星の子のレビュー・感想・評価
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鑑賞というよりむしろ苦行。
まず、水を使い皮膚病が治ったというだけで、そこまで宗教に入り込む心理の変化の表現が乏しい。
皮膚病が治り、夜泣きもやみ、体格も知能も良くなった…とか言うならまだわかるけどそういう過程がない。
薬としての(自然治癒力やプラセボ効果を含めての)、水が効いたという以上のものを感じなかった。
学校生活で周囲から強いいじめにあっているとか、完全に孤立しているというわけでもなさそうだし、確かに先生の理解がないものの、学校の先生なんて所詮あの程度だろうと思ってしまう(むしろ車で送ってくれるだけまし)。
本人に強い信仰心があるとも思えないし、だからといって否定するでもないし…
ラストシーンもよくわからない。
結局、子供は育った環境によって運命が大きく左右される、ということなのか??
芦田愛菜の演技も悪くはないがまあ年齢を感じさせるもので、まだまだこれから伸びていくだろうなぁと思った。
思っていたより背が低いとわかったのは報酬。
子役の子は良かったな。
あと、大友康平がいい。
芦田愛菜ガチファン以外には苦行かもしれない。
アレルギー、それは水が悪いんです
映画「星の子」(大森立嗣監督)から。
「水」を「宇宙の恵み」と称して信じる人たちを
「あやしい宗教」と決めつけて展開されるストーリーに、
やや抵抗感を抱きながら、観終わった。
「アレルギー、それは水が悪いんです」
「水ですか?」「水です」と言われ、水を変えることで、
病弱だった体質が変わり、本当に元気になったとしたら、
その水に感謝することは、別に怪しいことではない。
ただ「免疫力向上、美肌、虚弱体質、不眠」
どんな病気にも効く、となるから「怪しく」なるだけだ。
実際に、塩素が多く含まれる都会の水を飲んでいた人が、
自然豊かな地に引っ越し、伏流水などの湧水を飲むことで、
アレルギーなどが治った、という話を聴くことも多い。
日本全国「名水」でまちづくり・観光をしている地域も多い。
だからこそ「水の力」を「あやしい宗教」と関連づけ、
それを信じる人々を、悪者扱いにする設定に、
なかなか入り込めなかったのかもしれない。
原作は、第157回芥川賞候補にもなった今村夏子さんの小説、
そう割り切ればいいのかもなぁ。
今までなかった視点
色々考えさせられる内容だった。
宗教一家の友達。
どんな風に育ってきたのかなんて考えたことなかった。
親の気持ち。
単純じゃない。
昔のあの友達は、コロナ禍のなか何を信じて生きてるんだろう。
話したい。今だからこそ。
宇宙に浮かんでいるような気分。
そして自分はこれからどう生きていこうか。
演者陣の演者力たるや
なべちゃん役の子、めっちゃよかった
あとその彼氏くんもかなり中学生感でてた
ダークな内容でどんどんしんどくなりそうな所
やんわりとさせてくれる、
作品と観る側のつなぎ止め役って感じ
高良健吾、黒木華もうまいな〜
かなりそんなひとち感あった。すごい
豪華な役者さんたちのなか、
芦田愛菜さん、かなり自然にちひろやった
スカートの丈とそのなぞにごつい靴!
中学生〜ふぅ〜他の生徒たちもリアルですね
泣きながら車から出るところとか
集会に出ながらも迷ってるとこ見せないような目の動きとか
ほんとに感情がみえてくるぐらいでした
いつかまーちゃんともう一度笑って会えますように🙏🏻
原作未読ですが今村夏子さんの本を
最後まで読めたことないから
やっぱり終わり方はちょっとものたりない。
信仰とは、信ずるものは救われる?
物語が過去と現在を行き来して、家の中が寂れていく過程…は宗教で貧乏になっていく過程で気持ち悪い。
高校生になった頃には古い家屋に変わっているのでお金を団体に搾り取られたと想像できる。
たまさかにアトピーか?皮膚炎か知らんが効いたと思った両親の傾倒ぶりは恐い。
謎の水を飲み、頭にタオルを置き濡らすとなんやかんやに効くらしい。
黒木華たちの子どもへの講義で「ここに居るのは自分の意思とは関係ない」「気付いた人から変わっていく」は何だか恐い言葉。
ちひろの周りにはおじさん(母親の兄)から始まって、宗教に疑問を抱く人が何人も出てくる。
宇宙ぱわあの水の中身を入れ換えた義理兄(母親の兄)と宗教にハマった家族が争った流れは、どうしようもない展開で辛い。
まぁ頭ごなしに信じてるものを否定するとああなるよね?
