ファーザーのレビュー・感想・評価
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天下一品の演技
ストーリーに多少の違和感を感じることがあったが、痴呆症の老人には世界がこのように見えるのかもしれないと、最後は納得した。救いは、アンソニー・ホプキンスが演じた主人公アンソニーが暴力的でなかったことだ。
当方は過去に、旅行先で大酒を飲んで前後不覚で眠ってしまい、迎えた旅館の朝に自分がいまどこにいるのか一瞬わからなくなったことがある。または、急いでいるときに忘れ物をして取りに戻ったときに、映っていたテレビのニュースが気になって、自分が何を取りに戻ったのか忘れてしまったことがある。あるいは、目の前の友人の名前を失念したこともある。痴呆症というのはああいう感じがずっと続くようなものなのだろうか。
アンソニーが残してきたものは家と少しの蓄えと、それに娘だけである。徐々に記憶が朧になり、夢と現の境さえあやふやになっていく中で、時々覚醒して自分の記憶の齟齬に愕然として整理を試みもするが、上手くいかずに再び痴呆の浮遊感に戻っていく。娘のアンを呼んでみるが、やって来たのは知らない中年女だ。誰だ、この女は。いや、本人が娘のアンだと言っているからにはアンに違いない。もしかすると自分は痴呆症なのか。このあたりのアンソニー・ホプキンスの演技は天下一品である。
年老いて誰からも必要とされず、世話ばかりをかけるようになってしまったら、誰でもこんなふうになってしまうのかもしれない。孤独と悲哀と喪失感がアンソニーを包み込む。優しさはいっときの慰めになるが、救い出してくれる訳ではない。もはやアンソニーを救うのは死だけだ。
真面目に生きてきた。ときには羽目を外しもしたが、世間に顔向けできないようなことはしていない。日の当たる道を胸を張って歩いてきたのだ。この道の向こうには光が見える。あそこにはルーシーがいるのだろうか。
意識と無意識の間を朦朧として歩いていくアンソニーを支え続けてきた娘のアンを演じたのは、オスカー女優のオリヴィア・コールマンである。映画「女王陛下のお気に入り」の演技も見事だったが、本作のアンは、痴呆症の父親に対する溢れるような愛情が伝わってくる最高の演技だったと思う。
分かりにかったわ
確かにアンソニーホプキンスの痴呆症の老人の演技は素晴らしい。参りました。
しかし、映画はよく分からない展開で途中から?の連続やた。虚構か現実か、はたまた夢なのか?それともただの勘違いなのか?
鑑賞後みなさんのレヴューを読んでなんとなく分かったのだが……。
本編とは全く関係ないが、舞台の映画化らしくほとんどが建物の中でなんともお金のかかってない映画という印象でしたわ。
全世代に響くであろう“老い”についての物語
ロンドンで暮らす81歳のアンソニーと娘のアンの体験型認知症映画。
これは素晴らしかった。
アンソニー・ホプキンスの主演男優賞も納得の、傑作でした。
予告では感動的な話のように思えますが、ある意味ホラーですよね。
老いるということの恐ろしさ。高齢者に襲いかかる孤独。
そういったものがまだ若い自分にも分かりやすく伝わってきました。
何より、ものすごく共感できる。
アンソニーは自分の祖父母にそっくりでした。
超高齢化社会の中で、今やほとんどの人が経験せざるを得ない親の老化、もしくは自分の老化。
現在、うちも祖父母を親が介護していますが、ここまで物忘れが酷くなったわけではない。
ただ、これの一歩手前くらいで、アンソニーのクセの強さは祖父そのもの。
機嫌が良い時は良いけれど、何か気に入らないと完全に決めつけて悪口を言ったり、無視したり。
母から話を聞く程度ですが、いずれは自分もその立場になるんだと思うと、本当に辛くて悲しくて…
ついこの間まで、他と比べるとかなり元気なおじいちゃんだったのに、と。
きっと劇中のアンソニーも、急に老いが始まったんでしょう。
だからこそ自分でも老いたことを認めたくない。
心の中では現役時代のつもりでいる。
自分の抜け落ちた記憶を無意識的に継ぎ接ぎストーリーで補い、何かあると決めつけて周りの人を困らせてしまう。
