ファーザーのレビュー・感想・評価
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恐ろしい映画だった。
タイトルなし
「わからない」ことの怖さ
今年71本目(合計136本目)。 ※70本目と71本目は鑑賞日が違います。
さて、こちら。大阪市ではコロナ事情で、遅れ放映で、他に押している状況ですでに放映回数も少なめになっている状況。
多くの方が書かれている通り、認知症を患った父親目線でのお話。そのため、ストーリーは「その意味で」支離滅裂で、また、その認知症をケアする家族や関係者から見た目線でも、「その意味でも」支離滅裂です。認知症そのものは今では多くの方が知っているメジャーな病気ですが、それが進むと、本当に手の付けられない状況になります。とはいえ、だからといって、そうなったら老人施設か何かに入れておけばいいのかというと、それもまた考え方は分かれます。施設で見てもらう分には、設備の整った専門の方のケアが受けられますが、余命が短いことがわかっている場合、あえて施設に頼らず、家族と最低限の外部のケア(看護師さんとか、ヘルパーさんとか)だけで余命を…ということも考えられるからです。
この映画は、「この意味において」理解が難しい内容です。ただ、その趣旨は、当然「認知症になると、本人や家族はどうなるのか」という問題提起にある点は明らかで、ストーリーの中でもその点、支離滅裂になる点は前提とした上で、理解不能にならないようにケアが入っています。
特に減点材料とするべき点もないので、フルスコアにしました。
実際、認知症を患っても、イギリスにお住まいとの設定で、「言語が支離滅裂になる」ということはないのですね(単語を忘れる、同じような文の言い回しになる、といったことは想定可能な設定だが、それが読み取れる内容は一切出てこない。むしろ、この点に限っていえば、「認知症を患っても、国語能力は残る(場合がある)どころか、何らの衰えもなく議論するほどに会話が可能」という例で(もっとも、実話ものでもないようですが)、その点は理解できるので(言語といったことは、日常生活で使うことなので、衰えても全く使えないということは起きにくいが、簡単な算数や理科でも、日常使わないものになると、やっぱりわからない、ということは容易に想定可能)、特に気にしませんでした(むしろ、言語関係は衰えない(場合がある)」という描写は、誤った知識を植え付けないようにしている点で評価しました(おそらく、この点は何らか監修を受けているのだと思います)。
自分という概念の喪失。
終始大混乱で鑑賞。ほぼ頭の中がぐちゃぐちゃでした。誰が実在の人物で誰がアンソニーの見ている幻覚なのか。誰の言葉が真実で誰の言葉が妄想なのか。その答えが見つからないまま時間だけが過ぎてゆく。まさにアンソニー同様今、何時だ?と聞きたくなってしまうような気分だった。
そしてこの何が何だか訳が分からない感覚こそが最大のテーマであり見所でもある。認知症を発症したアンソニーの視点から描かれる日々を私たち観客も疑似体験することになる。
壁に飾られた絵画。盗まれた腕時計。繰り返される出来事。噛み合わない娘アンとの会話。何かがおかしい。でも何がおかしいのか分からない。認知症は劇的に改善することはない。それ故そちら側の世界の詳細を体験者から知ることはできない。それなのにこの妙にリアルな体験はなんだろう。
父親の変化を何とか理解しなくてはともがくアン。その葛藤や絶望感はいつの日か私自身が抱える問題かもしれない。更に言えば自分が認知症にならないなんて言い切ることは誰にもできない。
自分という概念の喪失。これ以上の恐怖はこの世にないかもしれない。
アンソニーの涙
自分や家族、身近な人とのこれからを考える作品
「わからない」ことはホラー
「わからない」って言うのは本当に怖い。この映画は、認知症を患った本人の視点で描かれているため、見ている私たちも彼の立場で体験することになる。本当に訳がわからない。誰?どこ?何が起こっている?今何時?全部わからない。そりゃパニックになるよ…。自分の大切な人が患ったとき、本人の辛さを理解してあげられる人になりたい。
目を覆ってしまったことに後悔…認知症のもどかしさを淡々と描く良作
