流浪の月のレビュー・感想・評価
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色々と考えさせられました
オープニングでブランコを静かに漕ぐ少女。その目はどこか虚で、物憂げで、それでいてきれいだなあと思った。やがてベンチで赤毛のあんの本を読み、雨に降られてもなおそこを動かない。そこへ傘を差し出す男性。帰りたくないという少女に、うちに来る?と声をかけてついていく少女。
そのまま一緒に暮らす2人、少女役の玉季ちゃんがほんと良いなあと思った。
ただ、、ストーリーとしての違和感は残った。性的暴力を受けていた少女が、知らない男性に声をかけられるのは怖いと思う。ましてやついていって一緒に暮らすなんて、、。いくら家に帰りたくないと言っても、原因となったお兄さんとそう変わらない年齢なのでは、、?
しかも2ヶ月もしないうちに笑顔で笑えるとか、そんなすぐ相手を信用してトラウマから抜け出せるものかな?
2人が警察に保護された時、湖で更紗は水着を着て泳いでる、、いくら信用したとしてもちょっと警戒心なさすぎ。
大人になりすずちゃんになった時、これもまた違和感があった。大人になって恋人作って、同棲して、、ってできるもの? 役柄としては玉季ちゃんの方があってる感じはした。すずちゃんは個性が強くて、ほかの役やってもやっぱりすずちゃんだからかな、、。
そういうのは置いといたとして。
文と更紗は、お互い辛い過去を持ち、何も言わなくてもどこか通じるところがあって、心で繋がっているだけなのに、何を言っても周りには理解されないでいる。
何年か経って再開して、離れた方が良いことはわかっていても、あの時の心の拠り所を求めて、会わずにはいられない。誰にもわかってもらえなくても、2人がわかっていればそれでいいのに、周りのいろんな干渉が邪魔をする。
桃李が時々見せる表情が、誰?と思うほど違う人にも見えることがあった。自分は必要ないと母から切り捨てられ、大人になりきれない子供だった。
流星の演じる亮もまた不安を抱え、わかっていてもどうしようもない自分の心の葛藤を見事に演じていたと思う。最後のシーンが切なかった。
後半はほとんどずっと泣いてました。
みんな幸せになってほしい。原作読んでないので、読むとまた違うかもしれませんね。また読んでみよう。
音楽と台詞が胡散臭い。
最初から最後まで、濁流のような展開。ずっと重苦しく、息がうまくできないような、暗くて、張り詰めた空気。
その空気をちゃんと体感したかったのに、よいしょよいしょに挟まれるテンプレ台詞やテンプレシーンに、心が萎えてしまった。
横浜流星さんのキャラクターは最近多い単なるパワハラ彼氏だし、趣里さんのシングルマザーも、再現ビデオに出てきそうなあるあるキャラ。
そして、ここぞというときの台詞がやや安っぽい。。
古道具屋でバカラのワイングラスを見つけるくだりとか、二人が本当の意味で再開した瞬間の15年前を想起させるやりとりとか、うーん、、、この台詞いいでしょ?みたいなトーンでありきたりな台詞言われると、おーい!役者こんなに上手いのに勿体無すぎる!と悲しみが。
もっとドライに、淡々とみたかったなぁ。
このままじゃ、ただ不幸と後味悪いシーンを撮りたい監督としか思えない。
とはいえ、俳優さんの演技はほんとにすごくて、それがすごくて、だから、、、余計脚本がお粗末なのが悲しかった。
なんだろ。
これで泣く人もいるんだろうな。
何に泣いてるんだろう。
そういう人こそ、現実世界では主人公の二人の状況を「ありえなくない?!」と一蹴しそう。。
広瀬すずに圧倒された
かなり“汚れ役”と言っていい役どころを与えられた広瀬すずはそれを十分に演じきっていたと思う。
冒頭のなかなかキワどいベッドシーンから、婚約者からのDVを受けて鼻血まみれで街をさまようシーンなど、ピクチャームービーの主役から完全に抜け出した「女優・広瀬すず」が見られたのは喜ばしかった。
また、更紗の子供時代を演じた白鳥玉季が素晴らしい。TVドラマ「テセウスの船」や朝ドラ「エール」でも注目されたが、今回はあの頃よりさらに磨きがかかった末恐ろしい“女優”になっていた。
また広瀬すずとどこか面影が似ているのも、寄せているのかそれとも演技で我々がそう思わされているのか。
