アネット 劇場公開日:2022年4月1日
解説 「ポンヌフの恋人」「汚れた血」などの鬼才レオス・カラックスが、「マリッジ・ストーリー」のアダム・ドライバーと「エディット・ピアフ 愛の讃歌」のマリオン・コティヤールを主演に迎えたロック・オペラ・ミュージカル。ロン&ラッセル・メイル兄弟によるポップバンド「スパークス」がストーリー仕立てのスタジオアルバムとして構築していた物語を原案に、映画全編を歌で語り、全ての歌をライブで収録した。スタンダップコメディアンのヘンリーと一流オペラ歌手のアン、その2人の間に生まれたアネットが繰り広げるダークなおとぎ話を、カラックス監督ならではの映像美で描き出す。ドライバーがプロデュースも手がけた。2021年・第74回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞。
2020年製作/140分/PG12/フランス・ドイツ・ベルギー・日本・メキシコ合作 原題:Annette 配給:ユーロスペース
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2022年5月31日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
表題となっているアネットは主人公夫婦の間に生まれる子供の名前だが、この役に人形を当てたのが大正解だった。人間はかなり古い時代から、人形を作ってそこに様々な意味を仮託してきた。不滅の肉体だったり、理想の身体だったり、聖性や呪いの象徴としても扱うこともあった。そのように意味付けされた人形の存在感は生身の人間を超えている。人形には表情がないから、人形を見る私たちはそこに自分の見たい感情を投影してしまう。そのせいで、人形は時に人間以上に雄弁な存在として振舞い得る。本作はまさに人形をそのような、人々の感情や理想を投影する偶像(アイドル)として用いている。 ミュージカルを選択したにもすごく良かった。リアリズムでいかなくて済むので、人形がいても違和感がない。超現実的な空間を見事に作り上げて現代的神話を創出している。カラックス久々の特大ホームラン。今年を代表する1本。
2023年5月30日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
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人気のスタンダップコメディアンと世界的オペラ歌手の恋。 やがて二人の間に娘も生まれ…。 ミュージカルで描き、さぞかしハッピーに満ちた作品…ではない。 監督はレオス・カラックス。寡黙家ながら斬新で鮮烈な作品を手掛けてきた鬼才。甘っちょろい作品になる筈ない。 ジャンル的には“ダーク・ファンタジー風おとぎ話”。恐ろしくもある物語が、カラックスならではの独特の世界観と映像美の中に展開していく。 話の原案はバンド“スパークス”のストーリー仕立てのアルバムから。 一応ストーリーはあるが、それを追い掛けると、とんでもない目に遭う。常人には理解不能。 ストーリー云々より、設定や描写など、何かしら意味深さを含んでいるかのようなのが印象的。 人気のスタンダップコメディアンのヘンリー。まず、このキャラを好きになれるか、否か。 陽気で面白い/楽しいコメディアンではない。ステージに上がるや否や、毒を吐きまくり。ブラックジョークっていうのではなく、とにかく攻撃的で挑発的。日本のお笑い界にリアルに居たら、何をするにも炎上し、“嫌いなタレント1位”は殿堂入りだろう。 一方のオペラ歌手のアン。美しく、その歌声は聞く人全てを虜にし、女神のよう。 そんな二人が恋に落ちた。言わば、悪魔が女神に恋をした。 全く不釣り合い。メディアの格好のネタ。 見る我々も察してしまう。この愛は、破滅しかないと…。 娘も生まれ、幸せの絶頂のように思えるが、ヘンリーの黒い噂は絶えない。他に女性の影、過去に関係あった多くの女性から訴え…。 夫婦関係もぎくしゃく。 家族でヨット旅行へ。嵐に見舞われた海が、悲劇的な展開を暗示させる…。 酔ったヘンリーは強引にアンと踊る。その時… 波に飲まれ、アンは帰らぬ人に…。 これは事故なのか…? それとも…? 父一人娘一人になった訳だが、まだ幼い娘に母親譲りの歌の才が…。 タイトルの“アネット”とは、娘の名前。 この娘が本作最大の驚き。ヘンリーもアンも当然ながら役者が演じているが、アネットは何とマリオット。 これは何を意味するのか…? アネットは生まれた時から世間の注目の的。 父ヘンリーによって、ショーに出演させられる。 我々世間や父親の“操り人形”。 どんどんアルコールに溺れていくヘンリー。己の惨めさ、あの“事故”での妻への自責、そして新たな罪を犯し…。 アネットのラストショー。アネットの口から衝撃の発言が…。 ラストのあるシーン。 この時、マリオットだったアネットが人間の姿に。 父から娘へ愛を乞うが、娘は…。 悪魔のような男は何を求めたのか…? 女神(=妻)や天使(=娘)、生身の“人間”への愛か、虚遇への幻か。 アダム・ドライヴァーとマリオン・コティヤールの熱演。 初の英語作品で、全編ほぼ歌の意欲作。 正直、レオス・カラックスの作品は不得意だ。いつぞやのレビューでも書いたが、鬼才の世界は凡人には理解出来ない。 本作もほとんど理解出来ていないだろう。 しかしこれまで見た中でも、少なからず惹き付けられるものとインパクトがあった。
