ファーザーのレビュー・感想・評価
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確かにシリアスな話しですがユーモアもあって思っているより観やすい映画でした
はい。良く私の馬鹿レビューを覗きに来て頂きました。
なんと!田村正和さんが虹の向こうに旅立ちました。
有名な話しですが古畑任三郎の名前の由来はご存知でしょうか?
脚本の三谷幸喜さんが笑っていいともを見ていた時の事です。テレフォンショッキングのゲストが時任三郎さんでした。タモリさんがふざけて「今日のゲストは ときにんざぶろう さんです。
それをたまたま見ていた脚本家の三谷幸喜さんは、これだ!
と膝を打ちました。ちなみに古畑の部分はタクシーから見た病院の名前です。
とにかくフジテレビは再放送をして欲しいですね。ちなみに私は放送開始5分で犯人を当てる自信があります。
誰でもわかるよ‼️
ごめんなさいね。関係ない話しで。さてと・・・
アンソニー・ホプキンス イギリス映画界の金看板。泣く子も黙る名優です。ただ・・・私が認知したのは「羊達の沈黙」からです。
主役のFBI訓練生のクラリスが猟奇殺人のアドバイスを求めて元精神科医、サイコキラーのハンニバル・レクターに会いに行くシーン。強烈な緊張感。一歩づつレクターの監獄に歩を進めます。
隣の独房から猥褻な野次が飛びます。
レクターに面会。お前は何を言われた?
すると、字幕に想像を超える言葉。はい。いくらなんでもここでは言えません。関東のあの四文字です。多分最初で最後だと思います。
もうビックリです。でもねー ここはクラリスの覚悟を表現する場面。正解かなあ・・・濁さないで良かったかなあ。
で、余談ですが・・・続編の「ハンニバル」を観に行った時の話しになります。ジョディ・フォスターは降板しましたがアンソニー・ホプキンスはいます。かなり映画館に行っているんですが、最悪の映画体験をしました。辛いんですがが話します。
映画が始まって10分くらい遅れて夫婦が私の隣の隣に座ったんですよ。むむ?嫌な予感。はい的中しました。
まず始終、二つ折りの携帯をパタリと開きます。体感では5分おきくらいです。どうも画像らしく隣の奥さんに見せてごにょごにょ言ってます。
いやねーー我慢したんです。でもずっとやってるんですよ。さらに前の座席に足を掛けたりしています。映画は観ていません。私は微妙に圧をかけたんですよ。チラ見したり咳払いしたり。
でも、やめないんですよ。小一時間経過。私はとうとうその夫婦にきつめに怒ってしまいました。
効いたんでしょうね。上映中ですが帰りました。結構な年齢の夫婦。怒られた事なんて忘却の彼方。最近はないでしょう。
でもね私だって怒りたくなかったよ。映画って一期一会。観るだけじゃなくて経験。まあ他山の石ですか。
あっ?!他山の石の使い方間違ってないですよね?
でも怒り過ぎたかなあ。ごめんなさい。だから最後の飛行機のシーンしか記憶にない。
はい。枕が終わりました。いや長いなあ。ここまでも。すいません。
なんだ認知症の老人の話しか。なんか観たくないなあ。そう思っているあなた。確かにそうなんです。でもエンタメとして成立しているんですよ。これがまた!
