Arc アークのレビュー・感想・評価
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失礼ですが・・・これ、失敗作ですよね?
好きな女優さんの一人である芳根さん主演って
ことで鑑賞です。
蜜蜂と遠雷が好きだったから、
不老不死というSFテイストの設定だったから、
とにかく期待してました。
それが・・・良くなかった。
いやー、肩透かしもいいとこです。
原作未読です。
原作ってこういう着地なのだろうか?
なんとも壮大なテーマを扱っていますが
え?そんな着地?
え?ラストのセリフだけで語ったの?
それが言いたかったこと?
薄い!浅い!チープ!
なんじゃそりゃ?・・・です。
そこに至るまでのドラマがない。
前半のなんやかんやは一体何だった?
いや、そもそも前半必要かな?
あの結末ならば。
兎にも角にも、ただ時間を使い、推察するに
小説内の描写を映像化することだけに必死と
なり、内面の変化や心情の移ろいを全く描くこと
をせずに話を進行させていく。
だから、こちらとしてはなにも感情が動かない。
「何故」を描かない作品特有の「薄さ」だけが
際立つのです。
登場人物全員の同期と背景がさっぱり伝わらない。
いや作られていない作品でしたね。
上滑り甚だしいセリフだけで良い話だなぁ〜な
持っていき方をする作品、嫌いです。
だって、状況を映し出すだけで、
「で?」の連続なんだもん。
本作は人間の生死や命のあり方を語ろうとして
いるようですが、こんなことが、あったんです、
と言うエピソードを描くことで終始し、
伝えたいことは発言理由がわからない
かっこいいセリフで伝える。
・・・なんだかなぁ。
ちなみに、肉体は衰えないけど、考え方や人との
接し方が若いままってことはないはず。
主人公の後半の立居振りまいなどに違和感
しかなかった。不老不死の人は見たことないけど
経験を重ねた人間に見えないんだよな。
それっておかしくないかなぁ?
本作のエグゼクティブ・プロデューサーに原作者が
名を連ねているんですよね。
うがった見方ですが、結構脚本に口を挟んだのでは?
なんて思っちゃいます。
あれもこれも詰め込みすぎて拡散して消える。
残念な一作です。ワースト候補です。
終わりがあるから今が楽しい
不老不死を選択出来たら
テーマは「不老不死」。予想以上に深く考えさせられる映画でした。前半は不老不死に繋がる技術で、死んだ人を保存するお話し。これが、やたら長いし意味不明なところが多い。仕上げに紐を使う儀式や、死んだ人を生前のまま残しておきたい需要ってそんなにあるのかなあ?とか。後半はようやく生きた人間への不老不死のお話し。第1号がリナ(芳根京子)。ほとんど白黒で雰囲気出していて良かったです。年齢の関係をよく考えて観ていないと、戸惑います。リナの娘が成長しないのが、おかしいと思いました。ラストは矢継ぎ早でしたが、リナは最後を迎える事を選んだのでしょう。「死があるから生がある」「始まりがあれば終わりがある」というセリフが印象的でした。芳根京子さんの演技は鉄板で素晴らしかったし、脇を固めた小林薫さんと風吹ジュンさんの演技もいぶし銀で良かったです。
ドゥニヴィルヌーブっぽい
生命は不可逆の現象である
人類の歴史上の岐路には屡々天才科学者の存在がある。19世紀から20世紀は天才科学者を輩出した時代で、特にマンハッタン計画に携わった沢山の天才科学者は有名だが、話が物騒なので違う例を出すと、やはりコンピュータとインターネットである。世界中の社会生活を劇的に変化させたと言っていいこの2つの発明にも、やはり多くの天才科学者の功績が寄与している。
本作品では人類の長年の夢であった不老不死を実現させた社会を描く。長年の夢と言っても、実際に不老不死を夢見たのはファラオをはじめとする支配層たちである。死ななければこの世の栄華をいつまでも享受できる。支配されていた人間たちは不老不死よりも、この世の地獄からの脱出を望んでいただろう。つまり不老不死は、必ずしも人類共通の夢ではないのだ。
