ミナリのレビュー・感想・評価
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ある家族の成長過程
1980年代の韓国はまだまだ南北停戦の状況も色濃く、南北スパイ活動が盛んな時期、そんな頃にアメリカへ夢を抱いて渡った家族の話。夢はそう簡単に叶うはずもなく、、、
アメリカの地域の教会を中心とするコミュニティの描き方は、アメリカらしい。個人的には問題を抱えた家族が集うが、そこに居場所が見つからない孤独感、一方で、コミュニティからはじかれても熱心に神を求める人もいる。個人の救いはどこにあるのか? 今年のアカデミー助演女優賞をとったハルモニが見たくて鑑賞したが、この一家、果たしてアメリカで生きて行けるか? 不安しかない。でも、きっと生きては行けるだろう。ミナリのように。しかし、夫婦は共に暮らすのか、明らかに学童期の長女が学校へ行く日がくるのか、弟の心臓は治るのか、ハルモニはどうなる??などが気になったまま終わった。
日本も韓国も同じだ
韓国映画ではなく米国映画であり、映画は最後まで退屈です。 --米国映画に出演した韓国の女優が賞を受けたとして、韓国映画の新しい歴史が開かれますか。 笑。谷城という映画で国村さんが賞をもらって彼が日本映画の新しい歴史を作ったんですか?
米アカデミー賞の作曲賞受賞に共感!!! 欧米はアジアの人生観にカルチャーショック?!
この映画に出てくる7歳のデビッドのモデルは監督自身である。監督の少年記を本当に過去に戻って、カメラを回して撮影してきたような自然体感が、この映画のすばらしいところだといえる。
日本が誇る名ドラマ『北の国から』の純少年と同等の立場なのに、湿っぽくなく、軽やかささえ感じるのは、背景に流れる明るく、快活なテンポにあふれる音楽によるものだと思う。この音楽がなかったら、この物語を通して監督が伝えたかったことは、観客に円滑には伝わらなかっただろう。
『北の国から』と同じように、都会を離れ、田舎に引っ越して、慣れない仕事に就いて、家族を翻弄させる父親に家族が巻き込まれていくが、なぜか悲壮感がないのは、妻が共に夫に付いていき、妻の母親までもが、言葉もわからない、初めて住む土地に、家族の生活を助けるために遠い国からやってきて、一緒に生活を共にしてくれたからだと思う。
欧米諸国である種の感動を呼ぶのは、この家族が協力し合う状況だと思う。使用人を家族と同等の扱いをすることも、ある種のカルチャーショックを与えたのだと思う。
『なぜ?』と思うのだ。現実では、『汝、隣人を愛せよ。』と教えるキリスト教が布教している国なのに、隣人を愛せていない状態が通常なのだ。だからこそ、明確に言葉が通じない、町の人達に変わり者と言われている人を使用人に雇うこと、人生の終わりを豊かに、静かに過ごし、生まれ育った国で最後を迎えたいと誰もが考える年令である老婦人が、わざわざ苦労をするために、遠い国で人生の残りを過ごすことを選ぶこと、このようなアジアの人生観については、理解し難いのだ。
監督は、観客に問題を投げかけている。『妻の母親の行動を愚かだと思うか?』 『彼女は自己犠牲が強い性格だと思うか?』 『彼女の人生は不幸だったと思うか?』
実は、現代社会に存在している自分自身(監督)自体が、この幼少期に祖母に投げかけている言葉だったのだ。 『ねぇ、おばあさんは、ここに来て幸せなのか?僕たちとこんな場所に居ることで幸せだと思えているのか?』と、そして、映画の物語の中では、デビット少年が、祖母と二人でいるときに口癖のように、そのように祖母に尋ねているのだ。
しかし、家族の傍に彼女がいたからこそ、デビット少年や妻の夫、家族は、あの苦労の絶えない環境を狂うことなく、耐え、過ごすことができたのだ。
少年の頃の自分や家族、祖母の心の在り方を回想しながら、考慮していくうちに、あの頃にはたくさんの人々が持っていた『他の人と喜びや幸せを分かち合える心の在り方』を現代人は失いかけているのだということに気が付いたのだ。
この映画は、人と人とのつながりを大切なものとし、隣人を家族と同じように愛せること、家族のそれぞれが、互いの家族の心の支えとして存在し続けることの重要性を知っていることが人として生きていくためにどれほど貴重なことかを教えてくれるのだ。
不幸でつかれる
火事起こしたあたりでもう不幸疲れしました。あと妻、人の幸せを喜ばない感じ、自分の不満を夫にも押し付ける感じ、自分を一番に考えてくれないと不機嫌になる感じ、かわいいが最高の美徳とされた故に幼稚な東アジア女まるだしで、鏡を見せられてるようでキツかった。この時代に移民した韓国人にとっての三丁目の夕日的な映画なのかしら。三丁目の夕日見たことないですが。
あの…
「私はこうでした」って感想で、他の方が感動したり涙したりは存じてますし理解しています
«感動、感激した人は読まないで!不快になります!»
