すばらしき世界のレビュー・感想・評価
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我慢の割におもしくない、でも空が広い
2024
123本目
人の怖さに涙し
人の優しさに涙し
人の命に涙する。
役所広司と仲野太賀のこの2人の名演技が光る。
津野田(仲野太賀)がカメラを持って逃げたのは、その映像を世に出して欲しくないから。
だからこそ逃げた…でも三上(役所広司)を守ったようにしか見えなかった。
実は吉澤(長澤まさみ)が一番卑怯と思った。
…とにかく感じる事の多い映画だ。
“すばらしき世界”とは?
役所広司と長澤まさみ、仲野太賀の3世代競演、そして音楽
キービジュアルの印象から何となく観ないでいたが、いざ観てみればよい意味でいつも通りの西川美和監督らしい世界観であった。小さなヤマ場を盛り込みつつ、テンポよく物語は進み、飽きさせられることはない。
人間の多面性・善と悪の同居。特にこの作品ではそれらがごく普通の人々のごく普通の日常の中にあることを感じさせられた。「悪」といっても明らかな悪意ではなく、立場が違えば、あるいは結果として、あるいはそうなるのも無理からぬ、というようなものだ。
小さいけれど、そういったものが積み重なって世の中ができている。時としてそれが生きづらさの原因にもなっている。ざっと総括すればそういう映画だと思う。
演者も実力者揃いで危なげなく観ることができた。
それにしても役所広司、この人は本当に凄い役者である。
元ヤクザらしい激しさと危なっかしさ、世間では通用しない元犯罪者としての無力さ情けなさ、暴力によって敵を制そうとしたとき生き生きとした表情、ありとあらゆる側面・表情をみせながらも主人公「三上」であることにブレが生じることはない。説得力のある存在感。特に強く印象に残ったのは終盤のホームでの談話シーン。グッと怒りを飲み込み周囲に同調するような台詞を吐く場面。その笑顔の中にたくさんの複雑な感情と情報が押し込められているのがわかる。なんという演技力であろうか。改めて彼の力の底の知れなさを感じさせられた。
そして次に印象に残ったのが長澤まさみ。
「Mother」以来社会派の作品を選ぶことが多く演技に幅が出てきたが、この作品では彼女の演技力がまだまだ進化中であると思わされた。登場時間でいえばそれほど長くないにもかかわらず、彼女演じる人物がどのような者かしっかり伝わってきた。特に姿の映る出番としてはラストの仲野太賀とのやり取りのシーンは圧巻であった。「Mother」以来の荒いシーンであったが、明らかに「Mother」を上回る凄味があった。
クレジットでいえば2番手である仲野太賀は彼らしい真摯な演技であったが、
先の二人に比べればまだまだであるということを感じさせられたのは否めない。
長澤まさみと仲野太賀はそこまで年齢もキャリアもそこまで差はないが、長澤はデビューから第一線で揉まれてきて勝ち残ってきただけあり、仲野よりも一段上のステージにいる。
仲野はそれを追う立ち位置である。が、いまはそれでいい。
正直役柄的にもなくても作りようによっては話は回りそうで、仲野太賀を配したいがために作ったのかな、という気がしないでもないのだが、彼が先々西川組に参加していく足がかりのようなものと思えば、今後に期待しかない。
最後に、音楽が林正樹であったことは驚きであった。
ずっと劇伴が良いと思いながら観ていて、
「この感じ物凄く好きだな」「聴いたことある雰囲気だから、他の映画でもよく名前を観るような人に違いない」と考えていたら、まさかの私が今一番気に入っているジャズピアニストの彼であった。
劇伴はジャズ調ではなかったので、とても意外であったとともに、やはり好きなものはわかるものなんだなと自分のアンテナの自信を持ち(自己満ですが)、また、私が好きな西川監督もまた彼の音楽を好きなのだろうと思うとなんとなく嬉しいのである。
皮肉なタイトル
憎めない主人公である。また、彼を取り巻く人たちも皆、優しい人たちでよかったね。
主人公がもし短気でなければもっと素晴らしい人生が歩めたのではないか。
就職先も決まり、短気も抑えられたようだったので、やっと人並みの生活が送れるのではないかと思った矢先のラスト。たとえ作品の評価が下がったとしても、元の妻と彼女の娘と3人で食事をする幸せそうなラストシーンが見たかったな。
処世術とは
タイトルは「イライラおじさんの日常」
笑って泣いて、考える映画
かなり楽しめて、考えさせられる映画だった。役所広司は上手いねぇ!ある時は可愛いオジサン、でもスイッチが入ると本物のヤクザに思えるから。そして前科のある人を避けず正面から向き合って見離さない「すばらしい人達」。三上さん(役所広司)は幼少期の辛い経験から、弱い者いじめとか見過ごせないし真っ直ぐ過ぎる性格が災いしている。
先日、保護司さんが刺された事件があったが、最悪のケースだって起こりうる。犯罪歴のある人の社会復帰は本当に難しい問題だと思った。
ラスト、三上はなんとか感情コントロール出来る様になって、本気で心配してくれる人に囲まれ仕事や近所付き合いなど上手く行き始めた矢先だったから凄く悲しくなった。
お母さんとあの世で再会しているのかな?
