ファーザーのレビュー・感想・評価
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本年度の米国アカデミー賞2部門受賞。受賞したのは、最優秀主演男優賞...
本年度の米国アカデミー賞2部門受賞。受賞したのは、最優秀主演男優賞と脚色賞。もとは本作の監督フロリアン・ゼレールによる舞台劇のようです。
英国ロンドンのフラットでひとり暮らしをしているアンソニー(アンソニー・ホプキンス)。
認知症の傾向があり、何かあると長姉アン(オリヴィア・コールマン)が駆けつける。
その日も、介護人アンジェラとトラブルを起こし、アンソニーが勝手に解雇したのだ。
理由は、愛用している腕時計を盗んだからだという。
しかし、腕時計は自室のサイドテーブルの上にあり、そんないざこざがあったことをアンソニーは忘れて、腕時計をハメて自室から出てくる・・・
といったところからはじまる話で、認知症を、認知症を患っている本人側から描いた映画で、とにかく、観ている方は何が起こっているか混乱する。
知らないうちに、部屋の中に見知らぬ他人(マーク・ゲイティス)がいる・・・
見知らぬ他人はアンの夫だというが、そういった矢先、別人(ルーファス・シーウェル)になっている・・・
夕食のディナーを買いに行き、戻った長姉アンは別人の顔(オリヴィア・ウィリアムズ)をしている・・・
新しい介護人(イモージェン・プーツ)は、次妹ルーシーにそっくりだ・・・
などなど。
認知症は記憶に関する脳の機能に障害があらわれる病気であるが、記憶機能は3つに分けられる。
記憶すべき情報の入力、情報の蓄え(時系列や場所などで整理される)、情報の引き出し(時間的要素を伴って引き出される)の3つ。
アンソニーは、そのいずれもに障害を得ているようで、結果として、時間や場所が混乱し、いまみている人物の顔すら認識できなくなっている。
さて、本作と同じような手法で描かれた映画としては、クリストファー・ノーラン監督『メメント』があるが、あちらはサスペンスミステリーというジャンル映画であるから、最終的には落としどころがある。
が、こちらはサスペンス的な手法で描かれているものの、落としどころはない。
強いてあげれば、最終的にアンソニーが記憶している事柄は、幼少期の事柄、子ども時分の記憶と感情、ということになろう。
「おかあさんは目の大きなひとだった・・・」
これがこの映画でのキーワードで、アンソニーからみた世界はこの映画で描かれるとおりなのだが、客観的な事柄を探る手がかりになっている。
このキーワードをもとに、隠された謎解きをすると・・・
観客がみているアン(すなわち、オリヴィア・コールマン)は、アンソニーの母親の姿。
(これは、サイドテーブルに置かれているアンソニーとふたりの娘の記念写真のうち、背の低い方はイモージェン・プーツに似ているが、背の高い方はオリヴィア・コールマンに似ていない、どちらかというとオリヴィア・ウィリアムズに似ていることからもさすることが出来る)
そしてもうひとつ、話によると次妹ルーシーが事故で死んだことになっているが、実際にはどちらが事故で死んだかがわからない。
(これは、ルーシーは父親のことを「リトル・ダディ」と呼んでいた、ということが語られるが、映画後半ではオリヴィア・コールマンが「リトル・ダディ」と呼んでいる)
さらに付け加えるならば、映画の冒頭からアンソニーは自分のフラットにいない・・・
まぁ、こんな謎解きめいたことをするのはこの映画の本旨ではないだろうが、やはり気になってしまいます。
そして、どのような客観的現実が、自身の現実にみえるのか・・・
そこいらあたりが、気になって気になって。
脚色は、監督のフロリアン・ゼレールほかに、『危険なメソッド』『つぐない』『愛の落日』『危険な関係(1988)』のクリストファー・ハンプトン。さすがに上手い。