儀式をしてる両親を憧れの先生に見られ「何やってんだ?狂ってるな」と言われてしまうと、今まで引っ掛かりのあった自身の疑念が一気に沸き上がってくる。
水を頭に浸して治るなんてそりゃ中々信じ込めないよな。
普通に社会と接してれば常識も分かるよな。
家を飛び出した姉まーちゃんへの想いもあるが、姉ちゃんは宗教とは相容れず、出ていった先で結婚し出産、両親には報告のみ。
終盤、交流集会で、信者ではない部外者も混じっており、「ここでリンチにされた奴がいる」とか物騒な話も聞いてしまう。
集会の雰囲気はまさに新興宗教組織らしく分かりやすい。
あんな建物がドーンとある時点で「どっから金集めた?」と不審感バリバリである。
ラスト、星を見に行こうと山に連れていく両親。
見終わって不安しか残らない。
何でとか何にも説明はない。
しあわせは人それぞれ感じかたが違う。
経済的なものや環境も含めて、物質文明が優れているとも思えないがこの環境に慣れていると違う文化や環境に放り込まれるとどうなるのか?
誰もが幸せを探して求めて手に入れるとしたら、この先、ちひろはどんなしあわせを求めるんだろう?まだ高校生だから親と離れる不安は当たり前と言えるが、すでに疑念をもっているちひろを心配してしまう。
芦田愛菜の成長は見てとれるがそれだけでこの作品が飛び抜けて良くはならない。
差を認めれるかどうかの問題だと感じた
●感想の前提(私について)
私の家は浄土真宗を信仰している。つまりゆる〜い仏教徒であり、他の宗教に寛容である。小学生の時に母が知り合いの付き合いで一時、エホバの証人の教えを受け、同時に私も受けた経験がある。が、母はその教えに納得が行かず、自分や家族をエホバの証人から遠ざけた。物の良し悪しの判断がつかない頃だったのでその判断には感謝している。更にエホバの証人に触れる経験についても感謝している。大人になり宗教に興味が湧き、特定の宗教ではなく広く宗教という物について勉強をした経験がある。その結果、浄土真宗をゆるく信仰する事にもなった。
●演技について(軽いとこから)
芦田愛菜の演技が素晴らしい。自然であるし受け入れやすい。反面、教師から叱責されるシーンの演技は、言葉やオーバーな表現無しに見事に内面を現したと思います。
●描かれた「宗教」という物について
素晴らしく現実に近いものを感じた。信者は皆、善良で疑いを持たないのが、私の新興宗教に対するイメージである。仕事でエホバの証人のイベントに触れた事があるが、その印象にすごく近かった。
●テーマについて(宗教についての解釈)
宗教を描くというのはかなり繊細な心配りが必要だと思う。私の実家の近所の商店街にオウム真理教信者が住んでいた経験があるので奇行など思い当たるため、飲み込めた。
オウム真理教については、まともな宗教ではなく、カルトであり犯罪集団であるとくくり、他の新興宗教と同じではない事を前提として続ける。
私は宗教とは限られた人の中での精神維持装置であると考える。金を払ってそれが得られるのであれば、金を払う事が徳を積む事ならば、信者にとって裕福かどうかを超える価値を持つのだ。既存・新興問わず、現にそれにより救われた人も多い。
●テーマについて(私が感じた裏テーマ)
題材として宗教を取り上げているが私が感じたテーマは、自分と他人との間にある超えられない差である。LGBTなんかと近い価値観の違いでは解決できない差を宗教を題材に表現したのではないかと感じた。結局、家族は一度救われた経験からその宗教から離れられない。それは、この家族にとっては当然のことで踏み込んだり否定したり出来ないことなのだと思う。
●まとめ
他に差別されている価値観やその人のたちの特徴だって同じ事だ。歴然とした差はある。それはそういう物だと理解して、認め合わなければいけないのだという示唆を私は感じた。
良い着眼の良い映画だった。
宗教に属していると、こんな感じなんだろうなぁという場面が出て来て、...
宗教に属していると、こんな感じなんだろうなぁという場面が出て来て、僕のように何事にも疑り深くなるタイプの人間にはどれも異様に見えてしまっていた。
主人公はそこから脱出するチャンスが何回か訪れるが、結局は家族を見捨てられずに拒んでしまう。大丈夫か、この子は。将来そのままでいいのかと途中から僕も親戚であるかのように心配になってしまった。
結局、彼女はどうなってしまうのか――。
その答えは提示されず、ラストシーンは「そこで終わりかよ!」という肩すかしを食らったまま終わった。
いや、それだけ主人公の未来が気になって仕方なくなっていたのだろう。お願いだ、その先を見せてくれ。失踪した姉のその後も気になるよ。てっきり後半で再会するだろうと期待していたのに……ああ、なんてことだ。
個人的にはそのような消化不良はあるものの、もっと先の展開を観たいと渇望していたことからも結構ハマッて観ていたのは確かである。
それだけ役者たちの演技が素晴らしかったし、すっかり作品の世界観に入り込めていた。
でも、個人的には、もうちょっと観ていたかったなぁー……。
信じるものを信じる
3才の時にデビューした芦田愛菜。
その後多くのTVドラマに出演して日本中を虜にし、可愛らしいルックスと確かな演技力で天才子役と言われた。
が、自分的にはこの頃の芦田愛菜は勿論演技力は素晴らしいものの、ワンパターンの泣きの演技ばかり。TVドラマは全く見た事無く、出た映画数本だけ。唯一良かったのは、毒舌大阪女の子を快演した2014年の『円卓』だけ。
なので、小さい頃はそんなに好きではなかった。
そうこうしてたら、学業専念であまり見掛けなくなった。天才子役もこのままフェードアウト…?
