ミッドナイト・スカイのレビュー・感想・評価
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終わりに臨む時
この物語は、確定した破滅を前にして、人がどう生き、どう死ぬか、という、終末ものの一種である。
何かしらの原因で、人類の生きられない星になりつつある地球(勝手に核戦争かな?と想像した)。極地に老人が一人、人気のない基地で過ごしている。末期の死病に冒されながら、ある目的の為、必死に命を繋いでいる。他の人々は地下に避難したようだが、それでも与えられる猶予は長くはないらしい。
一方、人間の移住地候補として、木星の衛星の調査任務を終えた宇宙船が、帰還の途に着いていた。地球に戻れば死、引き返して移住地で生を全うしたとしても、僅か数名の人類に未来は無いだろう。
告知を受けた末期患者のように、命のタイムリミットを眼前に、各々の選択の拠り所となるのは、他者の存在だ。死を前にして、自らの生にせめても意味を見出だそうとする時、自己完結できず、他者との関係にそれを求めるというのは、どこか哀れで、弱々しく、健気で、愛おしい。
人は一人では生きられず、死もまた一人では受け入れ難いのかもしれない。
物語の過程で、老人と宇宙船、各々に困難が降り掛かるのだが、いまいち臨場感に欠けるというか、取って付けた感が拭いきれない。
孤独や寂寥の感覚、感情が重要な作品だと思うが、無音や間合いを上手く使うなど、もう少し表現を工夫したら更に良くなるのでは、という部分もある。
そういう意味で、人が立ち去り、明かりも落ちたコクピットと、応えのないノイズの寂しさだけが残るエンドロールは、人類が退場した後の世界の静寂を思わせて、嫌いじゃない。
抒情的SF
好みでした。
説明なしで事態が進んでいく構成とか、最後まで重要な秘密が明かされないとか、万人受けしなさそうなものの。
原作は未読でよく知らないのですが、1970~80年代のSF小説みたいな印象でした。
抒情的で、雰囲気で言うと、『メッセージ』なんかに近い感じ。
ただ、あまりに説明がされなさ過ぎて、想像力全開で深読みして推測しながら観ないと、独りよがりで不親切な作品にも見えちゃうよな、とかも思いつつ。
表面的な人間関係だけを取ってみると、「え?そんなご都合よすぎません?ありきたりな?」みたいに戸惑うかも。
私は、そこに至る心理を演じたジョージ・クルーニーに感情移入していたので楽しめました。
ところで配信作品ではあるものの、北極の光景や、大型宇宙船そのもの、宇宙船の前に拡がる大宇宙など、映画館のスクリーン映えする作品だったので、劇場へ観に行ってよかったです。
特に、船内の無重力空間における出血シーンがよかった。
多くの作品が無重力で炎があがったときに画面の上に向かって伸びたりとか、うっかりするところなのに、本作は丁寧に描写されていて、実に素晴らしかった。
地球滅亡のとき人はどんな行動をとるのか
人類が滅びゆく地球で、北極に一人残った科学者と、彼が助けようとする宇宙船の物語。北極に残った科学者にはアイリスという少女が現れ、地球に戻ろうとする宇宙船では地球と交信できなくなっていた。
2つの話が入れ替わりながら進行していくのだが、たまに科学者の過去の話も挿入される。だから、てっきり宇宙船の話と北極の話は時間的なずれがあるとばかり思っていた(アイリスは宇宙船の乗組員の娘という解釈)。でも違った(まったく違うわけでもないけど)。同時に進行する地球滅亡の話だ。
でも、なぜ地球が滅んでしまうのか、放射能が拡散した原因は?といった疑問は最後まで解消されない。そういう意味でSF映画としてのモヤモヤは残る。アイリスが出ていたシーンがすべて妄想というオチのつけ方も、あの海に沈みそうになって荷物を運び出すシーンとかなんだったんだ?と、さらにモヤモヤ。
もう地球で人類は生きていけない。そういう状況で人間はどんな行動をとるのか。本作は、そんな中家族のために行動した人たちを描いた愛の物語だからSFとしての不満が残るのもしょうがないと割り切るしかないか。
それなりに感動はしたし、SF映画として素晴らしいシーン(デブリによる損傷や船内での多量の出血とか)があり、ドキドキハラハラする時間もあった。でも、名作と言えるレベルではないのかも。若干ハードル高めのSF映画。
K-23の赤い空に想いを馳せて
Netflix会員だけど、劇場で見てよかった。というかここまでの映像は、大スクリーンでこそ真価を発揮する。
SF好きの自分にとっては、宇宙船のデザインもそうだし、無重力状態のリアルな再現といい、もう恍惚になった。出血した血液が表面張力で浮かんでる映像なんかは、耽美的でありさえする。
映像だけじゃなくて、ジョージ・クルーニーが今までのイメージを捨てて孤高の老科学者を演じているのがまたいい。それにアイリスを演じているCaoilinn Springallちゃんがただものではない。しゃべれない役だから仕草と表情だけの演技だけど、上手い、上手すぎる。
