ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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ノーウェアマン
原作は未読。「ノルウェイの森」もこの作品もアルバム「ラバー・ソウル」の曲名だけど、音楽好きの作者を鑑みると、タイトルから逆算して物語を構想したんじゃないかと勘繰ってしまう。本当のところは知らないが、村上春樹はそういうことができてしまう作家だと思うので。
チェホフの「ワーニャ伯父さん」や奥さんの夢物語など、他のテキストの引用符によって重層的な構造や多義性をもたらそうとしているが、手法としてそう新しいものではない。かえって、そういう枝葉を取り去ってしまうと、狭い世界のこぢんまりした話にも思える。
何というか、登場人物が変な人ばかりだ。奥さんの性癖も変だけど、それを黙認している主人公も変だし、若い俳優の言動も変なら、ワークショップの主催者もかなり。女ドライバーの母親の二重人格まで飛び出してきたのには、さすがに鼻白んだ。そのシーンで、それまで寡黙だった彼女の長い告白口調にも違和感があった。
主人公はずっと所在なげで、その場から距離を置いているような佇まいだ(演出中を除いて)。ラストシーン、韓国らしきところで主人公は不在である。女ドライバーは依然、主人公の車を運転している。韓国人夫婦の飼っている犬も乗っている。謎めいた終わり方だ。
久々に大人のドラマを観た
やっぱり土台がいいと全体がいい、なんせ村上春樹だからねー。
展開はラスト5分の手話の手の動きと家福の目の動き。未来を見つめる目、手話じゃなきゃあの目の動きを引き出せない。あの見つめる先に2人の未来がある。
しかし、この作品は金がかからなかったよねー、特に人件費。舞台挨拶だって4人行けばせいぜいだし、それで作れるだよねー。
最後に何故車が韓国に行ったのか、家福の目が悪化してあげたんだろね、何故みさきは韓国に行ったのか、日本を離れたかったんだろうね、彼らと、
手話と犬にやられた作品だった。
呼応し合うとはなにか
序盤からの違和感の強烈さが印象的でした。
村上春樹は苦手だからかなと思っていたが見当違いだった。人と人とが呼応しあうことの本質を突きにきているような映画で、それには必要な違和感だったのです。
夫婦は一般的に一番コミュニケーションが密になると思いきや、その歪さが妻がが生きているときに描かれる。
コミュニケーションしてるはずなのに、繋がっているはずなのに、心ここに在らず、通じ合っていないような違和感が散りばめられていた。
彼女の突然死によって、その夫婦の呼応がなくなるかと思いきや、そうではなかった。
車で流れる彼女のセリフとの掛け合いを通して、逆に、誰も寄せ付けないと言わんばかりに密な時間になっていく。
またその車を運転することになるドライバーと、西島さんの演じる主人公は、すぐ通じ合う不思議。
呼応し合うことと、その人物たちの関係性についての投げかけは、主人公のワークショップでさらに深堀される。
異なる背景を持つ役者たちが、各々の言葉で見事に呼応し合って作り上げられる演劇をみせることは、本音で向かい合う度合いによって、その呼応はより豊かで密なものになるということの証明のようだった。
そこには夫婦のような関係性もいらないし、共通の言葉が話せることすらいらないんだということ。
一度捨てた辛すぎる記憶や経験でさえも、見つめ直すことは決して後ろ向きなことではなく、前に進む一歩となるんだ、と強いメッセージを感じました。
「会話劇」
今年25本目。
車の中での会話がこんなに惹き付けるとは。
車の中で岡田将生と西島秀俊の所が一番良かった。舞台では手話など効果的。舞台でこうあって欲しいのが最後ちゃんと実現している。
週末動員ランキング2月12、13日が26週目で圏外から8位に。27週目も9位。
ここまでの話題作見れて良かった。
目が離せない
米アカデミーにノミネートされる日本映画ってどんな作品なんだ!と、観ないわけにはいかないという思いだけで観た作品。
日本映画独特の雰囲気が流れる中、冒頭から文学的かつ官能的。そこから引き込まれて目が離せなくなった。
