哀愁しんでれらのレビュー・感想・評価
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怖い
言いたいこと、ツッコミたいこと、色々ありますが…怖い作品。
真似しようと思ったらできてしまうこと、だけど絶対に実行してはいけないことを映像化してしまうのはどうなの?
どうでもいいけど…肖像画の目が青いのはどんな意味があったのか、よくわからなかった。
我
決して後味のいい作品ではなく、タイトルから連想するようなファンタジーでもない。
ただ…今の時代、生まれるべくして生まれた作品なのだろうなと思う。
脚本が巧妙なのは「弱点」を的確に突いてくるところだ。その人物とその変遷にあまり矛盾を感じない。最後の暴挙は飛躍しすぎかとも思うが。元から脚本でもあるかのように澱みなく滑らかに破滅へと進む。
いや、脚本はあるんだけどさ。何て言うか紆余曲折というか葛藤みたいな箇所が抜け落ちてるって事だ。
このレビューのタイトルを「不信」にしようかとも思ったのだけど…結果論的に排他的な進化を遂げた自我というものが印象に残ったので「我」となった。
今の教育がどおいうスタンスかは分からないのだけれど、ちゃんと叱る事は必要だと思える。
躾ないと、子供は暴走するのだ。
冷静に考えても、子供なんて本能で動く。獣と大差ないのだろう。理性というものが芽生えた後「人」として歩き出すのだろうと思う。
そこを履き違えてはいけない。
個を尊重する事は確かに大切ではあるけれど、その前段階として尊重されるべき個である資格を、どうにかして身につけさせてあげるべきなのだと思う。
劇中の子役が置かれている環境は分かりやすい程のステレオタイプではあったけれど、彼女のような待遇を受けてる子供達は珍しくはないと思うのだ。
いわゆる肯定を前提に我慢などの抑制を蔑ろにされてきた子供達だ。極端な方向性ではあるものの、その方向に育つ可能性は否定できず予備軍はたくさんいると思う。
その土壌は「親としての自信の無さ」なのだと思う。
皆、不安だとは思う。
子育てという仕事は、何が正解かも分からないまま責任だけを背負わされる。
マニュアル至上主義の世代には、禁忌とも思える。
そこに登場するのが世論だ。
こうするといいですよ。
これはダメですよ。
皆、気付いちゃいないだろうが藁をも掴む勢いで、それに飛びつくのだろう。
ところがどっこい、子育てなんてものはそんな画一的なものであるわけがない。
当然上手くいかないのだけれど、その藁を放棄する勇気もない。そして田中氏が語るような父親像が出来上がる。
「子供の為なら何だってする。命さえいらない。それが親たるものの覚悟だ。」
…馬鹿言っちゃいけない。
親である覚悟はそこじゃない。
「何としても、この子を真っ当に育てあげなければ」だ。命を賭けるとするならその一点のみだ。子供を守る為に命を賭けるのはオマケみたいなもんだと思う。
暴君を暴君のまま野放しにしてはいけないのだ。
勘違いした守るという行為は、野放しにする行為と大差がない。
かと言って、親としての自信などすぐさま出来るものでもなく、そもそも自覚できるようなものでもない。
ただただ「親」なのだ。
おばぁちゃんが言ってた。
「親になるのと、親である事は違う」
禅問答のようだけど、歴然とした差がそこにはある。
後付けで、親たる者になれるようなモノでもないし、むしろ成ろうと思って成るような立場でもないのだと思う。
でも、そこには明確な基準だけがある。
それもまた「一般論」という魔窟だ。
それが出来てなければ否定だけを確認できるシステムがあるのだ。自身への不信だけを煽るシステムだけがある。
その結果が後半の土屋さんなのだと思う。