で…あの映画の見せ場ってどこだったんや?
最後で
(>︿<。)「ミナリ(芹)ー!」
ってなる?
🐼は「あー、芹畑が成功しておばあちゃんのチョンボはイーブンになるってことかー。いや?!介護費となあるけん、ダブルボギーくらいじゃ…」
と考え始めた矢先、エンドクレジットでびっくり!
終わ…った…?
なんか鑑賞中は終始イライラしていた
理由
①萩原聖人と真田広之を、足して割った感じのお父さんに
🐼「あー、いるねー、オンリーyouの夢なのに家族の夢と公言し、失敗や苦労は『家族のため!』と自己洗脳する男」
②子供が嫌い…
その点で映画の子役達は、🐼に嫌悪感を抱かせたんで「本当にいる普通の子供」の演技をされてたってことですな
③お母さん
自論ですが、ダメ男にほだされちゃう女は、その男を甘やかしてダメを助長させる元凶と思っている
④介護
幼少のみぎり、🐼の父親の親が脳卒中になり介護問題で両親が何年も荒れたので、映画後半は
🐼「あー、ここは嫁の実母やけんマシか…姑なら修羅場や…」
🐼「なまぢ歩ける要介護者は、本当に大変…」
🐼「このおばあちゃんは結構善悪の区別は付くから良い方や」
など、介護の悪夢が…
映画は、敬愛するウエイン町山氏によると多分にキリスト教の寓話が隠されているとか
じっくり考察を拝読したい
十字架おじさんが何なのか等
感想は、聞かれたら対外的には無難に
「『ミナリ』見たなり~」にします
夢を追う夫を持つと奥さんは大変だよな
冒頭から夫婦間のギクシャクしているんだなとわかる演出
何もないただ荒れた農地とトレーラーハウスが新生活の場所
家の中に上がろうと手を貸す旦那を拒否して
自分1人で上がる奥さん
この場面だけでも奥さんのうんざり感と旦那との距離がよくわかる
亭主ジェイコブは自分の考えを曲げない
あまり他人の意見を信じないタイプの人間で
農地の水脈を探すのにダウジングの業者を試しに呼ぶけど、結局は断って自力で見つけるし
野菜の出荷の契約をいきなり断られて
新たな契約業者を探すときも
『アメリカに住んでる韓国人は信用出来ないから』
と言って契約先を限定したり
でも終盤になると自分の頑固な考えを改める行動があるんだよな
すごくおもしろかった場面があって
心臓疾患の息子を病院に連れて行って、その後に新しい取引先に持ち込むための野菜を積んでいたんだけど、
炎天下の車内に野菜を積みっぱなしにしたくないから、病院内に運ぼうとするんだけど
当然奥さんは『やめてくれよ』と拒否。
『じゃあ、地下の駐車場に移動するから、お前たち先に行ってて』
病室で診察を受けていたら、野菜を大事そうに抱えて旦那が入って来て、奥さんは無言。
いかにジェイコブが野菜にすべてを懸けているのか
本人が真剣だからこそ側から見ると笑える場面でした。
ストーリーに大きな展開だとか、大どんでん返しみたいな事は起きないけど
夢を追いかける親父とその女房、子供たちって
色々と大変なんだろうな
この作品けっこう好きです
『君の名は』の実写版
楽しみです
ありきたりの話のようでいて不思議な空気感がある。レーガン時代、80...