内容は一言でいうとよくありがちな、遺された者達が各々の想いを持ちながら、過去を振り返りながらも少し寄り添ってこれからを生きていく系。
だが、家福とみさきの初対面からの関係性がすごく丁寧に描かれている。つかず、離れず、ごく自然に心を寄り添っていく。
言葉をかわした数でもなければ、一緒にいた時間の長さでもない、居心地の良い空間が2人の間でごく自然に流れていく。
印象的なセリフは
みさきが言った奥様に秘密なんてなくて、旦那を愛したのも、男を求めたのも、全てその人だった的なセリフ。
人は、特に愛している相手なんていうのは相手の気持ちを知りたいのとは裏腹にどんどん相手の事がわからなくなっていくけど、複雑にしているのは自分自身なだけで、本当はもっと単純だったりする。
いい映画だった。
アカデミーも楽しみ。
頑張れ!女性ドライバー!(途轍もなく長い追記が有ります。)
はい。良く私の馬鹿レビューを覗きに来て頂きました。
皆様にとってはきっと過去の映画でしょう。でもね、私はさっき観たばっかなんですよ。これがまた。
なんか凄い事になってます。アカデミー書に作品賞を含む4部門にノミネートって、あんたバッタもんの日本アカデミー賞じゃありませんぜ!(失礼しました)象印賞でもないでっせ!
もしかすると、もしかするかも知れませんよ。
それ!死語だし‼️
さてこの映画ですが観たかった。いえね評判は良いのは知ってましたが、このサイトの大尊敬するレビュアーの方々が揃って高評価。
やばし!どうする?そしたら、地元で上映!行くでしょ!行くっきゃない!
但し上映時間は3時間。長いねー。耐えられるか?根気がない私は。睡魔って言う魔物。襲ってこねえか。膀胱耐えられるか。
はい!大丈夫でした。飽きずに眠たくならず観られました! というより面白かった‼️ 何故か?
まずは、簡単にストーリーを・・・主人公 家福悠介(西島秀俊)は舞台演出家 兼役者です。妻の音(霧島れいか)とラブラブです。
また死語だよ‼️
音は元女優で今は脚本家。背中だけでもセクシーです。眼福です。セクシーサンキュー。
家福は愛車の サーブ900の中でいつもカセットを聞いています。演出家として役者として。本当にいつもいつも。声は愛妻の音。内容は「ワーニャ伯父さん」
唐突ではございますが、ここで謎かけを・・・
整いました!
「ワーニャ伯父さん」の作者と掛けまして。
林先生と解きます。
その心は?
知恵豊富(チェーホフ)です!
もの凄くくだらないよ‼️
ある日の事です。悠介は仕事がキャンセルになり自宅に戻ると、信じられない出来事が!
クラシック音楽に混じり嬌声が聞こえる!
はい。愛妻 音 の情事の真っ最中でした。これって刃傷沙汰?いえいえ悠介は静かに扉を閉めます。何故?
その後も悠介は何もなかったように 音 と過ごし性行為を行います。音には奇妙な性癖がありました。絶頂が近づくと自らが妄想したドラマを語りだすのです。これです、覚えておいて下さい。
ここからややネタバレ気味になります。言いましたよ。
ある日の事、音の突然の死。しかも数年前には愛娘も死んでいます。強烈な喪失感。
ここまでが全体の物語の10%くらいです。
2年後、悠介は広島にいます。演出家として招かれたのです。主催者は言いいます。劇団の方針として貴方にはドライバーを付けます。
いや、車中は俺のプライベートスペース。愛妻の音の声を聞きながら練習をする貴重な空間。やだよ。
それでも・・・規則ですから。
常識人の悠介は渋々納得。
ドライバーは若い女性、渡利みさき(三浦透子)
いやね、暫し個人的な見方なんですが、ひとつ前の私のレビュー「ちょっと、思い出しただけ」に通じるんですよ。皆さまには逆でしょうが。
若い女性のドライバー(ちょっと、思い出しただけはタクシードライバー)です。基本的に安全運転。お客様に過度に干渉しない。
演じる三浦透子さんは感情を露わにしないんですが、良いですね。逆に素晴らしい。
まだ共通点が有ります。「ちょっと、思い出しただけ」の主人公と同じ喫煙者です。女性なのに。
かなりの意味が有ります。喫煙者イコール悪、みたいな描き方には違和感が有ります。最近の映画って全部そうでしょ?
