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タイトルと紹介文を見る限り、ライダーズ云々という悪人グループの悪事に巻き込まれて妻を失ったマッツがひと暴れしてそいつらを倒す話だと思うじゃないですか。当初はそういう方向性と見せかけて、もう全然違う方向に転がっていく。このタイトルはミスリード狙いだろう。
列車事故で妻を失った軍人マークスを、同じ列車に乗り合わせた数学者オットーが訪ねてくる。車内でほとんど食べないままのサンドウィッチを捨てて事故直前に下車した不審者の件を起点に、凄腕ハッカーのレナートやウルフの情報を駆使して「ライダーズ・オブ・ジャスティス」というバイカーギャングの犯行と確信し、彼らへの復讐を企てる。
短髪ヒゲモジャでもかっこいいマッツ演じるマークスは、大義名分のある側ではあるものの、行動がかなりエキセントリックだ。こちらを脅しただけのギャングの首を折ってあっさり殺したり、仲間のオットーでさえ気に触ることを言ったからと顔面パンチを食らわして道端に捨てて行ったりする。帰りが遅くなった娘の男友達にも有無を言わさずパンチ。
ところがマークスのもとに集まった一癖ある中年男たちは、マークスから離れていったりはしない。あれこれあるうちに、彼らの一癖の理由も見えてくる。オットーは交通事故で娘を亡くした。レナートは親からの虐待があったのだろうか、カウンセリング受診経験が豊富で、マークスに殴られそうになった時はズボンを脱ぎ四つん這いになって震えていた。ウルフは過去にいじめに遭ったと思しき鬱憤を死体蹴りで晴らしていた。トラウマを抱えたもの同士、互いの状況を他人事と思えなかったのかもしれない。
そしてそんな彼らにマチルデの彼氏、ギャングに囚われていたボダシュカも加わり、マチルデのカウンセリング(もどき)をしたり自暴自棄になったマークスを慰めたりして、互いを癒しながら擬似家族のような関係になってゆく。
マークスとその仲間達の心の傷の描写はあくまでシリアスに、ギャングとの抗争は殺伐とした雰囲気で描かれる一方(マッツのアクションがかっこいい)、彼らの会話やキャラクター描写にはほのぼのした雰囲気があふれている。このギャップが凄すぎて中盤あたりまでは作品の方向性を測りかねたが、結局狙ったギャングが列車事故とは無関係だったことで、ああこれはトラウマを克服する過程の物語なんだなと思った。
マチルデが事故の原因を求めて壁一面に貼った付箋について、オットーが語るシーンが印象的だ。ひとつの出来事にはそこに至るまでのいろいろな偶然が網の目のように繋がっていて、誰のせいなのか特定するのは難しい場合もある。
復讐の対象を無理に探し出すより、傷を見つめてしっかりと悲しみ、吐き出す作業をすることが、心が救われる近道なのかもしれない。
クライマックスの銃撃戦でマークス達がどんどん撃たれ、ウルフなどは「弾を避けた!」と言いつつ額から血がピュッピュと吹き出ていたので死人続出の残念な結末か?と思わせてからの、全員集合でハッピークリスマスエンド。おいおい生きてたのか、それにマッツたくさん人殺したけど捕まってないのかよ、と思いながらも彼らの笑顔に心があたたかくなった。
イェンセン監督の次の言葉に、本作のエッセンスが詰まっている。
「愛する人を失った時、人生のすべてが無意味なものに思えます。しかし、すべての意味を完全に理解しなければならない理由があるのでしょうか?死は理解できないものと受け入れ、愛する人たちに感謝しながら生きることが、人生において最も意味があると思いませんか?それだけで十分ではないでしょうか」