Redのレビュー・感想・評価
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原作とは異なる箇所がなんとも
生粋の島本理生作品の読者である私だったが、今作品は退屈だった―と書こうと思ったのはラスト5分までの話。なぜなら、ラストが原作と異なっていたからだ。
映像で、役者の方の演技で異なる部分は大きいと思うし、原作を読んでどう感じたのかなんて様々だ。特にこの作品はそうであろう。夏帆が何らかの雑誌のインタビューでも話していたように、小鷹とのやり取りでは素が出ているように感じる。塔子の目を覚まさせようとする場面もあった。しかし塔子は、「生涯でただ一人惚れた女性と結婚した」と豪語するも考え方に前時代的な部分が多く見受けられる真をパートナーにしている。その後彼と袂を分かつも、最終的に選んだのは自らの情欲に溺れさせてくれはするが「一生一人で生きていそう」と感じさせる鞍田。原作では母としての自分と女性としての自分を天秤にかけ、前者を重んじたような表現が見られた。どこまでも自らの殻を破れない女性であると感じたと記憶していただけに、この終焉には衝撃だった。
原作と異なり、女性としての自分を重んじるところにしたたかさを感じさせられた。「一生一人で生きていそう」と思いつつ、また自らも小鷹にそう言われつつ、この人は私がいなければ、という気持ちが疼いたのだろうか。以前インタビューで作者である島本が「三十代になると女友達の重要性がわかる」といった話をしていた。塔子にはないものだ。溺れるような恋愛をする塔子を止めたのはただ一人小鷹だけ。彼女はそれを「1000年前から男は男」であると突っぱねる。もし彼女に女友達がいたら、客観的に物を言う女友達がいたら、何か違っていたのかもしれない。
私は緑に感情移入する部分もあった。いくら父親や祖父母に愛されようが、自らを産んだ母親の存在は格別であろう。緑が幼稚園で塔子を待つ場面、そして最後塔子と別れる場面、胸を締め付けられた。
原作でも今作でも感じたのは、男性の愚かさである。真は与えられたものに対し感謝し満足するのみで、塔子について何か察することは愚か、返すことさえもしない。男は働き女が家や子を守ることが当たり前だと考える男性がこの世から一人でもいなくなることを祈りたいものだ。
あまり共感できなかった💦
ガッツリ性描写がある。R15+。
不倫に走る女性の気持ちだが、
さっぱり分からなかった😅
夫は良い家柄で、商社勤めで、子どもにも恵まれてて、何の不自由なく専業主婦。
でも、仕事勤めしたくて、、
そして、好きな人のところへ行っちゃうんだなーって。。
昔、愛した人を忘れられくても、今を壊してまで行く事は、正当化は出来ない。
人を傷つけて、自由に生きてける人の特権なのかも。
自分だけが大事なら、そうするのか。
原作と映画は別……。
以前、原作を読んです。最近、Netfleで観ました。
原作と映画は、結末もちがうし場面設定も違うので 似たような別々の物語の印象です。
原作では、どんなに男女平等と言われていても女性が社会で感じる不公平さや不満を上手く表現しているし、現実的に家庭を捨てられない背景もちゃんと描かれていたので共感出来ましたが、原作の鞍田さんは死を目の前にしてワガママと言うか身勝手な感じを個人的に持っていたのと、原作は性交表現が多くて、この性描写が私は苦手でした。
映画は、現実離れした結末ではあるけれども物語としては、映画の方がスッキリ観れました。鞍田さんの相手に対する愛情も映画の方が見えた気がします。愛人と家庭の間で揺れる橙子の様子も伝わりましたが、欲を言えばもっと揺れている感じを見たかったです。
この物語に共感出来る出来ないは人それぞれだと思いますが、私は まあまあ楽しく観れました。
あれ、こんなお話だったっけ?
