ナイル殺人事件のレビュー・感想・評価
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謎解きか愛か、愛か謎解きか。
舞台っぽいみせ方が気になりましたが広大なエジプトとナイル川を大スクリーンでみれたのは良かったです。
原作は既読なので印象はクリスティの謎解きというよりケネスの愛の舞台という感じ。ここに至る時間の長さを感じるひとりひとりのストーリーは丁寧に描かれていたけど謎解きに尺が足りなくって急ぎ足になってしまっていたように感じました。
現代っぽい愛のミステリに改変されてましたけど、いつになっても、何度でも、どこでも、いろんな視点で映像化できてどれも楽しめるのがクリスティ小説の愛される秘密だとあらためて思いました。
観て良かった、次作も観たいです。
ちょっとポアロのイメージ違ってた。
今までリメイクやオリエント急行殺人事件などを見たが、英国紳士ぽく声を荒げることなく穏やかに論理的に推理して犯人を特定するのかと思ってたら、詰問するし、銃撃戦あるし、銃口ひとに向けるし、こんなに荒々しい側面もあるのか、とびっくりした。
最初の戦争のシーンは何だったのか、と理解できなかったが、他の方のレビューで戦争で勝利に貢献したものの、爆弾で顔を負傷しひげを生やすことにした、というエピソードがあった。
ここで愛についての布石とポアロの髭の由来が紹介されるが、これが分からないと、戦争のシーン要る!?ってなる気がする。小説ではそれが出てくるのかもしれないが、戦争のシーンはなくして、本編から入ってもっと犯人を追いつめるところをじっくりやって欲しかったな。
それにしても、前半は例の戦争シーンと相関図の説明で、1時間経過した頃にやっと1人目の殺人事件が起こる。これって遅くない?とツッコミながらもその後は怒涛の殺人ラッシュ。一気に殺人と犯人捜しが始まる。
コイツ怪しいから他の怪しい人に目を向けて、さらに戻るという手法はよくあるが、もう少し新情報やあっと驚くラストだったらよかったのに。。。
この作品を選んだのは、たまたま時間が空いたこと、消去法で選んだ。誕生月割引で見れたが正規値段ではちょっとなぁ。。。
1978年の映画
あの映画を見て出だしでいきなり犯人と動機がわかってしまいました。
犯人を知ってる上で見てきましたが映像が綺麗だなあとかポワロがイケオジだなあとか思いつつ‥
あと今回はオリエント急行と違って俳優さんが地味目だなあと思いました。
原作既読にて
手に入らないモノなどない。
そうゆう人生って幸せなんだろうか?
友人が「結婚するの、彼ナシでは生きていけないの」
その相手を略奪する。
(^^;いや~最高に嫌な女性の役なんだけど~ガル・ガドットだと何だか納得したりする笑。
☆ ☆ ☆
自由に旅行が出来なくなり早3年目。
美しいエジプトに癒される~。
対比する人々の思惑。
隠された秘密。
人の心の中の複雑さ。
暴くポワロ。
爽快とはならない事件の解決。
原作既読だけれど名演技の数々に最後まで飽きずに鑑賞☆彡
王道の探偵モノね☆彡
失望しました
ポワロ物に全く値しない作品。できれば別題でポワロ物と銘打たずに公開してほしかった。
ポワロ物としては、TV版のデヴィッド・スーシェ主演のシリーズが非常にクオリティの高い作品としてすでにあるために必ず比較されるし、多分この作品はそれを意識して逆の印象を与えようとした作品なのだろう。
結果として全てが中途半端。
例えば、最初のクラブのシーンでポワロがプチフールの数を偶数にすることにこだわるのに、次のスフィンクス前のお茶では1個だったり、口ひげのエピソードが劇中では全く傷跡がなく最後に唐突に出てきてみたりと、ツッコミ所満載。
ポワロの性格描写や仕草、言動や恋愛エピソード、事情聴取等でどなり散らす姿、犯人を追いかけるアクションシーン等、他にも多くの違和感。
ポワロファンとしては大変残念な作品だった。
ナイルの事件遺産
Imaxでの映像の見応えは大満足、ナイルの自然の広がりと文化遺産の悠久さに圧倒されナイル川に浮かぶ夜の豪華客船も美しい!