映画を観ていると、いつも正解を探してしまう。どうも分からなかった気でいたのだが、あの混沌こそ一つの答えだと気づいた時、この作品の真髄を知ることになる。
認知症の父と介抱する娘。次第にこじれていった関係は元に戻せなさそうだ。そこを取り繕う奇跡の話でもなければ、非情なサスペンスを描くわけでもない。そう、ただ老いていく父を無情にも噛みしめるしかないのだ。しかし、この作品が一線を画しているのは、父の目線が自然な形で入ってくるということだ。そこに見る混乱こそ、認知症の父の視点であり、認知症の恐怖である。単なる頑固おやじなら話はこじれないだろう。「自分はしっかりしている、大丈夫」と思い込める世界が広がっているから怖いのである。まだ大学生である故、痛みから逃げることが出来るから、そうハマらなかったのかもしれないが、その事実に目を覆ってしまえたからハマらなかった気がする。目をつむるのはいつだって簡単。これは反省だ…。
とにかく認知症の恐怖がそこにある。蝕むような。しっかりしていた人でもこうなるのだから、認知症がいかに恐ろしいか分かる1本。
あなたは見たレビューを半分覚えている
混濁していく認識を描く
舞台を映画化すると、舞台セットを反映させることが多く、それにステージとしての物理的な狭苦しさを感じてしまうこともあるが、本作では映画になることで混乱する様がより効果的描かれている。カメラのパンや編集のカットで、観客も惑わされる。
認証症の人を二人見取ったことがあるが、付き合っているといくつも不思議なことが出てきて、あれはどういうことだったのだろうと思うことがあった。それはつまりそういうことだったのか?と答えになるものがいくつか描かれていた。特に人がわからなくなる様子が興味深かった。
それとイギリス人だと最後まで一人で生きていくことを望むのかと思っていたが、あの状態になると出てくるセリフが聞き馴染みあるもので、同じなんだなと感慨深かった。
アンソニー ホプキンスの存在感
認知症の父と娘とその家族の話であるが、父親から見た現実(と思っている)と、実際の現実。
いくつかの繋がり合うシーンがあるが、それぞれが辻褄が合うようであり、また合わないようでもある。虚構と現実を行ったり来たりしているようでもある。
父親の視点のみで描かれているのではないので、見ている方は混乱してしまう。何が現実なのか。
認知症を扱うドキュメンタリーや映画はあるが、今回は、「映画」としての表現が独特であり、見る者は自らの実体験と照らし合わし、それぞれ感じ方は違うのだろうと思った。
私も同様の経験があるが、この映画はいまいち響いてこなかった。一方で、自分がこの父親の年齢に近づき、このような事に自分がならないとも限らず、複雑な気持ちであった。
自分には難しい作為品
作品の質と言われると、とても上質な作品です。今がどこにあるのか分からず錯覚する感覚を堪能することができると思います。また、他の口コミを観ても分かるかと思いますが、アンソニーホプキンスの演技力には圧倒されます。それだけのために観る価値を感じられる演技力です。
観る人が観ればいい映画なのかもしれませんが、私にとって“いい映画”ではありませんでした。作品のメッセージ性、近い将来自分に起こりうる世界を体験できるような映画ではありました。実際に認知症になってみなければ分からない視点。分からないから“こう見えるんだろう”という予測で映画を作ることはいいと思います。でも、事実が分からないものだからこそ最後にもう少し監督なりの答えを貰えれば、観ている側も腑に落ちて終わることができたんじゃないかと感じました。所々でアンソニー目線ではない、娘アンの視点が交えていますが、時系列はアンソニーの目線で進行していくことが気持ち悪かったです。アンに対して悲観的になる隙を与えないスピード感。感動もしないし、感激もしない。終わった後に観きった達成感もありません。口コミが思いのほかいいものが多く期待して観てしまったせいなのかもしれませんが、この映画を観て第一声に面白かったね。と言うことは無いけれど、観て数日経った今も何か残るものは在ります。
認知症疑似体験
高い演技力、計算された脚本・演出
アンソニー・ホプキンスの演技もさることながら、何よりも脚本が素晴らしい!
