護られなかった者たちへのレビュー・感想・評価
全456件中、341~360件目を表示
もうそろそろ
個人的には3・11を素材にした商業映画は終わりにした方がいいのではと思っている。
確かに風化させてはならないのだろうし、今後の教訓とすべき事も多く残したのだろうが、そういったものは今後は報道やドキュメンタリーを通じてで良いと思う。
当事者達もいつまでも立ち止まっていられないだろう。
さて、本作についてだが、まず清原果耶の配役に疑問符。製作のアミューズの現在イチオシなのは分かるが、一方で朝ドラのヒロインを務めながら連続殺人犯を演じさせるというのはどうなのか? しかも、まだ19歳なんだから、まだしばらくは汚れ役はさせる必要はないのでは? 少し、焦り過ぎなのでは?
この作品、主役は佐藤健なのだが、真の主役は倍賞美津子。
実際、全ての出来事が彼女をきっかけにして展開する。
大ベテランには失礼ながら、華を打ち消して生活困窮者の役など務まるのかと思っていたがしっかりと表現出来ていた。
もう一つの作品テーマである生活保護の申請実態についての描き方は丁寧で良かったと思う。言わば、タブーの題材の実相を伝えるというのはなかなか難しいとは思うが、ありのままを伝えようという感じが見えて好評価。
サスペンスの面とヒューマンドラマの側面が今一つ上手く絡み合っていない印象があったのは、原作というより脚本の問題なのかな? という感想を抱いた一本。
貧困と震災をテーマに!
今の時期にこのテーマ❗
売り出し中の清原初の◯◯役??過去と現代とその間が同時進行するので観づらい震災時あの子は何歳 男の子に見えたけど子供だけが変化して佐藤や倍賞 阿部は変化が無いので違和感も薬物や格闘家ならともかく大の男を一人で3人やれるものか疑問 今は監視カメラや科学捜査の進歩で松本清張や横溝正史の様な絶妙なトリックみたいな話は困難なのかな?
原作の欠点・弱点を上手くカバーして問題提起を含む骨太な娯楽作品として仕立て上げた力作。ただここで提起されている問題が解決される日は果たして来るだろうか。
(原作既読)①生活保護を受けられなかった事で一々逆恨みされていたら生活保護課や関連部課の担当者はたまらない。(私の場合、病気の弟が生活保護を受けられるように市役所の関連部署の人が大変親切に対応・処理してくれたので悪感情ありません。)そこで、東北大地震という未曾有の災害を絡めた事で、役所側もやむを得ぬ状況であったことを描いて、やや無理目な設定であるプロットの不自然さを薄めようとしている。原作の場合は小説であり叙述のやり方次第で読者の想像に任せられるので如何様にも書けるが、映画の場合は目で見る映像で描く為もっと具体的なリアルさが求められる。従い不自然さが目立つと映画として成功しない。その辺り上手く脚色している。②役所側も根っからの悪人はいないだろうし、業務上やむを得ぬところがあったのは同じ宮仕えとして理解できる。善人とは言い切れないような表情を見せる瑛大の演技は三好というキャラクターに真実味を与えている。③クライマックスに幹子が訴えたように、震災のような自然災害の場合、怒りの向け先がない。海や山に怒っても仕方ないからだ。だが、人間のしたことなら怒りの向け先として相手(その人間)がある。今回はそれが残念ながら殺人にまで発展してしまった。原作はケイさんの死に様を克明に語ることで殺人の方法に餓死させることを選んだことに説得力を持たせたが、映画では視覚的にケイさんの死に様を写さない。その為殺害方法の蓋然性が薄れてしまったが、あとは死を待つだけの被害者の二人の眼のアップを撮すことで(意外と衝撃的だった)観客の気持ちを別の方に向けた。幹子から生前に何故自分達は死なねばならないか聞かされたかどうかわからないが、死ぬ前に彼らは何を思ったのだろう。文章でそれを書くと原作を違う方向に持っていくからその記述はないが、眼のアップの映像だけでそれを観客に想像させるのが映画の力。④自然災害について自然界に怒っても仕方ないのと同様、この映画の中核となる生活保護の問題も本来は怒りの持っていく場がない、going nowhereだ。