Red : インタビュー
夏帆&妻夫木聡「Red」 禁断の恋と濃密なラブシーンであぶり出した人間の「生」
直木賞作家・島本理生氏がセンセーショナルな描写で新境地を描いた小説を、三島有紀子監督が実写映画化する「Red」が、2月21日から公開となる。10年ぶりに再会し、互いに強く惹かれ合い禁断の恋に溺れていく男女を演じた夏帆と妻夫木聡に、役や関係性を作っていく過程、ラブシーンへのアプローチ、そして作品にこめられたメッセージについて話を聞いた。(取材・文/編集部、写真/間庭裕基)
原作は、2017年に行定勲監督が映画化した「ナラタージュ」や、第159回直木賞を獲得した「ファーストラヴ」などで知られる島本氏の小説。誰もがうらやむ夫、かわいい娘と暮らし、“何も問題のない生活”をおくっていた村主塔子(夏帆)は、かつて愛した男・鞍田秋彦(妻夫木)と10年ぶりに再会する。鞍田は、ずっと行き場のなかった塔子の気持ちを、少しずつほどいていく。もう二度と会いたくなかった、本当に愛していた人に出会ってしまったら――。塔子は、誰もが想像しなかった“選択”、そして“決断”を下すことになる。
本作で初共演を果たした夏帆と妻夫木。関係性づくりのため、クランクインの前にキッチンスタジオを借り、ふたりだけでシチューを作り、お酒を飲み、和やかな時間を共有した。妻夫木は、「食べることは生きることに直結しているので、少しでもそういうことが一緒にできたのは良かったのかなと思います」と振り返る。劇中でも、大雪の中で立ち寄った食堂で2人が蕎麦を食べる印象的な場面がある。「食べることは生きること」という言葉の通り、数々の食事シーンが挿入されていることは、命を燃やすように愛し合うことで自らの「生」を見つめ直す塔子の思いを伝えているかのようだ。
ふたりは、一緒に過ごした時間や撮影で抱いた、互いの印象を明かす。
夏帆「妻夫木さんは、すごくストイックに、真摯に役と向き合っていらっしゃる方だなという印象を受けました。撮影期間中は常にどこか役を身にまとって、現場にいらっしゃる方。絶対に妥協されないですし、私自身もそんな妻夫木さんの佇まいにとても影響を受けました」
妻夫木「夏帆ちゃんは、とても強い女優さんだと思います。覚悟を持って役と向き合うのは労力が必要ですが、そういう覚悟をきちんと持っている人です。あと、意外と男っぽさを持っているんです。作品で見るイメージが強かったので、どちらかというと女の子っぽい感じなのかなと思っていたんですが、すごくさばさばしてるし、はっきりと自分の意見を言う方ですね」
塔子と鞍田の過去は明確に描かれず、非常に余白が多いが、ふたりの間ではどのような会話が交わされたのだろうか。妻夫木は「僕はとにかく塔子を愛すだけだった。塔子が全てだったので」と確信に満ちた口調で語る。物語が現在と過去が交錯する構成となっているため、最初は前半と後半で印象を変えるために演じ分けを考えていたそうだが、役づくりを進めるにつれて、アプローチも変化していった。
妻夫木「脚本を読む時に、構成をパパっと頭の中で考えてしまうんですが、役づくりを始めた時から『そういうことじゃないな』と思いました。一貫して塔子を愛す、ということに尽きるんだろうなと。自分の生きる意味を見つけた鞍田の強さは、何にも代えがたいですよね。『もう塔子しかいらない』と気付いてしまったから。その感情だけでしたね」
一方の夏帆演じる塔子は、自分に激しい愛情をぶつける鞍田以外に、どこか自分を見透かしてくるような不思議な魅力を持った同僚・小鷹淳(柄本佑)や、“価値観のずれ”ゆえに、無自覚に塔子を追い詰めてしまう夫・村主真(間宮祥太朗)という3人の男性と関わっていく。夏帆は、それぞれの男性や家族との関係を通し、芝居を組み立てていった。
夏帆「妻夫木さんとシチューを作って食べたり、間宮くんと娘役の(小吹)奈合緒ちゃんと一緒に遊園地に行ったり、役を作っていく環境を用意して頂いたということもあるんですが……。まず家庭があって、その先に社会とのつながりや鞍田さんとの恋愛があることをきちんと演じなければならないと思っていました。また、私は子どもを産んだ経験がないので、『母親になるってどういうことなんだろう』と想像するのが難しかったですね。奈合緒ちゃんと過ごす時間を大切にし、三島監督と話し合いながら、手探りの状態でひとつひとつ積み重ねていきました」
