劇場公開日 2021年3月19日

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「米アカデミー賞の作曲賞受賞に共感!!! 欧米はアジアの人生観にカルチャーショック?!」ミナリ H.Rouzeさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5米アカデミー賞の作曲賞受賞に共感!!! 欧米はアジアの人生観にカルチャーショック?!

2021年4月26日
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 この映画に出てくる7歳のデビッドのモデルは監督自身である。監督の少年記を本当に過去に戻って、カメラを回して撮影してきたような自然体感が、この映画のすばらしいところだといえる。
 日本が誇る名ドラマ『北の国から』の純少年と同等の立場なのに、湿っぽくなく、軽やかささえ感じるのは、背景に流れる明るく、快活なテンポにあふれる音楽によるものだと思う。この音楽がなかったら、この物語を通して監督が伝えたかったことは、観客に円滑には伝わらなかっただろう。
 『北の国から』と同じように、都会を離れ、田舎に引っ越して、慣れない仕事に就いて、家族を翻弄させる父親に家族が巻き込まれていくが、なぜか悲壮感がないのは、妻が共に夫に付いていき、妻の母親までもが、言葉もわからない、初めて住む土地に、家族の生活を助けるために遠い国からやってきて、一緒に生活を共にしてくれたからだと思う。
 欧米諸国である種の感動を呼ぶのは、この家族が協力し合う状況だと思う。使用人を家族と同等の扱いをすることも、ある種のカルチャーショックを与えたのだと思う。
 『なぜ?』と思うのだ。現実では、『汝、隣人を愛せよ。』と教えるキリスト教が布教している国なのに、隣人を愛せていない状態が通常なのだ。だからこそ、明確に言葉が通じない、町の人達に変わり者と言われている人を使用人に雇うこと、人生の終わりを豊かに、静かに過ごし、生まれ育った国で最後を迎えたいと誰もが考える年令である老婦人が、わざわざ苦労をするために、遠い国で人生の残りを過ごすことを選ぶこと、このようなアジアの人生観については、理解し難いのだ。
 監督は、観客に問題を投げかけている。『妻の母親の行動を愚かだと思うか?』 『彼女は自己犠牲が強い性格だと思うか?』 『彼女の人生は不幸だったと思うか?』
 実は、現代社会に存在している自分自身(監督)自体が、この幼少期に祖母に投げかけている言葉だったのだ。 『ねぇ、おばあさんは、ここに来て幸せなのか?僕たちとこんな場所に居ることで幸せだと思えているのか?』と、そして、映画の物語の中では、デビット少年が、祖母と二人でいるときに口癖のように、そのように祖母に尋ねているのだ。
 しかし、家族の傍に彼女がいたからこそ、デビット少年や妻の夫、家族は、あの苦労の絶えない環境を狂うことなく、耐え、過ごすことができたのだ。
 少年の頃の自分や家族、祖母の心の在り方を回想しながら、考慮していくうちに、あの頃にはたくさんの人々が持っていた『他の人と喜びや幸せを分かち合える心の在り方』を現代人は失いかけているのだということに気が付いたのだ。
 この映画は、人と人とのつながりを大切なものとし、隣人を家族と同じように愛せること、家族のそれぞれが、互いの家族の心の支えとして存在し続けることの重要性を知っていることが人として生きていくためにどれほど貴重なことかを教えてくれるのだ。

H.Rouze