前半のR&Bやブギウギっぼい曲がとても楽しくてカルナック号の出港のくだりなんかはミシシッピ舞台のショウボートみたいにミュージカル仕立てにしても面白そう。
後半部のシリアスさとの落差がよい。
肝心の推理考察落ちは脳を揺さぶる程ではないけれど、総じて映画館で見る満足感と余韻が得られカルナック号はアスワンに戻ったが私はそのままカイロそして地中海へと流されてもかまわないと思った。
間違いなし。
僕らの世代(50代)には推理小説デビューといったら「アガサクリスティ」か「赤川次郎」かってくらいみんなで読んでた。
ストーリーも結末も、それこそ何度も映画化はされているだろうにスパイダーマンやバットマンよろしく、違う俳優さんで擦られてもなお魅力的に映るのは、やっぱり元の作品が優秀なのではないかしら。
「ケネス版ポワロ」僕は好きですね。
細やかな女優人の演技※犯人のネタバレあり
原作は未読ながら有名な話なので大体のトリックとかそういうのは知ってた。
その上で驚くのは女優陣の細やかな演技。
特にリネットに「貴女は金銭に執着しないでくれた(うろ覚えなので意訳)」と言われた後ジャクリーンが泣き出してしまうのはこれから先のオチを知ってるとそんなことを言ってくれる友達を金銭故に殺してしまう悲しさが伝わってきた。
ポアロの演技は灰色の脳細胞といった感じは薄い気がしたけど原作を読んでなかったのでそんなに原作との乖離を気にせず楽しめた気がする。
最後の心中の形が美しくて印象に残った。(相棒の右京さんなら必死で止めるんだろうなと妄想したりした)
5 やっと公開
やっと公開しました。
昔、テレビで見たような微かな記憶しか残っていない作品でしたので、新しい気持ちで見ることが出来ました。
今回は、愛について色々な角度から切り取っていて、それが事件の真相であり、解くキーになっている作品でした。
前半部分は、もう少しカットしても良いかな
少し間延び感がありました。
伏線が分かりやすく、犯人はすぐにわかりました。
アガサファンなら観ても良い作品でした。
原作の雰囲気ナシ
敢えてそうしているのかわかりませんが、アガサ選手ならではの軽妙洒脱でおしゃれな味わいがなく、全体的にシリアスで暗い印象です。
ポアロ選手も原作の尊大でありながら飄々とした独特のキャラクターではなく。終始沈痛な面持ちでユーモアは感じません。
原作を知らない、こだわらない、或いは映画の旧版を観ていない人が初めて観ればそれなりの感想を持ちましょうが、アガサ選手を散々読んできた探偵小説マニアには筋と舞台が同じなだけで全く別モノでした。
ただ、各人の紹介もかなり省略しているので、未読の人は登場人物の区別がつきづらいと思われます。また、謎解きはいいとしても、なぜそこに気づいたのかを全く省いてしまっているので、読んだ人以外にはわからないでしょう。
旧版は映画にあたって上手く話しや人物を省略してテンポよく話を進めましたが、当作は脚本も演出も統一性がなく失敗作ですね。
あと、初めと終わりに下らないお話がついてるけどやめてほしい。原作に失礼。
アガサ選手に敬意を表してオマケの3点です。
ナイル川の景観、特に歴史的遺産が美しい。 ストーリーや展開はちょっ...
ナイル川の景観、特に歴史的遺産が美しい。
ストーリーや展開はちょっと古るくさい感じがする。
推理して犯人を特定していくあたりの根拠の描写や演出がもう少しわかりやすいとよかったか?
