ノマドランドのレビュー・感想・評価
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さよならって言わないのはなんかイイよね
遊牧という仕事
暇だから見たんだけど…
旅人たちは「また会おう」が合言葉!
この映画は、ズバリ老いや死という問題をシンプルに取り上げているので、そのことに関心のない方は、面白くない映画でしょう。また、全編を通じて、弾けるような明るさはひとつもありません。静寂の中で、幸せを感じて淡々と生きていきます。終活を考える人にとっては、いくつかの貴重な示唆があると思います。最初の方で、アマゾンの工場で働くシーンがありましたが、巨大企業の工場の存在は、まさに作品と拮抗する経済エネルギーの象徴のようでした。観ているうちにタイトルの本当の意味がわかってきます。家のない人が主人公なのです。しかもそういう人間を生み出しているのも、アメリカの政治でありつつも、逆に自由主義国の自由さという側面もありました。主人公たちは、常に色んなところで仕事しながら自由さを楽しんでいます。まさに「家は心の中にある」というセリフそのものです。思うに、人間は生きている間にたくさんの体験をしたいという願望を持っています。その願望を果たすために、彼らにおいては定住を拒否し、旅に出るのでしょうか。彼らが集まる集団生活は、小さな村のようですが、このスタイルはコロナ禍を乗り越えた先にある、一つの組織のあり方のような気もしました。日本で言えば、縄文時代のスタイルです。そして、死の問題については、彼らは楽しく生きることで、平然と乗り越えているような気がします。しかし、それは定住を求める人にとっても、意識の高い人間は乗り越えていることなのでしょう。もともと主人公は、愛する旦那との別れの悲しみから旅に出た。いつかきっと再会できる気がしてキャンピングカーを購入して、旅に出たのだと思います。彼らにとって大事な合言葉は「さようなら」ではないのです。「また会おう」なのです。永遠に繋がる素敵な天国言葉だと感動を新たにしました。
若い人も観たらいい。
自由に生きると孤独になる。また、逆もしかり。
アカデミー賞取った作品にしては、なにかしら一風変わった作品。
僕も経験あるんですが、バツイチで現在未婚の僕はよく既婚の友人から「自由に生きれてていいよね、羨ましい」とか言われます。
が、僕自身は、内心は孤独で寂しいのです。
でも、結婚していた時は、孤独ではなかったけれど一人の自由な時間を欲していましたね。
結局、どちらか、なんです。
不自由でも人に満たされた生活をとるか、自由に一人で好きに生きるか。
この主人公の場合、別に孤独を求めている訳ではないけど、以前の夫のことを忘れられない。いや、忘れてはならない、と心の芯で強く思っています。だからこそ、あえて孤独の道を選んだんです。
前の夫を思い続ける限り、満たされた生活をすることは許されない、と、自分自身の強い意志を持ってノマド人になっているんですね。
だから、誘われてもノマドを続けるしかない。
誘いにのってノマドをやめてしまうことは、前の夫の事を葬り去ることになるから。
決してノマド生活が悪いものではないけれど、それ以上に、記憶が、感情が、彼女をノマドにさせているんですね!