原作にすごく衝撃を受けた記憶があってみたのですが、かなり印象がちがいました。映像がとても美しい映画でした。
きどりとおごり
しあわせのパンとぶどうのなみだを見たことがあります。劣悪な荻上系でした。思い出すだけでも反吐がでます。
作風が、幼な子われらに生まれでシリアスに変わりました。パンやワインでは監督としての箔がつきません。
どっちにしても下手でした。下手ですが、気取っています。
日本の映画監督の特徴的姿勢です。つたない映画なのに、絵が「わたしはすべてをわかっています」みたいな主張をしてくるのです。本気な裸の王様風の態度が日本の映画監督には共通しています。
中肉、近視、寡頭身、リーチの短いひとがボクシングジムやってきて、ボクサーになりたいと言いました。
プロには向かないが体力づくりならお手伝いしますよ。と、受け容れ10年経った。──とします。
どんなに向かなくても、一定期間を経て、立脚点を確保すると、もう向いてないからやめろとは言われません。
誰だってそうです。
若いころは、きみはこのしごとに向いてない──と過分な気遣いをされることもあります。しかし時が経てば、そんなことを考えているのはじぶんだけです。
とはいえ、壮年に達している人間に、ぼくはこのしごとに向いてないんじゃないかと思う──と吐露されるのはキツいことです。
おとなにとって、向いているか向いていないかは、モラトリアムな次元の話になってしまうのです。
ただ、属性について自認していることは重要なことです。
じぶんが適切な仕事に就いていると感じるのはラッキーなのであって、多くのひとびとが、生かせていないことを感じながら生きています。
いっぽうで、もはやわたしにできるのはこれだけだ──とも思っています。大人とはいわばその諦観のような自認です。
自認しているとき、ひとは謙虚です。
日本映画界がせめて謙虚だったら、わたしも腐そうとは思いません。
この田舎の映画部の部員たちが、時間が止まった裸の王様たちの収容所──日本映画界にいることを自認し、後塵を拝していることを知って、学習しようとしているなら、ぜんぜん腹も立ちません。でもそうじゃない。
ところが「世間」はかれらの「才能」を認めています。
厳密にいうと「どこかの世間」がかれらの「才能のような権勢」を認めているのですが、食えるなら、おなじことです。
そう。食えるなら、おなじことです。
好きに生きて、好きに創っていいのです。
リーチが短いのにボクサーになれたなら、むしろ立派です。
なんであれ、しがみつき、その立脚点を確立したことは立派なことです。同意できますが、映画はえてして費やした時間とは関係がないのです。職人的手腕とは大いに関係しますが、費やした時間によってもたらされた自負心と映画は関係がありません。
こけおどしの闇。子供じみた低回。思わせぶりな台詞。awkwardな空気感。不愉快な疑似性交。被害者意識。映画が呈しているのは「この気持ち、分かるよね」という、でれでれに擦り寄ってくる同意です。ほぼ、それしか見えません。もちろん気持ちなんて分かりません。
陰影礼賛?谷崎潤一郎も草葉の陰で泣いています。
小説は知らない。ただ、映像になったそれは日本映画の典型を平常運転していました。
カメラはいい。すごくいいと思います。
が、しょせん劉備にかしずく諸葛亮です。とうてい制御しきれません。
とりわけ、性描写のくどさと長さ。
ドラマが希薄なのに、シュミレートセックスがあるばあい、それは自己プロモーションのリールパートと見ていいはずです。観衆にとって何の意味もないのですから。要するに「わたしは性を扱うことのできる映画監督です」という、出資者向け履歴書の自己アピール欄です。
エクスタシーの顔芸を強要された役者たちの受難ははかりしれないものでした。
なぜポンジュノは濱口竜介監督の寝ても覚めてもを誉めたのでしょうか。
パラサイトが賑わっている渦中で、寝ても覚めてもを、ポンジュノはわざわざ公的に誉め、対談もしています。
ポンジュノに人の映画を誉める資格があったから、くわえて同作品が濱口監督のデビュー作だったから──でもあります。でも、大きな理由は寝ても覚めてもが典型的な日本映画ではなかったからです。
典型的な日本映画ではないこと。世界のポンジュノをしてさえ、そんな珍しい現象はまたとない。だから誉めたのです。
また、この件でわたしたちが知り得る重要なポイントは、少なくともポンジュノは人の映画を見ている。──ということです。
