生きちゃったのレビュー・感想・評価
全63件中、41~60件目を表示
石井監督が撮るべき映画はこんなんじゃない
2021年映画館鑑賞14作品目
2月1日フォーラム盛岡
盛岡で『生きちゃった』が公開されていたので近場の石巻を変更し高速料金1700円あまり払ってまで遠征して観に行った石井裕也監督のファン
自分が住む岩手と宮城の県境付近と違い盛岡駅周辺は驚くほど雪が積もったらしく駐車場は雪かきしないと一晩停めたクルマを動かせない状態で歩道が滑りやすく歩くのも楽じゃなかった
盛岡が仙台に勝っているところはほとんどないが唯一優れているのは映画館が集中しているのではしごをしやすい点である
前置きはここまで
半年後半年後半年後
楽しみに見に来た『生きちゃった』ではあるが最初の30分は石井裕也監督作品とは思えない陰鬱で辛気臭い話が進んでいくだけで正直がっかりした
これがあと1時間続くのかとG-SHOCKを観ながらイライラした
満島ひかりとの離婚に思うところがあったのかも知れないが石井裕也監督に作ってほしい映画はこんなんじゃない
元プロ野球選手とか石井裕也とは同姓同名の別人がメガホンを取ったのかと思った
ところがレ・ロマネスク登場あたりから石井裕也監督らしさが出てきた感じ
父ちゃんと母ちゃんが大麻やめろと長男を叱るシーンが面白かった
刑務所の帰り記念撮影する際ラーメン屋でカメラの使い方がわからない男や別の場所で別の人にカメラを撮ってもらうときの父ちゃんの作り笑顔も好き
3人の高校時代の詳細は描かれていない
パピコを分け合うことがすべてだ
2人にとっては後々にも特別な意味を持っている
仲野太賀はなまはげに続きまたしても離婚を突きつけられる役で主人公厚久
今回も演技が素晴らしかった
父より彼の方が好きだ
伊藤沙莉もよく観るが彼もよく観る気がする
若葉演じる武田は厚久の無二の親友
2人が泣きじゃくるポスターの印象的な場面はラストシーンに続くクライマックス
ああいう終わり方も悪くない
最後まで観てみるとやっぱり石井裕也監督作品だとわかる
厚久の兄で透役の役者さんは初めて観た人だが韓国生まれの韓国人らしく映画監督の人でセリフがないのは日本人のような日本語が喋られないからだ
なぜ彼を起用したのか知らないが喋られない設定なら良かろう
大根では演技指導もままならないだろうし存在感はたしかにあった
この作品の1番の売りは大島優子だろう
今回の観客の多くは若い女性だったけど
厚久の兄に殺された愛人の借金の保証人になってしまいデリヘル嬢に落ちぶれてしまう
いわゆる体当たり演技というやつだが僕はそういう表現が大嫌いだ
ここまでリアルな口淫はなかなかない
世の男性の多くが見たいのは北村有起哉のお尻ではないだろう
なぜデリヘル嬢なら殺していいのか全く理解できなかった
Wikipediaの大島優子の写真はキンタローの物真似みたいであまりにも馬鹿みたいな姿だった
それなりだが今の大島優子には必死になって女優の階段を登っていく姿が眉間の皺に窺えた
ゲイのふりをしているつもりかもしれないが手を握りあって山田と武田が殺害現場のラブホを目指す演出も石井裕也監督らしいといえばらしい
ラストの場面に心動かされた
とにかく太賀くんがラストに自分がずっと溜め込んでいた思いを爆破させる瞬間と表情がとても良かった。
何も言わないで心にしまい込んでいる姿が劇中続いていたので、そのままいくのかなと思っていたら、ラストでその思いを友人役の若葉くんにぶつける、、ラストに持ってきたのは良かったと思いました。
あと、大島優子さんの体当たりの演技が良かったです。
