MOTHER マザーのレビュー・感想・評価
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救いようのない人間のとてつもない不幸
駄目な人間はどうやってもダメから脱け出せない。
経済的底辺とは別物の、人として最低の人物の物語。
「ぼく、お母さんが好きなんです。それもいけないことなんですかね…」少年周平(新人・奥平大兼)が放つこの問いは、全ての親に、全ての大人に対して突き付けられたかのようだ。誰か答えてあげてほしい。私は答えを持っていないので。
「わたしの子供をどうしようとわたしの勝手」だと本気で思っている最低女の秋子。汚れ役に挑戦した長澤まさみの迫真の演技。何度か見せる恐ろしいほど冷めた目付きが印象的だった。
そして、その情夫リョウがまた最低の男で、阿部サダヲがこれも見事に演じている。
この二人の人物に理屈は通じない。まともな思考回路を持たず、知性と理性が著しく欠落した生き物。こういう人間が実際にいるから世の中は怖い。
一方で、秋子の母親(木野花)は「そんな子に育てた覚えはない」と本人にではなく孫の周平(幼少期)に向かってヒステリックに叫ぶ。
「いや、あなたが育てたのですよ」と周平は言いたかっただろう。
親にして、この無責任さ。
「自分が働いて、ハタチになるまでは面倒を見る。それが親だろう」一時母子が身を寄せた住み込みの職場の雇い主が秋子を責める。ごく当たり前の苦言。
だが、秋子の思考は変わらないし、言われていることの意味を理解できていない。
そのくせ、助けてくれそうだと見て取ると、反省したふりをしてすり寄る狡猾さは持っているから不思議だ。
身体を使って男から支援を引出すロジックは本能のように身についているのだろう。
映画には描かれないが、何人もの男が秋子の上を通りすぎたと思う。ゴミのように捨てられたこともあったかもしれない。
だから、まともな男に出会ったときに、まともに生きる道を選択すればよかったのに、と思う。でも、その選択ができない人種なのだ。
援助者の傘の下からはスルリと脱け出すのに、ダメ男のリョウからは離れられない行動心理は理解不能。
そして映画の最後、児相職員の亜矢(夏帆)が秋子の手をとった行動の意味は解らなかったが、無表情な秋子を見てどう思ったのだろうか。
周平の言葉を伝えて秋子の心に響いた手応えを感じたか、逆に秋子を改心させられない無力さを思い知ったか。
このラストシーンで長澤まさみが見せる痴呆のような放心状態の表情は、周平を救うことも、秋子を立ち直らせることも、我々にはできないのだと知らしめるようで、愕然とさせる。
そんな馬鹿な(泣)
大森立嗣監督の作品は色々と拝見させて頂いてますが、個人的に『MOTHER』は最高傑作!!
こんな母親は嫌だ、No.1。
世間には、この様な母親は5万といるのでしょうか。
子供を幸せにできないのなら子供を産むなー(●`ε´●)
そして、声大き過ぎ!そんなにギャーギャー喚かないで
冷静になってくれ。シュウヘイ君は冷静だったな。
あれかなぁ、反面教師か。
シュウヘイのお父さんが『シュウヘイ、お父さんの所に来るか』
だが、シュウヘイは『お母さんのがいい』
!!?何でやねん!!
そのシーンを見て思ったのは(お母さんに洗脳されてるのか?)