絶望的な状態に陥った地球だが、僅かな希望を繋いでいこうとする主人公たち。その象徴でもあるK-24の赤い空がとても美しい。
原作を読んだらもっと理解できるのかな
「世界の終わりの天文台」が原作らしいが原作は未読ながら鑑賞。
冒頭からこの作品の世界観の丁寧な説明があるタイプの作品でなく、また台詞も少ないため世界観を理解に必死であった。
ドラマ性だったりストーリー性が強い作品ではなく、なんか感性で見るようなアートチックな作品に個人的には思えた。
「孤独感」だったり「絶望感」だったりこの辺りがテーマと言うことはなんとなく伝わるが、その哀愁にこちらの気持ちが没入できず、また共感が生まれる事はなかったため非常に退屈な時間であった。
最後のアイリスの存在にはまぁ裏切られたが特に驚きもなかった。
少なくとも家で観てたら最後まで観られる自信はない。
ポピュラーな作品ではないのは確かだ。
宇宙の浮遊感、吹雪の中の方位喪失感は凄まじかった。
新型コロナの影響下でのこの作品の上映には意味があった。他人の絶望を観て癒された人は少なからずいただろう。
宇宙空間で船外作業中に向こうからモノが迫ってくるときは、音は聞こえないのだから、急に眼前に現れる物体に対しては恐怖しかないだろう。かつそれが自分にぶつかっていたなんてことになっていたらパニックなるに違いない。というのを後から考えてゾッとした。
音楽がいささか過剰だったかな。自分で解釈したいのに、その隙がなかった。テーマを決めてそれを増幅反復させてほしかった。
氷上の吹雪の中、人を見失うというのは恐ろしかった。。。
頼れるモノがどんどんなくなっていくというのは面白かった。ジョージ・クルーニーの近況への思いが原作に重なったのだろうか。がんばれ。
余韻を楽しみながらエンドロールに浸る、地味だけど味わい深い作品
「ミッドナイト・スカイ」(原題:The Midnight Sky)。
ジョージ・クルーニーが監督・製作・主演で、フェリシティ・ジョーンズ共演。リリー・ブルックス=ダルトンの小説「世界の終わりの天文台」の映画化である。
本作は今週12月11日から劇場公開されているが、Netflixで2020年12月23日から配信予定の“Netflixオリジナル”。
“Netflixオリジナル”とか、“amazon primeオリジナル”というのには2種類あって、本当に配信会社が企画したものと、映画館向けに作られたものを大金を積んで買い付けたものがある。アカデミー賞にノミネートされるのは後者で、もちろんこれはジョージ・クルーニーが映画館向けに作った“映画”である。
市場経済の原理なので文句を言っても仕方ないし、ストーリーしか興味のないドラマファンに“映画館の美学”を説いても響かないだろう。作品がより多くのユーザーに視聴される手法と考えれば、“Netflixオリジナル”も是である。コロナのせいで、ディズニーも「ムーラン」や「ソウルフル・ワールド」の公開を断念してしまったし、これからの映画のニューノーマルに慣れるしかない。
個人的には、せっかくだから映画館クオリティで鑑賞することを願うばかりである。本作は、本来シネスコだが、配信向けの16対9アスペクトのレターボックスで小さく上映される、むなしさ。
愚痴はさておき。
本作は、滅亡の危機にある地球に向かって、宇宙から帰還しようとしている宇宙調査船が出てくるので、SF映画っぽく思うかもしれないが、テーマは、人生の最後に愛する者へ寄せる想いを描くヒューマンドラマである。
余命わずかの科学者オーガスティン(ジョージ・クルーニー)は、放射能汚染で滅亡の危機にある地球から脱出する人類を見送り、独り北極の天文台に残る。ところが独りぼっちのはずの施設に、謎の少女が取り残されていた。そこから奇妙な共同生活がはじまる。
一方で20年前に地球を旅立ち、木星の衛星調査をしていた宇宙船が何も知らず地球に向かっていた。オーガスティンは地球帰還を止めようと通信を試みるが、双方に別々のトラブルが発生する。
全体的に淡々と映画はすすむ。途中のトラブルで起伏のアクセントをつけてはいるものの、エンディングにはまたゆったりと時間が流れ、地球の終わりを迎える北極と宇宙の孤独感が重なり、人生の終わりに誰かに会いたいと想う気持ちが奇跡のつながりを生む。
“人生の最後とは何か”という余韻を楽しみながらエンドロールに浸る、地味だけど味わい深い作品。
(2020/12/13/ヒューマントラストシネマ渋谷 Screen1/シネスコ・レターボックス/字幕:栗原とみ子)
人間とは
この映画、SFなんだけど、私にはヒューマンドラマのように感じました。
葉隠の一節に
武士道と云うは死ぬ事とみつけたり
とある。いくさをしない武士がどう生きるかを説いた言葉らしい。