窓口の担当者を恨んでも何の解決にもならない。福祉制度を変えれば良いと簡単には言えるが、実際は予算の問題とか生活保護申請者の調査から漏れる人や反対に不正を働く者(恥知らずな不正受給者がいるという現実。私の近所にも長屋に住んでいながら高級車を乗り回している輩がいた)、生活保護を受けることに恥ずかしさを感じる人、生活保護を受けている人に対する世間の偏見等、問題は山積しており、何よりも全ての人を救うことは事実上無理である。それでも仕事に使命を感じている役所の人は頑張っている。⑤本作は一応ミステリー(私に言わすとミステリーと呼べる次元の小説ではないが)なので、犯人がわかり事件が解決した事で終わりだが、現実の問題はそうすっきりと解決できるものではない。だから映画としては安易に解決策を語れない(語り方によっては綺麗事に終わってしまう)。従い、問題意識のある観客は宙ぶらりんなまま放り出されざるを得ない。⑥そこで映画としてはそれぞれのキャラクターを深掘りすることで映画としてのリアリティーを確立させるという手をとることになる。先ずは阿部寛の力演、かっての男前と長身だけが売り物だった人が顔の表情だけで内面を表せる俳優になるとは。そして、清原果耶。原作では男性であった犯人を女性に変えたのは、女性であればあのような残酷な犯罪は犯さないだろうという心理的目隠しを狙ってか、この女優の演技力を頼ってか。前者であるとしたら原作にはなかったショックガンを使っての犯行という方法で説得力を持たせているがやはり彼女のように小柄な女性が大の男三人を拉致(というか運搬)するのはやや無理がある。しかし、後者であるとすれば彼女はその期待に十分応えている。いつも通り彼女は幹子という女性の様々を面を見事に描き分ける。津波に母を奪われた過去をもちながら屈託なく育ったような女子高生の顔、しかし多感なこの時期に彼女は第二の悲劇に立ち会わなければならなくなる。長じてある時は社会的弱者や貧困に喘ぐ人に寄り添い、ある時は不正支給を受けている者(千原せいじが、短い出番ながら“いるいるこんなおっさん”を好演して印象的)には毅然と立ち向かう生活保護課員の顔、自分達の出来ることは福祉行政のルールによって制限されているけれども声をあげてほしい・現状を変えたいと願う真面目な生活保護課員の顔、そしてクライマックスの殺人者の顔、津波に母を奪われて行き届かなかった福祉行政に第二の母を奪われてその怒りを殺人という形でしかぶつけられなかった或る意味でこの話の負の部分を1人で背負うことになった人間のラストの暗い表情。全てを演じ分けて並みでない若手演技派として相変わらず印象的。朝ドラでは同じ震災のその後を生きるヒロインを演じていることを思うとこの女優の幅の広さが分かろうというもの。原作では“被害者たちの酷薄な本性が変わっていないことを知った”ことが犯行の動機として語られていたが動機としては少し弱い。映画の方は、ケイさんが死んでしまったことへの抗議に役所に乗り込んだ佐藤健に対して懐柔するようなまた居丈高な対応に終始した瑛大・緒形直人に向けられた殺意を込めた目、ケイさんの焼場に駆けつけてその死の原因に荷担しながら“死んだら最後じゃないか”と一見寄り添うような発言をして善人面をした吉岡秀隆に向けられた非難と殺意とを込めた目、その目の演技だけで動機を語り尽くしている。⑦倍賞美津子は、70~80年代はバイタリティーがあって奔放な大人の女を演じて邦画界の一翼を担っていた女優だが、歳を取っても老醜を晒すことを厭わず多くの作品で老婆役を演じるその女優魂に感心する。
地域住民の訴え
東日本大震災と生活困窮を絡めたストーリー。
生活保護世帯って結構な数がいると聞いた事があります。
その上で東日本大震災という超イレギュラー。
現在も新型コロナウイルスという脅威が行政を混乱させてますが、その当時の東北地方は忙しいという言葉では片付けられなかったのでは。
その上で地域住民一人一人に親身な対応はまず無理だが、だからといって今作の様な対応もおかしい。
母子世帯の母がケースワーカーに訴えるシーンなんかは考えさせられますね。