洗脳ではなく、『お母さんの事が好き』
という。シンプルなものだった。シンプルと言っては語弊があるけど。
後半のシーンで、あやさんが(夏帆さん)
『自分がやったって嘘ついちゃ駄目じゃない』
シュウヘイが
『ずっと駄目だよ、産まれてから ずっと』
号泣でした。
皆様素晴らしい演技力で、圧巻でした。
受胎告知
この映画には印象的なシーンが幾つかあるが、中でもラスト近くにあるシーンが
特別印象深く心に残った。
長澤まさみの後ろ姿、そこに夏帆の相談員が訪れる。
夏帆がそっと長澤の手を取り自身の口に持って行く。
まるで受胎告知のマリアと天使の構図を思わせる美しいシーンである。
マリアの愛と長澤の歪んだ愛。程遠い愛を持つ両者であるが
夏帆の行為は長澤の歪んだ愛とマリアの愛に似た何かを感じたからであろう。
マリアの愛が全てを受け入れる大きさを持つものであるのなら、
長澤の歪んだ愛もマリアの中に包み込まれていると言えるのではないか。
そこから人類愛などの話を進めて行くと、映画から離れてしまいそうなので、
その考えはベースとして保留して、映画に話を戻そう。
狭い歪んだ愛は害毒しか産み出せなかった。
祖父母殺害と言う最悪の帰結しか産み出せなかった。
しかし、夏帆の口づけを通してその歪んだ愛にも肯定するものがあるのだと
見直すよう促しているのかも知れない。
息子の母から逃れたい。母を抹殺したい。との想いはどこかに潜んでいたかもしれないが
それよりも母を愛する気持ちを何よりも強く持ち続けている。
それはどこから来るのか?
それが母の歪んだ愛から来たものなら、そこを見つめ深く探らなければならない。
「お母さんが好きだよ」の言葉は、どこかに救われるものがあるのではと再度考え直す
契機になる。これは観る者にも夏帆にも同時に起きる。
そこから導き出された結論は、長澤の息子への愛は自分自身への愛と通底しているので、
底無しの愛である。
その強さはマリアの愛に匹敵するものがある。
同等に並べるものでは無いと意見される方は多いと思うが、
あのシーンと長澤の表情から考えると、一概に否定出来ないところである。
そこで夏帆の告知とも言える口づけは、「あなたは間違っていたけれど、あなたの愛は救われるものを持っている」と言っているかに思える。これは受胎告知のシーンに引っ張られ
すぎた感想だと思うが、余りにも感動的なシーンなので、そこを軸にして語らざる得なかった事、了承して戴きたい。
クズ母を演じる長澤まさみの進化
長澤まさみの新境地が観たくて観賞。期待通りの好演でした。息子役の奥平大兼は「誰も知らない」の柳楽優弥が出てきた時のような衝撃を感じた。
ただ大森立嗣監督のベッドシーンはいつも中途半端。上手な監督だけどそこをいつも感じます。
マリアか?モンスターか?モンスターでしょう。
登場人物全員悪人
普通の人は秋子が原因で全てが始まったと捉えるのでしょう、それは自由ですが、見当違いも甚だしい。
彼女は結果です。
なぜ子供を所有物としてしか捉えないのでしょうか?
なぜ男に養ってもらわないといけないとしか考えないのでしょうか?
答えはひとつ、日本人がそう教育し続けているからです。
なぜ周りの人間は秋子のギャンブル依存症やセックス依存症を治療して、子供は親の所有物ではないということを教える、という当たり前の行動をしなかったのでしょうか?
非常識だからです。
喫茶店であからさまな大声で恐喝しているのにも関わらず通報すらしない。
死にかけたくせに加害者を訴えない。
児童相談所の職員のくせに家庭内暴力を通報しない。
三隅秋子は我々日本人全員の無関心さゆえに生み出した怪物なのです。