需要は、あるところには、ある。(超絶ネタバレ含みます)
この「20世紀の遺物感」の半端無さと来たら。いっやー、需要無いですよ、コレ。今の時代。
と言いたいところですが、そうでもないか。
もうね。最初に立ったフラグ、そのまんまの犯人です。悲劇の演出も、なんとなくの予想通りです。今となっては、バレバレ展開も白々しく。なんや、この無能探偵!って軽く罵声を浴びせたくもなりますが。そこは古典・ひな形を作った元祖の作品群の一つ、って事で。
「完全なアリバイ」で最初に容疑者から外された人達。はい、フラグ立ちました。あー、もう、これだよ。問題はアリバイ崩しだよ。って想像しちゃいます。
イケメン友人の登場。あぁ、あぁ、あぁ。彼は「悲劇」の演出のためのキャラなんだ。とか。
無くなるスカーフと赤い絵の具。伏線も親切です。出血の演出?スカーフで絞殺?凶器を包んでナイルへ捨てる?などなどなどと。空想に花が咲きます。
そうなんですよ。コレなんですよ。
伏線、バレバレや無いですか。
フラグ、立つじゃないですか。
それらを、どう繋いで行くのか?
探偵が解き明かして行くのか。
ってのが古典的な推理モノの醍醐味な訳です。
私自身は、アガサ・クリスティにハマった事は無く。小中学生の頃、コナン・ドイルとエドガー・アラン・ポーには夢中でした。ドキドキしがらページをめくる日々を思い出してしまいました。
少年少女や若い人たちにも、そんな気分を味わって欲しい、と思ったりしました。そういう意味では、需要はあるよね。
にしても。
探偵無能の非難は、避けられないかとw
もう少し、どうにかならん?
ヒト、死に過ぎですやんw
「名探偵」としての責任を負って苦悩する「人間ポワロ」に踏み込んだケネス・ブラナー版第二作。
いやあ、皆さんなかなか手厳しいけど、申し分ない出来だったんじゃないでしょうか。
個人的には、今まで観たポアロの映像化では、いちばん堪能できたかもしれないくらい。
自分は必ずしもクリスティの良い読者とは言えないが(全66長編のうち読んだのは20作くらい)、『ナイルに死す』に関しては原作既読で、ピーター・ユスチノフ版も既見。じつは劇団フーダニットによる演劇版(クリスティによる脚本化だが、けっこう長くてたるい)まで観ている。なので、ストーリーの概要と犯人の正体は承知した状態での視聴。
ケネス・ブラナー版の『オリエント急行殺人事件』も当然封切りで観ていて、壮健でガタイの良いポアロが拳銃片手に走りまくっているのはとても斬新だった。ただ、ミステリーとしては「誰に見せるための犯人サイドの演技なのか」に関してうまく説明がつかないことと、「犯人が某人物の関係者だとわかるタイミングがなし崩し」だというのがどうしても納得いかず、残念に感じてしまった部分もある。とはいえラストの「最後の晩餐」演出や、ポアロの泣かせる名演説には胸を熱くしたものだった。
『ナイルに死す』の場合、どうしても『そして誰もいなくなった』や『オリエント急行の殺人』と比べると、本格ミステリの王道を行くプロット立てで、トリックや組み立てがオーソドックスなぶん、作りが地味になってしまう点は否めない。
ただ『予告殺人』や『殺人は容易だ』と同様、「一皮剥くと、表面上見えている穏当な世界とは似ても似つかない愛憎と欲得の世界が裏で渦巻いている」クリスティらしい作品であることはたしかで、表面上のぱっと見と真相のギャップ度は結構高いほうだと思う。
さて今回の映画化はどうだろう。
オープニングは、まさかの第一次大戦時の塹壕シーンから始まる。
まさにウクライナ侵攻の折で、ちょっとどきっとさせられる。
若きポアロが推理力を駆使して戦況を一変させるが、ブービートラップの爆発で上官を死なせ、自身も巻き添えを食って大けがを負う。