美魔女と呼ばれる女性たちの出番がなくなるのはある意味で痛快だが、本当に不老不死が望まれるのは世の女性たちではなく、天才科学者や優れた芸術家たちであろう。研究するため、あるいは芸術を創出するためにもっともっと時間が必要な彼らが、80年やそこらで死んでしまうのは惜しい。生きるために生きる人々ではなく、何かをするために生きる人々にこそ、不老不死が相応しい。
しかし本当にそうだろうか。老いることも死ぬこともないと自覚したら、優れた研究や素晴らしい芸術が創出されるだろうか。桜が散らなくなってしまったら、誰も見向きもしなくなるだろう。花は散るから美しい。よく言われる言葉だ。人間も同じではないか。
小林薫の存在感が圧倒的で、芳根京子をはじめとする小娘たちを塵のように軽い存在にしてしまう。その妻を演じた風吹ジュンとともに、生が死を内包しているから人生なのだという事実を主人公に突きつける。不老不死が実現した世の中で流れるニュースは、加速度的な少子化と自殺件数の激増だ。
難しいテーマのように思われそうな作品だが、それほどでもない。熱力学第二法則は、これからも覆すことは出来ない。生命においては、エントロピーの増大が細胞の再生サイクルを上回るときが必ず来る。細胞の再生サイクルを延長することはできるだろうが、熱力学第二法則がいつかはそれを凌駕するのだ。生命は不可逆の現象である。
握手
かなり前に情報が出てなんとなく興味が湧き、茶一郎さんのレビューにて簡単な前情報を仕込んで鑑賞。かなり座席が空いており、興行収入も振るわずでしたが、良い作品だと思います。
遺体を紐でフラストレーションする映画的な映像がとても映えていて見応えがありました。原作では文章で済ませれるものを、映像にうまいこと落とし込むのは、さすが石川慶監督だなと思いました。
作中で描かれる不老不死が鑑賞中に頭に巡っていました。自分の親や、友人、好きな芸能人の年齢を追い越したり、共に同じ年齢を生きてきた人たちがいなくなったら怖いなとゾクゾクしました。
カラーで描かれていた若い時代から一気に時代が飛び、89歳と驚きの年齢まで進みます。不老不死の処置をしたリナが89歳で自分の娘を育てるという漫画やアニメならありうる展開を、違和感なく実写化しているのでお見事です。ただ、その年齢まで辿り着く前に旦那の天音が、不老不死の処置が遺伝子の関係で、あっという間に老化が訪れ、死ぬという中々怖い展開が待ち受けていました。現実にこの処置が行われた場合も実際に起こり得るんだろうなと。絵空事では済まされないなと思いました。
利仁というおじいさんが、実際はリナの息子だったという展開も少し驚きました。あぁその展開は全然予想していなくて、お口ポカーン状態でした。利仁が母さんと呼ぶ瞬間は鳥肌が立ちました。もう少し丁寧に描いて欲しかったなとは思いましたが、十分物語に意味を持たせてくれて良かったです。
リナは最終的に「死」を選ぶ事にします。自分の息子の年齢を追い抜くってことに恐怖を覚えた結果だと思います。自分でもそっちを選ぶと思います。
「死」という単純明快な恐怖を、127分の尺を使い見事に表現していたと思います。これからも石川慶監督をリアルタイムで追っていきたいです。
鑑賞日 6/26
鑑賞時間 18:40〜21:00
座席 K-5
共感できるかと言われたら
Arc=円弧?、Ark=聖櫃じゃないの?
ちょっとテンポが悪く眠くなったところとあったけど、とてもテーマが重い。
キレイなピアノの音楽で、とても芸術的な綺麗な絵なのです。とくに音楽が良かった。サントラ欲しいです。
ネタバレになるのでハッキリは書けませんが、「ハッ!」となった所は、アハ体験で気持ちよかった。
最後はそうなるのか、、と。
そもそも、不老不死など望んでいないし、どこかのエルフの話じゃないけど何百年も生きることが幸せだとは微塵も思っていないので、それの何が幸せなのかと思ってしまいました。
自分ならどっちを取るか、、、と、そもそも悩まないと思います。
個人的に、35年住宅ローンを組んだことがあって、これで一生借金漬けか、、、と思ったけど、240年ローンって(笑)
時間が無限にあったら、有難みもなく、何度失敗しても後悔しなくなるんでしょうね。「有終の美」、ちょっと意味はズレますが、終わりがあるから、時間が大切に思えますね。
Arc=円弧?、Ark=聖櫃じゃないの?
