CUBE 一度入ったら、最後のレビュー・感想・評価
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【“ようこそ、死のラビリンスヘ・・”現代社会に蔓延る諸問題を中途半端に絡ませる事で、デカルト座標軸がブレまくってしまった作品。不条理な、”天誅”ムービーでもある。】
ー 敢えて、記す。
ヴィンチェンゾ・ナタリ監督の不条理極まりないオリジナル版は鑑賞している。
私は、オリジナル版の亜流を否定する事は決してしないが、今作はどうであっただろうか・・。ー
◆感想
・序盤は、良い。
だが、物語が進むにつれ、本作は”謎のキューブから脱出する”と言う本論から外れていく。
登場人物たちが抱える闇が、全面に出てくる辺りから。
それは、児童虐待であったり、弟を救えなかった過去であったり、コンビニのバイトで上司に苛められる権力への鬱屈であったり・・。
・だが、そのいずれもが、ハッキリと描かれないもどかしさ。
菅田将暉が演じる後藤位である。具体的な彼のトラウマが描かれているのは。
そして、部屋の入口に刻まれた数字を解読し、脱出を試みる面白さが、そぎ落とされてしまっている。
・何より、杏さん演じる甲斐が、常に冷静な表情でいる事。
ー ここで、分かってしまったのであるよ、私は・・。
全くもう!
嘘でも良いから、彼女の驚きの表情を映像として入れなよ、監督!ー
・徐々に狂気性を帯びていく、権力に鬱屈している男を演じた岡田さんは、ちょっと良かったかな。𠮷田鋼太郎さんも・・。
ー ”これは、何かの罰なのか!””はい、そうです・・。貴方がやってきた事への報いです・・”ー
・柄本さんは、あのシーンの為だけに登場したんだね・・。
・斎藤工さん演じる井出は、何をあんなに急いでいたのだろうか・・。
<エンドロールで、監修 ヴィンチェンゾ・ナタリ監督と出たから、彼は満足したのかなあ・・。
観ている側は、???を抱えて困惑するばかりであったよ。
面白いシーンもあったけどね。
柄本時生さんは、身体の真ん中をスクエアに切り取られるだけのご出演。
あと、個人的には、キチンと映画のフライヤーを作って欲しいです。
ネットでも事前に観る価値があるかどうか調べるけれど、フライヤーって映画情報の宝庫なんだよねえ・・。>
日本版もありかもー
邦画特有の「わざとらしさ」が萎える残念リメイク
「CUBE」は原作、2、ZEROと鑑賞済みで、今回日本版でリメイクされると聞いて期待半分・不安半分で映画館に足を運んだ。
もともと原作が素晴らしすぎたので、まず原作越えは無いだろうと予想しつつも、日本映画らしい良アレンジがあれば良いと思っていた。
しかし結果、日本映画の悪い部分ばかりが目立つ残念リメイクであった。
・キャラクターが安っぽい
原作では、閉じ込められた人間たちが最初は協調し合うも、徐々に狂気に呑まれて殺し合いに発展していく恐怖の重圧が凄まじかった。
また、一番主人公らしい人物が悪党に変わったり、頼もしい脱獄のプロが一瞬で死んだり、頼りない風に見えていた人物が重大な秘密や技能を持っていたと、キャラクターの顛末が予測不能なのが作品に大きな深みを持たせていた。
だが本作では、最初から険悪な奴らが案の定殺し合ったり、謎めいた雰囲気を出す人物がそのまま黒幕だったり、子供はやっぱり子供のままだったりと、あまりにキャラが台本通りすぎて驚きが皆無。
なので、誰が生き残るかどころか、誰がどういう役割を果たすかまですぐに見透かすことができ、ただキャラが決まった筋書きの上を走らされている感が顕著。
役者の演技力と個性は素晴らしいが、それがかえってわざとらしいフィクション感を強めてしまっている。
・ストーリーの流れが雑
キャラがわざとらしければ、ストーリーまでわざとらしい展開の連発。
「トラップ」によって強引に筋書き通りにキャラを動かしている感があり、非常に脚本がチープ。
例)
人の感情によって照明の色が変わる仕掛け ⇒シリアスなシーンは勝手に照明が赤くなるので「怖さ」が出る
過去のトラウマを映像化して精神的に追い込むトラップ ⇒極めて強引に主人公の過去が他人に明かされる展開に
グループを分断するトラップ ⇒仲が悪い方の奴らが案の定殺し合う展開に
誰かが書き残した建物の設計図を発見 ⇒都合よく謎が解明される
原作だと極めて自然に物語が運ばれていったのに対し、本作はトラップありきで強引に話が進む。
特に、部屋の色の感情連動システムは映画として便利すぎるだろと思ってしまった。
・残酷描写が非常に薄い