うん、よかったと思う、
あえてコメディタッチ
タイトルが秀逸
真っ直ぐすぎる人、一度レールを踏み外した人には生き辛いこの世の中。...
文句なしの傑作
2度目の鑑賞だったが、途中から涙が止まらなかった。
役所光司の圧倒的な存在感はいうまでもないが、登場人物全てがそこに生きていた。
文句なしの傑作。
「社会のレールから外れた人が、今ほど生きづらい世の中ってない。一度間違ったら、死ねというばかりの不寛容がはびこって、だけど、レールの上を歩いてる私たちもちっとも幸福なんて感じてないから、はみ出た人を許せない。」
劇中の長澤まさみのセリフだが、現在の日本の状況、特に匿名性が高いと思われているSNSの状況を考えるに、正鵠を射ているのだろう。
けれど、この映画を観た私たちは感じ取る。
役所光司演じる三上正夫を取り巻く人々が、初めは、「はみ出た人を許さない」眼差しを持っていても、やがては三上のかけがえない応援団になり得ることを。そして、それこそが「すばらしき世界」であることを。
例えば、六角精児演じるスーパーの店長。三上の万引きを疑った彼が、後には三上に罵倒されることがあっても、「三上さん、虫のいどころが悪いんだね」とかわして関係を切らず、三上が介護施設で働くことになったことを聞いて、「すごいじゃない。よかったね」と破顔する。
仲野太賀演じる津乃田も、三上の突発的な暴力性を目の当たりにして、一旦は距離を置くが、一番の理解者になる。
最初は生活保護も渋ろうとしていた北村有起哉演じる福祉課の職員も、介護施設就職への道を開く。
身元引受け人の橋爪功演じる弁護士夫婦は、最初から応援団だが、できることできないことはきちんと分けて、プライベートも守り、適切な距離感を保って無理しない。
そして、三上が頼った白竜演じる義兄弟と、キムラ緑子演じるその妻。ヤクザとして生きることの厳しさを肌で感じている妻の言葉が、胸を打つ。
「シャバは我慢の連続ですよ。我慢のわりに大しておもしろうもなか。やけど空が広いち言いますよ。」
介護施設施設で、不寛容な態度を示す職員も登場する。彼の言うことは、ある側面では正論だろう。けれど、冒頭の長澤まさみのセリフそのものだ。仕事内容の割に、低い報酬や待遇の悪さが透けて見えてくる。
あの映画のシチュエーションの中にいたとしたら、自分は三上の応援団になり得ただろうか。
階下の技能実習生たちと良好な関係を築けただろうか。
介護施設の中で、花に心を寄せるアルバイトの彼の素晴らしさに気がつけただろうか。
観ながら、様々な場面で自問させられたが、同時に、そういう自分でありたいという気持ちに素直にさせられる映画でもあった。
今回、再鑑賞したのは、とあるフォローさんのレビューを拝読して、西川美和監督の「スクリーンが待っている」という本を知ったからだ。
読んでみると、この映画にまつわる話がほとんどだった。読了してから観ると、何気ない一つ一つの場面でも、制作陣全員の本気度と、とても細やかな神経を行き届かせていることが伝わってきた。未読の方には、是非おすすめしたい一冊。
「或る男の一生」を変わった視点で観た感想
ある日、書店で西川美和著「スクリーンが待っている」を見つけ購入して読んだ。この本には、この映画の制作過程が綴られている。この映画のことを綴っているが、監督の考えや、現代日本の映画制作の現場を知る上でも大変面白い本だった。
当然、映画本編も観たいと思って本作を観たわけだが、その制作過程を企画段階から上映後まで知った上で本作を観るという、これまでにない見方をした映画になった(同じような経験をした人、いるだろうか?)。