ロンドンで一人暮らしを送る アンソニー(アンソニー・ホプキンス) そこに駆けつける娘 アン(オリヴィア・コールマン) 父の介護人(アンジェラ)から暴言を吐かれたから辞めたいと連絡が入ったのだ。
アンソニーは言う。アンジェラは私の腕時計を盗んだんだ。信用ならん。はい。腕時計は有りました。アンは新たなパートナーとパリに行く予定です。脳機能の衰えた父を、一人に出来ない。
新たに介護人はローラ(イモージェン・プーツ)若くて美しい。アンソニーも上機嫌。上手くいきそう。
いやいや、そうは問屋が卸しません。
物語はほぼアンソニーの視点で進みます。ボケてるのか?ボケてないのか?夢か現か?信用出来ない語り部です。うーむ、油断ならん。
またね、アンソニーが時にチャーミングなんですよ。これがまた。ユーモアも有りました。映画的な緊張感も有りました。
まあアカデミーの会員が好きそうな感じなんですが、主演男優賞も納得です。
良かった。観ておいて。誰かと語りたい気分です。
旧友とディナーに行きます。
読んで頂きありがとうございました。
おまけのコーナー
アンソニー・ホプキンス 実在の人物になりがち。
もう一度見たい
認知症を描いた作品でまるでサスペンスのようと評されていたので、かなり気をつけて見ていたつもりだった
が、すぐに置いてけぼりに…
うる星やつらの『ビューティフル・ドリーマー』に似ている
日常に忍び寄る奇異な出来事
映画館の暗さも相まって少し薄気味悪くなりながら、主演のアンソニーホプキンズに寄り添って漂流し続けたこの2時間弱
最後にネタを明かしてくれるけど、どこからどこまでが現実で、どことどこの記憶がミックスしてるのか?が、しかとわからない
テネットより理解できてなかったのかも
途中でフラットの内装が変わっていたのは気づいたけど、何がどう、いつから変わってたのかわからない
アンがフラットに足を入れた瞬間から、ステキな内装に釘付けだったのに
赤ちゃんに乾杯を見て以来、すてきな映画は概ね家の内装もすてきなのだ説を勝手に唱え、この映画ももちろんこれに当てはまるのだけれど…、覚えれてないのが悔しい
もう一度、次は内装を中心にじっくり見たい
映画であって映画でない、いつか通るかもしれない道。
ボケるとは世界がこう見えるものかと…
認知症の父を介護していた頃を思い出す
今年のアカデミー賞で下馬評を覆して、84歳の名優アンソニー・ホプキンスが主演男優賞を受賞した作品。アンソニー・ホプキンスは痴呆症の兆候が出ている老人を演じているのだが、この描き方が画期的である。
ストーリーを追っかけようとして観ていると、どうしても混乱してしまう。物語の時系列、状況設定、登場人物の正体や発言などの辻褄が合わないからだ。 つまり、認知症で混乱しているアンソニー(役柄も同じ名前)の視点で物語が描かれているからだ。観ている側も不安を感じてしまう。またアンソニー自身も機嫌よく話していたと思ったら、突然猜疑心から周りの人物に当たり散らしてしまう情緒の不安定さが描かれている。これは認知症の不安を描くにあたって、非常に優れた手法だと思う。
私の父も晩年に認知症を患ってしまい、ショッキングで悲しい思いをしたことがたびたびある。周りの人の手助けによって、何とか乗り切ったけれど、徘徊や行方不明もあり、本当にあの時期は生きた心地がしなかった。だけれど、認知症を患っていた父は我々よりももっと不安だったわけだ。結局我々も父を特養老人ホームに入れたのだが、そこでも不安だったろうなと思う。映画を観ながら色々なことを思い出して、目頭が熱くなった。
【ちょっと視点を変えて】
この作品、認知症を、患者の主観的な視点から描いた点が画期的で意義深いというのが大方の評価や見方だと思う。
そして、アカデミー最優秀主演男優賞のアンソニー・ホプキンスの演技が凄すぎるという点も。
僕も同感だ。
ただ、僕は、その評価で終わらせたり、認知症に対して暗い気持ちになって映画館を後にするだけではもったいない気がするのだ。