映画の構成がとても上手くて、一つの事柄が何度も繰り返されたり、全く違う人物が出てきたり、パリ行くっていったり、ロンドンに残るっていったり、観ているこちら側が頭ごっちゃになる。
本当に最後のあのシーンまで、何が本当で何がアンソニーの頭の中なのか分からない。
でも、最後のあのシーンの伏線回収(といって良いのでしょうか?)で、なんとなく謎が解けました。
介護する側もされる側も泣きたくなる。
でも、誰も悪くない。
介護をされている方々はもちろん、それを職にされている方々には本当に頭が下がります。
自分の親ならともかく、他人の面倒を見るなんて、正直私にはできません。
今、実際に若い自分でも、若いと思っている自分のことを信じられなくなる恐ろしさがひしひしと伝わってくる傑作、いや、怪作でした。
老いること
認知症患者の視点から見た虚実の入り混じった演出が秀逸。
観客も何が本当の現実なのか分からなくなる。
確かに認知機能が弱るというのは、こうした現実を生きることなのかもしれない。
これって怖いなとちょっと思った。
主演を演じたアンソニー・ホプキンスの演技は、熟練の極みとでも言おうか、至高と言っていいだろう。
彼の演技を見るだけでも十分お金を払う価値はある。
アカデミー主演男優賞も当然。
演出・脚本・演技とかなり高水準な作品なのだが、ちょっと内容が暗すぎ感はある。
意識混濁ものの標準レベル。演技もそれ程でも。
意識混濁ものの典型から前進かと期待するも叶わず。
評判の演技もそれ程でも。
スコセッシ「キングオブコメディ」の戦慄と衝撃から30年かけて大きく後退した感。
尤もらしいが要は猛烈にツマラぬ。
微量な凡庸正論の説教臭さも。
非支持。
本人にしてみたらサスペンスでホラー
これは新感覚。認知症本人の体感を映像で観せるという斬新な映画でした。
観ている私たちも現実と空想の狭間で混乱するわけですから、認知症本人にしてみたらこれはもうサスペンスでホラー。
円熟のアンソニー・ホプキンスの演技が素晴らしい。アカデミー賞の主演男優賞は納得です。
予備知識は少なめがオススメ。
緊急事態宣言の中、公開して頂いたことにまずは感謝。映画関係企業の皆さんには引き続き踏ん張って頂きたい。
ファンは映画館にちゃんと足を運びますので。
…で、観賞。
描かれる内容自体はとてもとてもシンプル。…ってな訳で、何を書いてもネタバレっぽくなるのでご注意を。
かなり冒頭から「何が起きているのか分からない」戸惑いを観客も味わう。
それが結果として主人公の不安や孤独の一端を追体験することになるという、後になってその計算された物語に唸らされる。
不安であるからこそ、肌身から離れることなく常に変わらず刻み続ける「時」に執着してしまう。彼にとっての腕時計とはそういう象徴なのかも知れない、と思ってみたりもする。
「フラット」も同じ。
認知症という、他人が把握しにくい感覚を、「確か」なはずの何かが全く「不確か」であることの不安で表現する。
やはりアンソニー・ホプキンスの名演に尽きる。
時に可愛らしく、時に切なく哀れに、時に憎たらしく。
そりゃオスカー獲るはずですわ。
繰り返しになるが、とても内容は静かでシンプルなので、予備知識はできる限り少なめ(予告編どころかポスターさえ見ない方がいい)で、ちゃんと戸惑いながらご覧になるのがオススメ。
22
すごい演技と演出だけど退屈
アンソニー・ホプキンスがアカデミー主演男優賞をとったという本作。そりゃアンソニー・ホプキンスだもの、演技すごいことくらいはわかってる。さー、どんなもんよ?くらいの気持ちで臨んだ。
演技はやはりすごかった。脚本の構成もあると思うが、認知症高齢者が感じる不安が見事に表現されていた。ここまで生きてきたプライドや自信みたいなものが揺らぐ。自分が感じたことが間違っているのか、相手が言っていることが間違っているのか、あやふやになっていく過程がすごい。
でも、それは観終わったから感じることであって、観てるときはなんともわかりづらい話だと感じた。今観ているものが何なのか、正確には把握できていない奇妙さ。これが認知症になった人間の意識を表現するために製作者が意図したものだとするとかなり成功している。一種のミステリーのようだった。
ただしそれを評価するかどうかは別物。個人的には高い評価にはできなかった。
ところで、いま、何時だ?
