TENET テネット : 映画評論・批評
2020年9月15日更新
2020年9月18日よりTOHOシネマズ日比谷ほかにてロードショー
順行時間VS逆行時間。ノーランのハイコンセプト大作は知性を弄し、動的興奮へと導く
「ダークナイト」(08)以後の興行的成功を手形に、ハリウッドで作家性を堅持するクリストファー・ノーランの最新作。映画史上最大の上映規格であるフィルムIMAXを自作に用い、観客に没入感の深い視覚的トリップを提供。代わりにエンタテインメントにありながらも実験色の濃い、ノンリニアな構造を持つ物語への取り組みを正当化させている。スタジオ主導では通りにくいハイコンセプトな企画を成立させ、観る者の脳を沸騰させるがごとき知の極地へと誘う。
作品のジャンルはノーラン自身の、「007」シリーズへの憧れを隠そうともしないスパイものだ。だが主人公(ジョン・デヴィッド・ワシントン)の前に立ちはだかる相手は、時の流れを逆行し、過去に干渉してくる未来人だ。そんな連中の未知なる素性を明かすために、世界を縦断する大アクションが展開され、彼は驚愕ともいえる敵の最終目的を阻止せねばならない。そして映画はジェームズ・ボンドとは違う独自性と、SF成分強めな燻煙を放っていく。
こうした監督の時間への執着は、「メメント」(02)の時系列を逆につないでいく編集で広く知られ、「ダンケルク」(17)ではそれを変質させ、スパンの違う三者のエピソードを縒り合わせた構成を披露。今回は時間の流れが異なる多層空間を描いた「インセプション」(10)ばりに、順行時間と逆行時間の衝突をドラマの軸芯に用いている。逆へと流れていく運動にあらがい、主人公たちが順行していく絵ヅラは面妖だ。しかし同時に驚くべきは、それを撮るための手法の数々だろう。うちひとつはフィルムIMAXによる逆回し撮影だが、そのために機構の定まった同カメラに改良をほどこすなど、デジタル時代にアナログの性能を上げ、映画技術の常識も劇中並みに逆行して変えているのだ。
「意識高すぎノーランくんの俺ルールにお手上げだぜ」と、初見は置いてけぼりを食うかもしれない。事実、上映中は眼前で起こっている平衡の崩れが、どういう規則性に基づくものなのかを消化するのに呑み込みづらさを覚える。とはいえ多くの日本人が「ドラえもん」などで時間テーマの基礎を叩き込まれているだろうから、後々「なんだそういうことか!」と全貌を把握できるだろう。けれど頭で理解するのは家に戻ってからでいい。まずは巨大スクリーンの前に身を置き、観る者を翻弄する奇観なビジュアルと、特殊すぎるレイアウトにどっぷりと浸ろう。そのうえで納得がいくまでリピートするもよし、久しく離れていた劇場体験の“極”たるものとして、ノーランの野心作は理屈以上の興奮を与えてくれる。
(尾﨑一男)