劇場公開日 2021年10月8日

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「戦争の無意味さを明らかにした」ONODA 一万夜を越えて 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0戦争の無意味さを明らかにした

2021年10月10日
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鑑賞方法:映画館

「ONODA 一万夜を越えて」という邦題がおかしい。「越えて」という部分だ。何を越えてきたというのか。何も越えていないではないか。いい加減な言葉の使い方は日本の政治家だけにしてほしい。原題の直訳で「ONODA、ジャングルでの一万夜」でよかったと思う。

 小野田寛郎さんは陸軍中野学校出身である。出身者は、派遣先で住民を掌握し、武力によって従わせたり、場合によっては徴兵して戦わせる。そうやって本土攻撃を少しでも遅らせるのだ。三上智恵監督の映画「沖縄スパイ戦史」によると、中野学校出身の将校が沖縄で「護郷隊」と呼ばれる少年兵を組織したそうだ。結果として多くの少年兵が戦死したり、上官命令で仲間から撃たれたりして、生き残った者はトラウマを抱え続けることになった。
 つまり陸軍中野学校は、徒らに住民を巻き込んで戦争を長引かせようとする将校を生み出しただけだったのだ。彼らは天皇陛下だとか皇軍だとかいう権威を信じ、日本は負けない、最後の一兵卒になっても戦うのだと信じていた。

 小野田さんも、学校で学んだ人心掌握術を発揮して兵隊や住民を巻き込み、最後まで戦線を守り抜くと勢い込んでルバング島に来た。しかし兵隊の誰も言うことを聞かず、結局残ったのは自分を含めて4人だけだった。
 そこから小野田少尉の狂気にも似た残留作戦が始まる。食料調達のために住民を襲い、家畜を殺す。ルバング島の住民にとっては小野田さんたちは山賊である。畑の作物を食い荒らすイノシシみたいな存在だ。猟友会によって駆除される運命にあった。たまたま駆除されないで29年もの間、生き延びたというだけの話である。

 本作品はフランス映画である。哲学の国の映画だから、世界を客観的に描く。ジャングルでの29年は、それは苦しい年月だったと想像される。しかし同情はしない。むしろ、まったく無意味な年月であったと切って捨てる。小野田さんを演じた津田寛治の虚ろな目の色がそれを物語っている。
 天皇陛下万歳のパラダイムから一歩も出ることができなかった小野田さんの精神性は、陸軍中野学校が生み出した罪なのだろう。小野田さんと同じように戦争を全肯定する人々が世界中で不気味に増加しつつある。その危機感がこの映画を製作した動機かもしれない。戦争がどれほど無意味で、無駄な死と、薄れることのない憎悪を生み出すだけかを明らかにした作品である。

耶馬英彦