見事な思考停止っぷりだった。
自分のキャパを超えた時、声高に叫ぶ連中に迎合するのは楽なのだ。「右向け右」その号令に従ってるうちは異端というレッテルを貼られなくて済む。
不確かな「普通」というカテゴリーから逸脱しないって安心感が自身の正当性を立証してくれるのだ。
そんな内容の物語で、ほぼほぼシンデレラに由来するものは無いように思う。
土屋さんと子役のCOCOさんは秀逸だった。
本当に後味は悪いのだけど、色々と考えさせられる作品で、ご時世だなあと、予備軍がひしめく後世を憂う。
「全部諦めれば楽になる」とかは暴論ではあるけれど否定しきれない台詞だと思う。
例えば「未来に期待するのではなく、今を積み重ねる」とかなら、同じ意味合いだとしても暴論には聞こえないようにも思う。
ナポレオンボナパルトの格言を引用したりもするけれど、ナポレオンの偉業は語られてはいても、その事がその人格にまで及ぶ事ではなかろうに。
皆、滑稽な程、何かに縋りたいのだろうな。
とはいえ、正解が分からないまま選択だけを迫られる恐怖は、体感として理解できる。
だからこその後味の悪さなのだろうなぁ。
「じゃあ、どうすれば良かったの?」
その答えは、神のみぞ知るのであろう…。
■追記
皆様のレビューを読んで「シンデレラのその後を描きたかった」との意図が監督にあったと知った。
そして、とある疑問が浮かぶ。
「なんでそんなモノを描きたかったのだろう?」と。
いわゆるハッピーエンドを全否定なのである。
ふとしたボタンの掛け違いや、たった1つの不安で人生は容易に歪んでいく。
ともすれば、裕福である事は幸福に直結しないとか。
ネガティブなメッセージばかりを読み取ってしまう。
そんな事を薄っすら考えると、だからこそ頑張ろう等という応援的な作風ではなく、そんな虚像を植え付けられ、ソレを欲する者達への嘲りにも感じる。
希望は本質的に更なる不幸を産むための餌なのだとか、おおよそ負の感情から発信されたかのようだ。
どなたかのレビューに「こんな作品作るもんじゃない」とあったけど、微妙に腑に落ちた。
微睡みの中で見た悪夢
これは中々に評価が難しい。前提として、「僕は楽しめましたよ」というスタンスはありますが、悩ましい(苦笑)。
何はともあれキャスティングはバッチリだったのではないのでしょうか。芸達者を集めなくても、役者間の相性で底上げは出来る見本の様な作品でした。
脚本が賞を取ったので、むしろ辛口が増えてる気もしますが、そこも言ってみれば賞味期限切れの様な。5年前に斬新だったものが今もそうであるとは限りませんからねぇ。温め過ぎちゃったかな。
演出はそれこそ好みの分かれるギャーギャーした感じでしたが、画面の作り方は最近のメジャー邦画の中では良い方じゃないかな?と、感じました。
「半地下の家族」「ゲットアウト」辺りが好みであれば楽しめるとは思うんですが、如何に如何に。
ラストの精神状態にいたるまでの過程が急ぎ足すぎる
子どものためなら親はなんでもできる…
子どものためなら世界中を敵に回しても…
母性愛を感じさせる、愛を感じさせるようなワードであり、これまでも様々な映画やドラマに取り入れられてきたが、そんなワードをおもいっきり皮肉った作品である。
「TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM FILM」は当たりハズレが激しいなだけに、これを受賞した作品の映画化だとしても、あまり期待はできなかったし、 いざ観終わってみると、製作者は、子どもを育てたことがあるのかが疑問でならない。
これはそもそも「シンデレラ」がどうこうというような話ではなく、人間性の崩壊を描いた作品であって、それがシンデレラと繋がってくるかいうと、全くそんなものでしない。
