荒いポリゴンCGのビジュアルと重い題材に、しばらく観に行くか迷っていた。ヘビーなテーマと映像の軽さが釣り合わないのでは、深刻な内容で疲れるのではという心配があった。でもそれは杞憂だった。
脱北者の青年が、TEDの舞台に立つところから物語は始まる。政治の話はしないと前置きをし、彼は北朝鮮収容所での体験を語り出す。
帰還事業で日本から帰国したヨハン一家は、おだやかな日常を送っていたが、突如父が失踪し、残された家族も憲兵によって収容所に連行される。そこから、監視と暴力の中で過酷な労働を強いられる生活が始まる。
ぱっと見硬さのあるCGの登場人物が、想像以上に体温のある存在感をかもしだしていることに序盤で気付く。台詞はほとんど英語だが、意外と気にならない。むしろ、この作風が物語全体に寓話のような雰囲気を与え、それが色々とプラスに作用しているように思えた。
これがもし、実写で撮られていたらどうだろう。リアル過ぎると、収容所内のやせ細った人々、死体運びの作業、銃殺刑などのシーンが、見る側に過剰な精神的負担を与え、作品のテーマを受け入れ咀嚼する力を少なからず奪ってしまう。
あるいは、輪郭線があってデフォルメされた絵柄のアニメだったらどうか。今度は、必要最低限の生々しさが担保出来なかったのではと思う。
荒めで極端なデフォルメのないCGであることによって、余分などぎつさだけを濾し取った絶妙な匙加減のリアリティが生まれる。目から鱗が落ちる不思議な体験だった。
エンターテインメントとしてもよく考えられており、重い問題提起を抵抗感なく受け止めることが出来る。「社会科の授業をやっても仕方がない」という清水監督の言葉通り、ただ北朝鮮の悲惨さのみを切々と訴えるわけではなく、ヨハンと周囲の人々の人間ドラマとしても十分見応えがある。ほんの少しユーモアもまぶしてあって、退屈しなかった。延々ときつい話ばかりを、これが現実だと突きつけられる描写に終始していたなら、思い出すのがつらい作品という印象になってしまうだろう。娯楽要素は大切だ。
他者へのやさしさとは、生きるとはどういうことか。成長の過程でヨハンが自問する内容は、国籍に関係なく通じる普遍的な問いかけのように思えた。
不意をつかれる結末に様々な感情が浮かび、実際の収容所の航空写真が並べられたエンドロールを見ながら考えさせられた。最後まで物語としての引力を失わないように作られている。
TEDのYouTubeチャンネルに、脱北者のイ・ヒョンソ(Hyeonseo Lee)氏の演説動画が数本上がっている。脱北してから中国に入り、韓国に入国する体験が語られているが、脱北後も命のかかった関門がいくつも待っている。中国国内で脱北者と分かり、不法入国が明らかになると強制送還されるのだ。その後どうなるかは、想像通りである。
北朝鮮の人々は、私達が享受する最低限の人権からさえ、遥かに隔絶されている。彼らが救われるわずかな望みは、最早国際社会の支援の中にしかない。
この作品をきっかけに、日頃ニュースで北朝鮮の話題を聞く時以上の近い距離感で、彼らの実情に関心を持つ。一人一人のそういった小さな変化の積み重ねが、最終的に国を超えた世論の形成に繋がれば、彼らの希望を現実に近づける端緒になる。心許ない変化だが、意義があると信じたい。出来るだけたくさんの人に見て欲しい。