…しかし!学業が落ち着いたのか、数年前からまた頻繁に見掛けるようになったら、あらまあ、びっくり!!
あの芦田愛菜がとっても大きくなって! しかも、人によっては可愛い、人によってはキレイ、少女と大人の女性の狭間、イイ感じに成長しちゃって!
さらに、平成天皇即位30年式典で名スピーチするほどの頭の良さ。
最近お気に入りのTVバラエティーではサンドイッチマン相手にMC初挑戦。
一旦見掛けなくなって復帰してから、無双状態。何をやっても敵ナシ!
そして、『円卓』以来6年ぶりの主演となる映画作品は、まさに才女である彼女だからこそ出来る難役を見事、演じ切った。
ちひろは中学3年生。
成績はまあ平凡、友達とは仲良く、新しく赴任して来たイケメン教師に胸ときめく、至って普通の女の子。
が、両親が…。
両親は“ひかりの星”という宗教団体に傾倒している。
何故…?
ちひろは産まれた時、病弱だった。身体中に湿疹が。
それを治してくれたのが、この宗教。湿疹も不思議な“水”で。
以来、両親はこの宗教と水の力を信じ切っている。
この宗教の儀式。
頭にタオルを乗せ、それを水で濡らす。
自分の命を救ってくれた聖なる水なので、小さい頃は何の疑いも無くやっていた。
今も継続している。ペットボトルで水を飲んでいる。
…でも、成長するにつれ、信じる一方、疑いも持つ。
また、この宗教が原因で、家族や親族に揉め事が。
おじさんと両親が喧嘩。
嫌気が差した姉のまーちゃんが家出…。
それでも、まだ…。
しかし、ある日…
下校が遅くなり、憧れのイケメン先生が車で送ってってくれる!
公園を通り掛かった時、儀式をする両親の姿が。
先生の口から、信じられない言葉が…。
変質者、ああいう連中が居るからおかしくなる、蔑み、罵り…。
…え?
私たちっておかしいの…?
ヘンなの…?
じゃあ、何が正しいの…?
分からない、分からないよ、もう…。
何を信じていいか…。
ちょっと脱線して、宗教への私個人の体験と意見になるが…、
私は宗教やそれ関連はあまり好きではない。
と言うのも、亡き母の事が絡む。
母はいつの頃からか、“エホバの証人”という宗教に入った。かなり熱心に。
裁縫が得意で、それまで近所から頼まれた直しなんかして小遣い稼ぎしてたのに、それすらやらなくなるほど。
小説などほとんど読んだ事も無い母が聖書を開き、勉強し、週に2~3回くらいある集会にも出席。極たまに勧誘にも。
何だか、「…」な気持ちだった。
そんなある日、母にガンが。
かなり進行しているが、手術すれば、その時は50/50の確率で助かる。
しかし、母は手術を拒否。何故かと言うと…
エホバの教えで、手術をする事、つまり、身体を切り刻むと天に召されなくなるんだと。
それを聞いた時、ショックだった。手術して成功して、私たち子供たちとこれからも過ごすより、そんな下らない理由で死にたいのか。宗教をクソ憎んだ。
ガンは末期で、手術はせず抗生物質だけでは勿論ガンの進行は抑えられず、ガンの発見から僅か1年で母は死去。
その後の葬式などもエホバが絡みややこしくなり…長くなるので、ここまで!
なので、時々思う。エホバなんかに入らず、手術を受けていたら、母はまだ生きていたのかな…? それとも、ガンの進行が悪過ぎだったのかな…?