背後
「ノマドランド」や「ミナリ」と今年のアカデミー賞受賞作品は自分にはあまりハマらず、アカデミー賞ってこんなもんだっけ?と思っていた中で、当初は観る予定の無かった今作。はっきり言ってしまうのはアレなんですが、認知症は当人に自覚は無いし、関わる人物はイライラしてしまう、それが観客側にも伝わって楽しめないのではないかと思っていました。
観に行こうと思ったきっかけはYouTubeで動画投稿をされている茶一郎さんの生放送で語られた今作が「怖い」という一言だけで観に行く気になりました。
そんな中観た今作、今までで観たことない作品でした。認知症の人物を客観的に描くのかなと思ったのですが、主人公・アンソニーの主観的に描かれるという斬新なスタイルにまず驚きました。
物語は殆ど"家"の中で描かれます。あまり動きがない今作ですが、「TENET」ばりに混乱させられました。アンソニー視点で物語が進むのでどれが間違いで、どれが正しいのかが分からず行ったり来たりを繰り返します。でも物語からに惹きつけられているので、こんな楽しい映画の後戻りは許されませんでした。
アンソニーが突然頑固親父からコミカル親父になった瞬間笑ってしまいました。演技とはいえ人が全然違うじゃないか!とアンソニー・ホプキンスの演技力に圧倒されました。
ラストで明かされるアンソニーは最初から老人ホームにおり、そこまでの物語が全て幻想ということが明かされます。薄々そんな感じじゃないかなとは思っていましたが、いざ明かされると悲しい気持ちになります。将来自分がこうなるのではないか…という恐怖にも細悩まれました。
人生というものを考えさせてくれる映画でした。とても面白かったです。
鑑賞日 5/17
鑑賞時間 17:10〜18:55
座席 G-13
ʕ•ᴥ•ʔ随分と思い切った映画
アンソニーホプキンスといえば『羊たちの沈黙』のレクター博士なのでしょうが、私の場合『遠すぎた橋』戦争映画です。粘りに粘ってドイツ軍と闘う空挺師団の隊長!かっこよかったなぁ。
本作、随分と思い切った映画だと思いました。
アンソニーホプキンス演じる認知症の老人から見える世界を描いた映画。
アンソニーの演技は怪演なのは予想できましたし、実に見事でした。ウチの90歳の父親そのもので少し怖くなりました。あの人を見下した笑いはウチの父親です。アカデミー賞も当然のことなのでしょうね。
この映画、何が凄いかって内容とかストーリーがないところなのでしょう。
認知症の老人から見た世界は記憶が交錯しストーリーすら結べない熾烈なものなのでしょうね。記憶が曖昧なので個人を特定できない世界、、、、いかに認知症の患者が孤独であるかを痛感します。
アンソニーホプキンスの怪演とストーリーが最後までない展開がこの映画の面白みであり、観客を当事者目線へ誘うのでしょう。凄いと思った。
コロナ禍で上映館が限られてます。非常に残念。
アカデミー賞にノミネートした作品だったので、きっと良作なのだろうと...
アカデミー賞にノミネートした作品だったので、きっと良作なのだろうと期待していたが、それほどではなかった。
映画は退屈であった。
認知症を患った老人の頭の中は、もしかしたらこうなってしまってるのかもなぁと思った。が、観客の沢山の方が混乱したのではなかろうか。私は何がなにやらで、どういうオチに繋がるのかなと、答えを知りたくて時間が早く進まないものかと、そう思いながら鑑賞していた。
アンソニーには娘のアンがいるが、この映画では二人のアンが現れる。それぞれに夫がいる。どっちが本物の娘なのか。
映画はずっとアンソニーの自宅で進むので制作費は安そうだ。盛り上がることはないから、アンソニーが窓から外を覗くシーンでは、ゴルゴ31のようなスナイパーが現れて、射殺でもして映画を終わらせてくれないものだろうかと期待したが、叶わなかった。
