くれなずめ

劇場公開日:

くれなずめ

解説

「アズミ・ハルコは行方不明」「君が君で君だ」の松居大悟監督が、自身の体験を基に描いたオリジナルの舞台劇を映画化。高校時代に帰宅部でつるんでいた6人の仲間たちが、友人の結婚披露宴で余興をするため5年ぶりに集まった。恥ずかしい余興を披露した後、彼らは披露宴と二次会の間の妙に長い時間を持て余しながら、高校時代の思い出を振り返る。自分たちは今も友だちで、これからもずっとその関係は変わらないと信じる彼らだったが……。6人の仲間のうち、主人公・吉尾和希を成田凌、舞台演出家として活躍する藤田欽一を高良健吾、欽一の劇団に所属する舞台俳優・明石哲也を若葉竜也、後輩で唯一の家庭持ちであるサラリーマン・曽川拓を浜野謙太、同じく後輩で会社員の田島大成を藤原季節、地元のネジ工場で働く水島勇作を目次立樹がそれぞれ演じる。

2021年製作/96分/G/日本
配給:東京テアトル
劇場公開日:2021年5月12日

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(C)2020「くれなずめ」製作委員会

映画レビュー

4.0愛おしいほどの時間が流れている

2021年4月29日
PCから投稿
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牛津厚信

4.5立ち止まることの肯定。友の記憶と共同幻想

2021年4月26日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

笑える

楽しい

幸せ

古い友に限らず、家族であれパートナーであれ、大切な人と豊かな時間をともに過ごした記憶はたとえ意識の奥底に沈んでいても、何かを見聞きするなどふとした拍子に思い出されたりするものだ。あるいは、大切な人が「ふっといなくなった」後でも、夢に出てきて何の違和感もなく昔と同じように会話したり笑いあったりということだってある。誰もが経験する大切な人の記憶をめぐるそんな心の動きを、何とも鮮やかな手法で作品化したのが松居大悟監督の「くれなずめ」だ。 友人の結婚披露宴で余興の「赤ふんダンス」を披露するため久しぶりに集まった高校時代の仲間たち。高校当時は帰宅部でさえない彼らだったが、文化祭の出し物を一緒にやったことで意気投合し、卒業後も毎年のように集まっていた。だが5年前にある重大なことが起き、それ以来会っていなかった彼らが久々の再会を果たしたのが、映画冒頭の披露宴会場での打ち合わせだ。 「老けたなあ」「全然変わらないっすね」という再会場面でありがちな言葉のやり取り。あるいは、飯豊まりえが演じる会場スタッフの言動。冒頭のシークエンスからさりげなく伏線がいくつもはられている。ただし、始まってからものの十数分で、この映画の仕掛けに関する種明かし――とまではいかないにしても、かなり明白な示唆――が吉尾(成田凌)の口から告げられる。 「暮れなずむ」からの造語であるタイトルは、昼から夜に移る狭間の時間である夕暮れ時に、先へ進まず敢えて立ち止まることを肯定する言葉として受け止めた。劇中で描かれることの大半は、披露宴と二次会の間にぽっかりと空いてしまった狭間の時間であると同時に、彼ら一人一人の回想を通じて次第に明らかになる、5年前の出来事にうまく折り合いをつけられずにいる人生の停滞期とも呼ぶべき現状だ。 彼らが過去と折り合いをつけられるように本作が用意した仕掛けは、ある種の共同幻想だ。現実の事象に寄せて解釈するなら、集団幻覚に近いだろうか。本作は松居監督によるオリジナル舞台劇の映画化だが、演劇にせよ映画にせよ、劇中の虚構を観客が真実であると信じるという意味で、劇や映画を観る行為もまた共同幻想のようなものかもしれない。 過去の悲劇を克服して前へ進めというポジティブな励ましは世にあふれている。だが無理して進まなくていい、人生に立ち止まる時期があっても、会えなくなった大切な人をゆっくり想う時間があってもいいじゃないか。「くれなずめ」はそんな別の選択肢を示してくれたように思う。

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高森 郁哉

4.5思い残したことなど、都合よく書き換えてしまえ

2024年5月31日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

タイトルに込められた様々な意味を一つ一つ感じ取ると、青春時代の終わりを感じ、妙にしんみりした気分になった。 イケていない者同士が集まって彼らなりに過ごした時代。 お互いのダメ出しをしながら一生懸命生きている。 男子にありがちなバカでふざけたトーク。 5年ぶりに集まった理由は、友人の披露宴でする余興のため。 彼らだけに見えるヨシオは、5年前に心臓病で急逝した。 いつまでも続くと思っている青春が、終わらないまま途切れ、動けなくなっていた。 余興は大失敗した。 原因は、当時のままではないこと。ヨシオがいないこと。妙にその事実だけが彼ららしいバカ一直線のパフォーマンスになれず、気恥ずかしさによる曖昧な演技によって余興が盛り上がらなかった。 彼らが感じた心の空白。 二次会までの時間を使い、5年越しの想いを少しずつ話し始める。一つ一つ当時のふざけた行為を再現しながら、お互いその場所まで戻り、しこりの残った思い出を変化させようとする。 ヨシオが生き返ったかのような映像は、おそらく仲間の誰かのしたことだろう。 特にミキエへの告白はミキエの気分を悪くしキレキャラが際立つが、そもそもキレキャラであるが故、彼女の心情が見えない。 そんなトリックを使いながらヨシオの引き出物を畑に埋めようとする。 その畑の持ち主が現れるが、ヨシオにそっくりで皆驚きを隠せない。 彼の幻想が見え「過去なんか都合よく書き換えろ」というヨシオの言葉で皆であの日の出来事を再現した。 最後に見た彼の記憶と当時の状況。皆同じ気持ちで、ようやくヨシオを送り出せた。 あの日以来滞ったままだった時間。 やがて二次会の時間。 もうすぐ日が暮れる時間。 彼らの青春時代もようやく幕を閉じることになる。 下手でもいい。自分なりに一生懸命だった青春時代。 ずっとヨシオの影を引きずっていた5年間の終焉。 ちゃんと自分たちで締めることのできた青春。 ふざけた映画だったが、心のまま楽しんで生きていた彼らの青春の素直さに涙が止まらない。

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R41

4.5友だち

2024年5月12日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

泣からの笑ってるんかーい 笑えましたw 6人が実は5人だった。。 でも6人なんだよね 友だちなんだよね とても温かい気持ちにな った!見てよかった ありがとう!

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chagall