二ヶ所、いや違うって言う描写が有ります。北海道の所、うまい!非喫煙者も納得すると思います。
伏線の回収も良いです。さらにラストの場所です。色々な解釈が出来ます。(ワンコもいるよ)ただね、みさきの表情が違うんですよ。胸キュンです。
また死語かよ‼️
明日きっと、チェーホフの本を買いに行きます。知恵が足らない私も。さっき観た映画なんで乱筆乱文です。
ごめんなさい。
さらに、こんな長文、駄文を読んで頂き・・・
スパシーバ‼️
・・・・・・・・・・・
追記
追記します。最初のレビューは観てすぐに書いてしまいました。興奮して簡単に書いてしまいました以下箇条書きですが、私の考えを語らさせて頂きます。今更言うのもおかしいんですが完全なネタバレです。
①チェーホフについて
ワーニャ伯父さんを読みました。帝政ロシアの頃の話です。テーマも分かりづらいのですが「苦難に耐えて頑張って生きていく」
もし奇特な方がいて、この本を読んでみようかと思ったら、ネットで人物相関図を見る事をお勧めします。また自然保護や年齢の離れた結婚などのテーマも内包しています。
② 村上春樹の原作について
村上春樹の原作を読みました。短編集「女のいない男たち」の一編、ドライブ・マイ・カーが収められています。全体のテーマは表題通り、女のいない男たち です。簡単に言うと恋愛小説です。
恋って色々な言い方をされます。例えば「恋の病」「恋は盲目」ETC……
私がぴったりの言葉を思い付きました。それは・・・
.
恋は思案の外
恋は落ちるものです。年齢、性別、国籍、社会的地位、そんなものは関係ありません。
さて原作のドライブ・マイ・カーですが映画とは違います。大きく違うのは二つ。まず高槻との関係です。
映画では「ワーニャ伯父さん」のキャスティングを通じて親交を深めますが、原作では家福自ら酒席に誘います。そして握手をします。
嗚呼・・・この手で音の乳房を撫で回したのか・・・
この男にあって自分になかったものは何なのか?
そう言う事をみさきに吐露する物語です。ワーニャ伯父さんの話しはあまり有りません。またみさきについての記述もあっさりしてます。
私は音を中心にした三角関係のお話だと感じました。ただし音は亡くなっています。ワーニャ伯父さんはワーニャの妹【死亡】その娘ソーニャ、ワーニャの妹の元の旦那、退職した大学教授 セレブリャーコフの話しです。つまり中心が不在。
メタファーとしてワーニャ伯父さんを使ったのでは?
そう思いました。
③ ネーミングについて
主人公は俳優で演出も手がける、家福(かふく)です。島根県に10人しかいない激レア名字。これは、禍福(かふく)は糾える縄の如し(いい事と悪い事は交互に現れる)からだと推測しました。
妻の名前は 音 。文字通り音(声)です。カセットテープから流れる。まだありますが後述します。
④ 何故サーブの色を赤にしたのか?