あらすじは予めわかっている。はじまりも、結末もおおよそ見当がついている。それでも全編まったく飽きること無く観ることができた。各シーン、各シーンにそれぞれ意味が込められており、作り手の思いが凝縮されているということをしみじみと感じることができた。濃密な2時間だった。これは、本を先に読んだからこそ感じられたものだったと思う。
どうして濃密と感じられたか?それは本に詳しいが、監督が膨大な時間をかけて取材し、ときに俳優との真剣勝負のやりとりもしつつ何度も練り直した脚本と、その脚本の世界を、プロフェッショナル達がたった一瞬のカットであっても本物の「画」として撮り、「音」を撮ったということが実感できたからだ。そうした映画制作陣の仕事ぶりを、そこかしこのシーンで感じることができた。
この作品については、上記のような経緯で観たため、制作、撮影、音響、美術、宣伝といった裏方の仕事ぶりに注意が向いてしまったきらいがある。しかし、しかしだ・・・
やはり役所広司は凄いとしか言いようがない。見た目は役所広司なのだが、中身が出る映画の度に入れ替わっている。役所広司の見た目をしているが、もうすっかり全身「三上」なのだ。直情的で単純で不器用なだけに見えるこの主人公の、一筋縄ではいかない過去と心情を全身で表現している。恐縮し、緊張で強ばった目と体。激高して振るう暴力。子供と屈託のない笑顔で遊ぶ姿。泣き崩れる背中。一番星を見つめる目。この男をずっと観ていたい・・・そんな気持ちにさせるのだ。
役所広司だけではない。監督の指名で出演となった仲野大賀。彼の最後の演技で私は泣いてしまった。それまで冷静に観ていたというのに、どうして?
ああ、そうか、彼が演じる津乃田もまた、この三上という男をずっと観ていたい人間だったのだ。原案の作者の佐木隆三もたぶん同じだ。この三上という男には、言い知れぬ魅力があったのかもしれない。
六角精児、橋爪功、梶芽衣子、キムラ緑子、北村有起哉ら、三上を支える役柄の演者も上手かった。いい人すぎる、という意見があるかもしれないが、三上が、そして映画を観た我々が「すばらしき世界」を実感するには必要な役だった、と思いたい。
この映画が心に残った人は、西川監督著「スクリーンが待っている」を読むことをお薦めしたい。映画に出てくる端役についても、知られざる物語があったことを知れる。映画を見る目が変わる本である。
ただの一市民に"成り上がる"
真っ直ぐに生きるというのは、軋轢や不寛容に晒されるということだと思う。
役所広司演じる三上という男。極道では無いのだが、目の前の悪を許せない実直な男で、すぐに怒ってしまう。
昭和の典型のような男で、現代であれば「老害」などと揶揄されてしまう男である。しかし、完全なる「老害」などいないのだ。みんな己の正義を持って、だからこそかち合ってしまう。いがみ合ってしまう。「老害」とされる男を描いた作品。
とても良かったシーンは、障害を持った人が三上に花束を渡すのだが、三上の泣きそうで、それでも微笑んでる時の顔。perfect days で役所広司に惚れた私は、この顔が世界で出来るのはただ一人、役所広司だけだと思っている。どれだけの俳優が、泣きそうで、それでも微笑むという顔をできるのだろうか?
惜しかったシーンは、最後に三上は死ぬ必要があったのだろうかという疑問だ。彼は最後社会に適応した。手を差し伸べるべき所で手をさしのべず、違うと思うことを違うと言えずに、ただの一市民となった。私たちはそれを望んでいたし、周りの人達もそれを望んでいた。
三上は悔しかっただろう。「喧嘩のマー坊」と呼ばれた彼が、一回り二回り下の年齢の者に追従する事に。否定できないことに。
しかし、彼は社会で生き始めた。
そんな彼が死ぬ必要があったのか?
「鉄砲玉」としてなら死ぬという終わりが納得できるだろうが、ただの一市民に"成り上がった"彼にその結末は不当では無いのか?