ありきたりの話のようでいて不思議な空気感がある。レーガン時代、80年代の韓国の状況を考えると、アメリカへの移住という選択のもつ意味は、映画の中では描かれていないものの、重たいはず。主人公がずっと有吉に見えた。
Minari(芹)は、Nausicaäのチコの実だった
「たまずび」で町山さんの解説を聴いてから観ました。
なので、「北の国から」もしくは「大草原の小さな家」の様な雰囲気を予想していました。
ただ、のっけから石積みの家でも、ログハウスでもなく、トレーラーハウスというところに、近代のアメリカを感じました。
町山さんほど、アメリカ事情に詳しくなくても、トレーラーハウスは貧困層の象徴として映画やドラマにしばしば登場するので、一家のおかれた立場が一挙に実感できました。
👨🌾
主人公の男(Jacob)を演じるのは、Walking Dead でお馴染みの Steven Yeun。
彼が、ヒヨコのお尻を見るだけで人生を終えたくないという想いは、男なら痛い程分かります。
ただし、一攫千金の手段として、借金してまで農業に投資する姿は、正直理解しきれませんでした。
「大草原の小さな家」の時代(19世紀後半)なら分かります。
まだ誰も手を付けていない草原を、開拓すれば自分のものになったからです。
ただその時代でも、天候不順に悩まされ、危険な石切場で出稼ぎしたり、ゴールドラッシュに踊らされる姿も描かれていました。
現代の日本なら、YouTuberやデイトレード、仮想通貨で一攫千金を夢見るのでしょう。
しかし、アメリカで観客に「我が家の話」として共感を得ていることから、時代設定である1980年代の移民にとっては、農業こそがアメリカン・ドリームの手段だったんですね。
👩🌾
中盤で、息子のDavidが協会で遭った白人少年(Johnnie)に、
"Hey David, why's your face so flat?" 「なんで君の顔は平らなの?」
って聴くシーンは印象的でしたね。
これは、とりようによってはdisられてる気もするし、アジア人に対する差別にも聞こえる。
ただ、Johnnieは家に招いてもくれるし、お婆ちゃんが倒れた時にも、親友のように遊んでくれる。
町山さんによると、アメリカには自国の世界地図上の位置を知らないくらい、世界情勢に疎く、特に保守的な南部では自分の身の回りにおきる事象にしか関心がないようです。
なので、アーカンソーの片田舎で育った白人少年が、アジア移民に初めて遭遇した時に、純粋な好奇心として、顔の平たさに好奇心をもつのは、必然だったかもしれません。
自分も、あの台詞には差別意識ではなく、「テルマエ・ロマエ」の"顔の平たい族"という言い回しを思い出させ、笑けてしまいました。
👨🌾
もう1つ印象的だったは、父子が水辺で芹を採るラストシーンでの台詞。
Jacobは、水辺に繁茂する芹を褒めながら「お婆ちゃんのお手柄」と言います。
しかし、この映画の最大のクライマックスの火事のシーンでは、やっと買い手が見つかった農作物は全焼してしまいます。
