ONODA 一万夜を越えてのレビュー・感想・評価
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どうかしているフランス人の情熱
異国のそれも四世代も前の戦争に於けるある逸話
これを映画にしたいと思い実現するのはもはや狂気の沙汰
「緑と同化している小野田」が最初と最後で見え方が一変
多用される雨の場面 ジャングルロケの為、本当の雨?
仲野太賀の奇跡 1 . がぶ飲みしてからカナブンを払う場面 2. 二週間後の約束して河原から去るときスーっと日が陰る場面
イッセー尾形 戦後の2シーンで本領発揮
捜索に来た父親の俳句を縦読み(横読み)で珍解読
その後おじさんが二人、越中褌で海水浴する萌え場面
ペーソスと時にユーモアを交え、かの"事件"を描く心に迫る力作 おもしろい!
信念と喪失感
陸軍学校で受けた洗脳からか、信念から戦争が続いていると思いこみ、1人戦い続ける男の話。何だかランボーのような終わりかただった。小野田さんは、戦争の終わりを告げる上官の前でランボーのように泣き崩れることはなかったが、観ていた私は悲しくて涙が止まらなかった。
上官役のイッセー尾形がかつての威厳を装うことにうろたえながらも武装解除を命令し、中野太賀が取って付けたように玉音放送を流し、津田寛治演じる小野田さんが呆然と茶番を眺めている。期待していたような熱い会話(玉砕することは許さない、次の命令に備えて、何としてでも生きて迎えを待てという指令を受けて)「迎えに来なくてすまなかった」や「なんで迎えに来なかったんですか」なんてのも無かった。ランボーのように「オレの戦争はまだ終わっていない」とも叫ばなかった。小野田さんが自分の中で幕を下ろしていく放心した表情が悲しかった。
映画を見終わってすぐに色々調べてしまったが、映画は実際と違っているとこもあるようで、住民との戦闘シーンも簡素であれっ?て思ったのだけれど、あのあまりに手応えの無い戦闘の描き方で良かったのだと思った。ジャングルの中で過ごした無駄な時間が、無駄な死が、3時間の長尺で淡々と描かれる戦争映画だった。
必ず迎えに行く。あの日、あの人はそう言った。
当時、僕はおそらく7歳で、この大ニュースのことはおぼろげながら覚えている。フィリピンのルバン島(あえて当時の表現で)で、終戦後もおよそ30年近くにわたって戦闘状態を続けていた残留兵、小野田少尉。どれだけ戦争は終わったのだと呼びかけても、容易に信じない姿は滑稽にも映る。ただの意固地にしか見えない。だけど、彼は本気だったようだ。ラジオから得られる情報も信じず、どうやら、日本の亡命政権は満州にあって、当時の日本の繁栄はアメリカの傀儡政権によるものだと思い込んでいたという。とっくに戦争は終わっているのに友軍来援をひたすら待っているなんて、こうなりゃもう喜劇の類であり、まじめに言えば、戦時中の二俣分校での洗脳教育がいかにすさまじいものであったかを裏付けるともいえた。
青年期の小野田少尉を演じた遠藤雄弥がことのほかいい。精悍で、思慮があり、強靭な意思をもつキャラクターを体現していた。おかげで、ともすればただジャングルを隠れ廻っているだけの映画になりかねない話に、緊張感が保てた。なにせ、3時間近くの長丁場、ダレてもおかしくなかった。戦後70年を過ぎ、太平洋戦争がらみの映画は随分と出尽くしたと思っていたが、最後の最後に、最後の残留兵が残っていた。
鑑賞後、仲野太賀演じる青年が気になった。彼がいなかったら、小野田少尉はまだジャングルに潜伏していただろうからだ。彼の名は、鈴木紀夫という。劇中、「パンダ・小野田さん・雪男に会うのが夢だ」と話すしていたとおり、そののちは雪男を見つけるために何度もヒマラヤへ赴き、結局遭難死、享年37歳という若さだった。彼の死に接した小野田は、「友人の死は残念」と述べている。彼を友人と呼ぶほどの信頼があったのか、と図らずもグッときた。のちに小野田は、慰霊のためにヒマラヤを訪れているほどだ。バックパッカー時代の放浪記も破天荒なこの鈴木青年の物語、ちょっと興味が湧いた。
10歳の頃見た衝撃の中身を知る事が出来ました!