あっ、願いが叶うのは聖杯か?💦
前衛的、アングラ・・・どうなんだろう
芳根京子のファンです。
あくまで個人的な意見で、すみませんが勝手なことを書きます。
はじめの部分で芳根さんが踊りを始めたとき、
「この監督はこの路線で製作するのか。」と思いました。
でも、どうなんでしょうか、
あのステージでの女の子たちの狂気の踊り。
芳根京子の自己崩壊的な踊り。
・・・アングラ、前衛的という言葉を思い出しました。
家に帰りnetで調べてみると、
アングラは 「商業性を無視し、独自の主張をする前衛的で実験的な芸術」
前衛的とは 「芸術活動で、既成の概念や形式にとらわれず、先駆的・実験的な表現を試みること」
と書いてありました。
「アングラ、前衛的な表現」も一つの芸術ですから存在意義は分かりますが。映画の中で流すには難しいと思います。
少し前、尾野真千子も「茜色に焼かれる」で踊っていましたけど、ストーリーの中に組み入れるのは難しいと思いました。
※ ※ ※
・構成も、最初のアングラ的な部分とノーマルな部分、そして白黒(モノトーン)な部分と、分かれていたように感じました。
・終盤の小林薫と風吹ジュンはよかった。
ある意味、流れを引き寄せたというか。
・芳根京子は変に冒険させないでほしいです。
「居眠り磐音」・「今日も嫌がらせ弁当」・ 「記憶屋 あなたを忘れない」・「ファーストラブ」なんかが好きです。
芳根さん、公開発表の場で感極まっていましたけど、
俳優さんだからしかたがないのかもしれませんが、あまり思い込まないでほしいと思ってみていました。
不老不死について考えさせられました
そんなもん作るやつ居らんやろ
生と死の壮大なものがたりー
死を留めること、生を留めることー
とても壮大なテーマの映画でした。
どちらにしても人はどこに向かって生きているのかー、死ぬことの意味は何なのかー。
深いテーマでありながら、役者さんの衣装や、舞台美術・映像が、鮮やかだったりモノクロームだったりと、その場面場面の意味を見事に持たせていました。
天音の「もう急がなくていいんだ」という言葉に、生命には必ず時間の限りがある、という現実を改めて突きつけられます。もしも不老不死が実現したら、今の年齢のまましばらく生きてみたい、と思います。
しかしアンチェインジングルや不老不死に憧れを抱きながらも、何故か死を選んだ人の表情に、安堵感が湧いてしまうー。とても、不思議な感覚に陥りました。
死を慈しむ永真、死を留める天音、天音の意思を継ぎながらも最終的に生を留めたリナ…それぞれの葛藤が美しく刹那く響き、見終わった後に、生きることへの光を感じられる朱玉の作品でした。
企画倒れ。
つまらない作品はシナリオ、演出、役者など色々あるが、企画の段階で面白くないと分かっていて製作するほどバカらしい物はない。アート作品でもエンターテイメントでもない、対象年齢や男女もない、愚作とはこの映画の事を言うのでは。
未来の話やこんな世界があるんですで物語が進むなら見る側も受け入れられるがそんな演出もなく、いきなりリアルなミイラです、子供の見学で世間に認知されてますってならないだろう。そんなに観客は馬鹿ではない。自分から不老不死になって、ならない人の世話しますってバカでもやらないだろう。リアリティがないのでは。よくこんな企画で進められたものだ。前半の重要な寺島しのぶのくだり雑すぎる。なぜ退陣したのか説明ないのでは。不老治療前は流行っていたし、寺島しのぶしか出来ないって言ってたのに。シナリオが悪すぎる。挙句の果てに最近流行りのLGBTで終わらせる、雑さ。Vシネか?
一番の問題はなぜ子供を産んで捨てたのか?そこないと小林薫のくだり生きない。あんなに長く尺とるならちゃんとやらないと。
この手の話では不老不死は辞めるタイミングの話が鍵になるのになんで135才でいきなり歳取ってるのか?全く理解できない。
これは映画祭に出し泊を付けて逆輸入しないと。〇〇映画祭で作品賞取りました。雰囲気映画ですがなにか?ってぐらい吹っ切れないと。本気勝負ではで客は呼べないよ。
物語が面白くないので大コケ映画になるのは必須。
あとつまらないから白黒映画の要素取り入れましたがバレバレ。
石川慶監督これで終わる可能性大アリ。
「愚行録」「蜜蜂と遠雷」は2作続けてただの奇跡だった可能性あり。
なぜ撮る前に、脚本の段階でわからないのか?