原作では黄色のサーブを赤に変えています。何故でしょう。私は信号だと思います。赤は止まれ。家福の中では時間が止まり、音との関係をずっと考えている。
⑤ 喫煙シーンについて
広島でのワーニャ伯父さんの芝居は9ヶ国語が飛び交います。共通語として英語です。つまりダイバーシティ、多様性もテーマにしています。喫煙者は近年、非常に差別されています。人間じゃないくらいの勢い。原作者と監督はそう言う風潮に異を唱えた。あらゆる差別はダメだと。
みさきが喫煙者の理由は過酷な生活を送ってきた、みさきのいわば【よろい】 蚊取り線香みたいなもん。
⑥ロケーションについて
家福は広島の劇団に招かれ演出を担当します。キャスティングまで含めて。
広島は原子爆弾によって壊滅的に破壊され、そして復興しました。災害大国の日本のいわば象徴。もちろん世界にも名を知られている。
みさきは家福を廃棄処理施設に案内します。ここは平和記念公園と記念碑の延長線上に有ります。ただ平和について劇中では声高には語っていません(原作では広島は出てきません)
北海道のシーンでは家福は思わず本音をみさきに吐露します。一面の雪景色。真っ赤なサーブ。わかりますね。日本の国旗の配色です。ここは日本だ!また穏やかな瀬戸内海との対比も計算しています。
みさきは買って来た花を母が亡くなった廃墟に手向けます。そして煙草に火をつけます。少し雪を掘って線香にします。私はもうひとつ意味があると感じました。前述したように煙草はみさきにとって【よろい】
それを脱ぎ捨てた。この人の前では裸になれる。
みさきは頬に傷があり、虐待されてきたのでしょう。いじめにもあってきたのでしょう。心を閉ざしてきました。楽しい時は笑い悲しい時は涙を流す。それでも生きて行く。
車中でずっと聞いていた。ワーニャ伯父さん。
⑥ ラストシーン、みさきは何故韓国にいたのか?
順番が前後しますが高槻の不祥事によりワーニャ伯父さんの公演は危機に陥ります。高槻は主役。さあどうする?
結局、家福がワーニャを務めます。
ワーニャとソーニャの感動的ななエンディング。ソーニャは発声できないので手話です。
暗転
韓国のスーパーマーケット。買い物をするみさき。流暢な韓国語を話しています。駐車場に赤いサーブ。車中には広島でお世話になったコンさんの愛犬。サーブは滑らかに走る。走る。明日に向かって。
エンドロール
さて最大の疑問ですね。どういう事?
解釈その1
劇団の公演で韓国に行った。少し無理が有ります。チェーホフですよ。海外だとお金がかかる。色々。集客できるのか?さらにサーブをフェリーで運んだのか?犬の意味は?
解釈その2
みさきは韓国での生活を選択した。サーブは運転が出来なくなった家福から譲り受けた。いや外車は維持費が高いんですよ。ガソリン代ですね。さらにイタズラを防ぐために屋根付きの駐車場が必要。ただで貰ったとしてもありがた迷惑でしょ。
で、考えたわけです。ある考えが頭に浮かびました。いや、まさか!しかしまたその考えが頭に浮かぶ。再度打ち消す。その繰り返しです。灰色の脳細胞をフル活用しました。それは・・・
みさきは家福と結婚して韓国にいる。
・・・です・・・
唐突ですが世界地図を想像して下さい。但し日本が真ん中のでは無く大西洋が真ん中の欧米のです。
どうですか?日本は東の外れのちっぼけな国です。
極めて東。極東と言う言い方は欧州から見てです。ふざけんなお前らが真ん中かよ! やや東が中東。
極東の島国の上の半島。これもちっぼけ。岬にしか見えません。
渡利みさきは韓国籍だった。
【わたりみさき】ネーミングの所で語っていた最後の一人です。みさきをわたってきたんですよ!但しお父さんは日本人です。つまり二重国籍ですね。お母さんとは韓国語で会話していました。流暢なはずです。
北海道のあと、みさきの心は動きました。あんなに憎かった母を許しました。
話しは前後します。主役の高槻の逮捕により公演が出来なくなりそうになった時、家福は二日間の猶予をくれとプロデューサーの コン さんに告げます。そして、みさきに君の生まれた街に行ってくれ。ちょっ待てよ!