auスペシャルウィークで10/14日まで1,100円『ONODA 一万夜を越えて』
174分って事で、逆に劇場に行かなきゃ観ないかもって事での鑑賞ですが・・・
外国人監督が、題材に選んで日本人キャストで挑んでる部分は、先日のMINAMATAと同じです。
この・・・日本人兵士がまた見つかった!ってニュース・・・・
当時10歳でしたが、新聞やTV報道の衝撃を覚えてます。
横井さん帰還時より小野田さんの鋭い目つきは、子供ながらに怖かった。
さて映画ですが、2人の俳優さんが小野田少尉を演じるわけですが、2人も凄かったです。
特に津田寛治さんは、47年前に見た小野田さんが憑依してるくらい小野田さんでした。
約30年、命令を守る為に生き延びる手段は、全てが美化されるモノではないとも思いますが・・・
この史実は、当時を知る者としては、確認出来て良かったです。
上映時間に関しては、思ったより気になりませんでしたが、映画としてはやはり長過ぎますね。
それとこういう実話作品のお約束、エンドロールでの当時の写真やその後の解説が無かったのは残念。
エンドロールでの配役紹介も2度流れるなら1度は、漢字名にして欲しかったです。
外国作品なので、どんな感じで評価されるのか?ですが、日本人兵を演じた役者さん達にスタオベです。
ここ数年売れっ子ながら、この役のオフォーを受けて出演してる仲野大賀くんも流石っす!
命令は絶対
津田さんの小野田さん再現度、イッセー尾形さんの演技 見応えある。 ...
俳優陣の偉大さよ!!
私たちは、自分の司令官であるのだろうか❓‼️
三時間に畏れて敬遠していたのですが、演技力に制圧されて、驚愕のまま結末。
若きおのだ、最後のおのだ、それぞれに凄い演技。
脚本とセリフが凄い、フランス人だから客観的に中立的で真実に近い。
多分、おのだ自身の告白より真実に近い、そう思う、女子供も殺しただろう、戦争なら。
でも、戦後なら、山賊なんで、掴まれば死刑です。
政治的な解決を求める三十年、さすが陸軍中野学校出の男。
謎多き小野田の三十年ですが、こんな映画が意外と参考になります。
今の時代は戦時中と似ています、コロナは医学を知らない医師会に牛耳られてるし、経済を知らない財務省はやりたい放題です。
コロナの行動制限に科学的根拠無し、財政破綻も根拠無し、累進課税して無いし、調べればすぐわかること、小野田少尉を笑えないよ!
余談が過ぎたけど、最高の映画です、是非。
強い思想を持ち生き残る上での功罪と教訓
小野田寛郎というフィリピン・ルバン島に戦後30年近く残り続けた日本兵の話で、俳優アルチュール・アラリ監督の長編デビュー作であるという。もう今やあまり日本では話題に出ることがないし、私のような40歳前後の人では、彼の経歴など知る由もなく。Wikipediaで少々予習をしてから鑑賞。
鑑賞前は戦争映画要素もあるのかとも思ったが、それは小野田が陸軍学校二俣分校で谷口上官(イッセー尾形)から教えを叩き込まれるシーンのみ。それ以外は小野田とその隊にいた兵士たちのサバイバルである。
小野田は、我々が当時の日本兵のイメージとしてよく聞く「玉砕」とは大きくかけ離れた思想を植え付けられており、何が何でも、ヤシの実を食いつないでも生き残れと命令を受けている。投降すら許されず、フィリピンの小島で30年近く生き残ったのだというのだから、ある意味忠実だったのだとも取れた。
その生き残ることに忠実というのは、一人の人間としては自らの命を守るのだから良いのだろうが、この映画ではその生き残ることに対する忠実さは偏った解釈を生み出していた。
最年少の兵士がうっすらと戦争が終わったのでは、と気づき始めているが小野田は全く意に介さない。上空を旅客機が飛べば戦況が激しくなっていると思い込んでしまう。挙句の果てには住民を殺してしまう。
正直、少し柔らかく考えれば「こりゃどう考えても戦争終わってんな」と思うはずが、彼がそう言った考えが芽生えなかったのは上官に対する忠誠心か、それともそれは洗脳なのか。疑うことを知らないが故に彼は強い生命力をもって生き延びることができたのだが、冷静に考えることができれば他の選択肢もたくさんあったのだろうな、と思った。