本作は宗教を否定も肯定もしていない。
それでいいと思う。(上記のはあくまで私個人の意見)
信じるものは、人それぞれ。
何を信じるか。
信じるものを信じる。
ちひろが信じたもの。それは、
両親の愛だろう。
例えおじさんや周りから怪しい宗教にハマった家族と言われても、ずっと変わらぬ愛情を注いでくれた。
だからこそちひろは、自分で悩み、選び、成長出来る子になった。
それは両親も同じではなかろうか。
端から見れば怪しい宗教にハマった両親。
でも、その根本に居たのは…いや、これからもずっと、ちひろ。
ちひろだけじゃない。今は離れているけど、もう一人の娘。
最後に一言だけ掛かってきたという電話。
両親は子供たちを信じ、愛してるから。
子供たちも両親を信じ、愛してるから。
シリアスな作品が多い大森立嗣監督作。本作もテーマは複雑だが、作品自体は見終わった後心優しくなる。
両親役、永瀬正敏と原田知世が愛情たっぷりに好演。
宗教を扱った作品にはトゲのある存在も必要。イイ先生から徐々に、岡田将生が性格悪く。
ちひろの友達も好印象。なべちゃんに、おバカだけどナイスな新村くん。結婚しちゃいな!(笑)
そして、言わずもながな、芦田愛菜。
宗教にハマった両親を持つ思春期の少女の悩み、葛藤、心の機微を演じられるのは、同世代の中でも彼女だけではなかろうか。
それくらいの名演。
演技は久々に見たが、天才的な演技力は変わらず。…いや、ますます!
女優・芦田愛菜の第2の躍進として、素晴らし過ぎるスタートを切った。
今後はどんな女優活動を?
本作のようなシリアス役こそ本領発揮。
サンドイッチマンに鍛えられ(?)、コメディなんかも見てみたい。
それから、せっかく可愛く成長したんだから、少女漫画の映画化/恋愛小説の映画化のヒロイン役も見てみたい。
本当に未知なる“才能の子”。
愛菜ちゃんなら信じられる!
芦田愛菜の演技力✨
病弱な主人公:ちひろを救った新興宗教の水をきっかけに、宗教にどっぷりハマる家族。
宗教家庭と一般社会との狭間にて揺れ動く思春期中学三年生ちひろの心を描く。
まず観て思う事は「芦田愛菜主演で無ければ面白く無かっただろうな」と。
慶応の受験勉強にて一時期芸能界と距離を置いていた彼女。最近はバラエティー番組にてハツラツかつ秀才さも見受けられるが、この映画にはそんな姿が無い。
「一般人であるならば、この様な姿なのだろう」を彼女は演ずる。その姿には大変感心させられる。
さすが天才子役、いや天才女優である。
新興宗教と言うある意味タブーの領域がある内容には賛否両論あるかも知れないが、この映画の様に何か一つの幸せをきっかけに入信する人々や、しぶしぶ「どんなものか?」と野次馬の様に初見学に来る輩も居る。
積極的に勧誘する団体もあれば、「入りたい人だけ入信する団体なので、世間には迷惑掛けないからそっとしておいて下さい」系の団体もあるのは確か。
現代社会には色々なコミュニティ(共同体)の中でそれぞれ依存している人間模様がありますので、そこを事前に知っておくとこの映画に面白みが沸くかも知れません。
日本の小説の素晴らしさ
個人評価:3.7
宗教に深い信仰をもった家族を、とても中立に描いていると感じる。信仰の自由や、生き方を選ぶという事を、思春期の中学生のフィルターを通し教えてくれる。
小説で評価されている原作の実写化という、いかにも邦画らしい手法だが、そういった作品には良作が多く、日本の小説家が作り出す、物語の素晴らしさを再認識する。
転任してた寺田センセー
大森立嗣監督の感じがしませんでした。
といっても、同監督を、よく知っているわけではありません。が、他の映画では、もっとアーティスティックな自我が出ていたと思います。アーティスティックな自我というのは、媚びや目に見える野心のことです。もっとギラギラとして、揺さぶる感じが、同監督の特長だと思っていました。
わたしの勘違いかもしれませんし、変わったのかもしれません。(以下若干ねたばれあり)
さいしょから困惑するのですが、時間がぶつ切りに編集されています。
この内容の話としては、信じられないほど、時系を錯綜させています。
なんで、そんなに入れ替えるの?ってほどの、メタ・エディットでした。(メタ・エディットなどということばはありません)
その結果、登場人物の相関性が、映画の半ばまではっきりしません。
主人公の若いころを、主人公とは違う俳優が演じることがあります。本作もそうでした。そして、その若い頃が、現在の主人公と、似ているわけでもない──ということが、往往にしてあります。本作もそうでした。