ただ最後の文の身体的な欠陥が開示されるのだが、説明があまり詳しくなかったため正直なところよく分からないままに終わってしまったのが少々気になった。
【追記】文のアレですが、性器のみが未発達のまま大人になってしまったために、セックスが出来ないという症例があるそうです。なかなかあれだけでは分かりにくいなぁ。
松坂桃李の演技に星5、優しさの裏に潜む性的渇望の狂気
タイトル通りです。松坂桃李さんが上手くてキモい。
冒頭から生々しいラブシーンでまた濃い作品だなぁと
思ってはいたのですが、それが広瀬すずの性に対するトラウマの伏線だったのですね。
だから性的な見返りを求めず純粋に愛を注いでくれるフミくんに惹かれたのだと思います。
ただ、松坂桃李のあの目。あの空気。
人一倍、少女の肉体に恋焦がれていたのが画面からヒシヒシと伝わって最高に気持ちが悪かった。
少女と無邪気に遊ぶ際のサラサにも見せなかったあの笑顔こそが、彼の本質なんだなと感じました。
純粋に女の子が好きでたまらないのだと、そしてそんな自分を心底嫌悪しているのだと。
サラサのフミへの愛は一方的で、フミはこれから先本当の意味で大人になったサラサを愛せない。
愛し合ってはいるのに通じ合えないお互いの愛のあの終わりが切なくて、涙しか出なかったです
李相日さんの作品は好きだけど、疲れますね。
しかし広瀬すずさんは相変わらず全力で立ち向かうな。
本人は相当の負けず嫌いらしいですね。無茶な要求にも負けるもんか!と思ってしまうのかな。
賛否両論あれど素晴らしい女優さんだと思います。
すごく暗い
無理やり不幸にしているような感じがする。警察は無能で、冤罪の誘拐じゃなくて落書き犯を逮捕しろよと思う。横浜流星が一番病んでいる。
松坂桃李のカフェが趣味を煮詰めたような店で、繁盛している感じがせず客席も少なくマンションの家賃は払えるのか。
インポ映画かと思ったら、性器の奇形映画でより深刻で気の毒だった。警察では全裸になって体のチェックをされるだろうし、言えよと思う。有罪率99.9%だけど、不起訴になりそうなものだ。
松坂桃李はロリコンではないのできれいな話になっているのだけど、本当にロリコンで行為が行われていてそれで二人の間に愛が芽生えていたらどうなるのか、それは許されるのか。そういうのが見たい。
広瀬すずさんは演技力は素晴らしいのだけど、どう見ても溌溂としてエネルギーにあふれていて陰鬱な役にマッチしてない。
着地に対しての納得の行かなさ
(完全ネタバレなので、必ず映画を見てから読んで下さい)
個人的には李相日 監督の『怒り』が好きで、久々の監督の長編作品でかなり期待してみました。
しかし、最後の解決の所で個人的には納得感があまりなかったように感じました。
物語は(もちろんそれだけではないですが)、佐伯文(松坂桃李さん)が、家内更紗(広瀬すずさん/(幼少期)白鳥玉季さん)や谷あゆみ(多部未華子さん)に性的な意味で手を出さない理由が何なのか?が明かされるまでが核心だと思われました。
幼少期の更紗は父と死別し母に捨てられ叔母に引き取られますが、中学生の従兄から性的な虐待を受けます。
その叔母の家から逃れる為に雨の中で声を掛けられた佐伯文の部屋に幼少期の更紗は行くことになります。
佐伯文はその後、少女の更紗を誘拐した「ロリコン」として警察に捕まります。
しかし佐伯文は更紗に性的な虐待を行っていた従兄と違って、性的に少女の更紗に手を出したりはしていませんでした。
ここで観客の私としては、性的な虐待をしていた更紗の従兄と違って、佐伯文は、更紗をきちんと1人の人格として尊重しているんだろうな、と受け取られました。
なぜなら、更紗はケチャップをくちびるからぬぐうカットなど、少女としてもエロスを感じさせる描写があり、しかしそれでも佐伯文は更紗を1人の人格として扱いそのエロスへの心を抑制する大人としての態度をとっていると、佐伯文の行動から私は受け取っていたからです。
つまり、更紗を性的な対象としてモノ的に扱った従兄と、更紗を1人の人格として扱った佐伯文との違いです。
更紗は、自身を1人の人格として扱われたからこそ佐伯文を信頼したのだと思われました。