スウィングキッズがFree as a Birdを使っていたのには腹が立ちませんでした。むしろ主題曲のごとく合っていました。しかしこの映画がハレルヤを使っていることには、心底腹が立ちました。しかもJeff Buckleyのカバーバージョンです。煮えくり返りました。そもそも絵にまったく合っていません。
我慢しながら日本映画を見ると、すごく大人になれる。──気がします。長く辛い二時間でした。0点です。
微妙 お金払ってみる価値はない
微妙 お金払ってみる価値はない
文学が映像に昇華された美しさ
三島監督のオリジナル脚本映画も好きだが、原作を独自の感性で映像化した作品も興味深い。
また俳優たちの情感ある演技には観ていてのめり込む思いがして、観終わった後も幾つかの場面が記憶に残り続けるのも面白い。出演者の安定感と優れた演出によるものだろう。
「Red=赤色」を視覚的に感じることができるのは、映像作品のアドバンテージだと思う。
美しさに酔う
三島有紀子監督の映画は、五感に訴える映画だ。絶対映画館で、大きなスクリーンで見るのが良い。おいしそうなコーヒーが入る音、布をシャキシャキ切る音、人生の苦労を感じさせる階段の段差、少女のふわふわ感を感じる宙を舞う白い布。
今回も、冒頭からひりひりと突き刺すような吹雪の中、行き場を探して舞っているような赤い布が目に入り、悩ましげな塔子(夏帆)の表情に、ジェフ・バックレイの「ハレルヤ」がかぶさるように流れる。生々しく、しみいる歌声。「ハレルヤ~♪」と歓喜の言葉を吐きながら、なぜか苦しそうにも聞こえる歌声。これから始まる物語を予見しているようだった。
女性は、人生の中で様々な選択を強いられる。男性よりも,その選択を、周りから、世間から批判されることが多いように思う。だから、選択は、時に無難な方に流れ、自分を見失いがちになる。そしてある時、選択の間違いに気づく。軌道修正するかしないか。これもまた選択だ。
何かを好きになることは、人間に与えられた最高の能力なのかもしれない。そして、それは、人生の隅々まで、影響を及ぼす。そんなことを思った映画だった。
何だかなぁ
原作読んでないけど、ただの不倫のキスシーンの連続動画やなぁ。女の身勝手や!
映画みて救われた感じかな。
小説既読。
個人的には映画の結末のほうが断然好き。
小説の塔子には全然共感できずもやもやしてたから。
妻夫木さんの鞍田さん
もう若さだけじゃない年頃の、ある意味では汚れた男の女々しさ、狡さ、弱さ。
寡黙な男ゆえに表現に頼るところがたくさんだったけど実に良かった。
過去から続く塔子を想う気持ちがちゃんと存在していて、それが幼稚過ぎる夫といい対比だった。
言葉よりもひとつの深いキスで過去の愛の熱情まで伝わる、想像できてしまうところが
なんか良かったな。ふたりとも好演だった。
一瞬で当時に戻されてしまうあの感じ?経験者なら共感できると思う。
ある程度人生を積んだ大人向けの映画。
でも、現実ではあって欲しくない物語。子供が不憫過ぎる。
夏帆ちゃんの目力が凄い
大好きな妻夫木くんの映画なので観に行きました〜!まず、夏帆ちゃんの目力が凄い!男の人はあの表情と目でやられますね。官能シーンも良かったけど、鞍田を探して目で追うところとか、鞍田が待ち伏せしていて塔子が気付いて見つめ合うとか、そういうシーンにグッときますね。それから当たり前ですけど、妻夫木くんのかっこいいこと!笑
ストーリーは切ない!切なさを忘れていた私も切なくなってしまいました。忘れていた感情を呼び覚ます、これが映画の醍醐味ですね!
これから原作本読みます。先に映画を見るとキャスト通りに頭に映像が浮かぶのがいい!
もしかして・・・女として
賛否両論渦巻くこの作品ですが、映画を見てからもう数日も経つのに、頭から離れないシーンがあるので一言だけ。
ラストで塔子が泣いてすがる我が娘に、その目をしっかり見据え、小さく首を横に振るシーンがありました。
普通に見ると「身勝手な母といたいけな娘の別れのシーン」ですが、私には塔子の覚悟とともに、同じ女として生きていく娘に対して、「同じ女」として、対峙しているように見えてなりませんでした。
自分の母親(余貴美子さんが好演!)から言われた言葉を無言のままに伝えているような、そんな気迫を感じました。
そこには「母と娘」ではなく「同じ女同士」の無言の会話があったような気がしてならないのです。
この娘がこれから、どんな風に生きていくにせよ、「女として、人間として、自分がどう生きていくのか」を、一般的な常識ではなく、自分自身で考え、選択せざるをえない人生となっていくのだろうなあ、と。あんなお母さんを持ったばっかりに(笑)!