広島から北海道ですよ。絶対に日帰りでは不可能。アイルトン・セナでも無理。
つまりは必ず一泊するわけです。みさきは何も無い所ですよと言いつつ、普通に車を走らせます。
この時、みさきには予感が有りました。家福との。
二人の間の恋愛的な描写は全く有りません。また年齢差も有ります。(みさきは亡くなった家福の娘と同じ年齢)
コンさんはみさきの親戚でした。色々と世話をしていたんですね。
話しを戻します。だからみさきは母を許し母国に【帰り】ました。コンさんとそして女性に真面目な家福とともに。
かなり無理のある考えなのは重々承知です。絶対の自信もありません。でも私にはこの二人は一緒になったとしか思えないのです。
恋は思案の外
サーブの色は赤です。最後のサーブは【情熱】
⑦アカデミー賞について
4部門にノミネートされています。作品賞、国際長編映画賞、監督賞。脚色賞。国際長編映画賞は以前は外国語映画賞と呼ばれていました。
まず国際長編映画賞は必ず取ります。今まで作品賞と同時ノミネートされた作品は全部とっています。手ぶらでは帰りません。
タバコが美味いんじゃ。。。
劇中劇を多言語化する意味。
言葉の壁を乗り越えるって、難しいんやな。
心の声って、言葉にしずらいよな。
そんな気持ちにさせてくれる映画でした。
ただ、それって可能性があるってことやんね?
中工場という平和を繋ぐ場所で、タバコを吸う2人。
車の中でタバコを吸う2人。
まるで、心と心を繋ぐかのようなアイテム。
タバコって体に悪いけど…
会話ない中、吸ってる時間。普段話さないのに、普段話さない事を話し合ったり、他人に自然体になれるんよな。
映画の中のタバコの表現が大好きでした。
映画評論家の評価が高くても人に薦めるかって言えば微妙・・・
リバイバル上映レイトショー『ドライブ・マイ・カー』
公開時も上映時間が長いからなのか、タイムスケジュールに合わず・・・
リバイバルになってからも朝イチのみ、、、、って諦めてたらレイトショーやってました。
アカデミー賞ノミネートの邦画作品って事で、観とかないとって事で、179分チャレンジw
簡単に言えば2部構成って感じで、序盤は奥さんとの話で・・・・
その後は、急死した奥さんの事を引きずりながら葛藤する主人公と訳ありドライバーの話
中盤は、舞台演出のシーンが延々と続きますが・・・・
私的には岡田将生さんの熱演の方が、インパクトあり!!
ただ評価が高くても人に薦めるかって言えば微妙で、映画としてはやっぱり長い。
アジア初のアカデミー賞作品賞を獲ったパラサイトと比べると・・・・
パラサイトの方が、メリハリあって面白かったです。
ザ村上春樹
アカデミー賞にたくさんノミネートされたとのことで遅くなりましたが見てきました。
テーマはザ村上春樹で「喪失感」。
脚本家の妻がセックス後に語るというシチュエーション、その物語が非常に奇妙で印象的でした。
岡田将生が非常によかったです。日本アカデミー賞の何か賞をあげたいです。
そして濱口監督。
しょうもない邦画が多い昨今ですが、海外で評価される新たな日本人監督が出てきたことが誇らしく、これからが楽しみです。
三浦透子さんを見守る映画
チョコミミで知った三浦透子さん、すっかり大人になった姿が楽しみで視聴しました。
ラストでちょっと美しくなった姿にはほろりと来ました。危うく下手と思われそうなぶっきらぼうで表情の無い演技からみさきという人物の心の影をひしひしと感じました。この映画は彼女の心の動きを静かに見守る映画だと思います。
西島さんはいつも通り何やっても西島さんなので置いておいて。
岡田将生くんのゲスっぷりは良かった!「悪人」以来彼にはずっとゲス役をやっていてほしいくらいです。
残念ながら奥さんには何の魅力も感じませんでした。雰囲気も喋り方も声も、せっかくラブシーンだらけなのに体にも。なぜ西島さんと岡田将生くんが執心したのか全く謎でした。
一番良かったのはエンドロールの音楽ですかね。
本家アカデミー賞を始め、名立たる映画祭を席巻したのも納得!!!