それは簡単に自身を捨てた更紗の母や、性的なモノとして扱った従兄とは、佐伯文は更紗にとって対極にある人物だと受け取られたと思われました。
しかし最後に、佐伯文が更紗や谷あゆみに対し性的な手を出さなかった理由として、佐伯文の身体的な障害(性器の問題)が明らかにされると、果たして佐伯文が(少女の時の)更紗に性的な手を出さなかったのは”更紗を1人の人格として扱ったから”が理由だったのか疑念がわくように感じられました。
なぜなら、佐伯文が更紗に性的に手を出さなかった理由が、自分自身の身体的な障害(性器の問題)であるなら、更紗の人格をどう思うかの問題や関係性は薄まるからです。
事実、佐伯文は谷あゆみとの別れの場面で、谷あゆみを1人の人格として扱った言動をしていません。
谷あゆみへの佐伯文の言葉は、相手をおもんばかる態度が薄く、自分勝手な辛辣さであったと思われます。
この佐伯文の谷あゆみへ言動は、果たして更紗を性的な対象としてモノ的に扱った更紗の従兄と、心情ではどこまで違いがあるのでしょうか?
私は、(佐伯文の身体的な障害(性器の問題)とは別に)佐伯文は相手を1人の人格として扱う存在として最後まで描く必要があったと思われました。
その為には、谷あゆみとの別れの場面で、佐伯文は谷あゆみを1人の人格として扱い別れる必要があったと思われます。
そして、身体的な障害(性器の問題)を更紗に告白する場面も、”この問題は更紗とは関係がないのだ”と切り分けて(つまり更紗を最後まで1人の人格として扱って)孤独にしかし冷静に淡々と告白する必要があったと思われました。
なぜなら、相手を1人の人格として見ない更紗に性的な虐待をした従兄や自身の精神的な傷に執着して更紗に身勝手な暴力を振るった中瀬亮(横浜流星さん)とは、佐伯文は違った存在であると描く必要があったと思われるからです。
仮に、佐伯文も更紗の従兄や中瀬亮と精神的に地続きの存在として描いてしまえば、当然、従兄や中瀬亮との精神的な和解などあり得ない更紗が、なぜ佐伯文とは深く精神的に繋がれるのか、観客からは深い理解としては分からなくなります。
更紗が佐伯文とは深く精神的に繋がれる理由が、単に佐伯文は更紗に(モノ的な性的や暴力といった)手を出さなかったからという理由だけでは、更紗の従兄や中瀬亮を既に共感的には忘れている観客にとっては、佐伯文が更紗の従兄や中瀬亮と精神的に地続きの存在だという深い理解は曖昧にされたまま映画は閉じられてしまうことになります。
(そんな感想を映画が終わってから持ちながら、ただ身体的な障害の重さについてきちんと理解が及んでないのではないかとも思われたのも事実です。
しかし今の私にとっては、今回の映画は食い足りなく終わってしまいました。)
『流浪の月』は特に広瀬すずさん松坂桃李さん横浜流星さんの演技は素晴らしく、全ての俳優の皆さんの演技が素晴らしかったと思われました。他にも特筆すべき場面も多かったと思われます。
しかし個人的には大変惜しい作品になったなとは思われました。
文が美しかった
松坂桃李さん演じる文が美しかった。
ただ、物語の中盤から、時間が長く感じられた。最後、文の身体の事実が、サラサと視聴者に知れるのだが、
私としては、その事は、既成の事実として、物語の中に静かに存在していて欲しかった。その上で、寄り添い合っていく文とサラサの心模様を観たかった。
終始、松坂桃李演じる文の中には、静かに存在していたと思う。
原作を読むのが先か、映画を観るのが先かでだいぶ印象が変わる。
原作ファンに申し訳なくなる作品。
原作ではところどころに美しい表現があり、読んでいてウットリするようなシーンがあった。
しかし、映画では人間のドロドロした部分ばかりを出し、原作無視一歩手前。
というかオールドバカラを出すなら過去をフラッシュバックさせるべきだろう…。
原作を読まなければ、主人公は嫌われておしまいの作品。初見向けではないし、原作ファン向けでもない。
人選も悪い。唯一ハマったと思ったのは亮役くらい。
あと濡れ場が長い。重要なのはそこではない。
フラッシュバックも多い。主人公の気持ちを共感させたい気持ちはわかるが、にしても多い。
性器を晒したシーンには引いた。原作にはそんな表現はない。もしやこの人を選んだのは小さいからということか…?