これは、「痴呆老人の視点」という前知識を得てから観るのがよし。でないと混乱する。まるで、老人アンソニーのように、お前は誰だ?、さっきそう言ってたじゃないか?、またデジャヴかよ?、と。
コメディからシリアスまで認知症を扱う映画はいくらでもあったが、この映画は、まるでその老人の疑似体験のような迷宮に誘い込まれる。これは新手のホラーだ。そっと近付いては、こびりつくような感覚。そんな薄気味悪さを感じるのは、これがわが身にも忍び寄るかもしれない介護の現実だからだろう。おまけに、いつか自分がこうなるかも知れないという恐怖も覚える。その時には、自分が誰だかわからなくなっているんだろうけど。
認識と記憶の多層性
映画を見終わって思ったことは、ただただすごい映画だなと。
どちらが先か分からないが、認識に基づいて記憶が構成され、その記憶に基づき思考して新たな認識が構築される。これらが再帰的に繰り返されていく。
映画の中では、観客は徐々に深い層に誘われ、物語の進行とともに浅い層へ戻ってくる。その過程で記憶の状態が変わっていくことが感じられるだろう。そして、そこに感情が巧みに織り込まれて表現されている。
アンソニー・ホプキンスの演技もさる事ながら、緻密に構成された物語があり、この映画を見終わる頃にはミステリーの謎解きがされてスッキリしたかの爽快感まで訪れる。映画のテーマは爽快感が得られるようなものでは決してないので、なんとも不思議な感覚を味わった。
上手く言葉にできず、すごい映画だなと思いました。
認知症映画と知りながらも・・・
一つ一つのシーンが2度ずつあるので、認知症なのか?夢なのか?迷い込んだのか?観てる方もよく分からなくなる内容だった。
最後も急にリアルになり終了。呆気ない。
感動する話しではなく、むしろサスペンスに違い。
最後まで飽きはしなかったが、面白くもなかった。
映画オタクさん以外にはあまりお勧めしません。
羊のホプキンスは、記憶として生きている。インテリだと頑固に主張し、...
羊のホプキンスは、記憶として生きている。インテリだと頑固に主張し、クラシックを聞く。
娘が騙しているかのようにも見え、ホプキンスの視点に観客は置かれると、まるでヒッチコックの映画のヒロインのように精神が追い詰められていく。
それでも、ホプキンスは、娘を信じ愛し続けようとしてすがるのがせつない。
映画としては最高なんですけどね
自分の未来を見せられているようで正直、ぞっとした。それくらい、アンソニー・ホプキンスの演技が迫真に迫っていたのはもちろんのこと、アン役のオリビア・コールマンの苦悩の表情が胸に突き刺さる。
認知症の人間が知覚する世界を映像化したということらしいが、時系列もグチャクチャだし、見えている相手と脳内の人間との結びつきが異なっている。見ている自分にとってはまさにミステリー。
アンソニーって名前がアンソニー・ホプキンスの名前そのものだからよりリアルに感じる。ジョークを飛ばしたり、タップダンスを踊ったりしているときは、おそらく状態がよいときだと思うが、認知機能がひどくなったときの周りへの迷惑のかけ具合がいたたまれない。
オリビア・コールマンの『アン』という役名は、アン女王役をしたことへのオマージュなのかな。
治る見込みない病気だけあって、もの悲しくて切ない。自分は、この病気になる前に天に召されたいとお祈りしたくなった。
映画としては、最高の出来なんですけどね。
未来の自分の話と思って観る
作品としてのキレキレの着眼とアンソニー◦ホプキンスの怪演が捧げる、高齢化社会に寄せた強烈なメッセージ
認知症を発症した男性とその親族の日常を、認知症になった側の目線で描くと、家の中に突然知らない人がいる、そしてそいつが不遜な態度を取る、ってなるのか、そりゃもはや毎日がサスペンス
そうこうしててふと、
Who EXACTLY am I?