僕の母親のひと回り以上離れた姉(僕の伯母)は認知症で施設に入っていているが、入所の前は周囲の人にひどく悪態をついたりして、僕の母親と伯父がよく、あれは自分に興味を示して欲しいという演技だと言っていて、僕も同様に感じていたことを思い出した。
だが、この「ファーザー」を観て、きっと、伯母は苦悩していたに違いないと思い返して、もう少し接し方があったのではないかと考えたりしている。
そういう僕の母親は現在、初期の認知症で、ただ、薬が効いているのか、症状は改善しているようにさえ見え、穏やかに生活している。
それに、僕の母親の過去の話題は、圧倒的に良い思い出が多い。
映画「女優 原田ヒサ子」で描かれたのは、原田美枝子さんのお母さんで、石橋静河さんのおばあさんの認知症のことについてだ。
ヒサ子さんは、女優などやったこともないのに、15歳から始まった美枝子さんの女優人生と重ねて、自分自身が女優だったと思うようになったのだ。
僕が考えたのは、アンソニーや僕の伯母と、僕の母親や原田ヒサ子さんの違いは何なのかということだ。
認知症は分かっていないことも多い病気だ。
認知症患者が、自分の症状を合理的に説明できないから尚更だ。
だから、この映画は、客観的な観察の積み重ねや研究によって製作されたのだと思う。
認知症が進行しても、決して忘れることが出来ない記憶のピースが必ず存在していて、自身の経験の思い出と結びついて、別の記憶となり、苦悩することがあるのだ。
でも、原田ヒサ子さんのように良い思い出になる場合だってある。
この作品は、悪態をつくようになったアンソニーを、敢えて見せることで、観る者にその苦悩を理解させようとしたことは意義深いと思う。
そして、認知症の親や親せきを抱える人、そして、これからそうした患者を受け入れることになる人々にとって、重要な視座を示しているのだと思う。
そして、僕の感じた疑問。
もし、僕の母親がこれまで執着心など少ない生活を送り、今、それなりに穏やかな日々を過ごしているのであれば、僕はそれを見習いたい。
悲しい思い出があったとしても、それを家族や友人など誰かとシェアして、悲しみを軽減して乗り越え、今、穏やかな日々を過ごしているのであれば、僕もそうしたい。
僕の母親は、骨が弱くなって手術して、また、父が亡くなってから、出歩くことが少なくなって認知症症状が出てきたように思う。
だから、僕自身は、出来るだけ健康でいられるように運動や食事には気を付けることは当たり前としても、可能な限り新たな興味の視線を外に向け、新しいものにチャレンジできるようにもしたいと思う。
それは、認知症予防のためというより、そっちの人生の方が意義深いと感じるからだ。
アンソニーのような苦悩は切ない。
だが、周りの忘れられる方も、実は切ないのだ。
既に親などが認知症で苦しんでいる人達には、社会保障サービスが迅速に、そして適切に届くことを祈る。
そして、分からないことは多いし、避けようと思って避けられるものではないことも理解したうえで、認知症を単純に悲しんだり、怖れたり、絶望したりするのではなく、普段の生活や考え方で、穏やかに暮らせる可能性だってあるのだと、過度に恐れず、少しリラックスして、前向きに生きてみたりするのはどうかと考えたりするのだ。
天気の良い日は公園に散歩に行こう
認知症で記憶障害や見当識障害がみられる様になった81歳の父親と娘の話。
主な登場人物はアンソニーとアンとポールにローラが少々。
自分一人で問題無いと長女が雇った介護人を追い出し長女と揉めたり、突然家に現れた長女の旦那と名乗る男に戸惑い、再びあらわれた長女に戸惑い、もしかしたらと思うところもあるけれど、じゃあ何が事実か?とミステリーの様な展開に観ている側も混乱させられる。
本人も認識出来たり違和感をおぼえたり流されたりを繰り返す中で、自体を認識する様は哀しく虚しく、そして周囲は温かく、映画を鑑賞している観客は一応全てを把握出来るオチだけど、アンソニーはどこまで理解出来ているのか。
観ていて涙が流れたり目頭が熱くなる様な感じは無かったけれど、胸が痛かった。
スクリーンに写し出される タイトルバックの文字のフォントが 凄...
