ジョジョ・ラビットのレビュー・感想・評価
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ナチスドイツが作り出した「ゴースト」からの脱却。
◯作品全体
作品を見終えたとき、「ゴースト」という単語が心に残った。
主人公・ジョジョと壁の中に隠れ続ける少女・エルサは、それぞれ「ナチス」、「ユダヤ人」という化けの皮を被っている。それが自分の意思であれなんであれ、国家に被らされているのには違いない。そんなジョジョを見て、母は「ゴーストを見ているみたい」と話す。「ナチス」という化けの皮が剝がれたジョジョは、本当はもっと優しい人間であったはずなのに、今はその姿がうっすらと伺えるだけだ。
「ナチス」という化け物の被り、本当の自分の姿を亡霊のように消した存在…それを作中で表現すると「ゴースト」なのかもしれない。
エルサも「ゴースト」のような存在だ。自分の存在を知られないように生き、生活する場所は壁の中しかない。そして彼女を見るとき、大半の人間は「ユダヤ人」という(彼らにとっては)化け物の象徴を背後に見る。エルサという輪郭がぼやけた存在は、まさしく「ゴースト」だ。
「ゴースト」という存在から脱却するのは、シンプルだが難しい。互いが相手を一人の人間であることを理解し、それぞれの持つ肩書を外して接することができれば、ゴーストでない人物と対話できるかもしれない。けれど、国家的に差別が進む全体主義の社会ではとても難しいことだ。
「ゴースト」というモヤのかかった人物とは対照的に、街並みや家具、自然の景色は彩度が強い映されていたのも印象的だった。石畳の美しい街や母と一緒に過ごす川沿いの緑色、カラフルな家具たち。人と人との衝突の裏で、世界はこんなにも綺麗なのに…と画面から訴えかけてくるようなコントラストの演出だった。
母が絞首刑にされてしまったシーンは特に強烈で、白が基調の広場の美しさ、鮮やかな蝶の青色があって、濁ったような紫色に染まった母の足首を映す。世界は変わらず綺麗なのに、人だけが汚れていく…そんな印象を受けた。
ラストシーンでは爆撃や瓦礫で汚れた世界の中で、今度は人が輝きを見せ始める。
「ナチス」、「ユダヤ人」という「ゴースト」ではなく、ジョジョ本来のもつ優しさとエルサへの想いによって、それぞれの本当の姿を見つめる二人。
立場の変化が難しいことを描き続けてきたからこそ、「ゴースト」を脱ぎ去った彼らが、なおさら輝いて見えた。
〇カメラワークとか
・ビビッドな色味がとても印象的だった。ジョジョの行動が自然と軽やかな感じに見えてくる。第二次世界大戦末期のドイツっていうどこからでも悲劇につながりそうな舞台で、意図しない悲劇を作りたくなかったのかもしれない。
・手りゅう弾で怪我をしたときの主観カットも良かった。時間の流れるスピードも主観的になるっていう。
〇その他
・イマジナリーフレンドのヒトラーの存在。ヒトラーは「ゴースト」ではなくて、そもそも実在しない、ジョジョの頭の中で作られたヒトラーなんだっていう設定が面白い。だから解決策を提示できないし、ジョジョ以上の思考ができない。心の中の「世論の常道」というナチスズムが、ジョジョの良心のような感じで顕在化していたんだろうな。
・エルサ役のいつでも居なくなってしまいそうな儚さの芝居が良かった。声質もそんな感じ。
・ジョジョの親友・ヨーキーがやけにマッチョなキャラクターで面白かった。見た目とはかけ離れた漢気っぷり。
・振り返るとベタだな~とは思うんだけど、ジョジョを逃がすクレンツェンドルフ大尉のシーンは良かったなぁ。
ほのぼのした語り口と容赦ない現実
オープニングに流れる「I Want To Hold Your Hand」ドイツ語バージョン(カバーではなくビートルズ演奏!)がフックになって、この物語の世界に引き込まれていく。ナチスドイツが支配する時代のイメージにそぐわないカラフルな世界観。あどけなく愛らしい主人公ジョジョ、明るくてユーモアのある母親。一見、子供も無邪気に見ていられる安全仕様の作品なのかと錯覚する。
しかしこの映画は、語り口はそのままに、容赦ない現実をぼかさず淡々と差し込んでくる。物語の中で観客は、自分の日常の中で悲劇に遭遇するのに近い衝撃を受ける。そして、ジョジョのヒトラーへの心酔とユニークな空想の世界を生んだ背景の悲しさ、残酷さを実感として知ることになる。
ほのぼのした語り口とシビアな展開は「ライフ・イズ・ビューティフル」を彷彿とさせる。ルックス以上に骨太な作品。
