NO SMOKING 劇場公開日:2019年11月1日
解説 デビュー50周年を迎えた音楽家・細野晴臣の軌跡と知られざる創作活動に迫ったドキュメンタリー。幼少期の音楽との出合いから、「はっぴいえんど」「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」での活動、ソロでの音楽活動を振り返りつつ、近年の活動に完全密着。2018年の台湾公演を皮切りに、ロンドン、ニューヨーク、ロサンゼルスで開催されたワールドツアーの模様など、バンドメンバーとのリラックスした交流の様子も盛り込みながら余すところなく映し出す。ロンドン公演では高橋幸宏と小山田圭吾が加わったほか、坂本龍一も飛び入り参加し、5年ぶりにYMOメンバーがそろった貴重な瞬間を捉えた。さらに水原希子やカナダのシンガーソングライター、マック・デマルコら若い世代のアーティストたちや、音楽プロデューサーのバン・ダイク・パークスとの交流、自身のルーツを語るインタビューも収録。ナレーションは、本編にも細野との共演ライブの模様などが納められている星野源。「WE ARE Perfume WORLD TOUR 3rd DOCUMENT」の佐渡岳利が監督を務めた。
2019年製作/96分/G/日本 配給:日活
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人はいくら多くの経験をし、その経験を積み上げたとしても、それで自分を肯定したり、満足することなどできやしないんだよ。いまある状態の中で、自分の望ましい生き方をし、その中に意義を見出していくものなのだ。そんな生き方ができればそれに越したことはない。 「はっぴいえんど」「ティパンアレイ」も「YMO」も過去の遺物でしかない。いまも色あせることはないような気もするけれど、過ぎ去ってしまった美しい曲たちなのだ。思い出すだけ息苦しくなる人たちもいる。細野晴臣は分かっているのだ。残された時間が少ないということを。 だから、画面の中で呟いたのだろう。「やっと、歌うことが好きになった。愉しくなった。」と。 音楽で一番難しいのは、やはり、歌うことだったのだ。 50年もの時間を費やして得られたそのことを彼は誰に伝えておきたかったのだろう。。。。。
2021年7月4日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
個性の強い音楽を提供し続けている細野晴臣のドキュメンタリー。 イエロー・マジック・オーケストラや歌謡曲で知られているが、「同じものは二度やりたくない」というのは結構、大変なことだと思う。
海外の文化をいち早く取り入れるハイカラな両親の元に生まれた細野少年は、幼少期から両親に連れられ銀座の繁華街を頻繁往来し、知り合いにはコロンビアレコード女性編集者などがいて、最新のファッション、カルチャーや音楽に触れられるようなナウイ環境にいた生粋のシティボーイである。 後の彼の、常に時代の先をゆくものや誰もやらないものを求めて進んでいく彼の精神性の礎を築いたのは、この粋な都会の大人たちの温もりと人情ではないだろうか。 彼が後年、星野源やコーネリアス小山田、水原希子からマックデマルコまで若くて新しい才能に積極的に関わっていく姿勢も、若い時から老いていて老いてからも若いという感性も、戦後間もない江戸っ子の粋さとシティボーイ的な洒脱さ、親譲りの新しいカルチャーに敏感なアンテナやそれらをすんなりと吸収する能力、それらの賜物か。 本作で細野氏が「誰もやってくれないから自分がやるしかない」といった旨を語っていた。 あらゆる分野の優れたクリエイターというのは、 これと同じことをよく言っているなぁと思った。 芸術だと岡本太郎、作家だと松本清張、中島らも、村上春樹、漫画だと手塚治虫も赤塚不二夫、みうらじゅん、アニメーションでは宮崎駿や庵野秀明、芸人ではタモリ、ビートたけし、音楽だと大滝詠一、高田渡、いとうせいこうあたりが「誰もやらないから自分たちがやるんだ」という精神性や使命感について語っていたのを聞いたことがある。 (彼らが創作意欲などについて語っている動画やエッセイについて調べれば出てくると思う) どれも一時代を築いた開拓者たちである。 こうした開拓者たちは文化や時代の必然性のやうなものを肌感覚やら第六感のやうなものでわかっている。 時代を創る人々はみなこのような能力に長けているのやもしれない。 日本語ロックからトロピカル、テクノからワールドミュージック、ゲーム音楽にアンビエントと常に時代の先を行っていた細野氏も間違いなくそのタイプであろう。 昨今の「次はこれが来る!」とやたらとうるさいマーケティング業界やビジネス業界に完全にムーブメントを掌握されてしまった現代には、この使命感を持ち合わせている人間はどれだけいるのだろうか? 憧れの真似事と悪目立ちする自己顕示欲ばかりで、カルチャーの加速度というのはテクノロジーの加速度と比べて非常に停滞してしまったように思う。 というのも自己顕示欲と使命感というのは全く別物であり、昨今はSNS事情により「俺が俺が」という承認欲求ばかりが悪目立ちする時代になってしまったわけだ。 これが最悪なのは本人らはあたかもオリジナリティがあるように装っているが、実際のところそれらはオリジナリティからは最も遠いところに存在することを知らない。 小林秀雄は個性に関して 「人間ていうのはそういった意味の個性は、その人のオリジナリティではないんです。それはむしろスペシャリティです。特殊性です。こんなものは誰にだってあるんです。」と言っていた。 これと似たようなことは 「自分を消さない限り、表現ってうまれないんですよね」橋本治 「真の個性というものは、何度も何度も模写した中でそれでも滲み出てくる自分のくせ、のようなものである。」養老孟司 村上春樹も個性とは足し算ではなく引き算だといったことを言っていた。 自己表現についてのこられの似たような記述は枚挙にいとまがない。 情報過多で足し算の個性、造られたオリジナリティが氾濫する世の中にあたり、このような偉大なる先人たちを振り返りつつ、人々はも少しだけ冷静になりながら世界を見つめる視線を持つべきではなかろうか。
2020年2月22日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
ドキュメンタリーなんだけど、「Bar 細野晴臣」に飲みに行ったような感覚が終始残った。 これまでがあるから、今の細野晴臣がある。 教授と高橋幸宏との偶然のセッションは鳥肌が立った。 紡いできた歴史、それぞれが重なって、また離れて…。 あんな風に歳を取れたらステキだなーと思った。 どうやったって喫煙を止めない細野さんw どうぞいつまでもお元気で。