概ね良い作品だった。心に問題を投げかける作品だった。
私はガキなのでハッピーエンドが好きだ。だから4.5にした。
現代のテーゼ
二度と、間違った道に戻らないで
ほしい、とこの作品を観ながら思わせる、魅了たっぷりの主人公、三上。
まっすぐで、気が短いだけ、では簡単に片付けられないが、ある意味で勧善懲悪の精神を持った人物であるからこそ、共感をもてる。
せっかく、職を得ることができた福祉施設で、障害のある同僚がいじめられたり、陰口を言われたりするのを、なんとか、堪える三上。
そんな我慢が、限界なのか、どうだったのか、ラストのシーンが意味深。
自害なのか、急死なのか…
三上にとって、この世の中で生きていくのは、限界が近かったのかも…
三上が自然過ぎていて難しい
主人公三上という人物をそのまま描いた作品だと思う。
彼のアイデンティティは「身分帳」に記載されている、いわゆる前科者。
TV局は彼のドキュメンタリーを試みるものの、TVでは流すことのできない暴力を起こす彼に、企画中止せざるを得ない。
三上にとってこの世界はすべてが思い通りにならない。
免許証も市役所も騒音も買い物も…
努力はしている。しかし、いつも決まって問題が起きる。
最後はやはりヤクザ。
仲間を頼って九州に。しかしヤクザも生きていけない世界になっていた。
警察によるガサいれと、姐さんの指示でそこを去った。
何をしてもうまくいかないし生きずらい。
TV局から依頼されたツノダは、企画がお蔵入りになって仕事を失ったが、三上のことを本にして出版したいと考えた。
彼は三上の母の情報を手繰り寄せるが、結局母の行方は分からないままだ。
三上が子供たちと一緒にサッカーを楽しんだ後、泣き崩れたのはなぜだろう?
幼い頃の無邪気さを思い出したからなのか?
両親のいない子供たちに自分を重ね合わせたからか?
子供たちが腐っていなかったうれしさからか?
母に捨てられたという事実を受け入れるしかないとわかったからか?
それとも、それらすべてから母との別れを心に決めたからなのだろうか?
このTV局による一連の動きがこの作品の流れになっている。
やがて就職が決まる。
そしてすぐにかっとなる自分を戒めることに初めて成功する。
再び襲ってくる衝動にも耐えると、そのきっかけとなった障害者からコスモスの花束を分けてもらった。
元妻からの電話 「今度デートしようよ」
ようやく回り始めたこの世界での歯車… 三上のこみあげてくるような喜びを感じることができる。
白い目、すぐに問題にぶつかる。どうにもなじめない世界の中でも手を貸してくれる人々がいる。必死で葛藤しながらようやく見出せた素晴らしさ。
コスモスの花束を握りしめた三上は、きっと美しい三途の川を渡ったのだろう。
彼にとっては居心地の悪いと思っていたこの世界で、ようやく見つけた素晴らしさに気づけただけで十分な人生だったのかもしれない。
そして「あちら」には、ずっと探していた母がいたのかもしれない。
三上の些細な気づきと喜びは一瞬だった。彼の死と泣いてくれる人々。カメラはそのまま空へと向いてタイトルが流れる。
「すばらしき世界」 わかろうと思えばわからなくもないが、難しい。
更生するということの難しさ
人が更生することの難しさを感じさせる映画でした。主人公である三上正夫が、施設で障害者の職員がいじめを受けている現場に出くわした時のシーンが印象的でした。私たちが社会で上手に生きている今は、見て見ぬふりをしてきた多くの犠牲や諦め、正義感の喪失によって成り立っているのだと思わされました。正義感を無くさず困っている人を見捨てない人こそがこの社会では生きづらいものなのだとこの映画を見て感じました。
そこに『素晴らしき世界は』あるのか
『ゆれる』や『ディア・ドクター』の西川美和、人間をどこか冷めた目で見てきた監督である。この映画、一筋縄では収まらない予感はした。役所広司が怪演するこの主人公を、真面目なのか馬鹿なのか、状況によって豹変する短絡的な人物として映し出す。13年の刑期を終えて出所したこの男もまた、社会に同化して生きてゆくにはあまりにも不器用すぎるのである。彼の周囲には、身元引受人として何くれとなく面倒を見てくれる弁護士や、生活保護や仕事の世話をしてくれる役所のケースワーカー、なぜか親身になってくれる地元スーパーの店長など、一人で頑張って生きていかなければならない一般の社会人から見ればあきれるくらい「恵まれた」環境がそこにある。それが犯罪者の社会復帰を手助けする社会構造のあり方か。まったく「素晴らしき世界」の中に彼はいる。それなのにこの元殺人犯は社会に同化することができないのだ。
映画はこの男の成れの果てをただ冷徹に提示してみせる。それはただ単に身から出たサビ、すべては自業自得、といっているようにも見える。刑期を終えた犯罪者が社会に同化できない世間の在り方を指弾するものでもない。ただただ道を誤った人間の、寄る辺なき姿を露わにして見せるばかりなのだ。監督西川美和の、人を見つめる鋭利なまなざしがここにある。
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