って自問が湧いたら、そこから先の人生をどう作るのか
これはキツイ、自分がそうなると思って観るべき
関係者5人くらいしかいない、自宅から一歩もでない世界、もしそれが壊れてるとしたら
【”全ての葉を失っていく・・。私は誰なんだ・・、ママ・・。”稀代の名優、アンソニー・ホプキンスが自らの進行する認知症に気付かない男を演じる哀切極まりない姿と、斬新な作品構成、脚本に唸らされた作品。】
◆アンソニー・ホプキンスが、アカデミー賞を獲った事は僥倖だが、その事実に引っ張られずに観よう、と思いながら鑑賞。
ー 今作の主人公アンソニー(アンソニー・ホプキンス)は、調子が良い時には
”私は、非常に知的だ”と恥じらいもなく、口にする男である。
確かに、インテリジェンスを感じるシークエンスが、前半では随所で短いショットで映される。
だが、認知症は密やかに、彼の知的な脳を侵食していく・・。ー
■今作の優れている点
1.室内劇と言っても良いほど、物語は”様々な”室内で進行していく。
但し、この物語は認知症が進行しているアンソニー目線で描かれているので、観る側は、キチンと見ていないと混乱する。
ー だが、その作品構成、プロットが非常に優れている事に、観ている側は徐々に気付かされるのである。ー
2.アンソニーは”最初”に描かれるシーンで、住んでいるアパートメントを”ここは私の部屋”と何度も言う。
ー だが、ショットが頻繁に切り替わる事に、アパートメント内(特に印象的なのは、玄関に通じる廊下である。)の雰囲気が微妙に変わっている。ー
3.アンソニーの娘アン(オリヴィア・コールマン)は、父の介護係を手配しているが、父の気に入らず頻繁に変えている。
アンは近々恋人が暮らすパリに移住するために、新しい介護係ローラ(イモージェン・ブーツ)を手配すると、アンソニーは彼女に末娘の面影を見出し、親し気に話すが、態度が徐々に不安定になっていく・・。
ー ここでの、アンソニーの”英語も喋らない連中が住んでいる場所に行くなんて・・”と何度も言うシーンと、アンへの侮蔑の言葉とアンの妹ルーシーを褒め称える言葉の数々。
後半明かされる哀しき過去に起きた事故との関連性を、この時点で暗に描いている巧みさ・・。
そして、健気に父の面倒を見るアンの哀し気な瞳。ー
4.アンの夫ポールだという見知らぬ男(マーク・ゲイティス:この俳優を見ると、”英国を舞台にした映画だなあ・・”と思ってしまう。)が、自分の居間のソファに座っていたり、同じくアンの夫ポール(ルーファス・シーベル)だという男からは、”貴方は、私をイラつかせる・・”と叱責され、もう一人のポールからは2度、頬を引っぱたかれるアンソニー。
怯えるアンソニー。
そこには、序盤の尊大とも言えるアンソニーの姿はない・・。ー
<最後半、謎の男や女の正体が分かり、アンソニーが
”自分が置かれた状態を正確に把握しきれない中”、そして
”現実と彼の妄想が入り混じった中”
真実が明らかになった時のアンソニーを演じる、アンソニー・ホプキンスが涙を流しながら
”私は誰なんだ・・。ママ・・。”
と口にするシーンには、
”人間は、女性から産まれ、育ち、知識を得て、ある程度の地位まで達したとしても、認知症に侵されてしまうと、幼子の様になっていくのか・・”
という哀しき現実と、それを体現するアンソニー・ホプキンスという稀代の名優の、哀切極まりない演技に魅入られた作品である。
きっと、認知症の方を看護した経験のある方は、今作の観方が大きく違ってくるのであろうな・・、と思った作品でもある。>
認知症という悲しい病を追体験することで感じる様々なこと
自分がこれから先になるかもしれない、自分の親がなるかもしれない。多くの人にとって身近な病気である認知症。自分が自分でなくなっていく、何を信用したらいいか分からなくなる。
そんな恐ろしくて悲しい病気を、アンソニー・ホプキンスの素晴らしい演技により追体験することができる作品です。
認知症の方から見える世界がどんなものなのか。
自分のことが分からなくなっていくことがどれほど辛く、悲しく、恐ろしく、心の置き場が無いのか。
それらが痛い程伝わってきて、最後は涙が止まりませんでした。
認知症をテーマにした作品で、これほど当人の気持ちを体感出来たのは初めて。多くの気付きや学びを得られました。素晴らしい作品です。
老いとは
老化によって、記憶や理性が崩壊する様は生々しく、観ていくのは辛かった。私の親も私自身もなりうる未来をまざまざと見せつけられた。また、人や時間もごっちゃになっているから、何か仕組まれているのかな、騙されているのかなとか勘ぐりながら観た。
その中で、老いを体現したアンソニーホプキンスの演技には脱帽した。機嫌が良いと思ったら急に不機嫌になったり怒ったり…演技の幅に驚かされる。
長生きする残酷さ
医学衛生面の進歩、化学の発達で人間は長く生きられるようになったのだけれど、自分が内面から壊れていく様を見なければならなくなった。長生きする残酷さを味わう羽目になってしまった。
忍び寄る自己崩壊への序曲に涙しました。
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