メガホンをとったのは、第41回モントリオール世界映画祭コンペティション部門の審査員特別賞に輝いた「幼な子われらに生まれ」の三島監督。夏帆は「ビブリア古書堂の事件手帖」に続き、妻夫木は初のタッグとなる。妻夫木は「僕たちが役本人になっていないとOKがもらえなかった。『演じる人物として生きてほしい』という三島監督の思いは、撮影中ずっと感じていました」と述懐する。
とりわけ、クラインクイン直後に新潟で撮影が行われた、豪雪の夜に街道沿いの定食屋に立ち寄る場面では、なかなか三島監督のOKが出なかったという。夏帆は「ずっと手探りの状態でした。演じているときはどこか客観的な自分もいて、完璧に『役になれた』と思うことはないですね」という。ふたりはカットを重ねることで、徐々にスクリーンの中で塔子&鞍田として寄り添うことができるようになっていった。妻夫木もこの意見に賛同し、「明確に役になることができたと感じる瞬間は、ないと思うんですよね。逆にその瞬間を自分の意識で感じ取っている時は、なっていないんだと思います。できている時は『自分自身がその人物になったな』と思わないものなんですよ」と明かす。
濃密なラブシーンでも、役を生きることに集中した。世間にはあっけなく否定されてしまう可能性もはらんでいるふたりの関係が、それでも切実な恋愛として胸に迫ってくるのは、ふたりの眼差しや言葉が“本物”として息づいているから。妻夫木は「夏帆ちゃん、三島監督と3人でいろいろ話して、例えば『夏帆ちゃんのホクロを辿っていく』という動きなどは決めましたが、基本的には感情のままにやりました」といい、夏帆も「それこそすごく切実に、真剣にシーンと向き合いました」と思いを馳せた。
映画の冒頭では、塔子が抱える日々の様々な抑圧や生きづらさが描かれる。少女のようなワンピース姿で同行した夫の会社のパーティで“お飾り”のような扱いを受け、キッチンで料理をするのも完全同居する姑に気を遣わなくてはならない。経済的には恵まれているが、家族で暮らす瀟洒な一軒家は檻のようで、塔子は自分の意志や考えを押し殺し、空っぽな人形のように日々を過ごしている。そんな塔子は、本当の自分を気付かせ、そして受け入れてくれる鞍田の存在によって、心も身体も解放し、どんどん美しく、そして自由になっていく――。三島監督が「個人と社会との距離にバランスが取れていない時代に恐怖すら感じることがある」と語るように、世間が押しつけるルールや期待が、個人の人生をつぶしている現状がある。そんな現代を生きる、ひとりの女性の生き方を“男と女”を通して描いた本作は、個人と社会のアンバランスな関係に、どのような回答を提示したのだろうか。
夏帆「塔子は良き母として、良き妻として、もっと言えば良き娘でいなきゃいけないという価値観で生きてきました。本来自分というものをちゃんと持っているはずなのに、それを隠して、我慢して、押し殺して生きてきた……。そんな塔子が自分の人生において大きな決断をした、自分の手で何かを選び取ったというのは、ひとつ重要な意味があったんじゃないかなと思います」
妻夫木「この作品は決して、ただ不倫を描きたかったわけではないと思うんです。塔子を中心に、『生』を感じてほしいということを表現している。塔子にとっては、我慢して家を守ってきたことが、実は(本当の自分自身からの)『逃げ』だった。世間から見たら、僕と一緒にいることが『逃げ』なのかもしれないけど……。『何が大切なのか』ということに正直になることが、本当の『生』につながることだと思います。幸せの価値観の違いなのかもしれないですが、人間っていろんなことを平和にやり過ごしていければ、それが幸せだっていう解釈がありますよね。自分の心のままに生きた鞍田や、そんな鞍田と出会った塔子は、不幸に見えるかもしれないけど、他の人よりも人生の経験値を得て幸せな人生を送っているような気がするんです。『生きるとは何か』を考えさせる、生命力あふれた映画になったと思います」