【”自分の想いをきちんと相手に伝えろ!そして、負の連鎖を断ち切れ!” 苦しくても、柵を気にせず、真の想いをきちんと伝えることの大切さをシビアな視点で描いた作品】
ー ”救って欲しかったんじゃない・・、愛して欲しかった・・。”
ナツミが、あっくんに、別れを告げる時に言い放った言葉である。-
<Caution> 以下、ネタバレあり。
◆アツヒサ(仲野太賀)は、婚約者サチコと結婚直前まで行っていたが、婚約を破棄し、高校時代からの友達、ナツミ(大島優子)と結婚し、スズと言う女の子が誕生する。
が、ある日、体調不良で昼間家に戻ると、ナツミは見知らぬ男(毎熊克哉)に抱かれていた・・。
激しく動揺し、家を出てフラフラとママチャリを漕いで、スズを迎えに行くアツヒサ。
- 愛おしい子に会う事で、動揺を抑えようとしたのか・・-
◆アツヒサとナツミとタケダは子供時代からの仲良しで、帰りはいつも3人。
夏の暑い日にはアツヒサとタケダがアイスのパピコを買い、いつも、各々の半分をナツミに渡していた・・。ナツミはアツヒサとタケダのパピコをいつも一つづつ貰っていたのだ・・。
- この何気ないシーンが、三人の関係性を表している・・。そして、後半の哀しきシーンでも、それは再現される。-
◆アツヒサの両親の家には、引きこもりの兄がいる。ナツミはアツヒサの家に墓参りで帰る時は、憂鬱そうだ・・。姑と上手くいっていない様子が、何気なく描かれる。
- この後の不穏な展開を想起させる・・。-
◆新婚のアツヒサの家に、突如訪れた且つての婚約者、サチコがおり、アツヒサが号泣している所に、お腹の大きなナツミが帰宅するシーン。
- 崩壊の音が・・。-
<アツヒサは、”とても大切なこと”を、自分の口で”日本語で”伝えることが出来ない。
その性癖が、
・ナツミとの関係性を冷え切らせ離婚の要因を作り、
・ナツミの新しい夫の命を奪い、
・引き籠りの兄を罪に陥れ、
・そして、幼い頃から愛していたナツミの運命までも狂わせる・・。
だが、アツヒサと且つて”LOVE SONG”でプロデビューを夢見ていたもう一人の幼馴染、タカハシは、アツヒサを支え続ける。
そして、”負の連鎖”を断ち切らせるために、タカハシはアツヒサを彼の”宝物”に、会わせようとする・・。
ラスト、タカハシはアツヒサの行動を直視出来ず、号泣しながら”宝物”の所に駆け寄って行こうとするところで、画面は暗転し、映画は終わる。
重い作品である。
が、鑑賞後アツヒサの悔恨と、タカハシの想い、ナツミの無念の想いが複雑に絡み合って、澱のように心の底辺に残る作品でもある。>
<2020年12月13日 刈谷日劇にて鑑賞>
実は単純なようで,意外に深〜い⁉︎
わりと身近に現実的にありそうだが,一寸昼ドラの劇場版?にしたという作品、何て印象を『最初は』受けた事を記録しておいてみた…。
申し訳無いが,内容自体は単純?な風で、後から後からストーリーの経緯を調べて行く内に濃いぃ〜⁈
御免なさい,勝手な事を言っちゃいますが…。
結構本当の処,濃〜い,と思われた・・・。 兄が以前の奥さんの新彼を殴っただけのつもりが殺めてしまったり… 率直に言っちゃえば,内容に対して別のキャスティングだったら、もっと濃くて深い話題になる作品になったに違いないかなぁ⁈なんて思ったが,如何程だろうか⁇
うーん、難しい。 違和感のある点が多すぎて、入り込めなかった。 も...
うーん、難しい。
違和感のある点が多すぎて、入り込めなかった。
もう少し分かりやすい描写がほしかったかも。
全体的に主人公のまわりに理不尽なことが多くて、特に元妻の母親とのシーンはかなりムカッとした。
感情に蓋をしてしまう主人公が悪いの?