個人的には、画がダサくなってもかまわないから「~年前のちひろ」とかテロップ入れてほしいと思いました。なお、最後までメタ・エディットの意図は解りませんでした。
話自体は、あり得る話です。親がカルトだったばあい、子はどうすればいいかの命題、その普遍性をもっています。
ですが、両親が頭にタオル載せる行為は、思いっきり変で、その部分だけで、かなりリアリティを損ねていると思いました。
ふつうに考えて、狂信者の気配のない大人が、そんなことをするはずがない──と思ってしまいますし、それ以外の集会など、かなりまともに見える新興宗教なので、なぜ夫婦でテツandトモの格好して、頭に水やりするんだろ?とか思ってしまったのは、おそらくわたしだけではないでしょう。
感想の前に反省すべき点を書いておきますが、この映画は好きな監督ではなかったので、永瀬さんが神妙な面持ちをしているだけで、映画の80%を理解した──ような気分になっていました。
永瀬正敏に、まったく罪はありませんが「日本映画+アートハウス」の顔になっているゆえに、見もしないで、満腹感がこみ上げてくることがあるのです。以上が反省点です。
しかし芦田愛菜を見たい気持ちがありました。テレビがない/見ないわたしとしては円卓以来の芦田愛菜です。ちなみに、個人的な見解として言いますが、あまりいい映画のない行定監督ですが、円卓だけは別格です。円卓は傑作でした。
芦田愛菜が成長していたことと同時に、岡田将生が、ぜんぜん成長していないことに感心しました。これは褒め言葉です。
中島哲也監督の告白(2010)に寺田先生というキャラクターが出てきますが、彼は純情一直線で、人の闇や歪みを、一切理解しません。演じていたのは、これと全く変らない岡田将生でした。
イケメンでヤな奴が演じられる役者──ほぼ岡田将生の独壇場ではないかと思います。また、驚くべきことに、かれはまったく年をとっていません。
両親(永瀬正敏・原田知世)の盲信と、南先生(岡田将生)のヒステリーは、若干リアリティに欠けていると思いますが、ただし『授業中に落書きしてるのがおかしいって言ってるんだ』は正論でした。たとえ描いているのがエドワードファーロングだとしてもそれはちひろが悪いと思います。
映画は面白い。です。マザーとか扱き下ろしたので恥ずかしいのですが、冒頭にも述べましたが、これはぜんぜん違う感じがする大森立嗣監督でした。どう違うのか、うまく言えませんが、深田晃司監督っぽいです。深田晃司監督もすきではありませんが、よこがおは笑えました。この映画、よこがおの感じがあります。(話もぜんぜん違いますが、なんとなく・・・)
宗教集会の描写が上手でした。隣席と会話する描写。一般人の一般人らしさ。食事とか安いけど、みんな喜んで食べる感じ。シンボルや会場の気配。バス内や合宿の感じ。エキストラの演技力。すごく精妙でした。
新興宗教をやっている友人がいます。かつても今もいます。かれらの特長は真面目です。総じていいひとたちです。また、一般人の雑ぱくな印象ですが、新興宗教をやっていると結婚ができます。過去を振り返ってみても、経済力に関係なく、宗教信者から結婚していきますし、離婚しても、あんがいすんなり再婚しています。婚活されている方。いかがでしょう。
予想ができない映画
少ししか出番のない、
豪華キャストの豪華な使い方
高良健吾さん、黒木華さん、岡田将生さん
物語に深く関わるのかと
思いきや、本当にそのシーンだけ。
なんと豪華な使い方。
岡田将生さんの教師役、パンチが効いていました。
そして大友康平さん演じる、雄三おじさん
金星のめぐみの水を公園の水と差し替えて
ペットボトルの裏にサインしたという
告白をしたシーン、笑いました。
それでも洗脳の解けない両親
協力した長女も家族の形が崩れるのを
恐れたのか、雄三おじさんにナイフを向けた。
最後の星空を家族3人で寄り添い眺めるシーン、
なかなか、旅行中に両親と会えないシーンが
手前にあったため、ソワソワしながら観てました。
後ろから誰かに殺されるオチで
終わるのかと予想してました。
寒い中、星空を見上げる3人親子
行方不明中の長女から電話があって、
赤ちゃんが産まれたと。
電話は、その一言で切れたと
父は話した。
両親が、いつもと雰囲気が違うように感じた。
長女の朗報で、心に少しの変化が訪れたのか。
父は、くしゃみをし
風邪引くよって娘に言われた
父親は、水を飲まずに、ティッシュで
鼻をかんだ。
水を飲んでいるから、風邪を引かない
というセリフを予想していたが
その台詞は、なかった。
宗教をやめるつもりでいたのか、
このまま信仰を続けるのか
未来は、視聴者の想像力に任せる形で結末を迎えました。
消化しきれずに終わったため、