それを分からずにこんなヤバい人がいるんだねーハハハなんて捉え方してたら第二第三の秋子が生まれるだけです。
んー
102本目。
後ろのオバちゃんのリアクションが気になってしゃーないんだけど、役者目線だと吐き出す言葉が本心じゃないだけにキツイんだろうな。
俺だったら目を見てセリフを言えないな。
生活の怠惰って顔だったり、身体だったりに出るとは思うけど、やたら小綺麗だし、取って付けたかの様に白髪だ、シワだと言われてても、説得力にかける。
女優だからではなく、女優だったらその辺まで作って欲しい。
あとは、困った時の夏帆頼み。
色んな作品に出ても、何か収まりいい。
吐き出さずにはいられなくて…
16歳の高校男子を持つ親ですが、鑑賞から3日たっても、衝撃的なシーンが心から離れなくて…。
長めの髪の周平の風貌が、どうにも我が子と重なり、序盤の小学生時代から涙していました。
彼の周囲の大人が、秋子ではなく、周平を見てくれていたら…。何度もあったタイミングを、なぜどうにもできなかったのか…。
周平が発した「学校行きたいんだけど」「もう止めようよ」を、なぜ救ってあげられなかったのか。
そんな理不尽を、違う、と感じていても、違う行動をするすべを持たなかった周平。
妹をとても大事に思っていた優しい彼が、あまりにも残忍な事件を起こす。
心を決めるまでの長い長い橋のうえ。
心を決めた彼に、罪悪感は無かったと思う。
そうしなければ、母親は生きていけない。そうしなければ、妹は死んでしまう。
でもどうしても、そのシーンが頭から離れない。
チャイムを鳴らして家に上げてもらってから、ほんの数分ある会話。
「妹。かわいいよ。今度会ってよ」
と、言ったのは、油断させるためなのか、本心なのか。
機を伺ってソワソワする彼になにかを気づいて声をかける祖父。
瞬間。
瞬間だ。
心に決めていないと、絶対に出来ない。
そんなスピードで、一瞬で。
その一瞬の彼に、迷いなどない。
そのことが、その手の感触が、今後の彼の人生にどれだけのことを残すのだろうかと想像したら、涙が止まらなかった。
それでも母親を好きだと言う彼に、本当はどうしたら良かったのか、その答えを大人は持ち合わせていない。
17歳男子は、親の言うことなんてなにも聞いちゃいないし、親がやれと言ったことはだいたいやらない。
そんな世の中で、彼は、母親の言うことをすべて聞いて生きていた。
母親がすべてだった。
周平が、秋子に「え?」と聞き返すシーンがいくつかあるが、リアルそのものだ。
なんどか試みた小さな反抗を握りつぶされる度に、彼の自我が消えていく気がした。
そうするしかなかった、のだ。
そうするしかなかった、から、と言われても、受け入れられないあのシーンの衝撃。
反芻しては落ち込むのに、何度も反芻してしまうあのシーンに、観ることを後悔した映画でした。
(すごく良かったんだけど…ね…)
感動はしないと思います。
どこかに感動的な場面、ストーリーがあるのかと思いながら観たが、、、無かった。
こういう層、こういう親が存在していて、その子供たちが洗脳より強力な人生ごと洗脳されるという事実を知り、驚き、力が抜け、血の気が引いた。
ドキュメンタリーとして観るのがいいような気がします。
もっと細かい所がみたい
時間の関係でカットされているところも苦悩・困難なことは想像できる。そこを描いてこそ主人公の成長もわかると思う。妹が出来た瞬間、母親は気持ちの変化は起きなかったの?少年はなにを思ったの?
救いようがない…
秋子が、他人に依存せずにいられない女ならそれでも良い。
独身で子供がいない設定でなら秋子の生き方は自由だし、秋子を選ぶ男にもメリットがある。遼と恋の逃避行でも勝手にやってくれて良い!