塔子は母親としては失格かもしれませんが、もしも塔子が、自分の気持ちを押し殺したまま、あの豪邸に住まい続けて行けば、娘もまた同じように、「本当の自分」を押し殺して生きる道を歩むのかもしれません。
あの、娘を見つめた目は「あなたも自分の人生をしっかり生きて!」という、母親からの最大のメッセージではなかったかと、そう思えて仕方ないのです。
もしこれが、私の勝手な解釈ではなく、監督の伝えたい想いが、あの1秒足らずに込められているとしたら・・・そしてそれを、実に見事に演じきったのだとしたら・・・三島監督と夏帆さんに脱帽せざるを得ない。
と言うわけで、深読みかもしれませんが、心に残る映画だったので、満点を!
考えさせられるお話でした
小説を買ったのですが、とても悲しいお話で原作を読みきれず、映画で見ようと思い見てきました。
場面が何度も変わるので、原作の大体の話の流れが分からないと分かりづらいと感じる方もいるかなと思いました。
塔子の母親が言った台詞がすごく刺さりました。
「自分の気持ちに嘘ついて幸せなの?」
相手が結婚していても
相手が病気で余生が長くないと分かっていても
相手が悪い人と分かっていても
本当に好きなら、好きって気持ちを消すことはできないよなと考えさせられました。
だからその気持ちを消すために別の人と付き合ったり、結婚したりしても、それは自分として、果たして幸せなのかなと。
女である自分の人生の生き方を、もう一度見つめ直してみようと思えた作品でした。
REDで伝えたかったのは何だったのか?
映画はおおよそ2時間の時間で、監督が「伝えたいもの」を映像と音によって表現する芸術だと思う。
その「伝えたいもの」が観衆に伝わってこそ、涙や笑い、感動が生まれる。
勿論それは観る側の感性や感じ方が一人一人異なるので、一人一人違った感情が生まれる。
この作品は正直に言って、監督が何を伝えたかったのか判らないままに終わりを迎えた作品だった。
そもそもREDというタイトルはどこにつながっていたのだろうか?
映画の導入部で映像される、トラックの荷台から落ちる「赤い旗」なのか? それとも主人公の吐いた「血の赤」なのか?
この映画には最後に、「あーーここでつながっていたんだ、、。」と思わせる様な展開も、ジャズのしびれる様なフレーズも無い。
一言で言うと「駄作」である。 原作は読まないことにした。
映画の結末の方が好き
映画観た後で、小説を読みました。
映画では、トウコが健気に描かれて、シンが酷い夫という印象でしたが、小説ではエピローグのシンの手紙に心打たれました。
幸せって…結婚て…と思う独身女(私)が、一番シンプルで分かり易い答えを出してくれたシンが私は好きです
「生涯でただ一人好きになった女性と一緒になったこと」
この台詞は、映画ではサラッとしていましたが、小説では本当に心に響きます
でも、結末は映画の方が良いと思う、不思議な作品です
妻夫木聡の冷たい視線にビビった、シビれた
NHKの情報番組で原作者と監督が話しているのを観て興味をもって観賞に行った。そのせいか、最中に監督の顔がちらついてしまい、なぜか入り込めない。。
最初の衝撃は妻夫木聡の冷たい視線。にこやかな青年の印象しかなかったから、ビビった。でも、こういう陰ある男に目がいってしまうんだよねー。
鞍田が四年前にああなってなかったら、再会も塔子のあの決断もない。鞍田が悲しかった。
塔子は指輪を置いたが、私は、真が答えた真にとって結婚とは?への答えにグッときたし、正直元サヤだなと思ったのに…。塔子にはそらぞらしくしか、聞こえなかったのかな。それとも私の方が自分を抑圧することに慣れてしまっているのかな…
子役が真に迫って泣いていて感心。
しかし塔子の決断、あれは酷いよ。塔子みたいな人間を再生産するだけだよ。
観終わって。悲しいだけが残った。
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