文の元恋人の印象の薄さに驚き。
原作の切れ味の良さそうなボブはどこにいったんだ。平凡な女の人じゃないか。さりげなく心療めいたことを呟いていたがあれが2人の関係を表せるとでも?同じ立場とは限らない。
文の母親はルールブックに沿っていなさそうな至って普通の母親だった。
苗を引っこ抜くシーンは「おっ」となったが、伏線が微妙だったために「?」に変わった。
キャストで遊んで程よく気持ちの悪いシーンを入れたら出来上がり。原作の雰囲気を無視した作品。
愛ってこういうことだ
表面的なものではなく
深い深い愛について考えさせられた作品。
自分以上に愛する人が出来ると、
そこで自分自身と初めて対峙することが出来るんだなと感じた。
そして自分も愛してみようと思えるんだということも。
第三者が客観的にジャッジした現実と本人達の心は全く違うということ。SNSが普及して表面的なことで溢れてるこんな時代だからこそちゃんと心の目で大切なことをしっかり見たい。
とっても苦しい、苦しいけど幸せ
生きるってこういうことだよね、と思った。
登場人物の全員を抱きしめたかった。
それぞれの安心できる場所で笑っていて欲しい。幸せになってほしい。
原作好きな方はご注意を
原作が大好きで期待に胸を膨らませ映画館へ。
更紗が文に対して「死ねって言われたら死のうと思った」というシーンは涙腺がブわっときましたがその後からが私個人の感想ですが酷すぎる。
あまりにも文と更紗の人生を甘く見すぎている。軽く見すぎている。
原作の伏線のようなものは所々ちりばめられているものの回収はせず。
なぜ大切なシーンを端折り物語をわかりにくくするのか分からない。
リピートは無しかなという感じです。
原作が大好きで見に行く!!!という方は二次創作でもifの世界線でもなく登場人物の名前が同じの別の作品であると思われた方がいいかと思います。
衝撃の!というよりは、あまりにも「気の毒な」ラスト…そしてポップコーン容器でアイス食べたくなる映画。
まず、更紗の少女時代を演じた白鳥玉季ちゃんの、天真爛漫かつ純粋無垢なキャラクターが特筆に値するものがありました。
また文字通り体当たりの演技を披露してくれた広瀬すずさんも、もちろん素晴らしかったです。
そして十代終わりから三十代への幅広い役どころを違和感なく演じきった松坂桃李さんの好演も見事でした。
かなりイラつく、ウザい役作りの横浜流星さんも。
私にしては珍しく、役者さんへの賞賛から始まる、真面目な滑り出しレビュー?いやいやいや、油断しちゃダメですよ…
この映画切ないですね。
私には更紗の気持ちも文の気持ちも痛いほどよくわかりました。
ロリコンとかそういう不埒な気持ちじゃないよ!
“自分を救ってくれるかもしれない”寂しく、いたいけな少女へ対する純粋な優しさ。
“自分を救ってくれるかもしれない”ちょいと年上のお兄さんに惹かれる純粋で淡い想い。
決して結ばれることも報われることもない、お互いの純粋な心。
痛いなぁ…つらいなぁ…純粋であればあるほど、結末はド腐れきった世間で、残酷にズタボロに引き裂かれる運命にあるんだよなぁ。
トロッコに乗って逃げて行ける夢の国があればいいのに。
それもきっと地獄なんだわー!(筋少ネタぶっこみました)
私が純粋だからわかるんだって?冗談じゃありません!私はもう穢れきってくたびれきった、ただのオッサンです!でも!わかるんです!わかるんです!←大切なことだから二回言いまs…
幼少の頃から亡き母に「あンたは、繊細過ぎる。女の子に生まれてきた方がよかったのに」とかは言われ続けてはきましたけれど(笑)
女装した時も、そこそこ純真でちょっと天然ボケしたOLという設定ですけれど (๑>• ๑)テヘペロ
レビューでしたよね…今回も使う恒例の『閑話休題』
正直、少女時代の更紗と青年時代の文の出会いと別れのパートが印象的すぎました。
なので更紗が大人になってからのパートにはあまり感情移入できなかったです。
タイトルにもある月が物語に何度も描かれていて、何かを暗示していたと思うのですが、アホの私には、ちょいとよくわかりませんでした。
流れゆく雲の合間の、紺い月明かりの美しさには魅せらましたけれど。
衝撃の…というよりは、その紺い月明かりの下で晒されるのは、あまりにも「気の毒な」ラストでした。絵面は衝撃的すぎましたけれどね!