そのキッカケになったのも、脳溢血で半身麻痺が残るお婆ちゃん。
動機が善意であっても、Jacobに見えた僅かな光明まで焼き尽くされたかに思えました。
それでも、にこやかに繁茂する芹を褒め称えたのは、ちゃんと水源さえ確保すれば、韓国野菜もしっかりと育つことの、これ以上ない証だったからでしょう。
だから、今度はケチらずにダウンジングの助けも借りました。
「風の谷のナウシカ」では、核戦争後に汚染され、人間が呼吸したら即死する瘴気に満ちた腐海が広がる終末世界が描かれていました。
しかし実際には、腐海は土壌の汚染物質を吸い上げて瘴気として放出するので、腐海の下には清浄な砂が積もっていました。
「ナウシカ」のラストシーンは、ナウシカとアスベルが落としたチコの実が、清浄な砂で芽吹いている様子で終わりました。
それは正に、終末に芽吹いた希望そのものでした。
"Minari"における芹も、移民家族におけるチコの実であり、希望そのものだったに違いありません。
観る人によって分かれる作品
私にはあまり刺さらなかったけど
きっと考えれる脳みそを持っている皆様なら
考えたり感じる所があったんだろうなぁ
と、いう作品。
アメリカンドリームを掴むべく
色んな苦悩に立ち向かう一家の物語。
私はあのおばあちゃんにもアメリカンドリームを夢見る気持ちにも共感することなかったから
ちょっと冷めた感じでみちゃいました。
男はギャンブラー
シリアスな夫婦喧嘩にギャグを交えた作品。良作。
言語は韓国語と英語のバイリンガル。
良い点
・皆の演技
・時代選び
・キャラ
・ミナリの歌
・最後の抜き構図
悪い点
・終盤(導火線的、自滅的、やたら足が速い)
人によって感じるテーマが様々な映画
宗教の信仰について、当時の移民の苦悩、夢見るアメリカンドリーム。家族一人ひとりの感情もよく描写されていて、父の責任感故に周りが見えなくなる様子と、自分の無力さを痛感しながらもヒヨコを役に立つかどうか見極めるという皮肉さ。女性の苦難、今を大切にしたい母。この2人は中々噛み合わないリアリティ。その両親のもと育った姉は根っからの長女気質で弟の世話をしてあげることが自分の意義を感じているのでしょうか。この家族の間に入る祖母は不器用ながらも心の豊かさを家族に教えてくれます。
この映画は作中で多すぎるほど様々なことを表現していますが、この物語は監督の実話を基にされているらしいです。そうすると、おそらくこの映画の主人公は男の子のデビットなのでしょう。幼少期からの成長は複雑で、周りの様々な環境の些細なことまでが自身の経験となり、我を形成する要素になる。この映画は、そんな少年デビットの周りで起こりうる様々なモノゴトをリアルに表現されているのかもしれません。周りの環境がどうであれ、それが複雑で自身にとって辛いことであっても根を強く持つ、ミナリの様に生きていきたいです。
きっと、観る人によってこの映画から感じるテーマが様々なはずです。
走れ!デビッド!