原作でも描かれない「口ひげ」誕生秘話。
さらには、このエピソードは悲恋の影も宿す。
近年の安易な傾向では「生涯独身の口ひげの洒落男」はほぼゲイ属性を無理やり付与されるケースが多いことを考えれば、むしろ意外なくらい「ストレート」なポワロ解釈だ。
『オリエント』でも、アヴァンのオリジナルネタ(塀と卵のミニミステリ)をやっていたが、今回の方が本筋のほうの「主題」と密接なかかわりがあって、出来はすこぶる良い。
ここでいう「主題」とは、ひとつは「愛のミステリ」、もうひとつは「名探偵の推理がもたらす結果責任」の問題である。
「愛のミステリ」という部分に関しては、宣伝でもさんざん強調されていることだし、フーダニットにも関わる部分なので、ここで詳細には触れない。
ただ、船客のそれぞれが、困難な事情をかかえる「異形の愛」に縛られており、それを丹念に描出するがゆえに、通例の本格ミステリよりも登場人物の命が「重く」描かれていることは、注目に値する。単なる「駒」であることを超えて自己主張するキャラクターを登場させると、場合によっては本格ミステリとしての稚気や醍醐味を削いでしまう場合もあるからだ。ゲーム感覚だからこそ、人の死を娯楽として扱っても罪悪感なく楽しめるというのが、本格物の本来のありようでもある。だから、人間ドラマと真面目に向き合い、人物をしっかり描きこめば描きこむほど、本格ミステリを成立させるのは難しくなる。
本作では、そのへんの「人の死の重さ」と「謎解き」のバランスが、実に塩梅よく描かれていて、ほんとうに感心した。
「人の死」が重さを増すと、そのぶん作中人物の悲哀は深まるし、ドラマも深刻さを増す。
その結果として、名探偵の責任も増し、二つ目の主題が自然とクローズアップされる。
すなわち「名探偵の推理がもたらす結果責任」の問題だ。
ポアロは本作で、「推理機械」としての自分と、情深い人間としての自分とのあいだで引き裂かれ、複雑な思いに翻弄されながら、事件を解決へと導く。
さらに本作では、複数の人物が「連続殺人」という事態の招来について、ポアロが捜査に携わったせいだと公言し、詰問する。要するに、ポアロが事件を止められなかったせいで被害が増している、あるいは、ポアロが某人物からとある証言を引き出そうとしたために、犯人の殺意に刺激を与えたとして、ポワロはこっぴどく糾弾されるわけだ。
前作『オリエント急行殺人事件』では、「法と正義」「神の裁きと人の裁き」といった重大なテーマがあらかじめ設定されていたが、ポアロ自身はそこまで「名探偵であること」の意義を問われたわけではなかった。
今作『ナイル殺人事件』では、まさに「ポアロが名探偵であること」の意義が再考され、彼の探偵法、自己顕示欲、人とのかかわり方にまで、徹底的にメスが入れられる。
ここまで、真摯に「名探偵であること」を掘り下げねば前に進めない感覚というのは、『ダークナイト』以降、アメコミヒーローものの多くが「ヒーローであること」を掘り下げねば許されない風潮に陥っていることと、実は同根なのだろうと思う。
時代が深まってきて、人々はあっけらかんと「人を裁く」存在を許さなくなったのだ。
ポワロといえども、「ヒーロー」の端くれである以上、正当性に対する批判と自己省察の餌食にならざるを得ない。石坂金田一のころは「しまった!」で済まされていた「連続殺人を止められない名探偵」という自己矛盾にも、当然ツッコミは入れられることになるわけだ。
そんななか、人として覚える共感や後悔といった感情の高ぶりを必死で抑えながら、いつも以上に過激で攻撃的な「探偵」としての尋問を遂行するポアロの描写には、鬼気迫るものがある。
本作におけるポワロの尋問術には一定のパターンがある。
