ファーザーのレビュー・感想・評価
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【ちょっと視点を変えて】
この作品、認知症を、患者の主観的な視点から描いた点が画期的で意義深いというのが大方の評価や見方だと思う。
そして、アカデミー最優秀主演男優賞のアンソニー・ホプキンスの演技が凄すぎるという点も。
僕も同感だ。
ただ、僕は、その評価で終わらせたり、認知症に対して暗い気持ちになって映画館を後にするだけではもったいない気がするのだ。
僕の母親のひと回り以上離れた姉(僕の伯母)は認知症で施設に入っていているが、入所の前は周囲の人にひどく悪態をついたりして、僕の母親と伯父がよく、あれは自分に興味を示して欲しいという演技だと言っていて、僕も同様に感じていたことを思い出した。
だが、この「ファーザー」を観て、きっと、伯母は苦悩していたに違いないと思い返して、もう少し接し方があったのではないかと考えたりしている。
そういう僕の母親は現在、初期の認知症で、ただ、薬が効いているのか、症状は改善しているようにさえ見え、穏やかに生活している。
それに、僕の母親の過去の話題は、圧倒的に良い思い出が多い。
映画「女優 原田ヒサ子」で描かれたのは、原田美枝子さんのお母さんで、石橋静河さんのおばあさんの認知症のことについてだ。
ヒサ子さんは、女優などやったこともないのに、15歳から始まった美枝子さんの女優人生と重ねて、自分自身が女優だったと思うようになったのだ。
僕が考えたのは、アンソニーや僕の伯母と、僕の母親や原田ヒサ子さんの違いは何なのかということだ。
認知症は分かっていないことも多い病気だ。
認知症患者が、自分の症状を合理的に説明できないから尚更だ。
だから、この映画は、客観的な観察の積み重ねや研究によって製作されたのだと思う。
認知症が進行しても、決して忘れることが出来ない記憶のピースが必ず存在していて、自身の経験の思い出と結びついて、別の記憶となり、苦悩することがあるのだ。
でも、原田ヒサ子さんのように良い思い出になる場合だってある。
この作品は、悪態をつくようになったアンソニーを、敢えて見せることで、観る者にその苦悩を理解させようとしたことは意義深いと思う。
そして、認知症の親や親せきを抱える人、そして、これからそうした患者を受け入れることになる人々にとって、重要な視座を示しているのだと思う。
そして、僕の感じた疑問。
もし、僕の母親がこれまで執着心など少ない生活を送り、今、それなりに穏やかな日々を過ごしているのであれば、僕はそれを見習いたい。
悲しい思い出があったとしても、それを家族や友人など誰かとシェアして、悲しみを軽減して乗り越え、今、穏やかな日々を過ごしているのであれば、僕もそうしたい。
僕の母親は、骨が弱くなって手術して、また、父が亡くなってから、出歩くことが少なくなって認知症症状が出てきたように思う。
だから、僕自身は、出来るだけ健康でいられるように運動や食事には気を付けることは当たり前としても、可能な限り新たな興味の視線を外に向け、新しいものにチャレンジできるようにもしたいと思う。
それは、認知症予防のためというより、そっちの人生の方が意義深いと感じるからだ。
アンソニーのような苦悩は切ない。
だが、周りの忘れられる方も、実は切ないのだ。
既に親などが認知症で苦しんでいる人達には、社会保障サービスが迅速に、そして適切に届くことを祈る。
そして、分からないことは多いし、避けようと思って避けられるものではないことも理解したうえで、認知症を単純に悲しんだり、怖れたり、絶望したりするのではなく、普段の生活や考え方で、穏やかに暮らせる可能性だってあるのだと、過度に恐れず、少しリラックスして、前向きに生きてみたりするのはどうかと考えたりするのだ。
天気の良い日は公園に散歩に行こう
認知症で記憶障害や見当識障害がみられる様になった81歳の父親と娘の話。
主な登場人物はアンソニーとアンとポールにローラが少々。
自分一人で問題無いと長女が雇った介護人を追い出し長女と揉めたり、突然家に現れた長女の旦那と名乗る男に戸惑い、再びあらわれた長女に戸惑い、もしかしたらと思うところもあるけれど、じゃあ何が事実か?とミステリーの様な展開に観ている側も混乱させられる。
本人も認識出来たり違和感をおぼえたり流されたりを繰り返す中で、自体を認識する様は哀しく虚しく、そして周囲は温かく、映画を鑑賞している観客は一応全てを把握出来るオチだけど、アンソニーはどこまで理解出来ているのか。
観ていて涙が流れたり目頭が熱くなる様な感じは無かったけれど、胸が痛かった。
スクリーンに写し出される タイトルバックの文字のフォントが 凄...