そんな世の中ってないよなー。
仲野太賀と若葉竜也のタッグを楽しみにしてて演技はもちろん良かったけど、個人的には合わない作品で残念だった。
何がいけなかったのか
結局、誰も何も悪くない気もする。
だけど不幸に向かってしまう。
悲しいお話。
1つ気になったのは親友の武田。
彼自身には何も起こらず、
というか、
どんな仕事しているのかさえ
出てこない。
もし彼にも恋人ができて
結婚して、とかがあれば、
「こっちにも生活があるんだ」
とか言って、
主人公と
疎遠になったりするんじゃないのか。
そういうのが一切ないので
実はボーイズラブ的な
主人公の事が好きなのか、とも思った。
(部屋で2人で眠るシーンとか)
でも結局、何もなく、
彼の存在は大きいんだけど
何の説明もないので、
不自然に浮いた感じになってた。
#98 存在と不在の区別がつかない
静かでセリフが少ない分色んな受け止め方が出来る作品。
死んだ祖父が本当にいたのかわからなくなっている主人公は自分の存在すら実感できていない。
ましてや自分の感情なんて理解出来ない。
そのくせ引きこもりの兄とは心を通わせ互いに理解しているところが不思議。
太賀クン、色んな役が出来てて凄い‼️
感情を押し殺さず
とにかく主人公に共感したのは、肝心なときに相手にありのままの感情を伝えられないところだった。そして、あらためて思ったのは、自分を表現するということにより、自分の存在を証明することができるということである。もちろん、主人公の兄のように、タイミングを逸してはいけない。自分の思っていることを思っているときに伝えられれば、あとは流れに身を任せるのみ。きっと。
もう鼻水たらして泣くしかない
昨年の「町田くんの世界」に続く石井裕也監督作。
高校時代から仲良しの三人(仲野太賀、若葉竜也、大島優子)。太賀くんと優子ちゃんは結婚して5歳の娘がいた。太賀くんと竜也くんは今も支え合う親友だった。竜也くんは優子ちゃんのことが好きなんだろうなぁ。
太賀くんと優子ちゃんはお互い言うべきことが言えない夫婦だった。それがとてつもない悲劇を生んだ。これ以上ない悲劇だった。何も言えないダメダメな太賀くんに自分を重ねた。
観る我々は彼らが言えなかったことの全てを知る。
あのとき言葉にできていたらと。
もう鼻水たらして泣くしかない。
大好きだ。
絶対に自分の意思を伝えないといけない時ってあるよ
ただただ、厚久・仲野太賀のたくさんの今まで言えなかった思いが溜まりに溜まってはちきれそうになって、もう言葉でもだし、涙からも溢れ出さずにはいられなくなってしまった、泣きの演技がたまらなかった。観てる方が嗚咽してしまった。
厚久の周りでいろんな不幸が続いたけれど、人はみんなそれぞれが何かを取捨選択して生きているわけだから、その道を選んだのもその人自身。誰のせいとかないんだよ。
ただ、彼が何か行動することで人を傷つけてしまうのが怖くて、何も言わない、しない事を選んだのは優しさではなく、自分の保身でしかない。生きるということは、お互いに傷つきあいながら、人を思いやることを学ぶんじゃないか。やはり、人は言葉で伝えなきゃいけない時があるんだと思う。
見方を変えれば、今までの出来事は厚久はすずちゃんのために生きなさいという意味だったのかもしれないし。
とりあえず、大切な人には生きている内にちゃんと思ってることは伝えよう。
あー、北村有起哉さん、人を虫ケラのように見下した演技最高でした!怖すぎでした。
映画館で観て良かった。
テレビなら間違いなく、チャンネル変えてるか、DVDなら早送りしている。
こういう特異なキャラクターばかり出てくる映画はきちんと丁寧に作らないと理解不能になっちゃいますよね。
尺が91分って、短すぎる気がします。
これは、、強迫性障害か発達障害の話なの?
