春原さんのうた 劇場公開日 2022年1月8日
解説 「ひかりの歌」で注目された杉田協士監督の長編第3作。作家・歌人の東直子の第1歌集「春原さんのリコーダー」の表題歌「転居先不明の判を見つめつつ春原さんの吹くリコーダー」を基に、喪失感を抱える女性がささやかな暮らしを続ける姿を映し出す。美術館での仕事を辞め、カフェでアルバイトを始めた24歳の沙知。常連客から勧められたアパートの部屋で新しい生活をスタートさせる彼女だったが、その心にはもう会うことの叶わないパートナーの姿が残っていた。2021年・第32回マルセイユ国際映画祭でグランプリ、観客賞、主演の荒木知佳が俳優賞を受賞。
2021年製作/120分/日本 配給:イハフィルムズ
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もう放埒なくらい説明がない。最初は戸惑うのだが、決して描写に不足があるわけではないことがわかってくる。映画やフィクションでは、しばしばキャラクターが秘めていた心情を激情とともに吐き出したりするものだが、果たして現実にそんな場面に遭遇したとして、その言葉を額面通りに受け取れるだろうか? 発せられた言葉が気持ちのすべてとは限らないし、また気持ちのすべてを言語化することなど不可能だし、他人を理解することにも限界がある。だからこそ、なのかは知らないが、この映画では「大事な人を亡くした喪失感と再生」を、ドラマチックな展開などどこにもない、寄り道だらけの日常を通して描いているのだと思う。この言葉では説明しきれないものをビジュアル化した映画が、行間、というより、文字の隙間を想像するような短歌から生まれたという経緯にはなるほどと頷くばかりだし、映画が人の心の真実に触れるためのひとつのアプローチとして秀逸だと感じた。 とはいえ、見方によっては退屈だったり入り込みづらく感じることがあるのも想像できる。自分の場合は、劇中に登場する聖蹟桜ヶ丘のキノコヤや、主人公が住むという設定の小竹向原の駅前をたまたま知っていたことで、いきなりこの世界や人物や知性的な距離感が具体化して、突然集中力が増した。見る人によってそれぞれだろうが、どこかにひとつでもとっかかりが見つかれば、突然、自分と地続きに感じられる映画なんじゃないだろうか。
2022年1月31日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会
「濱口竜介と杉田協士:2021年の国際映画祭を賑わせたふたりに共通するもの」(あしたメディア by BIGLOBE)という記事を読んだ。指摘されているように、外国の映画人に高評価される共通項は確かにあるのだろう。とはいえ個人的には、演劇要素を多用しフィクションをフィクションとして提示することを追求している(それゆえ別世界の話として空虚に感じられる)濱口作品より、日常のささやかな出来事や心の動きを、まるでスナップ写真か短歌のように切り取って紡いでいく杉田作品のほうが、現実と地続きの話として身近に感じられるので好みだ(ちなみに杉田監督の長編で好きな順は「ひとつの歌」>「春原さんのうた」>「ひかりの歌」)。 東直子の歌集「春原さんのリコーダー」に収められた短歌「転居先不明の判を見つめつつ春原さんの吹くリコーダー」を“原作”としているが、それ以外にも郵便ポストのくだりなど、他の短歌に着想を得たと思われるエピソードも組み合わせている。カフェでバイトを始めた沙知(荒木知佳)が、引っ越しもして新生活をスタートさせる。彼女が抱えるある喪失感は、たとえば視線の先に映る人物の姿でさらりと示唆される。 説明過多な邦画に慣れた観客なら、あるいは情報不足のように感じるかも。ただし注意深く観ると、かすかではあるが確かにある感情の揺らぎや、巡らせる想い、再生への希望といったものが伝わってくる。一瞬の情景を切り取った写真や短歌のように、受け取る側が想像力をはたらかせて味わうタイプの作品と言えるかもしれない。 なお、沙知のバイト先のカフェは、多摩市の聖蹟桜ヶ丘駅から少し歩いた大栗川沿いに実在する「キノコヤ」という店。映画の上映会やトークイベントなども不定期で開催していて、多摩市出身の杉田監督がらみの企画も何度かあった。市内では広いレンガ敷の遊歩道が伸びる(冬はイルミネーション会場にもなる)多摩センター駅南口がロケ地になることが多い気がするが、「春原さんのうた」で映し出される駅から店までの街並みや、店の2階の窓から眺める川沿いの桜などは、地元で見慣れた普段の多摩そのもの。ジブリのアニメ映画「耳をすませば」で知られる「いろは坂」もすぐ近くにあるので、よかったらキノコヤにも寄ってみて(お酒も飲めます)。