少ない出演者とほぼ室内だけで展開される本作は、ホプキンスの一人芝居のようであり、まるでワンカットで撮られた映画であるような錯覚に陥ります。老人が部屋を出入りするだけで観客も虚構と現実の歪んだ時間に引きずり込まれ、老人の脳内を疑似体験させられてしまう見事な脚本と演出。衣装一つにも計算された仕掛けが施され、特に娘の着る鮮やかな青色の服が効果的だったなと思いました。
故・橋本忍の著書の中に「脚本は映画の設計図」という記載がありましたが、まさにこの様な映画のことを言うのでしょう。
観客は混乱するが、決して難解で退屈な映画ではありません。ラストではホームに入所させたばかりの我が母を思い、涙が止まりませんでした。
あなたは誰?ここは何処?私は誰?
記憶の崩壊にさまよう男の話
なんて怖くて恐ろしい話なのか…
予告も前知識も入れずに、ただアンソニー・ホプキンスが賞を取った作品って事だけ知ってたので鑑賞してみた。
心がズンと重くなりました。
最初は頑固な爺さんの話かと思ってましたが次第に違和感が生まれ、徐々に物語の全貌がわかり始めてくると怖くなってくる。
痴呆症?アルツハイマー?病状はわからないけれど、自分の老後にこれが待ってると思うと気が滅入る。
自分じゃなくても、親や家族がこうなった時にかならずこの映画を思いだすんだろうな~。
それにしてもこんな世界で生きていくのは辛すぎる。
アンソニーを通して追体験するこの映画はそんじょそこらのホラー映画より格段に怖い。
自分の城(家)で知らない誰かが生活してる、娘の顔も朧気だし時間もわからない。
大事な腕時計はいつもどこかにいってしまうし、記憶の迷子がここまで心細くて不安でやるせないなんて、救いがなさすぎる。
そんでもってフィクションだけれどフィクションじゃないのがつらい。
物語もさることながら、主演のアンソニーも娘のオリビア・コールマンの演技も素晴らしすぎて本物以上のリアリティを漂わせている。
私は幸いなことにこのような状態を経験したことが無いけれど、未来の不安を掻き立てられた。
身内が介護施設関係の職なので今度、しっかり話を聞いてみようと思う。
多分、老人ホームとか介護施設では日常なんだろうけれど、知らない自分からしたら壮絶な現場なんたろうな。
いや知らないわけではない、似たような映画もTV番組も見たことあるし、知識としては知っている、でも無意識にフィルターを通して見ていたし、直視してこなかった。
劇場と言う直視せざるを得ない状況でのこの体験は衝撃といやな気分とを私に流し込んだ。
私の友人は父親が若年性アルツハンマーを患い亡くなった。
詳しくは聞いてないし聞けそうにもないけれど、いつも明るいあの友人も、人知れず大変な苦労をしていたんだなと思うと、胸が苦しくなった。
救いも希望も無い話だけれど、直視せねばならない現実がこの作品に有る。
知らない世界を垣間見るってわくわくやどきどきがあるもんだけど、こんな世界は知りたくなったし知らないでいられたらそれほど幸せなことはないだろうな。
もしも神様がいるのならなぜこんな事をするのか聞いてみたい。
救いはないのですか?
なぜこんな意地悪をするんですか?
なんてことを思いながら帰りました
とりあえず幸せな今を大事にしたいし、感謝はするけれど、人生のゴール付近にこんな事があるならは、どうすればいいのだろうか。
不安の残る作品です。
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劇中セリフより
「葉がすべて落ちていく」
家族も家も何もわからない、ただ帰りたい。
お母さんに甘えていられたあの頃に…。
父の視点で描く異色作
認知症になった父の記憶を中心に描いたヒューマンドラマ。認知症に関する作品であれば介護する家族の視点で描く作品が多く一般的。しかし、この作品は認知症になった本人の視点で描いている点が何とも斬新的で素晴らしい異色作。認知症の恐怖をまざまざとと見せつけられた。
そして、何と言っても主演を演じたアンソニー・ホプキンスにの演技力に尽きる。アカデミー主演男優賞も当然の結果でしょう。
2021-75
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