劇場公開日 2020年10月9日

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「転任してた寺田センセー」星の子 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5転任してた寺田センセー

2020年12月31日
PCから投稿

大森立嗣監督の感じがしませんでした。
といっても、同監督を、よく知っているわけではありません。が、他の映画では、もっとアーティスティックな自我が出ていたと思います。アーティスティックな自我というのは、媚びや目に見える野心のことです。もっとギラギラとして、揺さぶる感じが、同監督の特長だと思っていました。
わたしの勘違いかもしれませんし、変わったのかもしれません。(以下若干ねたばれあり)

さいしょから困惑するのですが、時間がぶつ切りに編集されています。
この内容の話としては、信じられないほど、時系を錯綜させています。
なんで、そんなに入れ替えるの?ってほどの、メタ・エディットでした。(メタ・エディットなどということばはありません)

その結果、登場人物の相関性が、映画の半ばまではっきりしません。

主人公の若いころを、主人公とは違う俳優が演じることがあります。本作もそうでした。そして、その若い頃が、現在の主人公と、似ているわけでもない──ということが、往往にしてあります。本作もそうでした。

個人的には、画がダサくなってもかまわないから「~年前のちひろ」とかテロップ入れてほしいと思いました。なお、最後までメタ・エディットの意図は解りませんでした。

話自体は、あり得る話です。親がカルトだったばあい、子はどうすればいいかの命題、その普遍性をもっています。

ですが、両親が頭にタオル載せる行為は、思いっきり変で、その部分だけで、かなりリアリティを損ねていると思いました。

ふつうに考えて、狂信者の気配のない大人が、そんなことをするはずがない──と思ってしまいますし、それ以外の集会など、かなりまともに見える新興宗教なので、なぜ夫婦でテツandトモの格好して、頭に水やりするんだろ?とか思ってしまったのは、おそらくわたしだけではないでしょう。

感想の前に反省すべき点を書いておきますが、この映画は好きな監督ではなかったので、永瀬さんが神妙な面持ちをしているだけで、映画の80%を理解した──ような気分になっていました。

永瀬正敏に、まったく罪はありませんが「日本映画+アートハウス」の顔になっているゆえに、見もしないで、満腹感がこみ上げてくることがあるのです。以上が反省点です。

しかし芦田愛菜を見たい気持ちがありました。テレビがない/見ないわたしとしては円卓以来の芦田愛菜です。ちなみに、個人的な見解として言いますが、あまりいい映画のない行定監督ですが、円卓だけは別格です。円卓は傑作でした。

芦田愛菜が成長していたことと同時に、岡田将生が、ぜんぜん成長していないことに感心しました。これは褒め言葉です。
中島哲也監督の告白(2010)に寺田先生というキャラクターが出てきますが、彼は純情一直線で、人の闇や歪みを、一切理解しません。演じていたのは、これと全く変らない岡田将生でした。
イケメンでヤな奴が演じられる役者──ほぼ岡田将生の独壇場ではないかと思います。また、驚くべきことに、かれはまったく年をとっていません。

両親(永瀬正敏・原田知世)の盲信と、南先生(岡田将生)のヒステリーは、若干リアリティに欠けていると思いますが、ただし『授業中に落書きしてるのがおかしいって言ってるんだ』は正論でした。たとえ描いているのがエドワードファーロングだとしてもそれはちひろが悪いと思います。

映画は面白い。です。マザーとか扱き下ろしたので恥ずかしいのですが、冒頭にも述べましたが、これはぜんぜん違う感じがする大森立嗣監督でした。どう違うのか、うまく言えませんが、深田晃司監督っぽいです。深田晃司監督もすきではありませんが、よこがおは笑えました。この映画、よこがおの感じがあります。(話もぜんぜん違いますが、なんとなく・・・)

宗教集会の描写が上手でした。隣席と会話する描写。一般人の一般人らしさ。食事とか安いけど、みんな喜んで食べる感じ。シンボルや会場の気配。バス内や合宿の感じ。エキストラの演技力。すごく精妙でした。

新興宗教をやっている友人がいます。かつても今もいます。かれらの特長は真面目です。総じていいひとたちです。また、一般人の雑ぱくな印象ですが、新興宗教をやっていると結婚ができます。過去を振り返ってみても、経済力に関係なく、宗教信者から結婚していきますし、離婚しても、あんがいすんなり再婚しています。婚活されている方。いかがでしょう。

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津次郎