なにかしら、少し寂しくも儚い話でした…。
そして、こんな映画ばっかり見ている自分は、はたしてまた結婚できるのでしょうか?笑
いろいろ考えさす
観た後の余韻が続く
粗筋を読むと、現在の格差社会を告発する作品のようだが、季節労働の悲惨さはあまり強調されない。「ホームレスなの?」と小学生から尋ねられた主人公ファーンが、「ハウスレスよ。ホームレスとは別物」と強調したように、現代のノマド(流浪の民)として、オカネに縛られず移動の自由を謳歌するのだ。
実際に、アメリカでは高齢者の車上生活者が多いらしく、主人公ともうひとりの男性(ボーン・アルティメイタムの悪役)を除いて、実際のノマドが実名で登場しているので、ドキュメンタリー映画のよう。
アメリカ西部の風景が美しく描かれ、広大さを実感する。あぁ、いつかはアメリカの自然豊かな風景を実際に目にしてみたいなぁ。主人公の生き方について、賛否が分かれると思うが、個人的にはヨシ!である。
柔らかいたまごの殻が浮かぶ水面
言うまでもなく、現れる風景のすべてが美しい。
自らの人生を語る人々の、皺の刻まれた顔に寄ったカットが多かったのも印象的だった。
幾百の燕の巣に覆われた崖、柔らかいたまごの殻が浮かぶ水面、これは本当にどこかで見ることができるのだろうか。涙が出た。
楽しい出来事があり、自然は美しく、他人は優しい。
それでも世界には「誰も」いないと気づいてしまう。彼方まで続く砂漠。誰もいない、あなたがいない。
逃れ得ぬ孤独の存在は、例えノマドの生活をしていなくても、多くの人の身に覚えがあると思う。
わたしもある。
誰もいない朝の重力、迫り来る夕暮れ、眠り方を忘れた夜。
映画を見て家に帰った後も、余韻のなか、寂しい気持ちで今これを書いている。
帰り道に買った海苔巻きが美味しくて、少し元気になった。
自分はしないけど、これも1つの生き方
アクションとかサスペンス、アニメ、アドベンチャー系などが好きなので、
ドキュメンタリー風なタッチの映画なら見ないつもりでいたんですが、アクセスランキング上位に来ていて気になり始めて鑑賞しました。
ある程度レビューも読んでいたので、淡々と主人公の生き様が描かれていることは分かっていて、「起承転結が無い日常をただ描いているのは逆にどうやってこの映画を終わらせるんだろう?」とそこに興味が湧いてきました。
おそらく伴侶を無くした場合、高齢だと体力的な問題もあって大抵はその家から完全に離れられる人は少ないでしょうけど、
いつまでも伴侶のいない家から、景色だけは変わらずそこに残っていることに耐えられない時、もしまだ体力があるなら、
「伴侶がいた時は見たことが無かった景色を見ることで、伴侶のいない空虚な気持ちを和らげる旅」に出ることを、主人公は選んだのかもしれないな、と思いました。
きっと伴侶がいた時の、同じ砂漠の景色を、同じ窓から自分1人だけ見ていることに、主人公は耐えられなかったのかもしれない。
でも、現実的には自分ならその都度稼ぐ旅暮らしはしないし出来ないだろうな、と思いました。職を転々と変えるということは、ふらっと立ち寄る人でも出来る仕事ということ。つまり来年もまたAmazonとか、今年短期就職した場所に、年齢が上がってもまた雇ってもらえるかは不透明。そして来年になり年齢が上がるほど、立ち仕事とか掃除の仕事もある程度体力が必要だし、雇う側になればなるべく若い体力のある人を雇うと思う。
そんなに、年に何回も就職活動しなきゃいけない生活はしたくない。それは無理。なんとか出来る職を見つけたら、なるべくそこに長く留まりたい。
主人公は臨時教員にもなってた。それなら教師を続けたらいいのに、安定してるのになって思ってしまいました。まぁ、最初から勤務年数が決まってたのかもしれないし、本人が永続勤務を希望しなかったのかもしれませんが。
多分、80歳とかになったらいくら車が運転出来てもAmazonとか倉庫のピッキングとかの仕事は就職出来ないと思うし、年金以外に仕事もするとしても、もう少し体力的になんとかなることを探さざるを得ないと思う。
ただ、伴侶が無くなったあと、人によっては子どもが先に他界した場合などで、どうしてもそのまま今の家に留まり続けることが精神的に辛すぎる時、