これは評価が難しすぎる。
意味のわからないシーン、手持ちカメラで酔う、胸糞悪いキャラクター。
特に、手持ちカメラは本当に苦手。
必要なシーンもありますが、意味の無い室内のシーンで手持ちカメラは本当に酔う。
最後の15分くらいまでは、なんてつまらない映画なのかと思っていました。ここだけ考えれば★1。
最後の15分でようやく理解出来る話になっていきますが、それでも★2か3止まり、普通には他者に勧められません。
良いのは3人の演技。
なんとも醜い部分な、情けない部分など、3人とも素晴らしい。
ただ、演技が良くても、ストーリーと訳の分からないシーンは苦痛でしかない。
気になったのは、
・白線を踏んで歩くシーン
・どこか一点を見つめているシーン
・脈絡とは違う答えが返ってくるシーン
・酷いことがあっても泣けない
てす。
これは、強迫性障害か発達障害のような気がします。もし、このようなことが前提になっているなら、意味のわからないシーンも、コミュニティ不足で傷つく事も、ようやく全体が理解できます。
ここに思い当たると、最後のシーンが、より際立ちます。
自分にも、少しだけそういう「個性」があるので、一気に理解出来る話になる。
そうであれば★4、そうでなければ★2かと。
評価が難しすぎる。
俺が泣けないのは、日本人だからかな?
・・と、厚久は言うけど、みんながみんなそうじゃないよ、と思った。つまり、「今まで本当のことは言えたためしがないから」が日本人らしいところってこと?それは君自身のことでしょ?僕には、厚久がいくら熱く語ってきても、気の毒だなって気持ちはなくもないけど、どうも手を貸してあげる気になれない。なんか、最後まで気持ちが入り込めずに終わった映画だった。
太賀、若葉、大島、役者三人の技量はすごい。こんなじれったい男の話でもちゃんと魅せてくれるんだもの。
凄い映画観たよ、凄いよ…
タイトルみて、どんな映画かは想像出来なかったのでまずそこから知りたくなった映画。
そして石井裕也作品は絶対観たいのでみにいきました。「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」の時も思ったけど、石井裕也監督は映画を撮るたび撮るたび、新しい映画、それもすごく魅力的な映画を観せてくれるなぁと脱帽する。石井裕也っぽさはあるんだけど、日常的な生活やリアルな感じを撮るのめちゃくちゃ上手いんだけど、登場人物一人一人、なんか全く新しい感じがする。この映画も超凄かった。
フラットな気持ちで思い出すと、割とトラウマ映画寄りの内容ではある。今かなり自由に気ままに暮している私だから百歩譲ってこんな感想を書けるけど、家族スタイルや経験、どんな人生歩んでるかによっちゃこの映画は辛過ぎて観れない人も多いだろうな…。そう簡単に「あ〜良かった、良い映画だった」という感想を人に言いづらい展開と内容ではあった…んだ…けど…映画として作品として、素晴らしいものだった…。
ストーリーは言わないとして、俳優陣良かった。太賀も若葉竜也も大島優子も他のキャストも全員レベルが…。作品の空気感とか俳優陣の演技力が桁違いに良いとそれだけでまだ何も起きてなくても引き込まれる映画にもうカテゴリーされちゃうね。ストーリーと相まって、人間の感情や考えって、当たり前だけど喜怒哀楽だけじゃあないんだなと痛感させられる。繊細。繊細過ぎて、何かが1ミリでもズレたり、小さなすれ違いや勘違いで、次に何が起こるのか…数日後に、半年後に、5年後に、何が起こるのか分からないね。今年はそんな事考えたり反省したりする事が多い年ではあったし(私が)、この映画見て更にその思いが強くなった。教養がすごいわ…。