わたしは、その日夢を見ました。
宗教を辞めると言ったら
幹部の人に、拷問される夢を。
ハッピーエンド、バッドエンドのない映画
で、逆に良かった。
全国民の理想の愛娘、芦田愛菜
オシメを替えた気もする全国民の理想の愛娘、芦田愛菜 が、善良ゆえに宗教に凝る父母を何処までも慮り追従しつつ、聡明ゆえに思い悩む、という直球。
好調の大森立嗣には得意のエグ味を期待したが止む無く甘口バーモント。
で、結局、全然面白くなかった。
芦田先生、ありがとう
主演の芦田(愛菜)さんが子役時代から上手というのは有名だ。我が家では、TVドラマ 「マルモのおきて」 はもちろんだが、2014年(芦田先生は10歳)に放送されたNHKの時代劇ドラマ 「銀二貫」 での演技に圧倒されて、家族全員が 「芦田先生」 と呼ぶようになった。 その芦田先生が、久しぶりに映画に主演する、それも大森監督の映画に、と聞けば、観ないわけにはいかないでしょう。 (と偉そうに言いながら、すでに2か月以上経過し、キネカ大森での上映によって奇跡のように観られたわけです。あな恥ずかしや)
全編通して、芦田先生を堪能しました。大森監督との相性もいい感じ。みなさんのレビューを読んで、なにも起きない映画ということはわかった上で観ているので、平らな気持ちで静かに観ました。よかった。
"何かを心から信じている人" の強さ、まっすぐさ。周りから見ると怖さでもあるそれが、全編に散りばめられている。父母はもちろんだが、際立つのは、海路さん演じる高良さん、昇子さんを演じる黒木さんだ。
「歩くようになるよ、空も飛ぶよ」、「気づいた人からかわっていくの」、「迷っているのね。あなたがこっこにいるのは、自分の意志とは関係ないのよ(大いなるものに導かれてここにいるのよ、の意味)」 ・・・黒木さん、うますぎて怖いよ。信じ切っている人ってそんな感じだよね。静かに、それでいて揺るがない強さ。
完全に信じ切って揺るがぬ強さをもつ方がよいのか、それともどんなことにもわずかな疑いはもって確認しながら生きるのがよいのか。自分は明らかに後者だが、前者より後者が勝っているとも思えない。”生き方" なのかなあ・・・
暑い土地に生まれてそこに住む人あり、寒い土地に生まれてそこ住む人あり。それと同じように、新興宗教を信じる家に生まれてそこに住む人も、いる。
家族は、どんな場合でもそのベースにある単位なのだ、ということなんでしょうか。そして、家族と社会(通念んかな?)の間にはさまれる子供たち。姉も、妹も。
コーヒーはまずい。でも、この味がわかるようになったら、お姉ちゃんが帰ってくるかもしれない・・・。
主人公のちーちゃんの迷いというか困惑が終始観客に伝わってくる、静かで凄い映画だった。
お姉ちゃんを演じた、蒔田さん。「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」以来かな、いや 「いちごの唄」 にも出ていたか。「三度目の殺人」 もか。もうひとりの、上手で楽しみな女優だ。
なべちゃん演じてたの新音(におん)さんだったのか。「まく子」 以来だ。大きくなったな。大森監督、すごいな。有望女優の大集合だな、この作品。
その豪華若手俳優の中に混じって、新村くん演じた田村(飛呂人)さん。きみの、「オレ、河童かと思った」 のセリフ、うますぎだぞ。あのシチュエーションでそのセリフかよ、最高だぜ!!
おまけ
エドワード・ファーロングって、かっての美少年俳優(ターミネーター2)なんだね。
『2001年宇宙の旅』、『新世紀エヴァンゲリオン』、『コンタクト』に繋がる傑作!!
新所沢レッツシネパークで『星の子』を観ました。
私にはメチャクチャ刺さりました!!
私が少し前から考えている事に、凄く符合しまくりました。原作も読んでみたい。
新興宗教がモチーフにはなっているけど、普遍的に人類の事が描かれていたと思います。
人間は、自分が信じたい事しか信じられない。
それを外側から、論理的に説明されても、自分達にも屁理屈にしても理屈がある。
そもそも、自分が理解できない理屈は理解できる訳はないし、理解したくない事であれば当然理解しない(聞く耳を持たない)。
大友康平さん演じる、ちひろの叔父さんの一連のエピソードです。
そして厄介なのが、この屁理屈がある場面では機能してしまう事がある。
精神的に追い詰められていたり、極端に弱っている時には、心の拠り所が必要になる。
それが正しい(本当)か正しくない(嘘)かは二の次です。
「溺れる者は藁をも掴む」ですネ。
本作でのちひろの両親は、この状態だった訳です。
そもそも、嘘や嘘を信じる事が悪なのか?
