名前の問題は、自分のアイデンティティを1番表の部分で最初に表す部分であると思う。
在日韓国人の名乗りの問題もあるし、未だ夫婦別姓が使えない日本で特に女性が不便を強いられる問題でもある。
とても静かに、そして優しく、本質に迫る大切なことをたくさん教えてくれる映画だと感じました。
阪神・淡路大震災の日、東京で暮らしていましがそれでも、あの頃のことが数々思い出されました。
胸が痛んだけれど、痛む心はそのままでいいんだな。
強がらなくていいんだってことも安先生には教えてもらいました。
弱いってことは他人の辛さをより敏感に感じ取り相手に共感できるという良い面でもあるとは、気持ちが楽になりました。
あれこれたくさんやらない理由がある時は、やらない言い訳を探してるだけでやらない理由は何も無いのと一緒、そういう時はやった方が良いのだと頭がすっきり整理されました。
心の問題は、誰一人ひとりにしないこと。寄り添うだけで良いのだということも。
濱田岳がコンサートホール近くの階段で、柄本佑の横が特等席だと言うシーンも好きです。
辛い時に横にいてくれるだけでいいのです。
劇場はすすり泣き、鼻をすする音が聞こえ、観客もそれぞれの立場であの頃のことが思い起こされたのでしょう。
子どもたちの地震ごっこも心の整理のためなんだと受け止める優しさが好きです。
キックベースのシーンも素晴らしかった。
余談ですが尾野真千子とキムラ緑子は声も雰囲気も似ていて、嫁姑ではなく母子のようでした。
柄本佑と濱田岳が、子役を使わず、高校生の時のシーンから自身で演じたところもよかったです。
幼い頃から高校までは安田で、大学生の頃は不安の安と名乗っていたのに、いつしか安心の安と名乗るようになったことからも安先生のアイデンティティの良き変化を感じます。
そして子どものアイデンティティとなる、名付けも大切な部分。
終子さんの第1子が春子さんであったこと。春は始まりの季節ですからね。終子も春子もどちらも良い名前。
父が立ち会えず生まれてきた第3子の名前が、あかりちゃんというところが、希望の灯やルミナリエを思い起こさせてよかったです。
この作品は全ての人がそれぞれの立場で何かを感じれば良いのだと思います。
映画化されてこの作品をしる人が増えて良かったと思います。