認知症患者視点
天下一品の演技
ストーリーに多少の違和感を感じることがあったが、痴呆症の老人には世界がこのように見えるのかもしれないと、最後は納得した。救いは、アンソニー・ホプキンスが演じた主人公アンソニーが暴力的でなかったことだ。
当方は過去に、旅行先で大酒を飲んで前後不覚で眠ってしまい、迎えた旅館の朝に自分がいまどこにいるのか一瞬わからなくなったことがある。または、急いでいるときに忘れ物をして取りに戻ったときに、映っていたテレビのニュースが気になって、自分が何を取りに戻ったのか忘れてしまったことがある。あるいは、目の前の友人の名前を失念したこともある。痴呆症というのはああいう感じがずっと続くようなものなのだろうか。
アンソニーが残してきたものは家と少しの蓄えと、それに娘だけである。徐々に記憶が朧になり、夢と現の境さえあやふやになっていく中で、時々覚醒して自分の記憶の齟齬に愕然として整理を試みもするが、上手くいかずに再び痴呆の浮遊感に戻っていく。娘のアンを呼んでみるが、やって来たのは知らない中年女だ。誰だ、この女は。いや、本人が娘のアンだと言っているからにはアンに違いない。もしかすると自分は痴呆症なのか。このあたりのアンソニー・ホプキンスの演技は天下一品である。
年老いて誰からも必要とされず、世話ばかりをかけるようになってしまったら、誰でもこんなふうになってしまうのかもしれない。孤独と悲哀と喪失感がアンソニーを包み込む。優しさはいっときの慰めになるが、救い出してくれる訳ではない。もはやアンソニーを救うのは死だけだ。
真面目に生きてきた。ときには羽目を外しもしたが、世間に顔向けできないようなことはしていない。日の当たる道を胸を張って歩いてきたのだ。この道の向こうには光が見える。あそこにはルーシーがいるのだろうか。
意識と無意識の間を朦朧として歩いていくアンソニーを支え続けてきた娘のアンを演じたのは、オスカー女優のオリヴィア・コールマンである。映画「女王陛下のお気に入り」の演技も見事だったが、本作のアンは、痴呆症の父親に対する溢れるような愛情が伝わってくる最高の演技だったと思う。
分かりにかったわ
全世代に響くであろう“老い”についての物語
ロンドンで暮らす81歳のアンソニーと娘のアンの体験型認知症映画。
これは素晴らしかった。
アンソニー・ホプキンスの主演男優賞も納得の、傑作でした。
予告では感動的な話のように思えますが、ある意味ホラーですよね。
老いるということの恐ろしさ。高齢者に襲いかかる孤独。
そういったものがまだ若い自分にも分かりやすく伝わってきました。
何より、ものすごく共感できる。
アンソニーは自分の祖父母にそっくりでした。
超高齢化社会の中で、今やほとんどの人が経験せざるを得ない親の老化、もしくは自分の老化。
現在、うちも祖父母を親が介護していますが、ここまで物忘れが酷くなったわけではない。
ただ、これの一歩手前くらいで、アンソニーのクセの強さは祖父そのもの。
機嫌が良い時は良いけれど、何か気に入らないと完全に決めつけて悪口を言ったり、無視したり。
母から話を聞く程度ですが、いずれは自分もその立場になるんだと思うと、本当に辛くて悲しくて…
ついこの間まで、他と比べるとかなり元気なおじいちゃんだったのに、と。
きっと劇中のアンソニーも、急に老いが始まったんでしょう。
だからこそ自分でも老いたことを認めたくない。
心の中では現役時代のつもりでいる。
自分の抜け落ちた記憶を無意識的に継ぎ接ぎストーリーで補い、何かあると決めつけて周りの人を困らせてしまう。
映画の構成がとても上手くて、一つの事柄が何度も繰り返されたり、全く違う人物が出てきたり、パリ行くっていったり、ロンドンに残るっていったり、観ているこちら側が頭ごっちゃになる。
本当に最後のあのシーンまで、何が本当で何がアンソニーの頭の中なのか分からない。