始めのうちは、アンソニーの記憶はちゃんとしてるのではないか?と思えていたが、最後に病室に場面展開して、アンソニーが記憶に障害があることが分かった。そして、二人のアンのうち、1人は病院の医者であることが分かった。
頭の中はSFホラー
認知症を患っている老人アンソニーから見た世界。普通なら介護する側や家族の目線を取り入れてわかりやすく描くのに、これほどまでに患者の目線で描かれた認知症作品は珍しい。
娘のアン(コールマン)は序盤から登場するのですが、次のシーンで娘と名乗る女性はまったくの別人だったり、見知らぬ男の存在によって人間関係さえ把握するのが難しくなってくる。観客さえも混乱に陥ってしまいそうになるが、これが認知症患者の頭の中。「あんたは誰?」という言葉は家族にとってもショッキングなものだ。自分の経験でも伯母や母親から「誰じゃ?」と言われたり、間違った人の名前で呼ばれた経験あり。
周囲の人間もそうだけど、患者本人にとっては相当な恐怖になろう。何しろ見知らぬ人間が家の中でくつろいでるんだから。アンソニー・ホプキンスの演技は素晴らしいし、その目線で進む映像がとてもいい。本人にしてみたら、ホラーかタイムスリップ作品のように思えるだろうし、そうなったら頼れる人もいなくなる。そんな混乱した頭の中をこの映画は見せてくれているのです。
「認知症患者は、周囲の苦労に比べて本人は幸せだ」と言ってた人がいるけど、時間の記憶を失くしたり、知らない人が現れるという恐怖は絶対にある。多分、ある時期を過ぎれば平穏になるのだろうけど、苦しい期間は確実にあると思う。腕時計にこだわりを見せる伏線もあり、本人の苦しい時期を描いた良作だと感じたものの、患者特有の残虐性、暴力性、または下の方のネタがまったくなかったことでちょっとだけ不満だった。
老いとは寂しい、悲しい
人は誰でも歳をとり、老いてしまう。
本人、その周りの愛する家族にとって悲しく、つらい。
何にも悪いことなどしてないのに…
この映画は介護で苦しんでる人に見てほしい。記憶がわからなくなる人の視点で撮られていから、最初僕もなんだか場面がおかしくなって、なんだこれと思った。ただ、これがその人の頭の中なんだと思うと苦しく思う。
アンソニーホプキンスはさすがアカデミー賞主演男優賞取るだけの演技だ。なんか演技ではないみたい。
最後の介護士とのやり取り、お母さんのことをいいだしながら、泣き崩れるところがたまらない。
違う視点から描いた作品
この様な視点での作り方もあるんだなって思わせてくれた作品です。
視点を主人公に置くことで時間軸がハッキリしないことや、実際に言われた言葉なのか?それとも自身が想像で作った言葉なのか?そして誰(顔)なのか?が入り組んでて分かりづらく感じます。
そのため物語の絡まった糸を解くこと(取捨選択)や語りが主人公よりの視点のため、登場人物への共感を感じつつ観るってことへの妨げになってるかもしれません。
観る前に認知症の主人公の視点より描いた作品である事を知ってから観た方が良いです。
ホラーですかね?予備知識ゼロで観た方が面白いよ。オスカーがどうのとか関係ない
これはホラーですかね?
ジャケ写の雰囲気『家族愛やら感動やら』とあまりに解離している。
最後の方まで、何となく『顔のない鑑定士』のような話かなと。
でも、ホプキンスはそんなに資産家でも無さそうだしなあ〜。
さあ、薬を飲みましょうと笑顔で皆に言われる度に、実はサスペンスか?このクスリは認知症を遅らせるクスリじゃなく、実は‥。?
正直、怖い。
ホプキンス以外が着ている服のカラーが青だったり、白だったり、オレンジだったり。
娘と名乗る女がまだ青い服を着ていて、時が経ってるように見えて実は同じ時間、同じシチュエーションをグルグル。その繰り返し。
そして、いつになったらチキンがテーブルに乗るのか?