土屋太鳳と田中圭という、今や日本映画の常連俳優をダブルキャスティングしているだけに、娯楽作品に思えるかもしれないが、有名なキャストのカルト映画といったところだ。
題材としていることと、映画的なインパクトは抜群ではあるが、そこに向かうプロセスの描き方が、なかなか雑といえるだろう。
土屋太鳳が演じる小春は、10才の頃に母親が家を出ていってしまったことで、そこから妹や家族の世話などをする、母親代わりとして生きてきたわけで、母親がどうあるべきかということは、わからないにしても、家庭環境の中で、優しい人間性はある程度構築されてきたように思える。
それが、変貌していく様子というが、なかなか急ぎ足過ぎるというか、感情の変化が極端すぎるし、田中圭演じる大悟の異常性を描くにも尺が足らない。
一般常識として、子どもには反抗期というものがあって、唯でさえ気難しい時期というのがあるし、特に再婚の場合となると、スムーズにはいかないことがある。そんな状況に試行錯誤しながら、子供と向き合っていくのが、生みの親、育ての親とか関係なく、親である責任だと思うのだ。
子育てに正解などあるはずもなく、何が正しいか何が間違っているかと判断をつけにくいとはいっても、やっていることはカルト教祖の起こすテロと同じようなもので、子どものことをどんなかたちでも愛してとしたら、事件後の今後の人生を考えると、あまりにも惨いというか、そこまで考えられない精神状態になっているのであれば、そこまでの家庭がもう1、2段階必要である
完全に私たちのある程度の一般的なモラルが完全に崩壊している『悪魔のいけにえ』や『マーダーライド・ショー』のファミリー構造に向かっている感じがしてならないという点から、これはカルト映画枠なのだと気づかされた。
モデルとなった事件があって、それは劇中でも少し触れてはいるのだが、全然テイストが違っていて、犯罪を犯したモデルの夫婦に同情するわけではないが、モデルとかけ離れ過ぎていて、インピレーションを受けたとしても、特定の事件を挙げる必要もなかったのではないだろうか。本人たちはまだしも子どももいたわけだから、配慮が足らない気がしてならない
様々な疑問点や違和感がある映画構築...これは間違いなく、シッチェス映画祭案件だ。
『ゴーストマスター』はあえてそこを目指していたようにも思えるが、最終的にには、すべっていたような感じがしてならない。
「TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM FILM」は、複数の部門があって、企画や脚本だけでも応募が可能だったりもする。
実際は企画、脚本で受賞しても、次のプレゼンで映画構築技術が求められるため、 全体的なインパクトや画的なおもしろさを先行してしまうかたちで選んでおいて、後から映画として成り立たせていく間に、映画的バランスという壁にぶち当たっているような気がしてならないし、他の受賞作品の映画化作品を観ても、インパクトや設定のおもしろさは抜群でも最終的な着地点があやふやなものが多きがするのは、そういった問題があるからではないだろうか。
「TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM FILM」という企画自体の選考過程をもう一度見直す必要性があるのかもしれない。
土屋太鳳、田中圭というブランドによって、それなりの作品に装っておいて、ふたを開けるとシッチェス案件というパッケージ構造自体が幸せそうな家族も蓋を開けてみれば...という俯瞰的皮肉となっているといわれれば、そうではあるが...