でも、最後のあのシーンの伏線回収(といって良いのでしょうか?)で、なんとなく謎が解けました。
介護する側もされる側も泣きたくなる。
でも、誰も悪くない。
介護をされている方々はもちろん、それを職にされている方々には本当に頭が下がります。
自分の親ならともかく、他人の面倒を見るなんて、正直私にはできません。
今、実際に若い自分でも、若いと思っている自分のことを信じられなくなる恐ろしさがひしひしと伝わってくる傑作、いや、怪作でした。
老いること
意識混濁ものの標準レベル。演技もそれ程でも。
本人にしてみたらサスペンスでホラー
予備知識は少なめがオススメ。
緊急事態宣言の中、公開して頂いたことにまずは感謝。映画関係企業の皆さんには引き続き踏ん張って頂きたい。
ファンは映画館にちゃんと足を運びますので。
…で、観賞。
描かれる内容自体はとてもとてもシンプル。…ってな訳で、何を書いてもネタバレっぽくなるのでご注意を。
かなり冒頭から「何が起きているのか分からない」戸惑いを観客も味わう。
それが結果として主人公の不安や孤独の一端を追体験することになるという、後になってその計算された物語に唸らされる。
不安であるからこそ、肌身から離れることなく常に変わらず刻み続ける「時」に執着してしまう。彼にとっての腕時計とはそういう象徴なのかも知れない、と思ってみたりもする。
「フラット」も同じ。
認知症という、他人が把握しにくい感覚を、「確か」なはずの何かが全く「不確か」であることの不安で表現する。
やはりアンソニー・ホプキンスの名演に尽きる。
時に可愛らしく、時に切なく哀れに、時に憎たらしく。
そりゃオスカー獲るはずですわ。
繰り返しになるが、とても内容は静かでシンプルなので、予備知識はできる限り少なめ(予告編どころかポスターさえ見ない方がいい)で、ちゃんと戸惑いながらご覧になるのがオススメ。
22
すごい演技と演出だけど退屈
アンソニー・ホプキンスがアカデミー主演男優賞をとったという本作。そりゃアンソニー・ホプキンスだもの、演技すごいことくらいはわかってる。さー、どんなもんよ?くらいの気持ちで臨んだ。
演技はやはりすごかった。脚本の構成もあると思うが、認知症高齢者が感じる不安が見事に表現されていた。ここまで生きてきたプライドや自信みたいなものが揺らぐ。自分が感じたことが間違っているのか、相手が言っていることが間違っているのか、あやふやになっていく過程がすごい。
でも、それは観終わったから感じることであって、観てるときはなんともわかりづらい話だと感じた。今観ているものが何なのか、正確には把握できていない奇妙さ。これが認知症になった人間の意識を表現するために製作者が意図したものだとするとかなり成功している。一種のミステリーのようだった。
ただしそれを評価するかどうかは別物。個人的には高い評価にはできなかった。
ところで、いま、何時だ?
認識と記憶の多層性
映画を見終わって思ったことは、ただただすごい映画だなと。
どちらが先か分からないが、認識に基づいて記憶が構成され、その記憶に基づき思考して新たな認識が構築される。これらが再帰的に繰り返されていく。
映画の中では、観客は徐々に深い層に誘われ、物語の進行とともに浅い層へ戻ってくる。その過程で記憶の状態が変わっていくことが感じられるだろう。そして、そこに感情が巧みに織り込まれて表現されている。
アンソニー・ホプキンスの演技もさる事ながら、緻密に構成された物語があり、この映画を見終わる頃にはミステリーの謎解きがされてスッキリしたかの爽快感まで訪れる。映画のテーマは爽快感が得られるようなものでは決してないので、なんとも不思議な感覚を味わった。
上手く言葉にできず、すごい映画だなと思いました。
全268件中、221~240件目を表示