認知症患者視点
天下一品の演技
ストーリーに多少の違和感を感じることがあったが、痴呆症の老人には世界がこのように見えるのかもしれないと、最後は納得した。救いは、アンソニー・ホプキンスが演じた主人公アンソニーが暴力的でなかったことだ。
当方は過去に、旅行先で大酒を飲んで前後不覚で眠ってしまい、迎えた旅館の朝に自分がいまどこにいるのか一瞬わからなくなったことがある。または、急いでいるときに忘れ物をして取りに戻ったときに、映っていたテレビのニュースが気になって、自分が何を取りに戻ったのか忘れてしまったことがある。あるいは、目の前の友人の名前を失念したこともある。痴呆症というのはああいう感じがずっと続くようなものなのだろうか。
アンソニーが残してきたものは家と少しの蓄えと、それに娘だけである。徐々に記憶が朧になり、夢と現の境さえあやふやになっていく中で、時々覚醒して自分の記憶の齟齬に愕然として整理を試みもするが、上手くいかずに再び痴呆の浮遊感に戻っていく。娘のアンを呼んでみるが、やって来たのは知らない中年女だ。誰だ、この女は。いや、本人が娘のアンだと言っているからにはアンに違いない。もしかすると自分は痴呆症なのか。このあたりのアンソニー・ホプキンスの演技は天下一品である。
年老いて誰からも必要とされず、世話ばかりをかけるようになってしまったら、誰でもこんなふうになってしまうのかもしれない。孤独と悲哀と喪失感がアンソニーを包み込む。優しさはいっときの慰めになるが、救い出してくれる訳ではない。もはやアンソニーを救うのは死だけだ。
真面目に生きてきた。ときには羽目を外しもしたが、世間に顔向けできないようなことはしていない。日の当たる道を胸を張って歩いてきたのだ。この道の向こうには光が見える。あそこにはルーシーがいるのだろうか。
意識と無意識の間を朦朧として歩いていくアンソニーを支え続けてきた娘のアンを演じたのは、オスカー女優のオリヴィア・コールマンである。映画「女王陛下のお気に入り」の演技も見事だったが、本作のアンは、痴呆症の父親に対する溢れるような愛情が伝わってくる最高の演技だったと思う。
分かりにかったわ
全世代に響くであろう“老い”についての物語
ロンドンで暮らす81歳のアンソニーと娘のアンの体験型認知症映画。
これは素晴らしかった。
アンソニー・ホプキンスの主演男優賞も納得の、傑作でした。
予告では感動的な話のように思えますが、ある意味ホラーですよね。
老いるということの恐ろしさ。高齢者に襲いかかる孤独。
そういったものがまだ若い自分にも分かりやすく伝わってきました。
何より、ものすごく共感できる。
アンソニーは自分の祖父母にそっくりでした。
超高齢化社会の中で、今やほとんどの人が経験せざるを得ない親の老化、もしくは自分の老化。
現在、うちも祖父母を親が介護していますが、ここまで物忘れが酷くなったわけではない。
ただ、これの一歩手前くらいで、アンソニーのクセの強さは祖父そのもの。
機嫌が良い時は良いけれど、何か気に入らないと完全に決めつけて悪口を言ったり、無視したり。
母から話を聞く程度ですが、いずれは自分もその立場になるんだと思うと、本当に辛くて悲しくて…
ついこの間まで、他と比べるとかなり元気なおじいちゃんだったのに、と。
きっと劇中のアンソニーも、急に老いが始まったんでしょう。
だからこそ自分でも老いたことを認めたくない。
心の中では現役時代のつもりでいる。
自分の抜け落ちた記憶を無意識的に継ぎ接ぎストーリーで補い、何かあると決めつけて周りの人を困らせてしまう。
映画の構成がとても上手くて、一つの事柄が何度も繰り返されたり、全く違う人物が出てきたり、パリ行くっていったり、ロンドンに残るっていったり、観ているこちら側が頭ごっちゃになる。
本当に最後のあのシーンまで、何が本当で何がアンソニーの頭の中なのか分からない。
でも、最後のあのシーンの伏線回収(といって良いのでしょうか?)で、なんとなく謎が解けました。
介護する側もされる側も泣きたくなる。
でも、誰も悪くない。
介護をされている方々はもちろん、それを職にされている方々には本当に頭が下がります。
自分の親ならともかく、他人の面倒を見るなんて、正直私にはできません。
今、実際に若い自分でも、若いと思っている自分のことを信じられなくなる恐ろしさがひしひしと伝わってくる傑作、いや、怪作でした。
老いること
意識混濁ものの標準レベル。演技もそれ程でも。
本人にしてみたらサスペンスでホラー