原作では、第一の犠牲者がサイコロステーキ化する衝撃的な開幕で、そこからも酸で顔面崩壊したり、移動する部屋の間に挟まれて真っ二つになったりとインパクトあるトラップや死にざまが目白押しだったが、本作は対象年齢の都合か、非常に残酷描写がマイルド。
絵面はCGを駆使しているので綺麗だが、死に方自体はレーザーで胸を一発貫かれて即死など、かなりあっさりで恐怖が全然伝わってこない。
特に、最初の犠牲者の死に方の改変が許しがたい。
クッキーの型抜きのような装置で胸の部分を四角くズコンッと抜かれて死ぬという、恐怖どころかギャグ一歩手前な死に方に変更されている。
・星野源の主題歌が合わなさすぎる
星野源の楽曲は好きだが、エンディングの展開と、陽気な曲調が全くあっていない。
本当に予告編の場違いな雰囲気そのままで、物語から完全に浮いている。
話題性重視で星野源を起用したのが見え見えで、しらけ気味だった気分をさらに落ち込ませてくれる。
(まとめ)
CUBEは大好きな映画だっただけに、とにかく文句ばかり浮かんでしまう出来だった。
否定的評価が多かったCUBE2やZEROを下回る完成度に思う。
邦画らしい「わざとらしさ」が全て悪い方向に作用してしまった残念リメイクであった。
韓国発のデスゲームドラマ『イカゲーム』が世界的に好評を博している矢先、「デスゲーム先進国」の日本がこんな粗末な劣化リメイクを発表していては、もう世界に対抗できるわけがないなと考えさせられてしまった。
柄本時生のサイコロステーキ。とりあえず素数と素因数分解の予習が必要?
リメイク権を獲得しただけでも大事件だったような気がするし、内容はともかく果敢に独自の脚本で攻めているところが良かった。そして、ラストに披露された星野源の書き下ろし主題歌がまた面白い歌詞だった。
予告編の段階から杏の台詞「あなたたち何者ですか?」が引っかかっていた。本編が始まってもそのモヤモヤした気持ちは変わらずでした。何者という問いは名前を尋ねるのじゃなく、職業や置かれた状況を訊く言葉だと思うので、名前を答えるのはおかしいと。でも、それがラストに活きていた。
オリジナルの『CUBE』(1997)では警官や医者など、謎を解くための伏線として職業が明確にされ、囚われた登場人物の行動パターンにも表れてていたし、拉致された経緯なども語られていた気がする。コンビニ店員である岡田将生や悪徳会社役員の吉田鋼太郎、そして中学生の千陽という設定は面白いのに、杏は謎のまま。「何者」と聞いておいて自分は語らないってのは何様のつもりなんだ!などと思ったけど、それもこれもラストのためだったのですね。
そして、最近の邦画らしくDVや自殺問題なんかを取り入れてるのも日本的でわかりやすいのかもしれません。残念なのは悪いことを散々やってきたという吉田鋼太郎のいつもの凄みが感じられなかったことや、菅田将暉のキャラが『アルキメデスの大戦』と被ってしまうこと。岡田将生の怪演は良かったけど。
オリジナルでは謎のまま終わったけど、今作では杏が重要人物。巨大なキューブ施設の管理者側の人間、もしくはアンドロイドなのだろう。なかなか面白いラストでした。
懺悔
一体なにを見せられたのか。
彼らの目的はなんだったんだろう。
主役級の役者を揃いも揃えて、、、
杏ちゃんが何かしら役割を持っているのは分かった。
原作もなにも知らないけど、全くもって意味のわからない映画でした。
つまらなかった。
突如、謎の部屋に閉じ込められた所なら物語が始まります。部屋の出口が6つあってハズレの出口はトラップが仕掛けられた部屋に繋がっていて間違うと死んでしまう。なので当たりの部屋から部屋に移動し続けて脱出しましょうという物語でした。
はっきり言って駄作です。
う~ん。
色々とヌルくなった現代日本風のリメイク
1998 年公開のカナダ映画のリメイクとあるが、設定だけを受け継いだような形で、物語はほとんどオリジナルである。カナダ版の監督が製作に協力しているらしい。カナダ版には2つの続編があるが、それらとは無関係である。私は原作のカナダ版を 23 年前の公開時に見ている。
ある日目覚めると、縦横高さそれぞれ 4.2m の立方体の中に置かれているという人物たちの物語である。統一された衣服と靴以外は何も持っていない状況であり、何故連れて来られたのかは不明である。お互いの名前も素性も知らない者たちが、協力し合って出口を探そうとするのだが、時々致死性のトラップが仕掛けられている部屋があり、それを避けながら進まなければならないという非常にストレスのかかる設定になっている。