生活困窮者自立支援事業というものが市の必須事業でありますが、そういったものがあってもどういうものか地域住民が知ってなくちゃ意味がない。
こういう地域住民の声を聞きながら、市役所関係課と社会福祉協議会は連携し皆が必要なものを具現化していかなければいけないのです。
宮城の過去と現在
地元、宮城の至るところでロケを行った映画。観ていて、これは〇〇だなぁとロケ場所を考えながら、佐藤健、阿部寛、清野伽耶らの演技の上手さにスクリーンに惹きつけられた
普段善人を演じている役者達が、悪役を演じていることが物語に深みを与えている
しかし、いくつかの残念な点も…
2011年と2020年を行き来しながら物語が進んでいくが、この場面はどちらの話かが、佐藤健の髪型も服も変化があまりないのでわからない
何年かとあえて表示しないことにしたのが監督の意図かも知れないが、佐藤健の外見でわかる様に髪型や服装に変化を加えれば、もっと良い映画になっただろうに
例えば、韓国ドラマ「ジキルとハイドに恋した私」で主演がひとりで二役を演じ分けているが、佐藤健にも9年という時の流れを演じ分けて欲しかった
東日本大地震を体験し、今、生活が困窮して生活保護受給をしている方やしようと思っている人達に観てもらいたい話だが、実際には映画を観る余裕はないのだろうと考えさせられてしまった
絵空事でもいいから護りたかった
予想通り+気持ちよく裏切られた
生活保護問題というより3.11で出来た心の傷
《あらすじ》
児童養護施設で育った利根、寡婦のけいさん、3.11でお母さんを亡くした小学生のカンちゃんの3人が3.11の避難所で出会う。
けいさんの温かさに母の姿を見、心救われた2人は、生活に困窮するけいさんに生活保護の申請させるが、後日餓死しているのが発見される。
申請取下げがあったと役所の回答。産まれてすぐに養子に出したため自分の存在を知らない娘に迷惑をかけたくないというのがその理由だった。取り下げれば餓死するのがわかっているにもかかわらず、それを受け取る役所に腹を立てた利根は役所の入口に火を放って逮捕される。
出所し再就職した頃、けいさんの生活保護を担当した課長とその上司が相次ぎ餓死の状態で殺される事件が発生し、警察は利根をマークする。
利根は生活保護課の職員になっていたカンちゃんを訪ね、「なぜ生活保護課の職員なんかになってるんだ」「死んでいい命なんてないんだ」と哀しげに言う。
後日、カンちゃんのもとに警察が来ると「お兄ちゃんは優しい人なんです」と言う。
警察はけいさんの生活保護保護担当者で今は議員となっている男が次に狙われるとみて張り付き、利根が講演会場出口で飛び出してきて「謝罪会見してくれ」と懇願するところを逮捕する。
…ここまでの繊細な若者の悲しい復讐劇という話でお終いだったら、☆5はつけません。
この後、利根が逮捕されているというのに、議員が行方不明になるのである。
こうなって初めて、先程の2人の言葉の意味が全く違うことがわかる。
「職員にまでなって、けいさんの担当者だった奴等に近づいて、復讐の機会を狙ったのか」「例えけいさんを殺した奴等だとしても、純粋な悪人というわけではないし、命を奪ってはいけない」
自分の保身のためではなく、けいさんのためでもなく、ひたすらにカンちゃんを止めようとしていた利根。それを理解しているカンちゃん。
「お兄ちゃんは、自分が殺人犯と誤解されることより、私の身を案じてくれるような心優しい人なんです」
利根はもうこれ以上殺人を犯させたくない一心で、最後の現場であると確信するけいさん宅へ警官と赴く。
「お母さんが死んだときは怒りの遣り場がなかった、でも、けいさんは違う、人災だ」と犯行を成し遂げようとするカンちゃんに、利根は襖に書かれたけいさんの辿々しい文字を見せる。
「おかえりなさい」
けいさんは2人が再び訪れるのを信じ、この温かな言葉をかけようと思っていたのだ。そして、自分もかつてお兄ちゃんに投げた言葉。
事件が終わって、ラストで利根が3.11の津波から救えなかった子供のことを告白し、「護れなかった」と呟く。
《あらすじ ここまで》
大号泣ですよ!!