オチが意味不明
ワンデーフリーパスポートの1本目
今回初めてイオンシネマのワンデーフリーパスポートを利用してみました。一日中、映画を観て、しかもフリードリンク付きで2500円とは、お得すぎてびっくりです。そんなわけで、上映時間をきっちりチェックして鑑賞プランを立て、1本目に選んだのが本作です。
本作は、「TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM 2016」でグランプリを受賞した脚本の映画化らしいですが、そのコンテスト自体を初めて聞いたぐらいで、予備知識ゼロでの鑑賞です。
ストーリーは、不幸のどん底にいた女性が、ひょんなことから出会った医者と結婚し、裕福な暮らしと幸せを手にしたかに見えたが、夫の異常性に引きずられてしだいに壊れていくというもの。
前半は、主人公の小春が、仕事のつまずき、家族の急病、自宅の火事、彼氏の浮気と、一気に不幸のフルコンボを食らったかと思えば、たまたま知り合った医者の大悟と結婚し、一気に玉の輿の階段を駆け上っていきます。少女マンガにありそうな出会いから恋に落ち、結婚に至るまでがテンポよく普通に描かれます。土屋太鳳さんのかわいさとまぶしい笑顔にやられ、もうこのままハッピーエンドでいいじゃん!と思えてきます。
しかし、結婚後、徐々に不穏な空気が流れ始めます。なんとなく感じていた、田中圭さん扮する大悟への違和感が確かなものになり、これまでの幸せ全開の雰囲気が一転して、サスペンスフルな緊張感が漂います。いったいこの家族に何が起きるのか、どのような結末を迎えるのか、観客の興味がそそられます。
それなのに、終わってみれば、「なんだこのオチは!」というような意味不明なものでがっかりでした。親はどうあるべきか、子供への愛とは何かを問いかけそうなテーマを感じていましたが、実際にはそこになんの主張もなく、投げっぱなしな感じです。タイトルの「しんでれら」も、前半はともかく、後半の展開にどう結びつくのかわかりませんでした。
小春、大悟、ヒカリのバックボーンがしっかり描かれていれば、もう少し共感したり理解したりでき、作品のおもしろさが増したかもしれません。そういう意味では、この脚本がグランプリ受賞したことにも、いささか疑問が残ります。期待していただけに、やや残念な印象の作品でした。
イカれたイヤミスがデビュー作、監督の凄さと展開に圧巻の一言
今月の暫定ベスト。新鋭監督とは思えないほどドシッ構えられた構図から、おとぎ話のその先を大胆不敵に綴る様は圧巻の一言。
一夜にしてありとあらゆる悲劇を被ったしんでれらが助けたのは、王子様…のような金持ち。あらゆる悩みを金で解決する王子様によって幸せになったしんでれら。めでたし、めでたし…。で、終わると思ってるの?と嘲笑するように、物語は散らかしてゆく。母からの愛を知らない二人は、愛の形を求めて暴走していく。娘も生意気でよく分からないガキ。なぜそうなったのかは見えにくいのだが、気持ち悪いほど、とっ散らかしてくれる。その中でも、格差と皮肉が痛烈に効いたラストへの助走だったと思うとなおさら恐ろしい。それほどの異端な世界を3人で走っていく。それも、あたかも正義のように。よく中島哲也監督と比べる感想を見るが、これは非なると思う。道を踏み外した自覚すらない清らかな世界を、疑いもなく踊っているからだ。そこに間違いを感じさせないほど不可侵な領域へ持っていっているのが、最高に気持ち悪くて、気持ち良い。
ここまでイカれたイヤミスを観たのは久しぶりかも。デビュー作にしては出来が良すぎる。こんなレールを自ら敷き、ド派手に落とす監督の凄さったら。次回作を期待出来ないわけがない。オススメ出来ないほど面白い胸糞の悪さが、何よりの余韻だ。
内容しんでるわ
はぁ、とにかくガッカリでした。
内容が浅い。ラストありきでそこに向かう為に作られたシナリオ感満載です。
途中までのシンデレラストーリーはまあありがち。
その後の娘が何故あんなになったのかがあまり描写されないのでただムカつくガキに成り下がってる。
顔も可愛くない。
あそこまでタオが感情移入するのも変でしょ
その提案を簡単に飲む田中圭もうーん
頭おかしいのはわかるけど急に極端すぎるって。
娘の為なのか知らないけどあんなの逆に将来お終いになるの誰だってわかるよね?
田中圭はあの役にはちょっとミスキャスト感があるね、いい人オーラが出過ぎてて。
タオの家族模様が1番現実感があってよかった。
妹かわいいけど樹海村の子なのね、イメージ全是違うね、唯一癒されるわ。
ラストも残酷なシーン全開。
あのシーンを撮りたかったんでしょ?
作った人は自己満してるだろうけど見てるこっちは胸くそです。
もっと表現方法あると思うけどなあ
で、弁当はどこ行ったの?