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
結局、文は超米且〇ソだったのですね。女性と交わるには、あまりにも自信がなさすぎる体だったのですね。
(ここ、わかっちゃう人にはわかっちゃうから、ネタバレ設定でレビュー公開しました)
考えてみると性別問わず、大人を前にした時の文の自信なさげな“おどおど感”はぱねぇ感じでしたもんね。
思えばそこへの伏線は、いくつも張られていたのですが、あまりにも予想外・想定外すぎて、全く考えが至りませんでした。
文が語っていた「墓場まで持っていきたい秘密」とは、決してロリコンっていうニセ性癖なんかじゃあないとは思っていたのですが。
まさかなぁ…
調てみると、先天的にそのような病気?があるそうです。
「できそこないだから根っこから引き抜いた」お母さん、先天的な要因は、あなたに責任があるかもですよ!
調てみたサイトで、こう記されていました。
[母親のお腹の中にいる時には、母親が食べる物によって影響を受けるということもあるようです]
何食べてたん?アイス?ケチャップぶちまけすぎのオムレツ?
しっかしあのアイス美味しそうだったなぁ。
上映中の期間限定で、あの容器と同じプリント柄のポップコーンの容器でアイス売ればいいのに。
底のほうに、そこそこ残ったアイスを劇場売店で売ればいいのに。もちろんスプーンはふたつで。(大盛じゃないところがミソ)
名前は、そのまんま『流浪の月』(量が少ないので税込み価格330円)なんてロマンチックなネーミング♡←自画自賛ときたか…
( ´•д•`; )
カップルで食すにはピッタリじゃん!
あっ…私…いつもぼっちだゎ… o(*>Д<)ゝ <チクセウ!!
個人の意見・見解ですので・・・
この李相日監督の作品は初めてで、小説も未読での今作の鑑賞でした。
うーん150分この内容は、自分はどうしても長く感じてしまいました……何故だろう。泣けるシーンは、あったし共感出来る所もちゃんとあったのに、どうしてもベットシーンや「いやいやそうはならんやろ」みたいなツッコミな所がありやや残念だったなと思いました。亮君の彼女を心配する余り過剰な束縛や暴力的になるシーンはどっぷりと見入ってしまいました。それだけの映像や暴力シーンだったので飽き飽きはしませんでしたが、出てくる人がなんかみんな嫌な人達だなと思いました。ファミレスなどにいるババァ共はどうして群れになって1人を徹底的に潰そうとするのか……
そして冒頭からの更紗と文の関係性初めはお互い初々しいですが、更紗の事情を知ってからの文の行動は、行き場を失った少年少女からすると本当に救いだよなと思いました。どうして親と言う物はここまで子供にクズなのか本当に不思議でありません😱。さらに「世間一般」ではどれだけ優しい大人が子供の事情を知り預かったり側にいるだけで誘拐された子と誘拐犯という関係に戻ってしまう。そういった見解になってしまうのは、仕方ない事だが、大人の汚い部分がより見えて19の自分にはまだ早いのかなと感じました笑そして豪華キャスト陣だったので3.5にしました。
これが原因でパラサイト半地下が中々見れないのかも知れない、
最強純愛の恋愛ドロドロ映画だなと思いました。少し評価は低くつけます。
多部ちゃんがただただ可哀想で仕方がなかったぞ!