相手がまさかバレていまいと思っている「隠された真実」を、客観的分析によって見抜き、しょっぱなからぶつけ、動揺する相手に対して「あなたには動機も、実行手段もある」と決め付け、いわば「ゆさぶりをかける」というものだ。彼の名探偵としての優秀さと、人を人とも思わないような冷徹さを強調するには、じつにぴったりの描き方を作り手は選択している。
いっぽうで本作では、ポアロが感情的になって、涙目で自らの過去に触れたり、相手の難詰を真摯に受け止めたりするようなシーンが何度も出てくる。ポアロの「名探偵」としての苛烈なペルソナの背後には、傷つきやすい少年のような心と、膨満した自己顕示欲、そして事件関係者に対する深い共感がある。ケネス・ブラナーは、シェイクスピア役者として鍛え上げられた演技力で、彼の「名探偵」としての部分と、「人間」としての部分を、うまく混淆して説得力のある演技を開陳している。
映像化において、これだけポワロの「名探偵」としての苦悩を描いたケースも、これだけ「人間ポアロ」の内実を描いたケースも、なかなかないのではないか(デイヴィッド・スーシェ版にはいくつか似た趣向のエピソードがあったけど、今回のほうが僕は感銘をうけた)。
それだけで、僕としてはもう大満足だ。
映像としては、常に動きのある流麗なカメラワークが印象的だ。
どうしても、本格ミステリ映画は、固定カメラのスタティックな演出を選択することが多いが、本作では、とにかく視点を動かしまくることが常態化している。
冒頭の塹壕戦からハンディカムが激走し、激しく甘美なダンスシーンを経て、結婚パーティでもカメラは人々の間を縫ってせわしなく動き回る。エジプトでは俯瞰と仰角のショットの切り替えがじつにダイナミックだ。そのことでいっそう、周辺の事物の巨大さと雄大さが際立つ。船旅がメインになってからも、観光船内をカメラは縦横に走り回り、常に動的な雰囲気を絶やさない。
この「動」の撮影は、ポワロが「走れて撃てる名探偵」として描かれていることと、むろん無関係ではない。ブラナーは、ポワロものを従来のスタティックな本格ミステリの軛からはずして、ある種の「ヒーロー譚」として現代に再生させようとしているのだから。
本作の撮影にはアングルにも強いこだわりがあって、基本左右どちらかのサイドに斜め向きに人を置いてしゃべらせることが多いのだが、ここぞというシーンになると、ど真ん中にポアロを据えてシンメトリー構図を採用してくる。前作ラストの「岩窟の聖母風・最後の晩餐」シーンが、まさにこのシンメトリー演出の極北だったことを考えると、おそらくブラナーにとって、シンメトリーは強い「力」をもつ「特別」で「とっておき」の構図なのだろう。
総じて本作の体感時間が短く感じられるのは、ブラナーの巧みなカット割りと、飽きさせない移動カメラ&アングル切り替えのおかげだと思う。
というわけで、僕は概ね本作を堪能したのだが、もちろん不満がまったくないわけでもない。
有無を言わせぬ証拠がないのにみんな簡単に落ちすぎだというのはたしかに気になるが、より気になる点として、まあまあポリコレ汚染は甚だしいよね(笑)。
これは作り手の責任というより、現代映画界の「呪い」のようなものなので、致し方ないといえば、致し方ない。むしろ、黒人歌手とそのマネージャーを導入することで、「ブルース」という音楽要素が加味されているのはいいアイディアだ。また、別の重大なオリキャラを投入することで、意外な事件展開を用意しているのも、既読者でも楽しめる新要素としては悪くなかった。原作では若干冗長な窃盗事件に関する顛末を簡略化したのも、映像化としては英断だったと思う。
いちばん個人的にひっかかるのは、原作の「キモ」にあたる部分をあまり強調していない、というか、「武士の情け」みたいに敢えてそこをえぐらずに仕上げていることだが……それについては、この下にネタバレとして書いておく。