部屋の構造は、立方体の6面全ての中心部に金属製のハッチがあって、隣室との出入りが可能であるが、上下の移動は重力の影響を受けるために容易ではない。また、場合によってはハッチが開かない場合もある。こうしたキューブが3軸方向にそれぞれ 26 室ずつつ繋がっているので、部屋の総数は 17,576 室もあることになる。また、不定期に部屋が移動する場合がある。このため、各軸とも1列分の空間が余分に必要となり、建物の全体は、1辺が 4.2 × 27 = 113.4m もある巨大な立方体になっている。
隣の部屋へ移る際に通過する窓には3個の数値がプレートとして貼ってあり、その中に素数があれば隣室にはトラップが待ち受けているというルールなのだが、部屋の移動が起こってしまうと隣室の関係は崩れてしまうので、車の走行距離計のような可動式の表示器を使わなければならないはずである。また、原作では素数の冪乗の部屋にもトラップがあるため、素因数分解を素早く行う能力が必須になっていたのだが、本作では冪乗までは対象にしていない。
原作ではトラップの種類も多様で、使われているセンサは、音声以外にも加圧、振動、接触、物質などがあり、アクチュエータには刃物の他に強酸や炎なども出て来たのだが、本作ではかなり機能が低下した印象を受けた。逆に、中の人物の感情に呼応したトラップがあったのには新規性を感じた。徐々に明かされる各人物の抱えた事情も独特で、家庭内の DV が大きく取り上げられているのは時代を反映したものであろうか。
大きなキューブを一つ作ってしまえばほぼ舞台が完成するので、非常に安上がりに作れる一方で、背景や人物の見た目に変化がない分、演技力が求められることになる。出演者たちはそれなりに頑張っていたが、中年男性が吉田鋼太郎しかいなかったためであろうか、菅田将暉の家の DV 父親の声だけの出演を吉田が兼務していたため、菅田と吉田が親子なのかという無用な誤解を生じていた気がした。
音楽は劇中のものは素晴らしかったが、エンドロールで流れて来た星野源の歌の出来が悪く、映画の余韻を台無しにしてくれたので腹が立った。演出は原作に比べてかなりマイルドになっていて、もっと冷徹で容赦ないトラップの見せ方を工夫した方が良かったのではないかと思った。
そもそも、立方体はあまりにも幾何学的で、非人間性の象徴であり、調和を表す円や球、人間の姿などとは対極にある。原作版では画面が常にこの人工的な空間にあることを意識させた演出が徹底していたのだが、本作は凡庸なバストショットが多く、空間的な異質さが強調されていなかった。人が犠牲になる場合も、原作版では体全体が立方体に刻まれたり、酸で溶かされたりと、人間の形を失いながら死んでいくのに対し、本作では体が切り抜かれたり打ち抜かれたりはするものの、原型を保ちながら死亡しており、テーマ性が薄れているのが非常に物足りなかった。
(映像5+脚本3+役者4+音楽4+演出3)×4= 76 点
そうきたか❗️というより、なんでそうなるの❓
杏さんは多才な人で、『杏のふむふむ』というとても洒脱なエッセイも書かれておられます(ちくま文庫の解説はなんと村上春樹さん‼️)
洒脱…俗っぽくなく、さわやかで洗練されて巧みなこと。 そのさま。
その杏さんが、この映画を見てコラムを書けと依頼されたら、さぞお困りのこととお察しします。
(杏のウムム…⁉︎ になっちゃいますね)
装置や構造などの再現はまぁ及第点だと思いますが、人物造形やそれぞれが心に抱える闇(というほど深くもない)が俗っぽい。しかも、説明的回想の内容や再現方法にリアリティがない。仄めかし方もかなり雑で安直。
最年長のあの人も手練手管に長けた世渡り上手な人とは思えない軽率さ。あの状況で狡猾に生き残ろうと思ったら、若者の栄誉心と犠牲的精神を煽って(要は、おだてて、ということです)、巧みに自分より先にリスクを取らせ、なるべく自分は安全性を確認してから移動できる状況を作る、というのが体力の劣る中高年の最適解のはず。
いっそ、高潔な人物にして、死ぬのは年寄りだけで十分、なんて言わせて泣きの感動を誘ったほうが良かったかもしれません。
せっかく、このタイミングでリメイクするチャンスを得たのなら、もっとスタイリッシュにテンポよく、そうきたか❗️と唸らせて欲しかったです。
CUBE
という舞台装置とは、相性の悪い中途半端な人間属性を雑に挟んだことで、洗練さとは程遠い、とても残念な映画になってしまいました。
今の邦画の縮図
面白くない
何を伝えたい?
展開なく飽きた
息を呑む
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