話の展開はかなり抑揚があるなあと思っていたけれど、ラストシーンまでためてためて作った空気感のおかげで最後、頭がパーンなったというか…映画の魅力が最大MAXになった、限界値超えた。
太賀・若葉・大島は幼馴染みの設定。
色々展開が凄すぎる、過激過ぎる、信じられないぐらい辛過ぎる、でもある意味現代の闇を如実に描いてるような気もするストーリーなんだけど、私にとっての一筋の光は厚久(太賀)と武田(若葉)の関係値だった。それがあったから、この映画を最後まで観れたし、厚久が今後の人生どんな風に過ごすのか考えようとするだけで怖いんだけど、武田がいることが変な話ほっとする…ような気がする。
あと、やっぱり俳優って演技が上手いと勿論すっごく良いんだけど、その人の生まれつきもってる人柄や人生から滲み出る何かが演技にも雰囲気にも出て来る瞬間鳥肌がたつぐらい感動するなぁ。と思いました。
そういう意味では、物語や悲しみに対する涙だけじゃない涙がぼろぼろ出て来る時間だった。
もうその役の人間が取り憑いた人達しか出て無い映画であり、そういう人達を生み出す脚本と監督とスタッフ・俳優だったんだろう。
凄いもん観たなぁ…。凄い良かった。
人生は辛いことが多すぎるから
なんか予想外にどの人物にも共感出来ず
見ていて色々とツッコミたくなる内容。
ま、そういう映画もたまには良いんじゃないかな?
大切な人に言いたい事が言えない主人公·····
人の気持ちとか、上手くいかなくてどうしようもない感情とか、目に見えない空気感とかを想像して相手に寄り添える大人になれる様に、こういう作品を観て色々意見言うのも良いよね。
爺ちゃんて、本当に居たのかな?
なんて、普通は思わない様な事だけど、
思い出と想いが入混ざって
記憶と記録が混在して
リアルとバーチャルの境も分からなくなってく
そんな時代なのかな?って、、
仲野太賀さん、若葉竜也さん、大島優子さん
感情あらわな演技で素晴らしかった
共感こそ出来ないけど、泣いちゃいました。
脚本は別の人にまかせた方がいいんじゃ
どんな映画なのか良く解らず観てたんだけど、最後の方にきて『愛する人に本当の気持ちを言えなかったらどうなるか』って映画なのかなって思った。答えは『みんなが不幸になる』なんだけど。
説明を極力排してるんだよね。仲野大賀がちゃんとコミュニケーション取らないから、小さなすれ違いから悲劇が連鎖してくんだけど、そこの事情の描写をほとんどやらないの。
この脚本から登場人物を演じろって言われた役者は大変だったろうなあ。
それでも大賀と若葉竜也はなんとかしちゃうんだよね。役者すごい。
大島優子はしんどそうだった。そもそも元気あふれる女の子の役が向いてるから、少し疲れた影のある役が難しいよね。さらに説明がほとんどない、この人物の心情を解らせるのは、誰がやっても超難しそうだし。
まあそんなわけで、最後まで説明は入れずにやってくんだけど、それでもなんとなく観ちゃうのは、やっぱり監督すごいなと思った。
「でも脚本は別の人に任せた方が」と思ったんだけど、《夜空はいつでも最高密度の青色だ》も石井監督が脚本書いてるんだね。それなら、やれるはずなのに、この作品はちょっとムチャという気がしたな。
いつか彼らの歌を聴いてみたい
太賀改め仲野太賀が演じる山田厚久が何度か言う「日本人だからかな」という台詞が印象に残る。「自分でも分からないんだ」でもよかったところを敢えて「日本人だからかな」にしたところに、本作品を紐解く鍵がありそうだ。
主人公の厚久(あっちゃん)は「本当のこと」が言えない。「本当のこと」とは文字通り嘘偽りを振り捨てた純粋な本当のことであり、本当のことを言えないのはあっちゃんの考えでは「日本人だからかな」ということになる。