不安定な思春期に、唯一の家族である最愛の母を3.11で亡くし、震災時に知り合ったもう1人の母といえる人も亡くしたカンちゃん。同時に心の兄たる利根も傍にいなくなってしまったカンちゃん。養親は彼女を立派に育ててくれているので悪い人たちではなさそうですが、彼女にとって大切な人である利根の存在を知らないということから、心通える存在ではなかったのでしょう。もしかしたら、けいさんと利根を失った時点で、カンちゃんの心はもう閉ざされてしまっていたのかもしれませんが。
気持ち良く泣けましたわー
原作を切り落として、利根を純化させたストーリー構成もシンプルで好感をもてました。
ただ、私はこの映画を利根・カンちゃん・けいさんの3人の話だと思いましたので、警官が3.11で亡くした息子=利根が助けられなかった子供であると思われることとか、議員が謝罪会見開くシーン、田舎に来た若い刑事の存在は、蛇足だった気がします。加えて、カンちゃんが精神のバランスを崩す端緒かもしれませんが、不正受給者の当てつけ自殺未遂の話は、殺人事件とは関係ないのでこんな長いシーンとしては不要だったかなと思いました。
そもそも、生活保護問題をクローズアップしたいのなら、殺人事件など不要で、もっとそちらに純粋にウエイトをかけるべきだと思います。様々な問題点をさらっと触れられても、心に残りません。
どうせなら、3.11当時の疲弊しきった生活保護課の担当者たちの人間性について厚みを持たせた方がやるせなさが出て良かったのになぁと思ったくらいです。
あと、変なバレエのシーン、要りますか?誰?
また、海で話し合いさせたいからだとは思いますが、手錠だかの拘束を海岸付近で外すのも違和感ありました。
号泣したい方、オススメです!
護るべきものは
主演の阿部寛さん、佐藤健さんお二人が、巧みな演技で魅せる。
清原果耶さん、石井心咲さんお二人の熱演も素晴らしい。
慈愛に満ちた眼差しの倍賞美津子さんの演技が秀逸で、全てのシーンで魅了された。
福祉に携わっている方々の苦悩、生活保護申請者となる苦悩、それぞれの苦しみ、辛さがリアルに描かれており、根が深い問題だと感じた。
真の優しさに救われた人間が、人を殺める事が出来るのか、犯罪に手を染める事が出来るのか…今も納得出来ていない。
エンドロールで流れる桑田佳祐さんの優しい歌声が沁みた。
映画館での鑑賞
ネタバレ
題材の真面目さ、正しい怒り(エモーション)、端役に至るまでの芸達者な役者層の厚み、回想を挟み込む組み立ての旨さなど、様々な要素が高いレベルだった。多少説明ゼリフや不自然なやり取りで感情が途切れるところもあり、また事件の核心に納得できていないのだが、全体では今見るべき映画である。
終盤に入ると、自分を含めて周りのシニア層は何人も泣いていることを隠せていなかった。ぜひ全米にも見せたい。
ただ、申し訳ない事に、自分の場合の涙はかなりの部分、清原果耶の凄さに向けられたものなので映画本来の感動ではないのかもしれない。既に「なつぞら」でわかっているんだが、中学生時代のぱっつん前髪がとても似合い、現代の二十代も全くそうとしか見られない。鬼気迫る演技に、おっさん降参。さらに、主演する朝ドラ「おかえりモネ」も震災を題材としており、その最終盤を迎えるこのタイミングでの公開。朝ドラでの感情を抑えた役回りに目が慣れてしまっていた…。
アミューズ制作だからか退職前の佐藤健に桑田佳祐の主題歌そして清原果耶。事務所選びにも間違いなかった。
加賀恭一郎ではありません
悲しいかな、人間は・・・