淡々と静かに家族を描いていて、現実味のある展開で、ドキュメンタリー的なリアルさがある。
家族以外ではポールがなんとも言えない存在感がある。
自分の2人のおばあちゃんどちらともキャラは違うんだけど、おばあちゃんというのは、同居するとちょっとめんどくさいような、でも親が教えてくれないことを教えてくれるような温かい存在だったなと思い出しました。
親とは目線が違うから、子どもの人生に大きな影響を知らず知らずに与えているんだな。
鈴木福くんの小さい頃を思い出すデビッドと、おばあちゃんの関係性の変化がホンワカしてとっても良かった。
心臓の悪いデイビッドが走るのは観ているほうもドキドキすることだけど走りたかったんだよな、彼は。
セリのように逞しくどこででも生きていけるという希望をどん底の中の一縷の望みとして、じんわり余韻が残りました。
これが映画賞というやつか
数々の映画祭で受賞し、アカデミー賞最有力候補の呼び声が高い本作。それで期待値を上げすぎてしまったか、うーん…という落胆が大きかった。
評論家ウケする作品なのかもしれないが、この映画の面白さを解説してほしい。
タイトルの『ミナリ』は韓国語でセリを意味する言葉で、公式サイトの説明によると「たくましく地に根を張り、2度目の旬が最もおいしいことから、子供世代の幸せのために、親の世代が懸命に生きるという意味が込められている」とのこと。
その通りの家族がぶつかり思いやりながら暮らしていく日常が描かれている。日常というぐらい最後を除き特に大きな出来事は起きない。そのなかで何を語ろうとしたか。
強いて言えばおばあちゃんのキャラが良かった。
新進気鋭のコンテンツスタジオA24とブラッドピットのPLAN Bによる作品。新しいことにチャレンジしようとするあまり一周回ってしまった印象。ただ攻めているものは当たり外れや賛否両論があるのは当たり前。引き続き次回作には期待したいところ。
家族
モニカ役のハン・イェリはこの物語のテーマを愛だと語った。日常の(私たちにもよく起こるであろう)些細な出来事とそれから生まれる感情の機微をとても丁寧に繊細に描く。そしてその日常を通してこそ、愛は育まれる。とても大事なことを教えてくれる映画。
男の子は言葉を多く持たないがその演技で伝わる祖母への感情・関係性の変化がとても良い。
ミナリ ワンダフル!
50年代の朝鮮戦争を経てなお、60-70年代軍事政権下にあった韓国からは、多くの若い人たちが自由を求めてアメリカに渡っていた、なんてことを意識したことがなかった。私が見た中では初めての設定の映画だった。移民の子ども同士は英語、親と話す時はハングル語だ。我ら平たい顔族の子ども、可愛かったなあ。
家族のためと言いながら、仕事を成功させることに集中しすぎて、自己実現願望で家族の心の機微が読めていない父親というのは、どの時代、どこの国にもある話なのだろう。夫婦の諍いもまあ色々あったけど、白眉は初対面の「おばあちゃんと孫の少年」の関係性の物語だった。過保護なママとは違う異文化を引っさげて、韓国からやってきたおばあちゃん。ずっとハラハラさせられるマイペースっぷり。そしてラストのタイトルバックに「全てのおばあちゃんに捧ぐ」と縦書き。何だかほっとする。
病んでも、多少ボケても、人ってそこにいることでいろんな置き土産を残してくれるんだなあ。自信を持って年取っていこう、求められる限り、人と接していこうと思った。
祈る人と祈らない人の対比の表現も面白かった。
アーカンソー州、田舎度高そう。クリントン元大統領の出身地。
韓国映画というより移民から語るアメリカ映画
最後まで派手なエピソードもなく、淡々と進んでいくストーリー。
韓国からの移民だから起こる話というより、アメリカに新天地を求めてやってきた移民の人たちがぶち当たる、
貧しさや家族の崩壊、地域の人たちへどうやって馴染んでいくかの葛藤を
夫婦の関係や呼び寄せたおばあちゃんと孫の関わりなどから、韓国というフィルターから抜けて、語りかけてくるところがこの映画の良さなのかと思う。
移民という感覚が、元々、自分が住んでいた国にそのまま住んでいる人には、理解できるようで、感覚としては理解できないのかもしれない。
むしろ、外部からやってきた人たちを無意識のうちに排除してしまう感覚、それが習慣付いてしまっているのが、日本人の感覚なんだろうなあと思う。