「本当のこと」は大抵の場合、出来れば言いたくないし、出来れば聞きたくないことだ。言えば誰かが傷つくし、自分の立場も悪くなるし、不利益を被るかもしれない。誰にも害がないとしても、好きだとか愛しているとか歯の浮くような台詞はスケコマシみたいで言いたくない。あっちゃんという人間はそうなのだ。少なくとも日本語では言いにくい。今は好きでも明日になれば好きではなくなるかもしれないし、来年はもう愛していないかもしれない。死んだじいちゃんが本当に生きていたという実感さえあやふやだ。時が流れれば人は変わり、忘れていく。
あっちゃんは夫だ。奈津美のことは大切に思っている。好きでも好きでなくても、愛していてもいなくても、妻と娘のために大きな家を立ててやりたい。幸せな暮らしをさせてやりたい。それが大切に思っているということだ。しかし家を建てるほどの仕事はしていないし、高校時代の夢もまだ叶えられそうにない。いい加減な約束はせず、時が来たら黙って家を建てよう。それがあっちゃんの矜持なのだ。
しかし奈津美には分からない。夫のあっちゃんに好きだと言ってほしい、愛していると言ってほしい。大事に思っているならそう言ってほしい。自信のない奈津美は自分は愛されていないのではないかと常に疑心暗鬼だ。あっちゃんの無言の思いは奈津美には決して伝わらない。そして口先だけのクズ男に人生を投げ出してしまう。
奈津美は洞察力と想像力が乏しく、ものごとの表面だけしか見ることができない。無口なあっちゃんの真意は理解できないし、あっちゃんの苦しさも想像できない。自己中心型の性格で自分だけが苦しんでいると思っている。被害者意識だ。自分が苦しいときは人も苦しいということが分からない。自分を苦しめたのはあっちゃんで今度はあっちゃんが苦しめばいい。しかし人のせいにしているうちは人生は浮かばれない。奈津美は堕ちていく。どこまでもどこまでも堕ちていく。
奈津美の人生を引き受けると決めていたあっちゃんは、大きなダメージを受けてしまう。しかしあっちゃんはそれでも泣き言ひとつ言わない。ただ黙って耐える。すべてを見てきた親友の武田にはあっちゃんの気持ちが辛くて仕方がない。全部を投げ捨てて逃げ出せば楽になるのだが、それができないあっちゃんの性格が武田には辛い。辛いが、あっちゃんがそういう性格だから友達でいたのだ。武田にとって世界で一番信用できるのがあっちゃんという男なのである。
男と女の間だけでなく、人と人との間には深くて暗い河がある。「本当のこと」を言ったとしても分かりあえるとは限らない。寧ろひとりひとりに個別の「本当のこと」があるから、それを言ったとしても関係が悪化こそすれ、理解されることはないだろう。だから人は「本当のこと」を言わない。
誰もが他人とは違う人生を生きている。だからたとえ家族であっても、たとえ愛し合っていても、究極の部分では分かり合えることはない。それを知った上で人と付き合う。それを「粋(いき)」という。「粋」とは諦めを前提とした精神的な余裕のことだ。それをあっちゃんは「日本人だからかな」と表現する。芭蕉の「わび」や「さび」に通ずる精神性だから、日本人に顕著に表れる面もある。あっちゃんの「日本人だからかな」は当たらずと言えども遠からずなのだ。奈津美にあっちゃんの「粋」は伝わらなかった。
役者陣はみんな好演だと思う。仲野太賀はすべての感情を内に秘めてまるで禅問答のような表情のあっちゃんを熱演し、大島優子は性格が壊れて堕ちていく奈津美を思い切りよく演じていた。武田を演じた若葉竜也の演技も秀逸。
将来の海外公演に向けて英語と中国語を勉強するあっちゃんと武田。もう高校時代とは違う。しかし熱は失っていない。あっちゃんと武田が人生の試練を経てどのような曲を作るのか。自分も映画の世界に入って、いつか実現するかもしれないコンサートで彼らの歌を聴いてみたい気がした。
全63件中、41~60件目を表示