ある程度体力がある人は、気持ちを落ち着かせるために、完全な答えが見つけられなかったとしても似たような辛い境遇の仲間と出会う中で、自分なりに喪失感や空虚感に折り合いをつけるための1つの手段として、
3年だけ、とか期間を区切って放浪の旅に出るのは悪くないのかな、と思いました。
私は映画を見たりするために少し家を出るのは好きだけど、やはり終わったら家に帰りたい。布団とお風呂とウォシュレットのトイレが無い生活に何年もいたら、そのほうがストレスで無理です。何を見ても伴侶を思い出すとしても、その中でどうやって1人で生きるかを全力で探したい。その日暮らしはしたくない。
ふと、亡くなった祖父が、祖母を亡くして15年以上気丈に暮らしていたことを思い出しました。それまでしていなかった台所に立って孫の私の為に時間がかかってもお好み焼きを作ったり、祖母と一緒に通った近くの畑にも行っていて、多分祖母との思い出を辿りながら、そのままその家で暮らしていたのかな、と思いました。
でも、映画として、これも1つの生き方なんですよ、と提示したことは理解しました。人はみんなそれぞれに違うので、自分なりを生き方を見つけられたらいいんじゃないかな、と思います。こういう切り口の映画は初めて見ました。
フランシス・マクドーマンドの執念が見える演技
映画自体はとてもあっさりしていて余計な演出とかも無く
まるで他人の日記を見てるかの様な素っ気ない進行。
だから人によってはこの映画を退屈と見る人もいるだろうし
なんの起伏も無い映画なんて酷評をつける人もいるだろう。
ただ見る人がある程度の高年齢になると誰の身にも起きる問題を淡々と描いているので
結構グッとくる瞬間がある。
その問題とはズバリ「老いと孤独」である。
この主演女優のフランシス・マクドーマンドという人は大したものだと思う。
職業意識の塊の様な人だと思った。
1番ドキリとしたのは冒頭の荒野での放尿シーンと
劇途中でフルートを吹いていると突然差し込みがして
車の中で排泄するシーンがある。
この排泄するシーンと言うのは誰にも見せたくないものである。
それを此処では2回も行ったのはキチンと理由があって
実際に老人介護をしたりその現場を見れば分かるけど
高齢者にとって排泄と言うのは付き物の問題で
それを描きたかったのだろうと思う。
排泄シーンだからどんなグロテスクなものなんだろうと思うかもしれないが
実際はうらぶれて悲しみが伴うものだ。
元々この映画の権利を持っていたのはこのマクドーマンドと言う女優さんらしい。
それで監督を誰にするかでこのクロエ・ジャオ監督を選んだと言う。
恐らくこの排泄シーンを撮ろうと最初に言い出したのはこのマクドーマンドであろう。
何故なら他人が貴方の排泄シーンを撮ろうと言っても
普通女優さんがOKする筈はないからだ。
それだけ彼女の作品に対する意気込みが凄い。
またこの作品で出てくる彼女の髪型だが
とても美容師に頼んだとは思えない所謂「虎刈り」に近いショートヘアだった。
もしかしたら自分で髪を本当に切っているのかもしれず
もし本当にそうなら女優と言う仕事の重みを非常に感じる。
映画自体は淡々と進むのだけれど
その各々のシーンに込められたメッセージの重さが凄い。
この映画の主人公ファーンと絡む各々の出演者との絡みがあるが
彼らにのちのち待っているのは「孤独な死」である。
その死の瞬間を各々が1人1人孤独に向かっている。
でも毎日そんな重い事ばかり考えていられないから
たまには仲間と寄り添って孤独を癒すときもある。
でも最後は結局は1人で「孤独と死」に必死で向かいあってる。
この部分に孤独な高齢者は身につまされそうになるだろうが
途中仲間の1人に一緒にうちの家族と暮らそうと誘われたが結局それもファーンは断る。
え?なんで?孤独から逃げられるのに、と思うかもしれない。
ただやっぱり孤独とは言えど反面気楽だと言う事実もある。
毎日大変だけど大自然が自分の目の前にはあると言う慰めもあって
結局今まで通り孤独を選ぶと言うのも分かる。
孤独を自ら選んでいると言う面も確かにあるのだ。
特にドラマチックに描かれるわけでもなく
淡々と物語が進行するから
掴みどころが無い様に感じるかもしれない。
でも実際に自分がジジイ、ババアの世代になれば