2023年5月9日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
ベイビー・アネットと邪悪な父・ヘイリーの凄まじい対決。 ラストの操り人形だったアネットが、人間の少女・アネットに変わる。 このシーンに心を掴まれた。 歌う少女アンジェル・マクダウェルの、憎しみを表現する歌唱が素晴らしい。 そして2人の二重唱。 「愛と憎しみ」 対立する心情をハーモニーしながら、アネットは断罪して行く。 この辺りが堪りません。 「地獄に堕ちろ!!」 「邪悪なペテン師マク・ヘンリー」 「神の類人猿・マク・ヘンリーは邪悪なペテン師で悪魔の使者」 この映画は、笑えないジョークを連発する スタンダップ・コメディアン・ヘンリーの冒険と転落の叙事詩でもあります。 オペラ界のスターのアン(マリオン・コティヤール) 天使のように美しく気高いアン。 そのソプラノ・ヴォイスはベルベットのように滑らか。 天使に媚びても相応しくない男ヘンリー(アダム・ドライバー) 2人の結びつきは初めから破滅を予感して、 デビル(ヘンリー)は天使(アン)に嫉妬し、意図したか分からないが、 天使は召される。 そう言った背徳感。 レオス・カラックスの毒気が懐かしく復活が嬉しい。 多くのファンが待っていた筈だ。 この悪魔的なロック・ミュージカルは、 冒頭にはレオス・カラックス監督と娘のナスティア・カラックスが仲睦まじく 登場して、カラックス監督の口上で始まる。 破滅的に美しいこの映画を、 観客は深呼吸して、 息を潜めて、 ただただ見つめ、 浸る。
2023年4月25日
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70年代に活躍したおっさんバンドスパークスからの持ち込み企画だとか、格差婚をテーマにしたスタア誕生へのオマージュだとかいろいろ言われているけれど、色眼鏡をはずして素直に本ミュージカルを見れば、実娘ナースチャとその父親レオス・カラックスの関係に言及した映画であると、すぐにお分かりいただけるだろう。 前作『ホーリー・モーターズ』のミュージカル・パートが意外にも好評だったせいなのかは分からないが、ノア・バームバックの『マリッジ・ストーリー』(こちらも格差離婚がテーマ!)で美声を披露したアダム・ドライバー、そして(口パクだと思ったらすべて生歌だった)マリオン・コティヤールが、スタンダップ・コメディアンヘンリー&オペラ人気歌手アンの夫婦役でキャスティングされている。 映画冒頭のブレヒト的イリュージョンシーンの中で親子揃って仲良くカメオ出演していたナースチャの美しい顔立ちに異国情緒を覚えた私がすかさずググってみると.....なんと母親は『ポーラX』に大抜てきされたカテリーナ・ゴルベワというロシア人女優であることが判明。数本の映画に出演した後、44歳という若さでこの世を去っている。直前うつ病に苦しんでいたことは事実のようだが、いまだ死因は不明のままだ。 (本作のヘンリーとアンの関係を逆さまにしたような)カラックスとの格差に悩んだ末の◯◯だったなどと噂されてはいるが、真実のほどは謎。今まで目にいれても痛くないほどに可愛がっていた娘から「パパはママを殺した。そして娘の私を見せ物にしている。愛しているなんて気安く言わないで!」なんて悲しいことを言われたら、ショックで夜も眠れなくなってしまうのではないか。父親の愛情を無条件に受け入れマリオネット?のように愛らしかった娘が、突如なして変わってしまったのか、と。 SEX中しかもマリオンのお股にアダムが顔を埋めながらのクンニ中、あるいは産婦人科医に扮した古舘寛治!が出産間近のマリオンのお股をのぞきこみながら、あるいはマリオンの背泳ぎからのトイレで排尿中...あり得ない姿勢で役者たちは、同時録音の生歌をムリくり歌わされたという。アンのオペラ・コンサートはもちろん、ヘンリーの“神の類人猿”ライブ、そして前作『ホーリー・モーターズ』における路上パフォーマンスも同様に、最近のカラックスはやたらと“生”に拘っている。 内輪話ゆえの“照れ”をミュージカルというオブラートにくるんだ上での“生”演出は、「息すら止めてご覧下さい」という冒頭の辛口コーション同様、今時の観客に対する監督カラックスの不信感のあらわれではないだろうか。リドリー・スコットは「ミレニアルズは携帯電話で教えてもらわない限り、何かを教えてもらうことを望んでいないのです」という(自棄糞ぎみの)コメントを残していたが、映画という古臭い記録媒体ではもはや届きにくい父親の生メッセージをZ世代の娘に伝えようとした、ささやかな試みだったのかもしれない。