人は死を意識したとき、どう生きるのか、いや、どう活きるのか?その心の有り様をもの静かな映像の中に説いているような気がして、いい映画だったと思います。
【選択、勇気、愛情、祈り】
オーガスティンは、知っていたのだ。
だから、北極の天文台に残ったのだ。
アイリスと共に闘ったのだ。
この作品は、ふたつのストーリーがおおよそ交互に語られ、エンディングで交錯する。
そして、いろいろな事実が明らかになって行く。
僕は、オーガスティンを想い、胸が熱くなった。
作品に、詳細を事細かに説明するような展開はありません。
非常に示唆的です。
以下は、僕の感じた事や解釈をそのまま記しているので、ネタバレもあります。
この作品に興味のある人は、是非、オーガスティンの気持ちを探りながら観てもらって、その後、必要であれば、僕のレビューをご覧いただいた方が良いように思います。
僕は、12月13日日曜日、明け方、早起きしてこれを書いていますが、昼ぐらいに紀伊國屋に、この原作を買いに行くつもりです。
(以下ネタバレあります)
↓
オーガスティンは知っていたのだ。
娘が瀕死の地球に帰還しようとしている事を。
ただ、娘は地球の惨状も、オーガスティンが、それを知らせようとしてることはおろか、オーガスティンが父であることも知らないのだ。
オーガスティンは、前から、地球がこうなる事を予想していたのだ。
だから、家族と疎遠になろうと、自身の半生をかけて、この事態を食い止めようとしていたのだ。
アイリスは昔見た娘の幻影だ。
オーガスティンは孤独なまま闘っていたのだ。
しかし、改めて孤独では闘えないことを知り、自らアイリスの幻影を自らの中に生み出したのではないのか。
そして、コロニーから地球に向かう娘が乗るスペースシップの帰還を止め、助けたいと心の底から思ったのだ。
昔、別れ別れになった娘を。
家族を理由に、地球にポッドで帰還しようとするクルーのいる事を知り、絞り出すように、
I understand.
と応えるオーガスティン。
この言葉は、娘の安全を心から願うオーガスティンの偽らざる言葉だろう。
自分が父である事を名乗らず、コロニーに引き返させるオーガスティン。
なぜ名乗らなかったのか。
この葛藤は切なく、目頭が熱くなる。
娘には新たな命が宿っている。
エンドロールのスペースシップにも静寂が訪れる。
オーガスティンが息を引き取ったことを示唆するようでもあり、多くが無に帰ったことを暗示しているようでもあり、これからは静かで安らかな時が流れる事を示しているようでもある。
示唆が多く、地球の惨状の理由なども語られないため、評価は分かれるかもしれない。
僕は、壮大な地球や宇宙を舞台に、ヒトの愛情や勇気とは何かをテーマにした素晴らしい作品だと思う。
コスモクリーナーがあったらね…。
原作未読
汚染され滅び行く地球で人々が非難をする中とある展望台に残った科学者と、K-23という惑星の調査から帰還する宇宙船アイテル号のクルー達の話。
2049年2月、事件の3週間後、というところから始まり何があったのか、そしてその後のことをみせていく。
何が起きたのか、何をしようとしているのかを小出しにしながら、まったりとみせていく流れが、ちょっと狙い過ぎというか面倒臭いというか…結構単純な話なんだけどね。
エアロックの前後の件ぐらいは盛り上がりもあったけれども、終盤も感傷的なやり取りをたらたらとみせていくばかりで冗長で、映像を楽しむ作品という感じだった。
ヽ(´ー`)再会と別れの映画なんだよ
放射能で汚染が急激に進む地球に帰還する宇宙船クルーと彼らに地球の状況を伝えようとする博士の話。
博士は進行性の病気を抱えていて透析が必要。通信を取るために離れた電波通信施設に基地に取り残された女の子と共に向かう!この女の子、、、、、。
博士が通信施設に向かう最中、狼やらに襲われるは、氷が割れて海に投げ出されるはでもう大変。宇宙船のクルーもデブリに宇宙船を壊されながらも通信圏内へ到達、博士と通信を開始するのだが、、、、、、、。
〝ゼログラビティ〟〝インターステラー〟などの宇宙ものの映画同様、宇宙の時間の流れを感じられる映画です。何だか不思議な感じがします。最近の宇宙者もので必ずあるのがデブリの襲来。グッチョグチョに宇宙船がぶっ壊れます。音のない空間であんなの起こったらマジ怖いでしょうね。クルーの1人が事故で死んじゃうんだけど宇宙で出血するとあんなになっちゃうだね、驚き。ジョージクルーニー演じる博士が女の子と行動を共にするんだけど、アレは恐らく幻覚なんだろうと思います。その女の子は、、、、、。
最後のクルーとの通信、なんでもないシーンなんだけど泣ける。再会と別れなのね。
宇宙時間を感じながら感動します。
放射能汚染が進む地球を宇宙船のクルーが見るシーンがあります。あれ〝宇宙戦艦ヤマト〟のシーンに激似です。戦争漫画で有名な小林源文の漫画にも核戦争中の地球を宇宙船から眺めるシーンがあります。なんかジャパンアニメ、漫画に影響されてませんか?これ?