贅沢な配役でした。
佳作だと思いますが、しっくりこない部分も
生活保護についての問題点を支給する側、される側双方からあぶりだしています。誤解も多い問題だけに、映画を通じて訴えることに意味があると思いました。
一方で、制度運用にかかわる職員たちがなぜ殺されなければならないのか。カンちゃんの憤りは理解できるものの、なぜ殺すまでしなければならないのか、疑問を抱きました。カンちゃんのように賢い子が人を殺すようなことを考えるでしょうか。殺すことはすでにまともでないことを表しています。もう少し細かいことを言うと、自分より大きな男に対し、あのような殺し方ができるのかとも思いました。フィクションなので、これぐらいの極端な描き方はあっていいのですが、あのカンちゃんを悪者にはしたくないのです。
地方勤務になった加賀恭一郎にしか見えない・・・
やっと緊急事態宣言明けてのレイトショー復活
007は、鑑賞者おおかったので、先にこちらを鑑賞
サタデーレイトショー『護られなかった者たちへ』
ダークサイドに落ちた感じの佐藤健の眼差しを予告で観て気になってた作品ですが・・・
阿部ちゃんに関しては、地方勤務になった新参者の加賀恭一郎って感じは、否めない^^;;;;;
過去に主演として演じた役柄と同じ職業の役のオフォー受けたらダメですね。
大好きな同年代の俳優さんだけに残念です。
月曜観た空白と同様に、暗く重い作品・・・
しかし殺される役者さんが、主演クラスで豪華です@@!!
現朝ドラヒロインの清原果耶ちゃんは、朝ドラ前に同じロケーションで辛い作品撮ってたと思うと凄い精神力だと思います。
表情と髪型で、女子高生と成人女性を今回も見事に演じ分けてました。
震災後の生活保護に関しての問題が軸になるわけですが・・・
保護を受ける側の問題を調査して、国が決めたマニュアルに沿って仕事をするだけで、恨まれる事もあるシビアな対応が発端して事件は起こる。
話は別ですが、飲食店のコロナ給付金で、店舗や地域により、かなりの利益が出る理不尽にもこれくらいのシビアな調査必要だと思います。
震災時に同じ場所にいた4人の繋がりが、終盤に一気に紐解かれますが、チョッと奇遇過ぎるかも!?
結末に関して・・・
ラストに明かされる犯行シーンなら痕跡や目撃情報がないわけないし・・・・
ネタバレになるので書けませんが、全てに無理があり過ぎる。
今の警察ならすぐ犯人特定出来るはずって思ってしまうほど残念な描写でした。
震災を題材とした作品は、やっぱり精神的に凹むので、注意して鑑賞下さい。
清原果耶、若干19歳、恐るべし
公開2日目と3日目、連続して「護られなかった者たちへ」を観ました。原作では行政(福祉行政)が悪として描かれていますが、本作では完全な悪ではなく、「自助・共助・公助」の名の下に行政と市民との板挟みで苦しみながら、「すべては救えない」と妥協し自分の立つ位置を定めようとせざるを得ない福祉行政の姿も描いていきます。震災は誰も抵抗できないけれども、貧困の問題は人災。これを本人の努力不足とする政府の立場は責任逃れとしか言いようがありません。ミステリーなのでネタバレは一切できませんが‥。
それにつけても主演の佐藤健と阿部寛、重要な役どころの清原果耶抜きにしては、この作品は成立しなかったんじゃないかなとつくづく思います。清原果耶、若干19歳、恐るべしです。表情が全く異なる序盤と最後、想像もつかないような表情。必見です。
社会派映画だが殺人は必要か?
全456件中、341~360件目を表示