村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」に収録された短編の映画化であるが、カンヌ国際映画祭脚本賞を始め、今年のアカデミー賞に日本映画として初の作品賞としてノミネートされたのも納得のまさに会心の出来栄え!!!
観るまでは3時間の長丁場を始め、村上春樹独特の理解不能な世界観(?)等々、ネガティブなイメージが先行したが、全くの誤解であった・・・・・・・!
特にこれといった感動シーンがあるわけでもなく、またお涙ちょうだい的な要素も無い中で、一気に見せられてしまうこの濱口竜介監督の演出力には本当に脱帽!!!
またその演出に見事に応えている西島秀俊を始めとするキャストにもただただ拍手!!!
最近のアカデミー賞は非英語圏の作品がオスカーを取る事が続いているが、是非ともこの「ドライブ・マイ・カー」にもその一役を担って欲しい、切に思える納得の逸品である!!!
半ばがやや長いか
村上作品の小説の世界観が好きなのであまり期待せずに鑑賞したが、面白かった。
登場人物のイメージそのままの役者さんがぴたりとあてはまり、話の展開にも引き込まれた。
映像は美しく凝ったストーリーで、高尚な映画だと思う。ラスト近くの西島秀俊さんが慟哭する場面も胸に響いた。
ただ他の方の指摘にもあるように、中盤が長く感じる。3時間の映画といえば超大作。もう少し短く出来る場面もあったのではないか。
完璧な映画。アカデミー賞を獲っても驚きません
完璧な映画。
淡々と流れていくシーンの中に配置された伏線がラストに向かって幾重にも折り重なってそれぞれが説得力を持ち、納得のラストにつながっていく。長いが、その長さがこの映画を仕上げるために絶対に必要な要素になっている。
後から気になって原作を読んでみたが、よくぞこの短編小説をここまでの映画に広げることができたと感嘆します。ストーリーの核となる主人公の「後悔」は、確かに原作の中心にあるものだが、その周りに付加された色々な設定や味付け、例えば「(舞台)役者の仕事ぶり」、「独特な戯曲の演出方法」「ドライバーの生い立ちに関わる具体的な描写」、「妻の創作の中身やストーリー」、「性に関わる主観と客観のバランス」、「善良な登場人物の生き方や優しさ」、「瀬戸内の美しい風景」etcが、絶妙なバランスで絡まりながら、シーンごとに観客に共感や疑問を投げかけつつ、それらが近づいたり離れたりしながら、最終的にいくつもの納得につながっていく。また、同時にストーリーの核となる、主人公(とドライバー)の心は予想外の展開の中で淡々と、劇的に、悲しく、美しく描かれていく。
おそらく、この映画にちりばめられているいろいろなシーンや登場人物の気持ちの断片は、観客それぞれの異なる人生経験、後悔、悩みをそれぞれに喚起して、考えさせ、感じさせ、最終的には多くの場合にそれらを共感、あるいは納得という形で帰着させることができるのではないかと思う。そしてそれぞれが、最後には主人公(たち)のストーリーに納得感を与える味付けになっていく。ストーリーの途中では、各キャラクターの言葉や行動に正直「違和感」や「疑問」を覚える段階がいくつか訪れるが、それぞれに「答え」が用意してあり、一つ一つ回収していくような丁寧なステップを踏みながら、物語はクライマックスへと向かっていく。その過程で、映画は観客それぞれの後悔や悩みに対する「答え」や「新たな問題提起」を与えているように思える。見終わった後に感じる、何とも言えない「納得感」(あるいは「爽快感」と言ってよいかもしれない)はその結果ではないかと感じる。そして、それらを可能にしているのは、間違いなく、細かく、丁寧に練り上げられたプロットと脚本の力によるものではないでしょうか。
アクション映画やSF映画で伏線(事実や因果関係)を回収することは、観客に納得感を与えるために大切(というか必須)ですが(一方、大作と言われる多くの映画でも、それが全然実現されていないのも、また事実です)、「心」や「気持ち」の動き、一つひとつを回収して、ストーリー展開の中で”観客と一緒に”答え合わせし、矛盾なく整合させることがどれだけ難しく、また、それがきちんと行われたときに大きな納得(≒感動?)が得られることが、この映画を観てよく理解できたと思う。この映画の監督と脚本家の仕事、それを忠実に実行したキャスト達の仕事に敬意を表したい。そういう意味で「完璧な映画」です。