サム・ロックウェルが、「スリー・ビルボード」「リチャード・ジュエル」に続き今作でも彼でないとと思わせるインパクトを残している。自己の信条を秘めて温かく軽妙洒脱にふるまう母親を演じたスカーレット・ヨハンソン。映画全体の温かい空気は主に彼女によるもの。どこかポップな感じの衣装がどれもよく似合っていて見とれてしまう。
ジョジョ役のローマン・グリフィン・デイビスは撮影当時11歳だったそうだが、作品とインタビューを見て、完全に大人の理解力を持っていることに驚いた。次の作品を見たい天才子役。
FOXサーチライト印の作品に外れなし、ということをまた確信してしまった作品でもある。
追記
その後再観賞。
あらかじめ流れを知ってから見ると、ディテールがより鮮明に見えてきて1度目より深く心に響いた。
キャプテンKは最初から色々と分かっていたのだろう。ジョジョの家に来るくだりやラストは彼の思いを想像すると切なくなった。
ジョジョの成長のアイコンである靴紐に関わる描写は改めて素晴らしいと思った。
いたずらに感動を煽らない描き方だからこそ心動かされるものがある。スタンダードになってゆくであろう特別な作品。
「ドイツが勝った」。ジョジョの嘘におっさんは泣かされたよ。
もちろん、子を持つ親にしてみれば、子を第一優先にしていなかったような「あの結果」は死ぬほど悔しいし、その前の足元だけの、からのしつこいほどの描写も「あれありき」でズルいんだけど、一応子供目線の、という注釈がつく映画なので、素直にそこは泣かされた。
中盤のお決まりのゲシュタポ家宅捜査、ジョジョの、ユダヤ人に対する「教育」とエルザの「嘘」でつづられた本が救う皮肉。
ラストの「ドイツが勝った」。
すべてを失ったジョジョの嘘。その嘘を解き放った勇気こそが靴紐を結ばせる。
ジョジョの成長のみを丹念に丁寧に追った映画だけど、その後の「敗戦国ドイツ」の惨状を知っているものにとっては、いくらなんでも能天気すぎる、という気持ちもある。
だがそこで「Heroes」
これまでも映画でこの曲がアホのように使われきたが、
We can be heroes for just one day
「敗戦国ドイツ」の惨状がこのあと二人を待ち受けている。にしても、この日だけは、という歌詞がぴったりくる。
この二人に限らず、今は、今日だけは、まずは自由を謳歌し、踊ろう。
現代に生きるわれわれに向けたワイティティの本気。
この映画が大好きですと最初に断った上で言うと、かなりスレスレな作品だとは思う。タイカ・ワイティティがホロコーストの歴史を茶化すつもりでコメディ調に仕立てたわけではないことは、この映画を観た人にはよくわかると思うが、冒頭からビートルズ、トム・ウェイツ、デヴィッド・ボウイなど、第二次大戦下では存在すらしなかったポップソングを流しまくり、色調もポップなら、極端に戯画化されたキャラクターも多い。まさかそのまま「コレが歴史だ」と勘違いする人はいないだろうが、題材が題材だけに、人類史上未曾有の悲劇をここまでポップにしていいのか、という疑念は湧く。ほんの一瞬だけだけど。
一度浮かんだ疑念が消し飛んだのは、本作が決して「歴史を再現しよう」という意図では作られていないから。もちろんナチスがホロコーストが背景にあるが、当時の世相が抱えていた社会の問題は、容易に現代に生きるわれわれ自身と重ねることができる。全体主義がもたらす同調圧力、国家的高揚や熱狂の落とし穴、信念の大切さと個人レベルの無力さ……。この映画が歴史に忠実なホロコースト映画だったら、過去の重みに圧倒されたかも知れないが、ここまで自分たちと結びつける親和性を獲得できただろうか。つまりワイティティは、あくまでも現代に生きるわれわれのためのこの映画を撮ったのだと思う。甘い口当たりと同じくらい、切実な本気が宿っている。
メルヘンチックな姿を借りた、奥深くて油断ならない物語
「ナチス」というと冗談では済まされないタブー感が突き刺さってやまないが、本作は幕が上がるやナチュラルにその世界へと誘われる。子供の純粋さを利用して巧妙に忍びよるプロパガンダの恐ろしさが、このメルヘンチックなドラマから痛いほど伝わってくるのだ。そうした特殊構造を深く知るためにも、我々はこの映画を警戒するのではなく、まずは思い切って乗ってみるべきなのだろう。
思春期というものが純粋さから穢れへの移行期だとするなら、本作が描くのはその反転だ。少年が純粋だと思い込んでいたものは実は違った。彼は多くの大切なものを失う過程で、穢れの中から手探りで真実を見つけ出そうとする。真実とは何かを判断できる位置までたどり着こうと必死に手を伸ばすのだ。そういった意味での成長ドラマがここにある。上映中『ライフ・イズ・ビューティフル』のことを思い出していた。真逆の世界ではあるが、どこか通底している気がしてならない。
エルサはアンネ・フランクの化身!?