ラストシーン、ヘリに乗り込む彼に向けられた住民たちの冷たい、憎悪に近い目。あれはこの映画の象徴的なシーンであった。
これは決して小野田寛郎という人物をヒーロー的に描いているわけではなく、彼の生き残っていく過程での功罪を垣間見ることができる。なのでこれは単なる伝記ものではなく、今の我々にも直結するところがあるだろう。植え付けられた思想や考えにより、自分自身を鼓舞し続ける事は、この世知辛い世の中で生きていくには良いかもしれない。しかし、一方で多くの人を巻き込んだり傷つけてしまう可能性も高い。アラリ監督は中立的な立場として、我々にそういった点を投げかけたようにも思えた。
小野田さんの本と違う
これはフィクション映画です。
史実に基づいていません。
小野田さんが書かれた、たった一人の30年戦争、と肝心の内容が違う。
まず、小野田さんはメモを残さない。日付、行動まで全ては頭の中に記録していたはず。中野学校でそのように指導された。敵に捕まったとき、証拠を残さないため。
左足に重症を負ったのは島田伍長だ。小塚さんではない。小塚さんの戦死は、住民にあんな槍みたいなもので殺害されていない。川じゃないし、銃撃で亡くなった。
なんで変えちゃうのか。
女性の殺害シーンもあったが、小野田さんは島の女性住民と子供からメッセージをもらっている。オノダは決して女性と子供には危害を加えなかった。安心して暮らせた、と。
帰国後の苦悩も映画にはない。
マスコミなどにも苦しめられた。
平和ボケした日本人と全く違う自分がそこにいた。本のお金でブラジルに渡り、ジャングルを開拓し牧場経営までされた。
小野田自然塾のことも描いてない。
良かったのは役者さんでした。小野田さんみたいだった。ほかもおおむねイメージに近い。
小野田さんは、この戦争は100年続くと聞いていたから30年生き抜いた。作戦を実行させようとしてた。
ルバング島の雰囲気、役者さんを楽しむフィクション映画ということでした。
これ見て勘違いする人がおられると思うと非常に残念です。
外国人が監督だからわざとでしょうか。
残念です。
小野田寛郎さんと横井庄一さんの区別さえつかない
フランス人監督、3時間、さすがに辛そうなのでスルーかと思っいましたが、太賀が出ていると知り頑張って鑑賞。
フランス映画のように淡々と描かれれている感じもしますが、見応えのあるシーンもあるのでそれほど辛くなかったです。
ただ、3時間はさすがに長い。
映画の内容から年配の人がおおったけど、何人かは途中退出。そりゃ長いからね。
無駄なシーンは無いと思っいるから長くなるのだろうけど、そこを何とか2時間前後に収めて欲しい。
内容ですが、
日本人でもアメリカ人でもフィリピン人でもない、フランス人が映画にすることは意味があると思います。
私は横井庄一さんと小野田寛郎さんの区別さえ出来ていません。(今回をきっかけにWikipediaで読みましたが)
そんな日本人から見ると、苦労したヒーローという1面と、戦争の象徴のような負のイメージの両方があります。
フィリピン人から見れば、亡霊や悪魔に近い存在かと。特に小野田さんは、現地民を30人近く殺傷しているそうなので、同じことが日本であれば、、、と考えると、とてもおぞましい存在。
アメリカ人は、戦勝国だし、なんでも感動的にエンタメにしたがるので。
見る人の立場で大きく違うと思います。
この映画では、どちらかと言うと、武士道、偉人、ヒーローとして描かれているので、日本人としてはありがたいと思いますが、現地の人を殺傷するシーンを見ると、戦争に対する罪悪感が芽生えます。
映画として、その微妙な所バランスが良いと思います。
あと、役者陣が素晴らしい。
何言ってるか聞き取れないところもあるけど、迫力と絶望、孤独、意地などが素晴らしい。
ちなみにルバング島ってマニラ湾の入口なんですね。そこに29年、、、ちょっとびっくり。