緊迫した空気の中、肉を返そうとするタオとそれに怒る田中圭に笑った。
中盤までは良かったのだが
随所に演出が気が利いていて楽しめる。不幸な目にあってばかりいる小春が金持ちと結婚するシンデレラストーリーで始まるが、周囲から見れば幸せでも次第に世間や自分が持つ「理想の母親像」に押し潰されていく。ここまでは面白かったし、自分もそのプレッシャーにキリキリした。
それだけに、ラストはなんだかなーという感じ。終盤はあまりに感情移入できず、小春がいったい何を考えているのか見失ってしまった。
ブラックコメディーとして振り切れば面白いぞ!
いいですねぇ〜この汚ぇ演技!
笑って、喚き散らして、手出して…
不幸というのは1度始まったら取り返しがつかないくらい繰り返されるもので、なんで私だけ…みたいな経験を1度は味わったことがあるはず。
そんな不幸のスパイラルに陥った子供好きな女性がヒョンなことから夢見るシンデレラへ。ここまでの過程、特に不幸のスパイラルはシリアスかと思いきや案外コメディ調で、ベンツのお医者様と結婚するまでは『パラサイト』を想起させられる。
転調も『パラサイト』と若干似ているけど、ここは邦画らしくJホラー的な緊張感が漂い眉を顰めることしか出来ない。
土屋太鳳の「あんたが狂ってんならこっちだってとことん狂ってやるわよ!」とでも言うような表情。
田中圭の「こんな世の中バカバカしい!」という感情全開の表情。
COCOの「つまんねーの」と呆れたような表情。
監督曰く、映画館で上映を想定し空間を利用するため顔のアップは少なくした、らしい。確かに顔のアップは少ないのだがこのスクリーンから溢れ出す狂気というのが上手く表情と音楽で表現されていた。
個人的にはサスペンスではなく、「現代の家族の在り方」を新たな解釈で描いたブラックコメディだと思う。
シリアスな場面に場違いな嘲笑うかのような音楽が使われることが全てを物語っている。
賛否両論激しいラストもブラックコメディとして振り切れば「そうなっちゃったか〜」と皮肉ながらも笑えるラストで結構好きよ。
上映終了後、後ろの女性2人組が「COCOちゃん嫌いになりそう」と言っていた。ブラックコメディとして楽しんだ自分としては「いや、この子最高だわ!」と思っていたのだが…
山田杏奈が狂った娘役だったらもっと面白くなりそうだよな。
女性版『ジョーカー』的な、ある種のジャンル映画でした。
渡部亮平監督は次回作どんな分野にいくのか注目だな。
途中までは良いが…
失恋に失職、火事による家の消失を経て失意のどん底に落ちた女性が、妻を亡くした金持ち医者と結婚してとんとん拍子に幸せをつかむ話…と思いきや、家庭に入ってからどす黒い暗雲が立ち込める。
簡単にまとめると、前半は単なる幸せ家族物語。中盤はエスターを思わせるしっとりとした狂気渦巻く家庭のお話。で、終盤でファンタジーと成る。
幸せ家族物語は良し。何から何まで幸せ尽くしでいい感じ。それを下敷きにした不穏な家族物語もまた良し。もちろんそれらが生む落差による転落劇も良いのだが、「家族」になったことで見えてくる相手や自分の悪徳が露になるところも良かった。
特に、自分がなりたくなかった人間になってしまった悲しみは転落劇のオチとして最高だったと思う。オチとしては。そしてこれがオチであれば。
というのも、これを転落劇のオチとして使うにしては家族の性格が悪すぎる。自分なりにベストを尽くしているのにすれ違いでうまくいかなかった…という展開であった方が納得がいった。
まずはこじれた完璧主義者の夫。幸せパートから不穏パートになってからの落差が大きすぎて、ちょっと飲み込みづらかった。「そして父になる」くらいの塩梅であればすんなり受け入れられたのだが。次にエスターじみた娘。こちらはもう滅茶苦茶で、エスターじみたというかエスターだろという感想しか出てこない。とにかく主人公を不幸にさせるためだけの行動ばかりとるが、目的も思考もさっぱりわからなかったからだ。