必ずしもそうでは無いですよネ。昔から、嘘も方便などと言ったりします。
学校の教科書にも載っている「一切れのパン」が、一番の良い例だと思います。
ちひろの両親にとって、一切れのパンが「金星のめぐみ」奇跡の水であった訳です。
それが木片であろうが、水道水であろうが関係ない。信じて生き続ける事が大事だったんです。
「鰯の頭も信心から」ですネ。
私は、これが宗教の本質だと思っています。
では、論理的な思考や科学的な見地、理屈が万能かと言えばそれは違います。
何故なら、科学は日々進歩する。それは分からない事がまだまだ沢山あると言うです。
そう、科学は万能ではないのです。
科学自体も、解明されている事しか解らない。
逆に言えば、現時点の科学が万能ではないから宗教が必要とも言えます。
科学的である事の弊害は、唯物論的になり心の事が置き去りにされがちになる事。
科学や正しい理屈の象徴がちひろが授業で受ける数学であり、科学万能主義の象徴が岡田将生さん演じる南先生(数学教師)なのだと思います。
これらの事は、人類が進化の過程で、知恵と心を持ってしまったからなのだと私は思います。
中途半端に知恵を持ってしまった人類は、自分に降り掛かる災難を避けようとして、それを解ろうとする。
自分の愛する人を苦しみから救ってあげたい。なにより自分が救われたいと、何かせずにはいられない。
だから、屁理屈をこねたり、何か理由が必要になる。
ただ、宗教も科学も、妄信してしまえばどちらも一緒なのだとも思います。
今のコロナ禍に、これらの事が象徴されていると思います。
コロナ禍に於ける一番の問題は、新型コロナウイルスではなく人間としての有り様や心なのだと思います。
人は一人では生きていけない。
人は、群れたいし社会に身を委ねたい。
人は、誰かを信じたいし家族や仲間を作りたい。
だから、人は人間になる。
南先生の噂話、「ひかりの星」の海路さんや昇子さんの噂話は、人間の下世話な部分の象徴だと思います。
それは、一般的な社会であろうが、新興宗教であろうが変わらない。
何故なら、それらを構成しているのは人間だからです。
新興宗教は悪や詐欺だと決めつけている方が多い。
現実にはオウムの事件もあったので、ステレオタイプ的に決めつけるのは仕方ないのですが…
本作中の教団「ひかりの星」は、本当に悪なのでしょうか?
効能などない只の水を、効果があると謳って販売するのは当然犯罪です。
ただ、神社やお寺で売っているお守りってどうなんでしょう?
初詣に出掛けたり、神社にお祈りしにいった時、お賽銭を入れたりしますよネ?
一方的に騙している詐欺商法などと違って、「ひかりの星」は心の平安や安心を提供しています。
只の水としては法外な価格かもしれませんが、その価値が水ではなく精神のケアにあるのであればどうなんでしょう?
他の方のレビューを読むと、新興宗教を特別視している方が多いですが、普通の宗教も同じだし、社会だったり国家だったりも同様なのだと思います。
未だに男女の差別があるし、先の大戦前の日本、封建時代の日本は今から思えば信じられない事が普通に行われていた。
世界では、魔女裁判や天動説などが常識だった訳です。
社会的な価値観は、時代的なスケールで見れば更新されていきます。
今、様々な意見が交わされているLGBT問題、遅くとも1世紀後には解決していると思います。
自分が所属している社会やそこでの価値観は、正常だと思うし、正しいとバイアスが掛かります。
科学の発達だったり、時代背景などはあると思いますが、私は本質的には変わらないと思います。
消費税が段階的に引き上げられ、大企業や富裕層が優遇されている社会は、悪徳新興宗教と何が違うのでしょうか?
民主主義(普通選挙)の限界も見えてきたし、資本主義が最強の社会システムでない事も解ってきました。
本作、本当に素晴らしいシーンばかりなのですが、上手く一連の話しとして纏められないので、個別に書きます。(^^;
◆ちひろの面食いについて
あのアイドルが、タレントが、俳優が、「格好いい」「キレイ」「可愛いって」って普通に言いますよネ。
実際、私も女優さんは、目が大きくて顔が小さい方が好きです。
(勿論、それだけではありませんが… (^^;)
特に幼い頃は、無邪気にそれを前面に押し出してきます。
でもコレって、善悪にも人間性にも全く関係ない。
でもソレを、美しい→好き→信じる→正しいと勘違いして(同化させて)しまう。
大好きな南先生に、否定・拒絶されたちひろは可哀想でしたよネ。
でもコレって、ちひろの一方的な想い(込み)が原因な訳です。
(私は、南先生が悪い人だとは思っていません。)
世間でも美醜に言及しがちで、根拠を伴わない勝手なイメージや先入観がもたらす問題の象徴だったとも思いました。
コレは、新興宗教→悪にも繋がっているとも思います。
―《後から追記①》――――――――――――――――――――――
ラストシーンについて書きながら気が付いた、ちひろの嘘にも関係あるのかも?
面食いを公言する事の是非は置いておいて、ちひろは嘘がつけなかったのかもしれない。
自分が好きなモノ、美しいと思う気持ちに正直だっただけなのかも?