2022年3月6日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館
和製ノマドランドという点についてはドライブマイカーにも共通しています。と言うか、ほぼ同じ時期に公開されたこの二つの映画。こんなことを言えば、多分監督さんは(またかよ)と思うことでしょう。 確かに空気感は似ていますが、私はこちらの方が好きです。田舎の夏の夜みたいな虫の穏やかな鳴き声と、風鈴の音。それらがBGMとして映画のほぼ全編を包み込む。 ある女性とその女性に関わる人々との日常生活を切り取りながら、緩やかに過ぎゆくこの映画について、まさにこのBGMが欠かせない空気感を醸し出しています。 いや素晴らしい。リピーターが多い理由もよくわかる。 ただし、です。 解説がないゆえに、起承転結がわかりにくい。 この映画の主題はこの主人公の女性の喪失感と、彼女に寄り添う様々な人達との関わり。その関わりから、徐々に癒えていく主人公の心の傷に焦点を当てた物語、のようです。 ただし、ほとんど主人公について詳細が語られることはない。 主人公の心の動きについては、彼女のふとした行動(シンクに立ってボーっとしていたり、物凄い勢いで書を仕上げたり)で表面化していますが、基本的に主体的な人ではないので、活動的な観客だと観ててしんどいかもです。 なお、私はそこそこしんどかったです。あと15分尺が少なかったら頑張れたかもしれん(ラストでちょっと寝落ちしてしまった)。 でも、空気感は良いです。 あと30回は頑張って観たい。また寝落ちするかもしれませんが。
2022年2月20日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
ー 東直子さんの詩「転居先不明の判を見つめつつ春原さんの吹くリコーダー」にインスピレーションを与えられた杉田監督が奏でた、静謐で哀しみを湛えた若き女性の生きる日々を綴った映画。- ◆感想 <Caution! 内容に触れています。> ■さっちゃん(荒木知佳)は、いつも口角を上げて、微笑んでいるように見える。 ・さっちゃんに宮崎に帰る事になった日高さんが、自分の住んでいたアパートを”住みやすいし、安いから・・”と家具と共に引き渡すシーンから物語は始まる。 ・そして、様々な人がさっちゃんの周りに集まってくる。 それは、さっちゃんが働く喫茶店で、賄いのスパゲティを食べている所を撮影しても良いですか、とお願いする大学生の男性であったり、 葬式帰りの夫婦に大きな筆で、風林火山と書いてあげたり・・。 きっと、さっちゃんの人柄であろう。 彼女はそんな無理なお願いにキチンと応えてあげる。 ・伯父さんは、さっちゃんの様子をアパートまで見に来る。 - 突然、泣き出す伯父さんの姿・・。 観る側は、さっちゃんの過去に何かあったのだろうと推測する。- ・叔母さんも、さっちゃんのアパートにやって来て、伯父さんと鉢合わせるが、咄嗟に押し入れに隠れ、リコーダーを吹き始める。 - クスクス笑えるシーンであり、伯父さんと伯母さんがさっちゃんをさり気なく、心配している様も垣間見える。- ・日高さんの知り合いの女性が、さっちゃんのアパートに来た際に突然、涙を流すさっちゃん。 ・夜、独り静かに筆を持ち、何かを書いているさっちゃんの姿。 - そして、その後一瞬映し出される”転居先不明の判”が押された葉書。宛先人は春原雪と記載されている・・。- <一片の詩から、紡ぎ出された静謐な作品。 さっちゃんの身に起きた哀しき出来事をさりげなく暗示しつつも、詳細には触れず、さっちゃんの生活する日々を淡々と映し出す中で、人間の善性を描いた作品である。> <2022年2月20日 刈谷日劇にて鑑賞>
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