すなおに本当に心からお疲れ様でした
中立に忠実に作られた現代の寓話
気を衒わずとても丹精に、そしていろんなリスペクトがなされた映画だと思う。観ている間中、これがフランス人監督によるフランス映画であることはほとんど思い出さない。しかし、このような映画、日本ではなかなか作れないだろうとも思う。要するに、フランス人監督だからなし得た客観的な視点な気がする。
自分が見知っていた小野田寛郎の物語に非常に近い。4人から3人、3人から2人、2人からひとりぼっちへと進み、世界の歴史上の戦後がはじまって、それを気づかせようといくつかの置き土産から類推する「現在」が切ない。半ば笑いそうになるくらい狂気の世界だ。やがてひとりぼっちの時間の孤独の後に現れる鈴木青年。これも書物などで見知っていた戦後生まれの青年の屈託のなさゆえに小野田に接近できてしまうキャラクターを太賀がドンピシャに演じてる。イッセー尾形との再会、服を慌ててシャツに仕舞い込んで現れる辺りは本当にうまい。
日本政府の人間と島民に囲まれてヘリに向かう小野田の顔を見ながら涙が溢れた。津田寛治、減量したんだろうな、すごくいい顔をしていた。
これは日本では実現不可能なONODAの映画だった。
戦争には兵士の数だけの物語りがあり。
新聞社絡みで多国籍合作は、でー嫌いな映画になるテンプレ。しかも3時間あって、日独伊三国同盟(WWⅡ敗戦国)揃い踏みで、聞いたことないプロデューサーとスタッフ陣。と、相当警戒しながらのスタートです。するとですよ。日本陸軍、いきなりジープに乗って登場でズッコケる。軍服も階級章も適当な感じです。手抜きです。と言うか、多分、気にして無いw
劇中でも、陸軍中野学校出身者に、天皇を奉る日本が毛沢東の中国共産党と東亜連邦を組め、なんて言わせる茶番。この辺りは雑を通り越して悪意も感じますが。
全般的にはリアル。美化も誹謗も無し。誰かを貶める描写もなく。日本が占領されても徹底抗戦するとの戦略を持っていた事は事実。秘密戦の工作要員としての使命を全うした小野田少尉。ただ終戦後、29年って言うのは長すぎるし、ほぼ地元一般人30人を殺傷した点(日比間で国際問題化)の要因は、軍指令によると言うよりも、個人の資質に帰する気がしないでもないけれど。
映画を観ながら思ったのは。むしろ。
食べる事も出来ずに餓死した兵士たちだったり。逃げ遅れて戦艦と共に海底へ沈んで行ったり。熱病に倒れ衰弱死したり。
靖國に眠る英霊の方だったりしたもんだ、と来た。
遠藤雄弥と津田寛治の演技は印象的でした。3時間の凡作とまでは言わないけれど、見慣れてる感はアリアリで感動には至らず、でした。
恥ずかしながら楽しめました。
小野田さんが帰ってきたのは俺が小学生の頃。
当時、横井さん、小野田さんと続いていたので、他にもいると思ってた。
それにしても、なんでフランスの若手監督が。フランス・ドイツ・ベルギー・イタリア・日本合作ってのも凄いよね。
スタートは終戦1年前。空軍を辞めた彼が軍の秘密学校にスカウトされた所から始まります。そこで学んだ事が、それからの彼の生き方の指針になる。卒業後、フィリピンに派遣され、間もなく師団壊滅。残った7人で、島を守る事になる。そりゃ色々あるよね。徐々に人数が減って30年後には1人に。
しかし、現地の人達には迷惑だったよね。何十年も強盗団が近所に潜伏してるんだもんね。武器持ってやっつけようとするわな。
MINAMATAに続いて日本の事を外国の監督が撮ると、俳優たちがランクアップ。いつもはバイプレイヤーな皆んながめっちゃ輝いてた。字幕がなくてフィリピン語が分からなかったのも良かった。
日本の監督と比べて、カメラワークや照明が素晴らしい。絶対邦画じゃないってすぐ分かると思うよ。3時間弱の長尺だけど、ずっと緊張とウルウルで大満足でした。
役者に魅了される
戦争の無意味さを明らかにした
「ONODA 一万夜を越えて」という邦題がおかしい。「越えて」という部分だ。何を越えてきたというのか。何も越えていないではないか。いい加減な言葉の使い方は日本の政治家だけにしてほしい。原題の直訳で「ONODA、ジャングルでの一万夜」でよかったと思う。
