動画配信で映画「クライマーズ」を見た。
2019年製作/125分/G/中国
原題:攀登者 The Climbers
配給:AMGエンタテインメント
劇場公開日:2020年9月25日
ウー・ジン(呉京)
チャン・ツィイー(章子怡)
ジン・ボーラン(井柏然)
フー・ゴー(胡歌)
ワン・ジンチュン
チャン・イー(張譯)
ホー・リン
チェン・ロン
リュウ・ギョウフェン
チュイニーツーレン(曲尼次仁)
エベレスト(Everest)
ヒマラヤ山脈の主峰。
ネパールと中国チベット自治区との国境にあり、標高8848メートル。
1852年に世界最高峰と判明したとき、
インド測量局長官であったジョージ=エベレスト(英国人)を記念して命名。
1953年、英国登山隊が初登頂。
(ヒラリーとシェルパのテンジン)
チベット語名チョモランマ、
中国語で珠穆朗玛峰
ネパール語名サガルマータ。
エベレストの存在が初めて文献上にあらわれたのは1717年、
康熙帝の命令を受けてイエズス会士ジャン・バティスト・レジスが
『皇輿全覧図』と呼ばれる中国地図を作成したとき。
1950年代に入って中国政府がチベット名
「チョモランマ(Chomolangma、珠穆朗瑪)」を採用した。
現在最新の標高は8848.86 mとされているが、
ほかにもいくつかの異なる標高が測量結果として報告されている。
2番目に高い山はK2で、標高8611 mである
エベレストはもっとも高い海抜高度をもつ山である。
しかし、ハワイのマウナ・ケアとエクアドルのチンボラソがエベレストに代わる
「世界最高峰」とする主張もある。
マウナ・ケアの海面からの標高は4205 mだが、
海底からの高さを考慮すればその標高は10203 mを超えることになる。
第1次遠征隊
1921年、エベレスト委員会によって組織・実行。
第2次遠征隊
1922年組織・実行。
マロリーらがシェルパとともにノース・コル目指して斜面を歩いているとき、雪崩が発生して7名のシェルパが落命したため、一行は失意のうちにベースキャンプに戻り遠征は終了した。
第3次遠征隊
1924年組織・実行。
マロリーは6月8日、22歳の若いアンドリュー・アーヴィン1人を連れて第6キャンプを出発、酸素ボンベを使用して山頂を目指した。2人はこのまま行方不明になり、第3次遠征隊は山を下りた。さらに許可のないロンシャール谷に入っていたこと、彼らが帰国後に上映した記録映画の中で紹介されたチベット人の習俗が不正確であったことが当時のダライ・ラマを怒らせ、以後9年間エベレスト入山の許可が出なかった[23]。
第二次世界大戦から初登頂前まで
翌年以降は第二次世界大戦の影響で登山は行われなかった。
1949年、ネパールが鎖国を解き、初めてネパール側の登山が可能になる。逆に、それまで唯一のルートだったチベット側は中国の支配下に置かれたことで閉鎖された。ネパールの開国は、戦前アジアに強い影響力を持ったイギリスが独占してきたエベレスト遠征に、世界各国に門戸が開かれたことを意味していた
初登頂そして条件別初登頂記録
1953年に初登頂したエドモンド・ヒラリー(左)とテンジン・ノルゲイ(右)
1953年、酸素装備の改良、登攀技術の研鑽などによって満を持したイギリス隊が送り込まれる。
1960年5月25日、中国隊がセカンドステップを超えて北東側からの初登頂に成功。同隊が夜間登頂したため、頂上での写真撮影がなかったことなどから、この登頂は長く西側諸国から疑いの目で見られていたが、現在ではほぼ認定されている(下記リスト参照)。
ネパール政府により、外国人による登山が1966年から1968年まで全面禁止となる[20]。
1970年5月11日、日本山岳会エベレスト登山隊(総隊長・松方三郎、登攀隊長・大塚博美)の松浦輝夫と植村直己が日本人として初めて登頂に成功した[26]。
1973年10月26日 - (秋季初登頂) - 石黒久・加藤保男[34]
1975年5月16日 - (女性初登頂) - 田部井淳子
1996年5月10日、8名が死亡する大量遭難死が発生した[28](エヴェレスト大量遭難参照)。同シーズンにさらに4名の遭難があり、1シーズンで12名の死者が出た。
2008年5月8日、2008年北京オリンピックの聖火リレーの一環として、聖火を持った登山隊がエベレストに登頂した。
2012年5月19日、異常高温によりルート工作が難航したため待機させられていた大量の登山隊が開通時に一斉に押し寄せ、1日で234人が登頂し大渋滞が発生。これを遠因として登頂後に高山病を発症した4人が死亡した。この年はいくつかの登山ツアーは山頂までの登頂を諦めている。
2015年4月25日、同日発生したネパール地震の影響で大規模な雪崩がベースキャンプを直撃し、日本人1人を含む18人が死亡。エベレスト史上最悪の遭難事故となった[30]。ネパール側では余震によりルート修復が困難になり[31]、キャンプ1とキャンプ2に100人以上が取り残されたがヘリコプターで救助された[32]。一方、この地震を受けて、中国政府はチベット側の登山中止を宣言。この影響で、この年は1974年以来41年ぶりに登頂者が1人も出なかった。
ストーリー
1960年、ファン・ウージョウ率いる3人の中国登山隊は、
無謀とも言われた北稜からのチョモランマ登頂に世界で初めて成功する。
ファンは、雪崩による滑落の危機に遭遇した仲間を救うため、
証拠となる映像を記録したカメラを失った。
そのために登山隊の偉業は国際社会で認められることはなかった。
それから15年後、冬の時代を明けた中国が再びチョモランマに再挑戦することになった。
くすぶっていたファンは第2次登山隊を結成し、
再び世界の最高峰を目指すことになる。
戦闘アクション以外のウー・ジンの映画を初めて見たかもしれない。
最近のウー・ジンは中国の国威発揚に関わる映画に多く出演していると思う。
また、そのことで中国国内外での人気も高まっていると感じる。
図書館にいた女性に見覚えがあった。
久しぶりに見たが、
チャン・ツィイーも出演しているのか。
この映画はチョモランマ登頂を目指すファン・ウージョウ(ウー・ジン)と
気象観測隊の隊長シェイ・イン(チャン・ツィイー)
リー・グオリャン(ジン・ボーラン)とヘイムーダン(チュイニーツーレン)
の2組の男女のラブストーリーでもある。
胸が熱くなるシーンもある。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。