そういう色々な国から、自分の居場所を求めてやってきた人たちが唯一繋がれるものとしてキリスト教や教会という存在があるのだとしたら、
他の国に比べて、日本でキリスト教が多くの人に根付かないのもよくわかる。
ミナリ(セリ)は、綺麗な水があれば、どんなところでも育つ植物。
孫のデイビッドの病気も綺麗な水によって、知らない間に少し良くなった。
井戸を掘る時にダウジングという怪しいものは信じられないけれど、自分の勘だけでは失敗してしまう。
おばあちゃんは、色々と問題も起こすけど、おばあちゃんがいなかったら、家族は本当にバラバラになってしまう。
「業に入れば、業に従え」とでも言うのだろうか。
なんでもかんでも最後うまくいくサクセスストーリーではないけれど、
どんなことが起きても生き抜いていける雑草のような強さというのが、今のコロナの世の中に癒しの感覚を与えてくれるのかも。
なるほどね
アカデミー賞候補というので、壮大なスケール? 社会問題? 差別? 心をえぐる? なんて構えてみると良くない。普通に見れば面白いが、ポスターの煽り文句につられて、変に展開の先を見てしまって逆効果だ。「大草原の小さな家」の現代版くらいで臨むと、観賞後にふわりとした爽やかさが残る良作かと思う。
表すれば、開拓をテーマにしたドラマ。その現実を、家族の息子であるデビッドを中心に、淡々と描く。心臓が弱く、走ることが出来ないデビッドとその家族が、アメリカの片田舎で、農業で一旗あげようと移住してきたところからはじまる。父のジェイコブは意気揚々だが、妻のモニカは移住先のトレーラーハウスを見て、意気消沈。姉のアンとデビッドは、満足もしてないが不満でもない様子。そんな家族のありようを、ドラマチックな演出は控えて描いていく。そんな家族に、妻の母親スンジャが加わり、物語のテンポが変わってゆく。
育ちのよろしくない感じのおばあちゃんに、最初は距離を取るデビッド。一緒に時を過ごすうちに、徐々に打ち解けていく。かたや父親の農業はなかなか軌道に乗らず、父母は喧嘩が絶えない。デビッドと祖母、夫婦の2軸を中心に、農業を手伝う熱心なキリスト教徒で風変わりなポールが加わり、微妙な関係の変化が丁寧に描かれる。
タイトルのミナリは、日本でいうセリとのこと。なかなかの厄介者である祖母が、同居を始めた時に近くの森の中に植えたのが、ミナリだ。韓国から来たこの家族と同様、このアメリカの大地に根付けるのだろうかと、イメージが膨らむ仕掛けだ。
観賞後、この家族がうまく行くことを、願わずにはいられない。
「ある移民の物語」では終わらない奥行きを持つ一作。
『バーニング 劇場版』(2018)の演技が印象に残るスティーブ・ユァンが韓国系移民家族の父親を好演。土壌は良いが他には何もない原野を購入して、これからここで一旗揚げると宣言するジェイコブ。その妻のモニカ(ハン・イェリ)は夫の言動に翻弄されつつも、懸命に土地を耕し、一家を養おうと奮闘する…。と、表面的にはある移民の奮闘記なんだけど、それだと十字架を背負って歩く知人の意味が良く分からない…。
一方で土地と奮闘する描写に、『天国の日々』(1978)や、『名もなき生涯』(2020)を連想していたんだけど、この連想はあながち間違いじゃなく、リー・アイザック・チョン監督はこれらテレンス・マリック作品から強い影響を受けて本作を制作したとのこと。その影響は作品のテーマに及んでいて、外形的には移民奮闘記である本作にも、マリック作品同様宗教的な要素が強く反映されていることが分かります。それは例えば、本作の主人公であるジェイコブの名前や、十字架を背負う男、そして何よりも土地を耕すこと、といった様々な形を取っていて、それらを注意深く見ていけば、全く別の作品のような側面が明らかになるという、奥深い作品。
映像的にもテレンス・マリック監督の影響が強いのか、光の写し方が非常に美しく、単なる原野、小川近くに群生しているミナリ(セリ)、ゆらめく炎など、どの場面も細部まで鮮やかに目に飛び込んでくるほど。
アカデミー賞の結果は本作の価値とは直接関係ないけど、やはりできるだけ多くの賞を獲得して欲しいと願ってしまいます!
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