しい!!
1stガンダム以外は
ある意味、あらゆるガンダムがスピンオフ作品であるとも言えるが、この「ククルスドアンの島」は、最高傑作かもしれない。
ガンダムとは何かが真の意味で分かっているスタッフが作っている。劇中曲の使い方もその一つだ。
このスタッフで、このクオリティーで1stガンダム全話を完全再現してほしい。それを死ぬまでに観たいと願っている人は世の中に何百万人といることは確実だ。
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