ベテラン俳優が良い
暫定今年度ベスト
「死」は「生」の一部
イオンワンデーフリーパスポート3本目
予告のシュールな雰囲気と不老不死というテーマに惹かれ、楽しみにしていた本作。それなりに楽しめましたが、ちょっと思っていたのとは違いました。
ストーリーは、プラスティネーションという技術を用いて、生きているかのようなポーズで遺体を保存する仕事に就いたリナが、不老不死を研究する夫により永遠の命を手に入れ、命のあり方について考えるというもの。もっとSF的な展開になるのかと思いきや、不老不死をめぐる人々の受け取り方の違いを通して、命について静かに考えさせられるような作品でした。
話自体は興味をそそりますが、序盤から終始暗い絵づくりで淡々と物語が進み、盛り上がりやおもしろみに欠ける印象でした。そのため、何度か瞬間寝落ちしてしまいました。予告で印象的だった、紐で遺体にポーズをとらせるシーンも、物語上の重要な要素ではなく、ちょっと拍子抜けでした。
ただ、冒頭シーンが伏線として終盤に収束する展開は悪くなかったです。また、若さを保ったまま年齢を重ねるリナを、芳根京子さんが好演していたのもよかったです。見た目は変わらないのに、年齢相応の変化を感じさせる演技だったと思います。
作中に「死は生の対極ではなく、生の一部」という言葉がありましたが、これが最も印象的でした。もし今現在、不老不死が選択できるとしたら、自分はどうするだろうと考えてしまいました。すぐに飛びつきそうな気もしますが、果たしてそれでよいのかと躊躇する自分もいます。古い人間の価値観であり、不老不死を選択できない人間の負け惜しみだとしても、「生」がより輝くために「死」は必要な気がします。不老不死を願う人類も、最後に老いを選んだリナも、所詮は無い物ねだりなのかもしれません。
石川慶
「生きてるだけで、愛」でも思ったけど、映画を見て1番最後に見るのがエンディングだから、めちゃくちゃ大事。世武裕子ってすごいなーって思った。西川美和の映画がどれも音楽があんまり好きじゃなくて、それに比べて石川慶の映画は全部音楽が良い。良いってゆうか、好き。北野武の映画も音楽が違ったらまた違うだろうし、自分の中で映画における音楽ってかなり重要なんだと気づいた。
ラジオから自殺が増加してるって聞こえてきたシーンは、清水くるみがいないってなった時点で、あー自殺したのかなって思ったら誕生日のサプライズで、ある種裏切られたような感じで良かった。この感じは「蜜蜂と遠雷」でも「愚行録」でもあったしすごい好き。肝心の誕生日サプライズもなんだか不気味で哀しくて、すごいシーンだった。
もしかしたら、白黒になってからは、不気味というより哀しい感じに寄せてるのかも。不老不死の不気味さと哀しさ。音楽とかも、明るい音楽が逆に哀しく感じられたりとか。
白黒に切り替わった時点で、「ピンクとグレー」を思い出して嫌な予感がしたけど、こっちはめちゃくちゃ良かった。
ほくろに役割を与えたのは、「点」とのつながりを持たせたかったからと感じた。時間ってゆうつながりがある。始まりと終わりがあるのは点じゃなくて、線。つまり、不老不死の人生はあくまで1つの点である。生まれ、成長し、老い、死ぬ。この時間の流れの中にあって初めて、線となる。
最後のシーンで女優を変えたのは、老化というものに変化というものを内包させたかったからかなと感じた。
ずっと、変化を拒むか受け入れるかという話だったから、芳根京子じゃなくなったことでより、老化というものを実感できる。
生まれ変わったら、、、のくだりで、芳根京子が死ぬことの意味を感じたのかなーと思った。
映画は、生涯忘れられないであろうシーンが1つでもあれば、見て良かったなーと思える。この映画は間違いなく、見て良かった。それも、劇場で。
映像は優れていたと思います
【”ヒト”の可能性】
僕は、ヒトは、代を重ねたからこそ、強い遺伝子を残し、繁栄してきたのだと思う。
個人として死をどう考えるかなど、哲学的・宗教的な問いかけの他にも、いろいろ考えることの多い映画だった。