そして物語のオチの意味不明具合。脚本家がどうにか締めるために匙を投げたのかと思った。狂っている人間は狂ったことをする、以外に行動に妥当性を持たせられるのか。娘のため、だけであんなことをするほど狂気におぼれた人間であるようには見えなかったのだが。
長くてすみません。でも
観終わって、ラストシーンでの大悟の抑揚のないAIみたいな声が耳に残った。 大角膜あたりに溜まった何かを吐き出したい欲求は、日に日に強くなった。
ふと、息子が小さい頃「ダンサーインザダーク」を観て夜中に号泣したことを思い出した。
担任は全く親身になってくれなかった。 彼女はもっと解りやすい障害を持つ生徒のためのカリキュラムで手柄をあげることに集中していて、〔授業中好きな本を読んでも良い〕というその生徒の特別ルールに対して、「不公平だ!」と空気を読まずに文句を言う息子に心底イラついていて、面談のときに私に不満を言った。 「先生は教えるのがしごとだろっ!てそんなことも言うんですよ!」とか…それは、私が息子に言った言葉です。 解らない解らない解らないとパニックになってわめく息子の頬を叩いて、「解らないところは先生に教えてもらって!先生は教えるのが仕事なんだから!」と。 泣き叫ぶ声が更に私をパニックにした。
家に帰って、10年以上前のそんな断片が浮かんできたりして、また、大悟のAIみたいな声を思ったとき、腑に落ちた。
そうか、洗脳されたのは大悟の方だった。
最初は、小春が究極の選択をしたのは大悟からのマインドコントロールによってかと思ったりもしたけれど、どうも違和感があった。
もともと愛情深く母性が強い小春は、「もうどうしたらいいのかわからない」と怯える大悟の姿にショックを受けただろう。 あんなに冷静で的確で、ヒカリを守るために常に心を配り行動してきた彼は今、背中を丸めて怯え切っている。 私が彼を守らなくては。 ヒカリを守ることは大悟を守ること。 二人を傷つけ、悲しませ、怯えさせる、全てのものから私は守る。
そうして母性が暴走した。
小春の口から究極の選択を聞かされた大悟は、恐ろしさのあまり小春に抱きつき、それは出来ないと言っただろう。そんな恐ろしいことをやれるはずがない。 しかし、小春は穏やかに諭す。 ヒカリを助けるためにはそうするしかないのよと。 大丈夫、私が二人を守るからと。
それは大悟にとっての理想の母親の声だったのかもしれない。
唯一の目撃者であるだろうメガネの女の子からの手紙は、微かな光ではあっても、もう少し早く大悟と小春の手に届いていれば・・・と悲しく思った。
いろんな立場、いろんな境遇の幅広い世代に観てほしい。じわじわと評判が広まってロングランになればいいのに。
圭さんのクランプアップコメント映像を観たとき、 「うん、ちょっと何言ってるかわかんない。」と思ったけど、映画を観終わって再度見たら、頷きまくった。 つくづくナチュラルに正直な人だなぁ
「哀愁しんでれら」というより「あいつら死んでれら」(不謹慎でスミマセン!)。これぞジャパニーズ・ホラー(楳図かずお級)!怨念とか悪霊とかより本当に恐ろしいものは何なのか良くわかってらっしゃる。
①大変面白かった。演出も快調。②「不幸」とか「異常」とか「非常識」とか言うと具体的なイメージが浮かぶのに、「幸せ」とか「普通」とか「常識」とか言うと途端に抽象的になる。人間はどうしてそんな曖昧なものを求めたり拘ったり固執したり執着したりするのだろう。その危うさと怖さをよく捉えていると思う。③最初の心の優しそうな児童養護施設の職員から狂女へと変貌していくヒロインを自然に演じて土屋太鳳は若手演技派の面目躍如。④伏線とその回収も上手く行っている。⑤子供を授かったからといって親になるものではない、子供を育て上げて親になる。子供は親の所有物でもないし宝物などでもない。大人だけでなく子供にだって心の闇はある。⑥前半にヒロインに襲いかかる不幸の連続は実は“不幸”などではない。