じんわりと胸に迫ってくる様に思う。
映画自体に派手さは無いから一見分かりづらいところがあるけど
まるでスルメの様に噛めば噛むほど味わいが増す。
渋い良い映画でした。
喪失状態にある人の旅
今の時代だからこその映画なんだろうなぁ。
雄大な風景、ことに夕焼けの映像は美しかった、とても寒そうな荒野の雪景色、荒涼とした大地、川での沐浴、野尿、バケツへの排泄、ノマドと呼ばれる人がたくさんいることがわかった。
でも映画としては、何を伝えたかったのかが分かりにくかったけれど、私は、
「喪失状態にある人の旅」として捉えた。
長年暮らして来た町が、無くなってしまう‥まるでツナミが来たように。ツナミならば、自分の目の前からモノは消え失せるのだが、それとは違う。モノは有るのに其処に留まれない不合理さがある。しかも主人公は、唯一の家族であった夫さえも病気で亡くしている。それは、「安心出来る居場所」が無くなった事に等しい。
社宅に住んでいたというのだから、ある程度のコミュニティがあったはずだが、そう思わせる部分はない。
ファーンは、より自分が居心地良い状況に身を置く人ってことだと思った。だから群れない。それが一番自分らしく落ち着き、自分の人生を引き受け、孤独な人ではなく、孤高の人なのかも。
夫のいない家は、彼女の居場所ではなく、新しく自分の人生の居場所を構築していくための放浪、夫と出会う前の自分、つまり元の一人になるってことだけだ、昔よりもだいぶ歳取ったが‥。
全てを解き放って、自分らしくって事は、ある意味、何かを手放すって事なのだとも思う。
でも、これが、何故アカデミー?
私には、あんまり響いてこなかったな。
喪失感の埋め方
その昔(か、ちょっと前か)にミニマリストという生き方が取り上げられていて、住まいこそあれど、必要最低限の物だけで生活する若者が話題になっていた。
あまり予備知識や先入観を持たずにこの映画を鑑賞することにしたので、単に都会の喧騒や物質主義から離れるために、最低限の必要物資だけで放浪生活を送る人の話かと思っていた。
物語が進むにつれわかってきたことは、愛する人、大切な人を失った後、どのように自分の人生を過ごすか、がこの映画のテーマなのでは、と個人的に思った。
誰かのために生きてきた人が、パートナーを失った後、自分の人生に生き甲斐を見つけるのは容易ではないだろう。
この映画のように、キャンピングカーでの生活は、なかなか日本人にはイメージしにくいが、過去の生活や思い出に一度訣別して新しい人生を模索するためにどう生きるか、という点では大きなヒントとなるだろう。
深い。
人生について、行き方や死に方、時間の使い方。
重いテーマのフルコースです。
「時間を無駄にするな」
はい、分かります。この歳になって実感してます。
ここ10年近く思う存分海外旅行ばっか
行き尽くしました。
特にネバダ州。
映像のネバダがリアルなネバダとして思い出されます。
(超個人的感想)
早朝の肌寒いけど乾燥していて心地いい気候とか。
日本にはない(日本では育たない)植物や風景など。
自分の世界観価値観がぐんと広がりました。
アメリカ人でも(アメリカ広いから)
見たことない土地や風景もあると思います。
この映画みたいに。
コロナ禍でもしかしたら一生行けないかも知れない
と思うと尚更(時にはローンを組んででも)
行ってよかった!と心底思います。
ただ、多くの日本人には真似出来ないとか、
同じ感覚が理解できないとかは多いかなと思います。
日本って世界的にみても安全な国だから
ハウスレスになってもそんなに問題ないと思うけど
日本人ってシャイなのでキャンプ地(?)とかで
軽々しく「ハーイ元気?」なんて声掛けづらいとか
初見の人と一緒にダンス踊るとかできないし、
世間体もあるし、で自由にできないし。
しかも挙げ句の果て、精神病んだ上に孤独死しそうw
そもそも、自由=悪、協調性=良
みたいなとこあるし。
個人的にはあんな自由な生活
素敵だなぁと思うけど。
困ったら助けてくれる家族や友人がいるから
ホームレスじゃないし
自由にできるのかな。羨ましい。
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