それは、人間として未熟である事の象徴だったのかも。
他者の気持ちを想像できる、想いやれる事が足りない。
(「◆評価が分かれるラストシーンについて」に続く)
『2001年宇宙の旅』で、HALがボーマン船長達の殺害を企てる切っ掛けも、木製探査の本当の目的を隠す為(嘘)だと私は思っています。
人類の進化と嘘の関係を描いていて、『星の子』にも繋がっている様に感じます。
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◆評価が分かれるアニメーションパートについて
私は大好きです。
世界観と言うか時空間が一気に広がった感じがしました。
オーラスやクライマックスに持っていっても良い素材だと思いました。
(ストーリー的に陳腐になるとは思いますが…)
だからこそ、この映像が予告編で公にされていた事に怒りを覚えます。
このシーンを初めて映画館で観たら、もっともっと気持ちが高まったと思います。
本当に残念です。(怒!!)
◆教団施設内で両親と会えないくだり
孤独の不安や家族の大事さを再確認するくだりだと思いました。
教団に対する悪い噂があるので、「もしかして?」的にサスペンス調の面白さも加味されていたと思います。
ちひろが、自分の家族以外の家族(だけではないけど)と出会い、様々な家族や家族の形がある事を知る。
そして、ラストへ繋がるのだと思いますし、ちひろが社会と触れる事の象徴だったとも思います。
◆評価が分かれるラストシーンについて
ちひろは、早く帰りたくて「見えた」と両親に嘘を言ったのだと思いました。
このラスト、ストーリー的には好きではないです。
結局、ちひろは家族の関係性を断ち切れない、人は人間として生きる為にその呪縛から逃れられない。
構造的に進化が行き詰まっている、人間の、人類のポテンシャルの限界が語られている様に感じました。
私には、絶望的なラストにとれました。人類の幼年期は終わらない。
あれ!? 書いていて気が付いたけど、ちひろの嘘って初めての嘘?
人間になる為には嘘も必要と言う事かも。
本作の粗を探せば、シーン・シーンが的確で雄弁過ぎるので、説明的かも? と思いました。
でも、他の方のレビューを読むと、私の懸念は老婆心だった様です。(^^;
『星の子』は、人類の進化、人間性、宗教が語られている、『2001年宇宙の旅』、『新世紀エヴァンゲリオン』(旧シリーズ)、『コンタクト』に繋がる傑作だと私は思います。
未見の方、是非、御覧ください。
今年の年テンを決める前に、観ておくべき作品です。
個人的には、「ラストラブレター」の影山祐子さんが、エキストラ出演されているのもお気に入りポイントです。(^^*
(「ひかりの星」本部で、ちひろがホール(集会会場)に入場する前のロビーのシーン。)
―《後から追記②》――――――――――――――――――――――
原作を読みました。
ストーリーの大筋自体は、基本的に同じです。
但し、原作はちひろの視点でストーリーが展開されるので、映画とはテイストが大きく違います。
特に冒頭、ちひろが生まれた後「金星のめぐみ」に辿り着くまでは、実質1ページも無くあっさりと描かれています。
勿論、原作全てが描かれている訳ではないので、残した部分の選び方が絶妙です。
原作を読むと脚色の素晴らしさも分かります。
ラストシーンのちひろの嘘については、私の勘違いでした。
原作では、ちひろは本当に流れ星を見ていました。(^^;;
小説を先に読んでいたら、「人類の~ 進化の~」なんて解釈にはなっていなかったと思います。(^^;
「現代社会に蔓延る隠された仕掛け」みたいな解釈だったかもしれません。
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洞察力が試される
観ているうち芦田愛菜さん演じる主人公ちひろの他に色々な立場の人に感情移入してしまう。それは違うだろと思いつつ、いやそうことじゃないと焦ったり言い訳したい気持ちになったりと場面毎に物事の正邪を判断する気持ちがこちらまで揺らぐ。つまり傍観者である鑑賞者自身が傍観者のままではいられなくなり結局、正邪や善悪など二律背反する狭間に信じるべき基準が自分事として揺らいでしまう。ちひろの苦悩を感じつつ誰の味方をするでもなく出演者それぞれになったような錯覚に陥る不思議な作品だ。本作を観て感じる事は世間の通念も客観的に見ると立場によっては間違いになるという危険性があり、それによって誰かを傷つけてしまう事もあり得るという事だ。この作品と同様のことが自分の近くで起きた場合にどのような立場にあるかで真理は変化するのだろう。
奇異の目で見られる世間と家族との狭間にあって、その両方とどう向き合って行くのかを少しだけ大人に近づいた、ちひろには見上げる星空がどう映っているのか?
久々に原作を読んでみたいと思った良い作品でした。
元々、監督はじめ大好きな俳優さんが大勢出演する作品という理由で鑑賞したのですが改めて大森立嗣監督の感性が私の好みにピッタリだと気づきました。キャスティングも最高で皆さんのハマりようは見事でした。それにしても芦田愛菜さんのブランド価値はやっぱり本物。女優活動と学業の両方で並外れた才能を持つのだから天才性が今後もどこまで伸びるかが、とても楽しみです。
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