気になりました。
この時系列のグチャグチャ、同じことのグルグル。ホプキンスの台詞や不穏なアリアが頭に響いて、観てると疲れてきます。
でもやはり、一体どういう話なのか?その一点だけでラストまで引っ張って行きます。
確かにホプキンスは時計に強い拘りがあったり、認知症なんだろうなと私も感じる。
認知症の人と関わっている人達から見た認知症の人の頭の中は人間がこんなふうに、ホラーサスペンスみたいに見えたり、疑心暗鬼になったり、暴力を振るわれたり、怖かったりするのかも知れないと【想像】して描いた作品なのでしょう。
いや、けど、もしかしたら解らない。実は『本当に』あの夫と名乗っていた男に何度も殴られて恐怖を感じたり、暴言があったり、娘に首を締められたり、したのかも知れない。
そこは認知症の人が決して治らないからこそ、永遠に解らないわけで。
で、認知症の人の言うことは誰も信じてはくれない。誰も信じてくれないと言う恐怖も、気付かれないように描いている。
オレンジ色の服を序盤に着ていた介護人がラストにまた出てきます。
そしてチラッと部屋に来た例の男の微笑みも。
怖い。
若い訪問介護人の娘=亡くなったルーシー
中年の介護人=お母さん
そして、人間はとことん怖い目に合うと過去や、自分を無条件に愛してくれた人に助けて欲しくなるものなのかもしれない。
けどホプキンスって、ずーっと昔から何故かいつも年寄りのイメージがあります。何でかな?
何かこの人とホロヴィッツがカブるよ。
(どちらも鼻につく)。
しかし、ワタシもGOLDマークの『pro』と表示したいですよ。
共通点は前置きか長い。
いくらやれアカデミーとった、やれ怪演だなんだ・あらすじ・こんな監督でぇ‥‥。
もう、ウンザリするほど長くて(そんなもの書いてくれなくても、今のご時世ネット検索すれば一発よ)も、GOLDマークに踊らされて読む人いるんだから。
何より文章が長い割に、殆ど改行されてない人の頭の中はやはりグチャグチャで整理されてないんじゃないか?と。(余計なお世話だけど)。
未だにキネ旬の順位で映画観てる化石人と変わらんよ。
読売の夕刊映画コーナーのフリーライターのが字数決まってて賃金もらって書いてる分、文章が簡潔でずっと心に響いてたわさ。
タップダンスの後がいけない
物盗られ妄想の親を介護した人にはつらすぎる映画。
ひねりなし。
アカデミー主演男優賞のアンソニー・ホプキンス渾身の演技と来たら見ないわけにはいかないわと思うけど、う~ん?でした。
映画を見て何か学ぶことがあればいいけど、この映画は老親の介護をした人には辛すぎるし、その経験のない人には刺さらない映画だと思いました。
アカデミー賞はやっぱ信じたらダメですね。
もちろん、アンソニー・ホプキンスにはなんの罪はありませんが、彼からしたら、こんなんでいいの?そんじゃ、いくらでもやるよみたいな映画でした。
アン役のオリビア・コールマンの悲しさには同情できるし、パリに逃げちゃうのはあんまりだけど、解る。
アンが若年性アルツハイマーになっていて、実はアンの妄想世界だったというオチならすごい映画だな~と思ってずっと観ていたのですが、ストレートなオチで肩透かしされたような感じでした。
最近見たばかりのビバリウムの女優さんが事故でなくなった娘に似ているヘルパーさんであることに気が付かなかったアタシはもう立派な認知症予備軍であることを自覚したのであります😫
今後ともこの映画サイトの皆さんの暖かいご支援を切に願うのでございます。
しかし、今回のアカデミー賞はノマドランドといい、高齢者いじめ?
コロナでみんな参っているのにね~ セレブの人達の感覚はわかりません。
楽しい映画を所望している人にはオススメできません!