予備知識は少なめがオススメ。
緊急事態宣言の中、公開して頂いたことにまずは感謝。映画関係企業の皆さんには引き続き踏ん張って頂きたい。
ファンは映画館にちゃんと足を運びますので。
…で、観賞。
描かれる内容自体はとてもとてもシンプル。…ってな訳で、何を書いてもネタバレっぽくなるのでご注意を。
かなり冒頭から「何が起きているのか分からない」戸惑いを観客も味わう。
それが結果として主人公の不安や孤独の一端を追体験することになるという、後になってその計算された物語に唸らされる。
不安であるからこそ、肌身から離れることなく常に変わらず刻み続ける「時」に執着してしまう。彼にとっての腕時計とはそういう象徴なのかも知れない、と思ってみたりもする。
「フラット」も同じ。
認知症という、他人が把握しにくい感覚を、「確か」なはずの何かが全く「不確か」であることの不安で表現する。
やはりアンソニー・ホプキンスの名演に尽きる。
時に可愛らしく、時に切なく哀れに、時に憎たらしく。
そりゃオスカー獲るはずですわ。
繰り返しになるが、とても内容は静かでシンプルなので、予備知識はできる限り少なめ(予告編どころかポスターさえ見ない方がいい)で、ちゃんと戸惑いながらご覧になるのがオススメ。
22
すごい演技と演出だけど退屈
アンソニー・ホプキンスがアカデミー主演男優賞をとったという本作。そりゃアンソニー・ホプキンスだもの、演技すごいことくらいはわかってる。さー、どんなもんよ?くらいの気持ちで臨んだ。
演技はやはりすごかった。脚本の構成もあると思うが、認知症高齢者が感じる不安が見事に表現されていた。ここまで生きてきたプライドや自信みたいなものが揺らぐ。自分が感じたことが間違っているのか、相手が言っていることが間違っているのか、あやふやになっていく過程がすごい。
でも、それは観終わったから感じることであって、観てるときはなんともわかりづらい話だと感じた。今観ているものが何なのか、正確には把握できていない奇妙さ。これが認知症になった人間の意識を表現するために製作者が意図したものだとするとかなり成功している。一種のミステリーのようだった。
ただしそれを評価するかどうかは別物。個人的には高い評価にはできなかった。
ところで、いま、何時だ?
認識と記憶の多層性
映画を見終わって思ったことは、ただただすごい映画だなと。
どちらが先か分からないが、認識に基づいて記憶が構成され、その記憶に基づき思考して新たな認識が構築される。これらが再帰的に繰り返されていく。
映画の中では、観客は徐々に深い層に誘われ、物語の進行とともに浅い層へ戻ってくる。その過程で記憶の状態が変わっていくことが感じられるだろう。そして、そこに感情が巧みに織り込まれて表現されている。
アンソニー・ホプキンスの演技もさる事ながら、緻密に構成された物語があり、この映画を見終わる頃にはミステリーの謎解きがされてスッキリしたかの爽快感まで訪れる。映画のテーマは爽快感が得られるようなものでは決してないので、なんとも不思議な感覚を味わった。
上手く言葉にできず、すごい映画だなと思いました。
認知症映画と知りながらも・・・
羊のホプキンスは、記憶として生きている。インテリだと頑固に主張し、...
映画としては最高なんですけどね
自分の未来を見せられているようで正直、ぞっとした。それくらい、アンソニー・ホプキンスの演技が迫真に迫っていたのはもちろんのこと、アン役のオリビア・コールマンの苦悩の表情が胸に突き刺さる。
認知症の人間が知覚する世界を映像化したということらしいが、時系列もグチャクチャだし、見えている相手と脳内の人間との結びつきが異なっている。見ている自分にとってはまさにミステリー。
アンソニーって名前がアンソニー・ホプキンスの名前そのものだからよりリアルに感じる。ジョークを飛ばしたり、タップダンスを踊ったりしているときは、おそらく状態がよいときだと思うが、認知機能がひどくなったときの周りへの迷惑のかけ具合がいたたまれない。
オリビア・コールマンの『アン』という役名は、アン女王役をしたことへのオマージュなのかな。
治る見込みない病気だけあって、もの悲しくて切ない。自分は、この病気になる前に天に召されたいとお祈りしたくなった。
映画としては、最高の出来なんですけどね。
未来の自分の話と思って観る
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