深いテーマ
ネタバレです。
更沙:性的虐待、
文:性染色体疾患、
亮:DV歴、
安西:ネグレクト…
偶然だけど、最近観た映画が虐待的なテーマが多い。
心が満たされていない大人によって子どもが傷つく。
そして、被害に遭った子どもが大人になった時、
同じことをする。
無意識に。
悪気もなく。
そして後で後悔する。
障がいがある、ない、に関わらず
周囲の人が受け止めてあげる社会になってほしい。
子どもの時の記憶は、大人になって忘れているように
みえて、潜在意識として残っている。
どこかで負の連鎖を断ち切り、子どもが幸せになれる
社会になることを願う。
弱さを持って生きる
なんていうか、超大作だった。
話がしっかり1部2部で分かれてるイメージ
とりあえず広瀬すずがやばい。
文とのシーンで少女に戻ってるんよ。
あれはすごい。
松坂桃李の説得力もいいよねー。
文の実家のシーンはものすごく半地下の家族を感じた。
なんか、音楽の使い方もすごく印象的だったし、作り込まれてたー!って感じ。
松坂桃李の秘密も絶対そんなことないのになー、って思いながらあぁーやっぱりってなるし、構成として面白かった。
92/100
いろいろリアル
はじめから終わりまで引き込まれてました。文と更紗の、お互いに相手のために遠慮しながらもどうしょうもなく、求めてしまう気持ちになんとも言えない気持ちになった。周囲に賛同されない関係だとしても、最後のシーンでは更紗の隣にいるのが文でよかった。演じるキャスト陣も難しい演技だったことでしょう。特に文、更紗、彼氏役の流星くん、更紗子供を演じた子。流星くんとすずちゃんのリアルなシーンが(ベッドシーン)衝撃的でした。流星くんはこれからもいろいろな役で活躍を期待してます。
役者の演技力と映像美で持たせる退屈な時間
全体構成が冗長でつぎはぎ感があります。
どこかで見たような表現の寄せ集めといった印象で、人物描写もステレオタイプです。
純愛を押したいのだとしたら、「大人になったさらさをふみが愛せるのか?」という点に葛藤を持たせた方が、際立ったのではないでしょうか。
小児性愛に対する偏見や生きづらさを描くのであっても同様に感じます。
彼にとってさらさが特別である理由がありません。
また、最終的にふみは病気を患っているために大人になれないというコンプレックスが明かされますが、
それと小児性愛はイコールにならないのでは?
なんかそれっぽく可哀想で切ない感じにまとめられて、
性に歪な2人が手を取り合って受容しながら生きていく…となっていますが、
それと互いを愛しているかは別の話ですよね?
主題のわからない中にそれぞれの人物が抱える苦悩が熱量高めな演技で詰め込まれ、
情緒不安定な作品といった印象。
泣いている人は一定数居たので、
ポイントで感情移入して楽しめる方なら切なくなれるはず。
子役が広瀬すずに似てる
あらすじから非現実的で主演の2人になかなか共感できなかったけど、
松坂桃李の浮世離れしたキャラクターと減量したのか骨が浮き出た体がすごかった
広瀬すずの愛想笑い、無表情のギャップがすごいよかった
世間の反応の方はすごくリアルで、2人しか事情≠事実を把握してないので現実でも主に更紗の同僚と同じ反応してしまうかも
店長さんは最初から更紗のシフト伏せたり、心配しつつもプライベートに踏込んでこない理想の上司だった
反対に亮は演技とわかっていても横浜流星のことが嫌いになってしまうほどにヤダ味を濃縮したヤツだった
彼女をほぼ意図的に支配、コントロール
非正規の仕事を見下す
カフェでの態度や振舞い
何より気に入らないと暴力
本当にいい演技だし、良い反面教師だ
更紗が好きになろうと努力するのも良いけど、やはり関係を深める段階で更紗と亮はもっと会話しなければならなかったと思う(亮がちゃんと話を飲み込めるかは疑問だけど)
まあレイプ被害を被害者に語らせる二次被害が起きてしまうのがまた難しいところ
タイトルの「流浪の月」はエピローグの2人、セックスのない愛の逃避行って解釈した
【良かった点】 李監督らしい人間の心理描写を丁寧に魅せるつくりに酔...
【良かった点】
李監督らしい人間の心理描写を丁寧に魅せるつくりに酔いしれることができた。
2人が選んだ道は険しく、到底理解はできないが、応援はしたいと思わせる説得力があった。
【良くなかった点】
2人のパートナー役だった多部未華子さんと横浜流星さんが不憫すぎる。せめて2人のその先も少しは気にしてあげてほしかった。
2人にしか分からないこと
重そうな雰囲気に150分とまあまあの長尺に若干の不安を感じてはいたけれど良かった。
亮くんが激昂するところ以外は、ほぼ静かにゆっくり進んでいく。
男の子がいるか、女の子がいるかでも感じ方は違うだろう。更紗を家に帰りたくないと思わせた人は被害者家族で、文だけが悪いのか?