…だらしなく子供を産んでしまっただけなのか?特に下の子。妊娠わかってもタバコと酒はバカバカやるわ…愛は絶対ないよね。子だけじゃなく、自分をいたわる程度の愛もないよね。
酷い親が居ること、親が巧妙な嘘で子をコントロールすることを目の当たりにした。映画だけども、実際にいくらでも起きているだろうことだ。素晴らしい演技で、見せて貰った。
ずっとダメですよ。
強く依存し合う母親と息子の歩み行く道。
何もしないくせに所有欲だけは異常に高い、秋子の言動が終始理解できなかった。
二人の子供を想う言葉なんて一言も出てこない。子供を追い詰め利用しているだけ。
今にも男と逃げ出しそうなものなのに、周平と冬華は絶対に離さんとするその姿勢は何なのか。
どれだけ金がなくても絶対に働かない、常に誰かに寄りかからないと生きていけない、もう完全に病気でしょう。
どうしてあそこまで堕落してしまったのか、今までどんな生き方をしていたのか、知りたくて仕方ない。
その辺の描写が一切無いのはわざとなのかしら。
世界の全てが母親の中にある周平の痛々しさ。
たった一度だけ、自分のやりたいことを主張したシーンがとても好き。
「亜矢さん、ごめんなさい」のメモも。書き間違いの跡がどうしようもなく愛おしい。今すぐ抱きしめて冬華と共に家に連れて帰りたい。
ヘルプを出す気もない少年に何も出来ないもどかしさを常に感じる。
秋子の中から抜け出して欲しいと、外に出た方が幸せになれると、そう思うのは外野のエゴでしかないのか。
「ずっとダメ」だなんて言わないで欲しい。
でも、側から見ても「ずっとダメ」なのは明らかなんだよね。どうしたって。
起きていることは絶望的にしんどいに、そのしんどさをあまり感じられないまま観ていた。
こんなにもわかりやすく苦しい物語なのに。
おそらく、価値観が全く合わないのだと思う。
秋子からも周平からも、愛とか情とか、そういうものが全く感じられない。
周平は「お母さんが好きだ」と言うけれど、それしか知らないだけでしょう。
切っても切っても繋がり続けてしまうのが家族の情だと思っている。
こんな状態でいるのに一度も切れないまま、一度もすれ違わないままでいられるなんて、愛とか情とかじゃなくて、ただの依存でしかないのでは。
秋子のあり方も違和感が強い。
どれだけ虚ろな表情を塗りたくっても消しきれない長澤まさみの健康美が鼻についてどうしようもない。
ドスの効いた声も迫力が足りず、「〜だよぉ!」という語尾になんだか気が抜けてしまう。
たぶん私は彼女の演技が苦手なんだと思う。
リョウの存在が不思議だった。
彼はなぜ秋子たちと一緒にいられたんだろう。
あんな行きずりで出会って、でも好きだったんだろうか。そんな感情が彼らにあるんだろうか。
わからないな。
誰も知らない、を思い出した
友達に映画の感想説明しながら、柳楽優弥くんの「誰も知らない」を思い出した。こちらの親のほうが不快で、話も救いがない。でもリアル。きっとこんな家族いるよ。邦画の家族モノに多い、いかにもの安い感動シーンや泣かせようという小賢しいシーンがあまり無くて良かった。スピード感があり、久々に邦画で満足した映画でした。オススメ。
大嫌いになりたかった
何故、阿部サダヲ扮する遼は
5年を経て帰ってきたのか?
「お前の母ちゃんはいい女だ」と周に言ったり、遼の借金のメールを見て息子に
強盗をさせたけど
二人の馬鹿な大人でも通ってる愛がまず
見れなかったから言葉だけが宙に浮いていた。
映画全体にこの「言葉だけが宙に浮いている」箇所がありすぎる。
周に寄り添う児相のあやが本を持ってきた
シーンも本が好きだから持って来たと言うが、少年の本好きは伝わっておらず
熱意の言葉も空回りする。
共依存、、ということ1つとっても
息子の視点からの母への愛しさ、
周しかいない歪んだ息子への愛の描き方
薄く、殺人に至るギリギリの精神状態が伝わらずハラハラすることも
胸を締め付けられることもできなかった。
ラストの丸刈りの周の言葉は
最も重く伝わるはずのものだが
深く感情移入できなかったのは
背景にある
過酷な貧しさや生活、喫茶店や焼肉屋での食べ物に対する兄妹の姿、
自分も幼くして妹を育てる大変さ、
(赤ちゃん時のおむつ替えや夜泣きのシーンなど必要だったと思う。妹への愛も言葉だけ宙に浮いていた)
祖父母との可愛がってもらっていた
関係性や学校へ行きたかった気持ちなど
言葉だけでなく、1つ1つもっと丁寧に掘り下げなければラストは響かないし
誰の視点からもこの物語を追えない。
せめて
長澤まさみ演じる母親の秋子を
大嫌いな気持ちになりたかった
こんな母親でも僕は愛している
