ロスト・ドーター : 映画評論・批評
2022年4月26日更新
2021年12月31日より配信
天秤にかけられない選択の重さがもたらす芯の強さ
茫然自失、我を失った女性が砂浜へと駆け降りていく。横顔は憔悴しきっている。波打ち際まで歩いた後、女性は突然倒れ込む。
のっけからただならぬムードが漂う「ロスト・ドーター」は、匿名作家フェッランテ・エレナの全4篇で語られる「ナポリの物語」の完結篇「失われた女の子」を基にした女優マギー・ギレンホールの初監督作品だ。母の視点に監督の実体験を加味して脚色、女性たちの心の揺らぎを繊細に描く。
英国からギリシャへ、女性が独り避暑地を訪れる。本が満載されたスーツケースを運ぶ管理人に「自分は文学を教える教授だ」と言い訳する。時間もある、お金もある。彼女の名はレダ、ただ穏やかな日々を欲している。海に全身を浸し、ビーチで本を読みながらメモを取る。ホリディには絶好の場所だと思った矢先、騒がしい一団によって静けさがかき消される。小さな失意を感じた彼女は、大家族の中で幼い娘と遊ぶ若くて美しい身体のニーナに目をとめる。母娘のやりとりを見つめていると、決して消えることのない若き日のふたりの娘との記憶が蘇ってくる。まどろみから目覚めるとビーチは騒然、大好きな人形を残してニーナの娘が姿を消したのだ。レダは大きな帽子を頼りに娘を見つけるが、今度は娘の人形が消える。
その日からレダの平穏は破られる。思わぬ所で目にした母娘の光景によって過去が蘇り、不意に現れては予期せぬ行動に走らせる。突然湧き上がるふたりの娘との記憶が胸を締めつけ、次に何をするのか自分でも想像できない。オリヴィア・コールマンが、葛藤と逡巡、記憶に揺らぐレダを繊細に表現し、「女王陛下のお気に入り」(2018)、「ファーザー」(2020)に続いて3度目のオスカー候補となった。
若き日のレダにアイルランド出身のジェシー・バックリー。子育てに翻弄されながらも歌う夢を追う女性を演じた「ワイルド・ローズ」(2019)、「ジュディ 虹の彼方に」(2019)と着実に地歩を進め、オスカー初ノミネートを果たした。そして、髪を黒く染め、育児に疲れた影のある美しい母ニーナを「フィフティ・シェイズ」シリーズのダコタ・ジョンソンが演じている。監督の意を汲んだ三女優のアンサンブルが、緊張感と吸引度が高い心理サスペンスを生んだ。
「子育ての責任は人を押しつぶす」…映画のテーマを敢えてひとつに絞るとしたら、育児と自己実現のどちらを選ぶかという問いかけだ。部屋に差し込む灯台の光。管理人(エド・ハリス)は頼みもしないのにエアコンを入れる。磨かれた果物は器の中でカビが生え腐り始めている。夜中に目覚めると枕で蝉が鳴く。人が泳ぐビーチに近づくボート、浜辺では移動してもらいたいと言われる。映画館では馬鹿騒ぎする若者たちが神経を逆なでする。記憶の中のふたりの娘は、フルーツの皮を剥いてと纏わりついてくる。お願いだからそっとしておいて…。
マギー・ギレンホールは、日常にある“人の領域”の境界線を繊細にとらえ、その薄いベールを突き破るかどうかを問いかける。女性たちは刻一刻、いくつもの選択を迫られているのだ。この身はひとつしかない人間の宿命を背負い、母としての使命と女としての夢と願望に揺らぐ。正しいのか否かではない。天秤にかけられない選択の重さが、この映画に芯の強さをもたらしている。
(髙橋直樹)