認知症にはならないで、イモージェン・プーツみたいなヘルパーさんのお世話になりたいカールさんでございます。
あら、カールさん、今朝はまっ白いブリーフにヤらしい染みが・・・
あたくしがカール様の長寿を祈願いたしまして、特別なサービスをしてさしあげますわ。
いやいや、お恥ずかしい。そのようなお気遣いはご無用。拙者、武士は食わねど高楊枝をモットーとしておる。
そんな~ガマンは身体に毒ですよ。
。゚(゚^∀^゚)゚。
この映画のように親切な介護人の気分を害するような憎たらしいジジイになってはいかん。
ボケても好かれる老人にならなくちゃ。
これは認知症の親を抱えた家族の物語ではなく、認知症になった“あなた”の物語。
①意識が混濁している父親の視点(知覚?)から物語を紡いでいる点が斬新。映画のラストでそれまで描かれたことが全て父親の混濁した記憶と知覚との産物だったことがわかるのも秀逸。②時間も場所もゴッチャになってしまった世界に生きている主人公の父親が、おかしいのは自分なのに周りがおかしいと思い込む認知症の描き方のリアルさ。③アンソニー・ホプキンズの演技力からすれば当然の成果だと思うが、幼児逆行してしまった時の演技には舌を巻いてしまった。④名女優オリヴィア・コールマンも、父親の幻覚の中の娘と現実の娘とを両方的確に描き出す演技力で映画に安定感をもたらしている。
AnthonyによるAnthonyの演技は100点
認知症における『徘徊』は無目的にさまよっている訳ではなく、認知機能が低下するので迷ってしまうのだそうです。
カメラは第三者の視点ですが、見ているもの・聞いているものは、Anthonyのそれであることが、徐々にわかってきます。いわゆる、信頼できない語り手と言う奴です。これをサスペンスよりにすると、シャッターアイランドになりますが、サスペンスでもコメディでもなく作ってあるので途中まで良くわかりません。それがこの作品の味といえばそうなのですが、誰もが見て面白い訳では無いでしょう。半眠でみた、ジェントルメンと同じくらい、注意してみないとわからなくなるかもしれません。
アンソニーホプキンスの演技はさすが、オスカーをとるくらいです。仕事のうえ認知症の方には日頃接していますが、瞼をしばしばしながら喋るところは全くそのままです。役作りはしないほうが良いと言っているので、既に認知症になっているかの様です。
細かい疑問が2つ。生ゴミと割れたマグカップを同じゴミ箱に捨ててました。ロンドンのゴミの分別はどうなっているのでしょう?Anthonyのヘッドフォンのコードが右から出ています。おそらく、左右のチャンネルが逆だと思います。エンジニアで几帳面そうなのでそこは間違えないでしょう。おそらく、映像としてあの向きになったんじゃ無いかな。
この作品を見て、観客に何を考えるべきかははっきり語られません。ケン・ローチの映画を見たことがあると、同じイギリスなのにお金がある人はとりあえず人に任せられて良いよね、とも思ってしまいます。監督が語りたいことを語っていたい気がしたので、マイナス1にしました。
もし自分が認知症になったら見える世界
登場人物が、同じ名前で顔が変わったり
自分の家のはずなのに誰か普通に住んでるし
この前聞いた話がもう変わってたり。。
これ、普通にこの状況を味わうのが
本当に認知症の人の感じる世界だとしたら辛すぎる。。
そして周りの人、家族、子ども、その伴侶、ヘルパーさんとかも皆が辛い気持ちになってしまう。
やはり認知がかなり進んでいてでも体力はわりとある高齢者に対して、娘とかの家族だけで対応するには限界がある、と思い知らされました。
別に娘とかに迷惑かけようだなんてこれっぽっちも思ってないのに、結果的に、本人は普通に生活してるだけのはずがいつの間にか迷惑をかけている。。
自分が認知症になった時に、認知症である自覚は無いんでしょうけど、なるべく迷惑かけずにいたい、と思いました。
枯葉
見当識障害の恐怖を半径5メートルで描く傑作ホラー
時空が歪んだ世界に放り込まれる戦慄と混乱
抵抗をやめ幼な子の様に悲嘆する爺を優しく包むラストカットは秀逸
美談風のビジュアルに誘われ観に来た年配の映画ファン(平日昼ル・シネマ)の心情に思いを馳せ涙
さすがのアンソニーホプキンス
葉っぱが全て散ってしまった、といったような台詞が終わりの方で出てくるが、ラストシーンは青々とした美しい木々と青空で終わる、このコントラストが美しい。
四季のある日本では、季節や植物の芽吹きや枯れることを人の若さや老いに例えるけれど、記憶を亡くし命を亡くして、土に還ると木々の栄養にもなるという自然の摂理を思う。