世によくあることが重なっただけ。後半の当人たち(ヒカリも含め)にとっての「幸せ」(と思っているもの)への欲望・執着、「(母)親」への過度な期待・歪んだ理解等が糺されないまま捩れて連鎖して行ったのが“不幸”だったのであるが、ラストの彼らは自分達が“幸せ”になるためにやらねばならなかったことを成し遂げたから“幸せ”なのだ。⑦普通シンデレラは城に入るまでしか語られない。シンデレラは城に入ったそのあとも(EVERAFTER)幸せに暮らしましたとさ。メデタシ、メデタシ…本当にそうだろうか。本当の“幸せ“の意味が解るのは、その“幸せ”を掴むために努力するのはその後なのに。大概の王妃は悪い王妃です。突き詰めれば“幸せ”と“恐怖”とは紙一重なのだと言うことでしょう。⑦『皆さん、人生は、“幸せになる”“幸せにしてあげたい”などというよくわからんものを目的とすると怖いですよ』、という寓話だと思えば良い。⑧映画が終わって拍手したら近くに座っていた女性が明らかにひいたし、もぎりのお姉ちゃんに「とても面白かった」と言ってひかれてしまった。
精神的に追い詰められる。
のけぞるような恐怖映像はないけど、徐々に精神的にしんどくなっていく内容。ある意味ホラーか。
演者が上手くてよかった。
特に子役が演技初めてとは思えない。
映画自体に興味あるけど
土屋太鳳のまじめ清純派系が苦手
田中圭のはるたんのような演技が苦手
という人でも観られるのでは?
2人にその要素は全くないので逆に新鮮。
息が詰まる作品!!
哀愁しんでれらってタイトルからして恋愛物と思う方多いかもしれませんが、これは違う意味で怖い映画です!!主人公の福浦小春(土屋太鳳)のメンタルがだんだん崩壊していくシーンは息が詰まりそうになった!!子役のcocoちゃんの演技素晴らしい!!恐るべし!!田中圭も怖い!!前半はハッピーで後半は胸糞って感じです🙍山田杏奈が輝いてました!!ラストが狂ってました!!少し意味不明でした!!以上。 〔2021年2月7日鑑賞〕
女の子と継母との葛藤
庶民の暮らしから、裕福層への暮らしへ。その転換も王道とはいえ、たのしめる展開。さらに、旦那の連れ子の娘の継母となり、その連れ子が家の中のモンスターになっていて。この辺り、サスペンス的な要素もあってなかなかよかった。
女の子はとてもデリケートなのかなと。小学生ともなればとてもマセていてもうこころは大人の女性のよう。父親の愛情を取られてしまうかもしれない不安、同性としての嫉妬。表向きとても良い子をふるまいながら、いじわるする様は、子供も根深いと思ってしまう。
これと、主人公の幼いころに母親に出て行かれたトラウマも合わさっての葛藤もあり、伏線がからみあってよかった。
ただ、主軸が男女の愛情なのか、女の子のサスペンスなのか、どっちもどっちだったのが最後にググっともぐっていく深さが物足りないようには感じた。
あとは、最後のひっくり返したようなエンディングを用意する必要まであったのかは意見の分かれるところ。
皆、死ンデレラ?
嘘ついたら死ぬ病気があるなら、つまらない映画を作ったら死ぬ病気もあればいい。
酷いほどではないけど、あの父娘とか各事件の真相とかあまりにも謎が多すぎる。ラストもなるほど面倒くさいからそうきたか感。でもCOCOって将来有望かも。
歪んだ愛情の果て。
親子の愛情。残念ながらこういう題材に微塵も共感出来ない環境で育ったので。冷静に観て来ました。愛情なんて。言葉にすると陳腐なのだけど、如何にその盲従に縛られているのか?っていう感じを受けました。形もなければ、実体も無い、愛情。
何をどうしたら。相手に伝わりますか?言葉で、きちんと説明出来る人なんて存在しません。この作品は、親の愛情が暴走した結果、歪んだ形になって行く様を描いてます。
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