とはいえ総体的に見れば、実によくできていたし、役者陣もケネス・ブラナーはじめ、とても良い演技だったと思う。
まだオールスターキャストでできるポワロもの原作はいくつか残っているので、ぜひケネス・ブラナーには継続的にこのシリーズを撮って、ユスチノフ版を超えるくらい頑張ってほしいところだ。
(以下、ネタバレ)
僕は、『ナイルに死す』で最もキモとなるのは、「愛の逆転劇」の部分だと思っている。
すなわち、本作では「寝取った女」と「寝取られた女」の優劣が、ラストで逆転する。
そこが圧倒的にいやらしく、底意地が悪く、すなわちクリスティらしい。
さんざんマウントを獲って、相手をストーカー呼ばわりしながら、「親友」として気に掛けることで憐れみをも掛けていたエラそうな女が、実は最初からただの「カモ」で、食い物にされていて、見下されていて、ゴミのように殺されるだけの存在にすぎず、付きまとっている哀れで頭のおかしい女のほうが、実はすべてを支配し、操り、物語に君臨している。
冒頭のダンスのシーンだって、リネットは「親友から男を奪った」と考え、申し訳ないと思いながらも男をたぶらかす自らの魅力に至極ご満悦のはずだが、その実ほんとうは、単に「あてがわれている」だけのことだ。この話は、ジャクリーンの視点で見なおせば、リネットという存在をどこまでも徹底的に、容赦なく愚弄する作りになっている。
このえげつなさ、この悪意の濃さこそが、まさにクリスティの神髄なのだ。
僕は、リネットという高慢で、世間知らずで、ほんとうは複数の人間から猛烈に憎まれていた女を、もっと容赦なく、完膚なきまでに、叩きのめしてほしかった。そうすることで、『ナイル殺人事件』という物語の包含する「真の恐ろしさ」がいかんなく発揮されるからだ。
だが、ケネス・ブラナーは真相解明のあと、じつにあっさりとジャクリーンと情夫を死なせてしまう。
ある意味、それはケネス・ブラナーの「優しさ」なのだと思う。
ジャクリーンの悪を描き切らない優しさ。リネットを死してなお鞭打たない優しさ。
でも、せっかくこの素材で映画を作るなら、ジャクリーンとリネットの「マウントの逆転劇」をやらないのは、本格ミステリファンとしては、やはりもったいないと思うわけだ。
ポアロはこんなダンディじゃない!
1930年台の上流階級のファッションとか装飾を美しく描いているのが素晴らしいですね。女優陣の衣装とかメイクなども綺麗です。
CGと実際の映像区別がつかないですが、船の外側から主人公をフォローするようなカメラワークとか、足元にフォーカスしたショット、ドローンを使っているであろう自在な撮影が素晴らしかったです。
作品自体は少し改悪な部分もあるかな。。?
ポアロの独特なマスタシュの理由とか悲しい過去などポアロの株を上げる演出が多め。
ポアロの印象といえば、傲慢で自尊心が高く、わがままどちらかと言えばウザい男の印象ですがw
監督兼主役の特権ですかね。。。いい男風になっちゃってます。なので最後の方にあなたなんて傲慢で自分本位で。。。!となじられるシーンがあり、そうそう、ポアロってそういうやつよ?っていうのが、なんかしっくり来ないジェントルマンな哀愁のダンディマンになっちゃってる!
あと登場人物の改変も著しい。ハリウッドのDE&I配慮にはウンザリ。なんで無理やりイギリスの上流階級の社交界にアメリカ南部の黒人やインド人の知識階級を入れてきちゃうのか。。
原作の時代背景を無視したそういうのはどうかな。
現実のDE&Iに関しては大賛成だけど、フィクションにまで持ち込むのは反対。
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