小野田寛郎さんは陸軍中野学校出身である。出身者は、派遣先で住民を掌握し、武力によって従わせたり、場合によっては徴兵して戦わせる。そうやって本土攻撃を少しでも遅らせるのだ。三上智恵監督の映画「沖縄スパイ戦史」によると、中野学校出身の将校が沖縄で「護郷隊」と呼ばれる少年兵を組織したそうだ。結果として多くの少年兵が戦死したり、上官命令で仲間から撃たれたりして、生き残った者はトラウマを抱え続けることになった。
つまり陸軍中野学校は、徒らに住民を巻き込んで戦争を長引かせようとする将校を生み出しただけだったのだ。彼らは天皇陛下だとか皇軍だとかいう権威を信じ、日本は負けない、最後の一兵卒になっても戦うのだと信じていた。
小野田さんも、学校で学んだ人心掌握術を発揮して兵隊や住民を巻き込み、最後まで戦線を守り抜くと勢い込んでルバング島に来た。しかし兵隊の誰も言うことを聞かず、結局残ったのは自分を含めて4人だけだった。
そこから小野田少尉の狂気にも似た残留作戦が始まる。食料調達のために住民を襲い、家畜を殺す。ルバング島の住民にとっては小野田さんたちは山賊である。畑の作物を食い荒らすイノシシみたいな存在だ。猟友会によって駆除される運命にあった。たまたま駆除されないで29年もの間、生き延びたというだけの話である。
本作品はフランス映画である。哲学の国の映画だから、世界を客観的に描く。ジャングルでの29年は、それは苦しい年月だったと想像される。しかし同情はしない。むしろ、まったく無意味な年月であったと切って捨てる。小野田さんを演じた津田寛治の虚ろな目の色がそれを物語っている。
天皇陛下万歳のパラダイムから一歩も出ることができなかった小野田さんの精神性は、陸軍中野学校が生み出した罪なのだろう。小野田さんと同じように戦争を全肯定する人々が世界中で不気味に増加しつつある。その危機感がこの映画を製作した動機かもしれない。戦争がどれほど無意味で、無駄な死と、薄れることのない憎悪を生み出すだけかを明らかにした作品である。
悲しくておかしくてシュールで
長いが、さまざまな種類のストーリーが次々に展開されているようで、全く飽きなかった。面白かった。
戦争の極限状況の悲惨さからはじまり、終戦後からはフランス映画らしいシュールな空気に、日本人による投降を呼びかけられたパートではコメディのテンション、小塚が死んで一人になってからは、小野田の内面を丁寧に描きしんみりさせる。
史実と違うところや創作した部分も多いような気もするが、史実を元にして、極限状況における人間の狂気と本質を表現したかったのではないか。
連想したのは、「南極物語」。あの映画も、最後にタロとジロが生き残るという史実だけが確定しており、そこに至るまでの過程はほとんど想像だが、タロとジロ以外の犬たちのそれぞれの死に様が描かれる。
この映画も、小野田だけでなく、さまざまな兵士の死に様を通して、戦争という理不尽に放り込まれた人間たちのさまざまな表情を描いている。使命に殉じようとする者、壊れていく者、正気を保とうとする者、戦う意味を求める者、無意味さに苦悩する者、あっけなく死ぬ者…。
印象に残るのが、二俣分校での教育。「自分自身が自分自身の司令官となれ」「目的と本質を失わず柔軟であれ」「栄誉なき栄誉」などなどの考え方は十分現代の教育にも通じる。時代が違えば谷口は良い教育者になれたのだろう。
また、「玉砕(自決)を許さない」というのは、単に陸軍に対する責任ゆえに、ということだけでなく、決して死ぬな、という深い愛情のこもった言葉のようにも思う。
小野田さんという存在は、さまざまなことを想起させる。戦中と戦後で価値観が一気に変わったこと、敗戦国である日本が一気に豊かになり、経済大国と言われるまでに復興をとげたこと、人権や人命が尊重される世の中に変わったこと、など。
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