「誰もボクを見ていない: なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか 」
が原作となり、それを実写映画化した本作品
本作の主人公である、秋子(長澤まさみ)は、実子に対して、
ネグレクトをしさらには自分の親(祖父母)を殺すようにと頼む、畜生な人間と
そんな親に対しても、変わらず愛してあげた息子(奥平大兼)の
親子とは一体何なのか?というのを問いかける作品
どんなにひどい事をされても、結局この人にとっては自分(息子)は必要な存在で、
自分(息子)にとっても、母親(毒親)は必要な存在となっている、一種の共依存関係が
息子の自立を阻害してしまった
そんなズブズブな関係を周りの大人たちは見て見ぬふりをして、自体は最悪の結末を迎えてしまう
この作品は、一つの歪な親子関係を表現しているだけでなく、それを止めることができない
周りの大人たちの対応の悪さも顕著に表されている
例えば、
祖父母たちは、娘(秋子)の浪費癖をに呆れ、孫(息子)共々、縁を切ることになってしまった
市役所職員たちは、アパートを貸してあげるだけで、秋子に怒鳴られただけで、すぐに退散してしまう
職場の上司は、秋子に言い寄られただけで窃盗の罪を許してしまう
このように、周りの大人たちが彼(息子)のことを全く見ようとせず、彼から遠ざかることで
より親(秋子)への依存度をましてしまうという、負のスパイラルが生まれてしまう
この作品の一番に伝えたいことは、
こんな親でも、結局自分の心に空いた穴を埋めてくれる存在は、この人しかいないという
最悪な現実をどうにかして変えることができなかったのか?
どのようにすれば、変えることができたのか?
そのような存在に、息子さんが出会えれば、きっと‥
最後に、
この作品は、親子の美しさというものを表現していない
あくまでも、秋子は都合の良い相手を探していただけであるから
秋子は、パラサイト(寄生虫)である
見事に演じきった長澤まさみさんに拍手👏
普通の家族像では理解し難い親子関係を描く。
なぜ毒親の母親にそこまでと思って観ていたが、「共依存」と言うキーワードでこの映画の真髄に入り込める。
世の中でDVや、ハラスメントを被ってもこの人と離れられないという私にとって全く理解できなかった境地がこの映画を通じて一つ気付けた気がする。
母親が好き、息子を愛している。
単純明快なその答えで観ているものの理解を超えていく。
この親子は生きる術をなりふり構わずやり過ごし、その極みは、、、
今回、長澤まさみさんの毒親演技が見どころと期待して入館した。
さすがだ、
彼女は裏切らなかった。
刹那ささえ胸に迫る。
万引き家族と同様、社会からこぼれ落ちた家族の姿を見せられた。
個人的には万引き家族よりストーリーの展開、迫力は数段上。
長澤まさみという女優がこの作品にクレジットを刻んだことは彼女にとっても良かった気がする。
こんな形でしか生きられない人も少なからずいるんだろうと考えたら身がつまされる。
しっかり生きていきたい。家族を守るために頑張ろうという気持ちにさせられた。
何故、助けを受け入れないのか。それが共依存の怖さ
最初は母親が子供を洗脳しているのかと思ったけど共依存だと気が付いた時に堕ちる所迄堕ちる予感がした。
『新聞記者』も見ましたが、プロデューサーさんは現代社会の問題を我々に定義してくるね。それを監督したのが穏やかな時間が流れる作品が多い大森監督なのに驚いた。
救いのない映画
だけれども現実社会にはあることなのだろう。この少年が助かるチャンスは何回もあったけど最悪の悲劇で終わる。邪悪な母親は最後まで反省も悔恨もない。ある種のサイコパスと思えるほど。現実の事件を元にしているから最後まで光明はない。長澤まさみの演技は圧巻。
同じ監督の「日日是好日」との違いに驚く。
イオンシネマのワンデーパスポートで観たが、この映画の後、ステップ を観てほっとした。観る順序が逆だったら辛かった。
苦しい
始終苦しかった
抜け出せないのか
抜け出したくないのか
一緒にどこまでもどこまでも堕ちていくことで、すがり合って愛情を確かめていく
役者かみんなリアルな演技で、素顔を晒してるかのようで、ある意味ドキュメンタリーのようにも見えてきた
泣き叫ぼうが、怒鳴ろうが、どこか静かで
息子役の幼少期も少年期も2人とも本当に素晴らしかった
自分が産んだ子だから、と所有物のように好き勝手に振り回すクズの母親
と、振り回されているようで、その母に依存されてることで愛を確かめる
抜け出せたかもしれない
でも、母を突き放さず甘やかすことで、自分も依存している
母でもあるからなのか
苦しかったです
母親が好きっていけないこと??