【”ロスト・ホーム” そして、登場人物各々の究極の選択を描いた作品。”N・・” は、”ここまでの映像を作り上げる力があるのか・・”と、驚愕した作品でもある。】
ー 映画では、物語の詳細は語られない。
・観客の前で展開する映像は、極北の地にある天文台の食堂で、雪原を見ながら独り、食事をする白髭の疲労感漂う初老の男(ジョージ・クルーニー)。
そして、画面に出る”事故の三週間前”と言うテロップ。
飛行機らしきものに乗り込む人々の慌てる姿を見送った後、独り天文台に戻る男の背中。
・場面は一転、宇宙船の中。どこかの星に飛行していて、地球を戻る途中だという事が、徐々に分かる。
◆この映画は、この極北の地球上の”二人”の姿と、宇宙船内のクルーの姿を交互して映しながら、静かに進む・・。-
・独りだった筈の男の傍に、ある日、女の子が現れる。女の子は最初は喋らないが、花の絵を描いている時に”アイリス”という名が・・。
・場面は、急転、宇宙船へ。
地球に帰還する途中という事もあり、穏やかな雰囲気。
パイロットであるミッチェル(カイル・チャンドラー)は、長い間会っていない家族の姿がホログラムで映される中に溶け込んで、穏やかな表情で妻の手の上に自らの手を乗せながら、朝食を摂る。
マヤも同じく、友人達が映るホログラムの中で、のんびり時を過ごす。
・が、突如、微細な宇宙塵が船体に次々に衝突し、サリー(フェリシティ・ジョーンズ)始め、クルーは船外にて、補修作業を行う・・、が再び宇宙塵が襲い来る・・。
- この2度の宇宙空間での出来事の映像が、「ゼロ・グラビティ」を容易に想起させる。次々と襲い来る宇宙塵の”無音の迫力”。
そして、宇宙塵により負傷したマヤが船内に入り、ヘルメットを取った時に、漂い出す球体の大量の血液。
圧巻の映像である。
今まで観たことのない、その映像表現に驚く・・。-
・漸く繋がった地球との交信。地球側で交信を続けていた初老の男。
ー白髭の疲労感漂う初老の男の名前が、初めてオーガスティン博士と分かるー
初老の男が言う言葉
”すまない、地球を守れなかった・・。君たちは地球には戻れない・・”
そして、地球に漸く辿り着いた宇宙船から見える”変わり果てた”赤茶けた地球の姿・・。
・クルーの言葉を聞いていると、オーガスティン博士は、高名な、そして多分彼らの宇宙の旅のきっかけや、原因は不明だが、地球が壊滅的な状態になってしまった原因になってしまった発明をした人間であるらしいという事が分かる。
ー そして、若き日のオーガスティン博士と恋人らしき女性の別れの姿が時折、映し出される。
”アイリス”は博士の子供ではないか・・。そして、”アイリス”に対する複雑なオーガスティン博士の想いが、あのような形で、”アイリス”を出現させたのではないか・・、と推測しながら鑑賞。ー
◆様々な究極の選択
1.サリーは恋人であるクルーと共にお腹の子供と宇宙船に残る選択をし、
【それは、地球には二度と戻れないという事・・】
2.ミッチェルとサンチェスはポッドで地球に帰還する選択をする・・。
【大変な危険を冒してでも、家族に会うために・・、そして、亡くなったマヤを故郷である地球に戻すために・・】
3.そして、オーガスティン博士は極北の地で、”アイリス”と手を繋ぎ、美しい夕景を眺め・・。そして、次のシーンでは”アイリス”は・・。
【オーガスティン博士の、
ー”アイリス”の愛する人と宇宙で生きる、と言う選択を見届けた後で・・ー
”地球で、独りで生きる”という、選択。】
<序盤は、脳内フル回転で鑑賞。
そして、宇宙塵の飛来のシーンから物語は、一気に面白さを増す。
鑑賞側に、イロイロと自由に(様々な愛のカタチなど)考えさせる”滋味深い作品”である。
又、宇宙空間の映像のレベルには、心底驚いた作品でもある。>
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