昔、ある宗教家の人に叱責されたことがある。
僕が、Cというお寺は、ある大きなAというお寺の「末寺」だと説明してことが気に食わなかったのだ。
Cというお寺を見下しているように感じると怒っていた。
だが、末寺の「末」は、末裔や末広がりの「末」と同じで、教えが広く伝わっているとか、繁栄していることを表しているので、この人の考え方は間違っている。
伝教大師の「一隅をを照らす」は、僧が自ら灯りとなって隅々を照らしなさいという教えで、「忘己利他」は、己を忘れて他を利するようにしなさいという教えだ。
天台宗は、その後、多くの高僧だけではなく、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、法華宗の日蓮、時宗の一遍など日本の主要な宗派の宗祖も輩出して、仏教が、日本の知識層だけではなく、貧しい一般層にも広がる礎にもなっている。
天台宗延暦寺大講堂には、こうした宗派が寄贈した宗祖の像が祀られている。
作品のプラスティネーションのチャプターで、即身成仏が話題に上がる場面があったが、即身成仏を目指した空海も、法相宗の高僧・徳一(とくいつ)に諭され、それを成し遂げる前は、治水などを中心に利他行が中心の布教活動を行なっていた。
不老不死が利他とは対極にあるように感じるのは、僕だけだろうか。
ヒトも、仏教と似て、新しく教えを受け継いだジェネレーションが、更に新しい価値観を見出して、社会を発展させてきたことは間違いない。
僕達の上の世代が、LGBTQへの差別を止めようなんて考えただろうか。
更に、その上の世代が、男女の格差を無くそうなんて考えただろうか。人種差別は良くないなんて考えただろうか。
ヒトは、代を重ねて強い遺伝子を残し、繁栄し、更に代を重ねながら、価値観を発展させてきたのだ。
ヒトは、怪我を負った人や、年老いた人を労ったり、助けたり、子供も含めて弱者に寄り添いながら、少しづつ人らしさを育んできたのだ。
それは、いつか自分自身が弱者になるかもしれないという人間の想像力に基づいたものでもあるはずだ。
映画の物語のように、不老不死が実現するとは思えない。
でも、可能性としてだけ考えても、利他とは程遠いことは分かる気がする。
レビュータイトルに、”ヒト”の可能性と書いたが、それは不老不死を実現するという科学の可能性を考えたものでは決してない。
前に、進化人類学者のジャレド・ダイアモンド博士が、ヒトが農業を始めてから数千年から一万年経ったというが、ヒトは農業に適したように未だ進化していないと言っていた。
国連は、世界の人口増加と、エネルギー資源や水資源の保全のためには、先進国を中心に人類は肉食をかなり減らさなくてはならないと提言を行なっている。
ヒトは、代を重ねてより農業に適した進化を遂げる必要が、まだまだあるのだ。
それは、不老不死で手に入れられるものではない。
この「もし不老不死が実現したら」という物語は、ストーリー自体や、死は生の一部という哲学的とも取れる問いかけの他に、もっといろいろ語りかけるものがあった気がする。
原作も読んでみようと思う。
かなり違和感を感じる死生観の物語
最初からかなりの違和感を。
主人公がどうして産んだばかりの子を見捨てることになったのか?
途中そのことが語られるんだけどその言葉がすごく薄く感じられました。なぜの十月十日なのか?なんかおもちゃを扱う様な言葉なので違和感を感じてしまいました。
そして意味不明なダンサーからの会社に就職するって何?
その上で仕事内容が死者をオブジェの様に保存する?
そのことに関して、社会が普通に認めているってことにどうしても違和感が抜けないままでした。
もし保存する(映画の内)社会であるなら、その社会であることを前もって説明しとかないとって感じです。
制作側はモノトーンからの死生観について語りたかったのかもしれませんが、どうしても起承転結の「起」「承」の部分にかなり違和感を覚え、作品として共感を感じませんでした。
全136件中、81~100件目を表示