我らがダー子ちゃんこと長澤まさみが、初めての汚れ役ということで鑑賞。
うわぁ...きちぃ...。
人に安易にオススメできるような映画じゃ全く無いです。ずっとしかめた表情になっていた。
お金が無いにも関わらず男たちと行きずりの関係を持ちながら、子供たちを育ててきた秋子(長澤まさみ)。
息子の周平(奥平大兼)を信じることしか出来なかった...。
ずっとずーっと始まりから終わりまで不幸の連続。
明るいシーンなんて何一つ無い。
希望だって一瞬にしてかき消される。
阿部サダヲの演技は流石としか言いようがない。
顔的には全く怖くないしほんわかしてるのに、
この映画では近づいてはいけない人感が凄い。
役者になるべきして産まれた俳優さんだなとつくづく思う。
大きくわけて、周平の小学生時代と中学生時代の2つの話になる訳だが、最後まで1度も飽きずに見れる。面白いとはとても言えないけど。。。
周平の言葉がグサッと刺さる。
周平演じる大兼くんは今作が俳優デビューな訳だが、すっごい上手い。涙がこぼれ落ちそうになった。
特に刺さった言葉は、タイトルにも書いてあるとおり「母親が好きっていけないこと?」という言葉。
嫌いだけど好きとしか言えない。
好きって言わなくちゃいけない。
好きと嫌いの違いなんて分からない。
色んな意味が含まれていることだろう。
それじゃあなんで★3.5かと言うと、
飽きずに楽しめたものの物足りなさを感じたというのが、1番の減点理由かな。
もっと深いところまで追求してくれれば、より面白い作品になったと思うのだが。
長澤まさみもいい演技してるんだけど、いま1歩及ばずと言った所。普段の人の良さがまだ出てきちゃってるかな〜。
コンフィデンスマンJP大好き過ぎるとダメですねw
「お金ないよ」っていや、ダー子ならあるでしょ!
お魚釣りあげて1億ぐらいちゃちゃっと稼ぎな!ww
最後まで救いなし
辛かった。最後まで何一つ光がない。
「親がどう自分の子供を育てようと自由でしょ」確かにそう言われたらそうだけど、その育て方が一般的な家庭生活を送っている子供達の基準から著しく外れているとしたなら、その育て方は明らかに間違っているだろう。
家があって、ご飯が食べれて、布団で寝れて、学校に行けて、勉強をすることができる、その最低ラインでさえもクリアできない生活を子供にさせている親なら、何らかの自治体からの支援がないと無理であろう。
長澤まさみもこの役を演じるのはとても辛かったと思うし、新人の奥平大兼くん、いきなりこの役をよく頑張ったねと褒めてあげたい。これからの活躍が楽しみである。幼少期を演じた子役の子も本当に抱きしめてあげたくなった。
あんなに酷いことをされても、暴力を振られても、「お母さんが好きだから」って、切なすぎる。母親も子供もそれは好きという感情じゃない、ただの依存ってことに早く気付いてほしい。母親のことを好きじゃなくたって、全然いいんだから。
最近、ニュースでもよく取り上げられているが自分達の快楽の為に子供を置きざりにする親。
気付かれてないだけで、この国にどれだけいるのだろう。殺人まで犯さないとしても、その前に虐待もあるだろうし、問題は山積みである。
きっと、この作品を通してもそうだし、1人1人がもっと真剣に考えて、何か行動をしなくてはならない時期にもうとっくに来てるんだと思う。私達に何ができるのだろうか。
あと、個人的に仲野太賀くんのラブホ従業員役とても好きです!
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