家族に会いたくなる映画。家族に見せて感想を聞いてみたくなる映画。
ところで終盤、「マイ・カー」がスタッドレスタイヤを履いていたのか、あるいは、いつ履き替えたのか、はたまた、ノーマルタイヤで北海道の雪道を走る、という超絶技巧というものが存在するのか、という1点については疑問が残ってしょうがありませんでした。
また、ラストシーンのハングル文字の描写と、それが意味する新たな人生の(ポジティブな?)展開に関して、欧米の観客がどれだけ理解し、想像できるのか、は甚だ疑問です。そういった「伝わらないかもしれないディテール」のせいで、アカデミー賞受賞が遠のくとしたら残念です。(別に受賞しなくても驚きませんけど。)
村上春樹原作ということをかなり考え抜いた作品
カンヌ国際映画祭で受賞したという前評判を聞いて見に行く。
開始早々BitterEnd(苦い結末)というロゴがちょいちょい出てきて、ああ重いテーマの作品っぽいしそういう結末なんだろうなと示唆される(最後まで見るとこれは先入観持たせるための引っ掛けなんだろうと思う)。
冒頭から棒読みのセリフが続く。村上春樹作品ということで、前にノルウェイの森の映像作品の全編棒読みがトラウマが思い起こされて、「失敗したかな」と思ったが、これは最後にいい意味で裏切られる。メタ的な言い方をすれば、この映画は村上春樹原作だが、監督はまず延々3時間近く村上春樹の意に沿った進め方を忠実に守りつつ、それを最後に裏切って村上春樹を乗り越えるという試みをしていると思う。
村上春樹原作ということで、ストーリーというか雰囲気というか展開みたいなものが前宣伝から大体わかってしまいそうなところを逆手にとっている。
ハイライトは高槻が山賀のストーリーの続きを車の中で語るところだろう(自分には最高の時間でした)。ここを契機に家福は妻に関するわだかまりを抜け出すきっかけを得ることになるのだが、映画の主題の一つにもなっている妻が不貞を働くこととなった原因の秘密というのは、
1.高槻が山賀のストーリーの続きを知っていたことから、脚本家として作品を作り出すために夫以外ともセックスしていた。
2.山賀のストーリーで暗示されているように、女子高生(妻)が山賀(家福)の関心を引きたかったので本心では気付いてほしいきわどい徴(不貞行為)を残していた。
3.みさきの解釈から、音はそもそも夫を愛するということも不貞行為を働くということも本人の中では矛盾なく両立する人だった。
と少なくとも3つ暗示される。
結論は結局出ないしどれだったのか、それともどれもだったのかわからないままであったが、他人の心はどうやってもわからないから、妻の音にどういう理由があったにせよ、見つけたときに、自分の気持ちに素直になる、つまり正しく傷つくべきであったというところにたどり着いてそれまで棒読みだったやりとりが感情あふれるものになって、すごく感動した。
映画の中で劇中劇の練習場面が何度も出てくるのだが、「台本を棒読みする」というところが強調されていた。その劇中劇というのも9つの言語を使う多言語演劇という独特?のものでこれはなんなんだろうと思っていたのだが、これは何か国語にも翻訳されている村上春樹作品のメタファと考えるべきだろう。
つまり、巨匠チェーホフ(村上春樹)の作品のワーニャ伯父さん(ドライブマイカー)を舞台化(映画化)するにあたって、日本だけではなく翻訳されたもの(多言語演劇)も台本(原作)に忠実に行っていた(棒読み)が、最後の最後に感情があふれ出して(棒読みをやめる)、村上春樹のプロットを最後に抜け出した。
とも解釈できるものだと思う。実際ラストが村上春樹作品っぽくない結末であるのになんかなっとくできるもので、これは3時間かけて貯めに貯めたものを一気に吐き出したような感覚でなんだかカタルシスを感じた。
まとめれば、村上春樹原作の作品ということを120%考えに考え抜いた結果、最後は原作者を超えることを目指してそれができた作品であると思う。
難解で分からず
チェーホフの戯曲を読んだことがなく、映画とのリンク、関連も分からなかった。
最後に、韓国の高速道路でのシーンも有ったが、何の意味か、これも分からず。
文学嗜好で無い者には、難解高尚過ぎた。
スローな時間で生きてる人と西島秀俊好きなら楽しめるかも
主人公とその周りの風景をプライベートから仕事場まで全て追っかけて傍観するようなロードムービー?