何が何だか分からなくなる、認知症という悲しみは、死の恐怖を除くために起こるのか、果たして何なのか。
幸い私は両親義両親ともにまだ元気だが、先々こんなことが起きたらと、想像するのを止められなかった。
変わるがわる訪れる少しずつ違うシチュエーションに、果たしてどれが真実か等と考えて観てしまっていたが、その全ては施設で抱いた幻想であったというせつなさ。
あんなに嫌がっていた介護人をママと言って泣くその姿に、老いの悲しみを感じてしまった。
介護の現場などで働く人や、誰かの介護をしたことのある人からしたら、甘くて滑稽かもしれないが、とても、せつなくて、悲しくて、でも温かい、そんな作品でした。
すっごい映画でした。納得の主演男優賞
日本でも認知症の父親とその家族を描く人間ドラマは制作されている。
例えば中野量太監督の「長いお別れ」は山崎努さんが演じる認知症の父親を見守っていく家族の姿を描いてた。
介護する家族側の視点からみた映画はみたことがあるけれど、本人側の視点から描いた映画をみるのは私は初めてで引き込まれた。
映画が始まるといきなり味わうモヤモヤした違和感。
アンソニーと娘アンのチグハグな会話やいきなり現れる見知らぬ男。
誰が誰だか、ここは何処だか、何が何だか分からない。
父親の視点から描くことで認知症を観客に擬似体験さていく脚本。
繰り返されるのは…時計はどこか、ここはどこか、キミは誰か、パリでは英語を喋らない、記憶と時間の混迷を表すのだろう。
現実と幻想の境界が曖昧になっていくアンソニーは過去へ幼い頃へと向かっている気がした。
認知症のゴールは退行現象なのだろう。
描かない彼のラストは母親のお腹に帰るということなのかもしれない。
…そう言いながら他人事じゃない。
自分がアンの立場やアンソニーの立場に立つ日が来るかもしれない未来を考えながら劇場を出た。
女王陛下じゃないオリビア・コールマンの好演。
そして名優アンソニー・ホプキンスが名優たる理由がよくわかった映画。
どうしても羊たちのイメージが強かったのだけれど本作の演技も拍手もの。
納得のアカデミー賞主演男優賞!
なにがなんだか分からない…
予告で描かれている通り主人公のアンソニー演じるA.ホプキンスが認知症に苦しむ作品である。ただこの作品の特徴的なのはアンソニーの認知症を第三者視点で描かれるのでなくアンソニー視点で描かれている。その為観客であるこちらも何が何だかわからないシーンが中盤は続く。分からないシーンに対して理解しようと強く進むと逆に沼にハマってしまい訳が分からなくなる。
最後のシーンでアンソニーは数週間前から施設に入り生活をしている真実が伝えられる。
そこで観客側もそしてアンソニー自身もこれまで描かれていた出来事の殆どが幻想だという事を知る事となる。
そこでアンソニー自身が自分の病気を強く気づいてしまい「なにがなんだか分からない」と泣き崩れる。このシーンはとてもグッと来るシーンでありこちらも自然と涙した。
この最後の「なにがなんだか分からない」というアンソニーと同じ気持ちを非常に共感できるからこそ僕自身も涙したのだが、この作品はこの最後の言葉の為に冒頭から描かれていた事を強く実感され感心させられた。
第三者から視点から見る認知症患者の作品はこれまでいくつか見てきたが認知症患者視点の作品は新鮮味がある。
第三者から認知症患者を見ると可哀想だとか理解してあげようとする気持ちが強く芽生えるが、患者視点でみるとそういう事よりも不安や絶望感が強く抱き没入すればするほどこちらもソワソワした不安感を強く抱いてしまう。
僕の亡くなった祖父なんかも最後の方は物忘れはそれなりにあったがこういう作品を見ると認知症にならず最期を迎えることは本人そして周囲にとってはとても幸せな事だったと実感させられる。
ただ自分自身そして両親をはじめまだまだ先の話とはいえこれから老後を迎えるのは避けて通らない道である。
認知症に限らず人は老いれば物忘れは多かれ少なかれ通る道である。
そんな時にこの作品を見たことを思い出すことになるだろう。そんな時をもし迎えてしまった時にはじめて迎えるのと、作品を通して擬似体験し迎えるのでは一歩目が大きく違うのではないか。
そんな事をしみじみ感じさせてくれる作品であると同時にA.ホプキンスの見事な演技に魅了された。個人的には今年見た作品の中でベストクラスに心に響く作品であった。
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