真相はどうであれ、法ではやはり誘拐になるし、世間(特にマスコミ)はよりセンセーショナルに捉えたがる。
ファミレス同僚のヒソヒソや、店前で文の写真を撮る中学生男子とか、被害者は一生被害者で加害者は一生加害者でいなければいけないという社会を見せられた。文と更紗が
一緒にいたら、それはそれで頭おかしいみたいな方向に持って行きたがる。
SNSをやってない自分にはイマイチ理解できない場面でもあった。
150分ながら、飽きる事も眠くなる事もなく引き込まれたのは作り手の力量か。
横浜流星くんが空手チャンピオンだったのは有名だけど、それだけにあの本意気のパンチ、怖い
原作は本屋大賞に輝いた凪良ゆうの同名ベストセラー小説。 あ、本屋大...
原作は本屋大賞に輝いた凪良ゆうの同名ベストセラー小説。
あ、本屋大賞受賞作だったのね・・・ というのを知っていれば、この展開も無べなるかなというところ。
突然の雨に濡れながら公園のベンチで本を読んでいた10歳の少女・更紗(さらさ)。
彼女の目の前に傘を差しだしたのは、大学生の文(ふみ。松坂桃李)。
行き場のない更紗に「家に来るか」と声をかけ、そのまま、何日もが経過してしてしまう。
孤独な文と更紗は他意のない共同生活を続けただけだったが、世間の目からは「幼女誘拐・拉致」と映ってしまった。
それから15年。
成人した更紗(広瀬すず)は、社会人の彼氏と共同生活を営んでいる。
しかし、ふたりの間はぎこちない。
彼女の過去だけでなく、彼氏の束縛にもよるものだった。
そんなある日、同僚の女性と田舎町には珍しい深夜営業のカフェを訪れた更紗。
その店の経営者は、文だった。
彼氏との共同生活の果てに行き場を失くした更紗は、そのカフェに名を告げることもなく、何度も訪れ、ただ静かにコーヒーを飲むだけだったが、いつしかその行動は束縛の強い彼氏の知るところとなり、文の現在がネットに晒されてしまうようになる・・・
といったところから物語で、ここまでで3分の1ぐらいか。
どこまでも落ち着く場所のない更紗と文の物語は、古くは近松門左衛門の道行きものに通じるところがある。
李相日がそれを意識したかどうかはわからないけれど、行き場のないふたりを作ったのは「世間」というものだった。
「世間」からみれば、
文は幼女誘拐拉致のロリコン少女愛好者という唾棄すべき人物であり、
更紗はそんな性愛者に洗脳された少女の成れの果て、罠にかかったままの悲しむべき人物
ということになる。
更紗がそんな人物ではなく、両親を亡くし、叔母のもとに引き取られたが、叔母の息子(従兄にあたる年長の少年)がいかがわしい行為をし、それを口に出来ないまま、居場所を失くした。
そして、文が彼女に居場所を与えた、つまり、希望を与えたということは前半すぐにわかる。
それを「世間」が観ていないだけ・・・という文脈のようなのだが、映画が進むにつれて、文側にもなにか秘密があるように描かれていきます。
この映画の核はそこなのだけれど、そこを書くのはさすがに気がひける。
けれども、文の行き場のなさを「それ」(という特殊事情)に着地させることで、映画のものがたりにおける普遍性を失ってしまい、とても残念に感じました。
つまり、特殊であるがゆえに納得できるという、これまた「世間」の論理が持ち込まれてしまい、非常に落ち着きが悪い。
そんな特殊事情がなければ、このものがたりは納得できないのか?
いや、そうではないだろう。
そう思えて仕方がない。
李相日監督はこの特殊事情をどう感じたのだろうか?
これだから仕方がない、とは描いていないが、この特殊事情だから多くの観客にも受け入れられると思ったのだろう、たぶん。
最終的に「衝撃作!」という印象が残ってしまうことが、この映画の問題なところで、受け手としての自分の気持ちはどうにも適切な着地点を見いだせないでいます。
とはいえこの映画を否定することでもなく、この評価です。
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