カット撮りされた日本の景色はどれも絵になって美しいが、起きる事柄は特に大したこともなく淡々と。西島秀俊が好きかどうか?村上春樹が好きかどうか?監督が好きかどうか?自身の時間の流れ方がスローかどうか?で評価は分かれると思う。
私はどの俳優にも思い入れがなく、主人公が心から愛した妻との冒頭のいかにもなAV的体位の長々としたベットシーンなぞ見るのもウンザリ。後で回顧する程度にソフトに撮れば、全裸OK以外の魅力的な女優も使えて、退屈する時間も減って良かったのはないかと。
淡々粛々と生きていきましょう
生きていきましょう。
ホッと息がつけるまで。
久しぶりに邦画で号泣した。
多分、30歳過ぎて、ひとしきり色々な経験とか人間関係とかを味わっている世代になれたので、この映画を観て響くものがあったのかと思う。
一生懸命に生きるとか、前向きに生きるとか、感動とか失敗を悔いるとか、そんなものがどうでも良くなる世代になったので。
日々を消費するって言葉が身に沁みる歳になったので。
大人になったんだなぁ。
と言う、どうしようもない現実があって、自分の感情ですら飲み込まなきゃ生きていけない分別がつくようになってしまった。
しかし、きっと評価は割れる作品かなと思った。
淡々と繰返される録音テープ
抑揚のない台詞回し
肌色の多いベッドシーン
淡々と進む会話劇
映画を見慣れている層にはウケると思う
アカデミー賞も映画を作る側の人間が選ぶので、ノミネートは納得できる。
近年のアカデミー賞の傾向と対策をバッチリ抑えた、教本のような映画だった。
宗教観
他人種の俳優の起用
身体障害者やマイノリティ層の俳優の起用
その土地でしか語れないエピソード性
CGを使わない生の役者の演技
脚本、伏線の回収や場面展開の奥行き
邦画で世界を視野に入れて作品作りをする時に欠かせない要素がこれだけ散りばめられていた。邦画でこれだけのグローバルな作品が作られたことが嬉しい。
村上春樹が原作と聞いて、正直なところ自分語りの回りくどいエピソードを延々と見せられるのかと覚悟して劇場に足を運んだが、今作では村上春樹節はなりを潜め、良い意味で見やすい映画となっていたと思う。
近年では本当に心に残った作品。
DVDや配信もされていますが、話題作なので劇場で観ることもできます。
2021年度アカデミー賞作品賞にもノミネートされた秀作です。
きっと作品賞を獲ると予想しています。
是非、劇場でご覧ください。
深淵な心の物語
久しぶりに深淵な人間ドラマを観たような気がする。
カセットで吹き込まれた妻の声は、一方的に流れてくるが、それに呼応して家福が自分のセリフを吐くと、なぜか夫婦の会話のような感じさえする。家福は、妻と分かり合えずに終わった。その後悔と喪失感は、一生付きまとうかもしれない。しかし、妻がいない今、一人称的に自分自身を見つめ直すしかない。誰しも100%分かり合える仲などないのだから。節々に自己投影した作品だった。
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