第二次大戦下のドイツで、幻のヒトラーと対話しながら暮らす小心者の少年、ジョジョの物語は、描き尽くされてきたホロコーストにユーモアを持ち込んで異色の世界の構築している。アートワークはウェス・アンダーソンのそれを彷彿とさせるジオラマ的でシンメトリーな作りで、ファッションも小粋。音楽のエッジィさは言うまでもない。ユーモアや凝ったプロダクション・デザインの隙間からこぼれ落ちてくる戦争の悲惨が返って観客の心を打ちのめすことも確かだが、監督のタイカ・ワイティティは、ジョジョの家に隠れ住むユダヤ人少女、エルサに希望を託すことで、見る側の心も気持ちよく解放してくれる。エルサはナチスによってその命を奪われたアンネ・フランクの化身であり、アンネに代わってその後の人生を開拓していったであろう希望の証なのだ。
対立や分断は乗り越えられる、と信じさせてくれるチャーミングな逸品
冒頭、ヒトラーに熱狂する群衆の記録映像に、ビートルズの「抱きしめたい」のドイツ語版をかぶせる風刺のセンス!現在の視点から当時のドイツ人を批判するのは容易だが、彼らにとってヒトラーはまさにロックスターのような崇拝の対象、偶像=アイドルだったのだ。
本来シリアスなナチスやユダヤ人迫害を題材にした映画でも、近年は作り手・観客ともに相対的、客観的に扱える世代が増えたせいか、ユーモアを活かしたコミカルな作品が増えてきた。そうした作品群の中でも、本作のユニークさ、チャーミングさは格別。ドイツ人少年ジョジョとユダヤの娘エルサを演じた2人の魅力に負うところが大きいし、とりわけジョジョの変化や成長を精妙に描写したタイカ・ワイティティ監督の手腕にも感嘆した。
デヴィッド・ボウイがベルリンの壁のそばで会う恋人たちに着想を得たという「ヒーローズ」のドイツ語版が流れるラストも最高。洋楽好きにもおすすめしたい。
戦争の日常がリアルで怖い
戦争中なのにやけに平和に見える。食事は貧しいけど友達とキャンプ(徴兵訓練)に行ったり陽気なおじさん(軍人)とお仕事ごっこしたり母親池ピクニックに行ったり平和に見える。母親が死んで初めて戦争中だったって気付かされるくらい平和だった。それが怖い。
明るさの中にある悲しさ
絵本のような少年の世界の中、確かにある不穏な空気や少年の言動ががぞわぞわとさせる本作
話が進むに連れユダヤ人の少女との出会いや周囲の不穏さを醸し出していた大人たちとの変化に和みながら、それでもやはり現実にあった出来事に沿って物語は進んでいきます
終わったあとのなんとも言えない感じ、もう一度見たいかと言われれば見ないけれど何度も思い返すシーンがいくつもある
こういった気持ちを心に残してくれる、戦争映画としてすごいことなのではと感じます
素晴らしい映画
この映画は少年の成長記録であり、ボーイミーツガールの内容であり、戦争の映画である。
最初この映画を見る前は予告などから「ヒトラーが想像上の友達として登場する変な映画」というイメージでした。
しかし、実際見ていくと「あれ?なんか違うな…」と感じていき、途中で主人公の家族に関する衝撃的なシーンがあり、号泣してしまいました。
最後の玄関でのシーンは映画史に残る素晴らしいシーンです。
もしもあの時代のあの場所で育った子供だったら
第二次世界大戦期ヒトラー政権下のドイツ。
主人公である10歳のドイツ人の少年ジョジョも他の子供達にもれずしっかりとファシズムに染まっているが、ウサギを殺すことができない心優しいところがあり、そのためにユースキャンプ内ではヘタレの烙印を押されてしまう。それでも彼のヒーローでありイマジナリーフレンドであるヒトラーに励ましてもらい、カッコいい軍国少年になろうと必死の毎日だ。
が、ある日、自分の家に、捕まえなくてはいけないユダヤ人の年上の少女が隠れているのに気づく。彼女をゲシュタポに突き出すことができず交流を続けるうち、少女に惹かれていくのと同時に、ヒトラーのしていることへの疑念が湧き、ユースキャンプから抜ける。その後は反政府活動のために政府に殺されてしまった母の志を継ぎ、戦争が終わるまで少女を匿い続ける。
ついに終戦した時の、そのままずっと少女を手元に隠しておきたい気持ちに打ち克って少女を解放したラストが感動だった。それをたぶん讃えてくれたであろう母はもういなかったが、少年が真のヒーローになった瞬間だった。
主人公の男の子がすごく上手くて可愛いし、母役のスカーレット・ヨハンソンも魅力的だった。そして少年を身を挺して助けた大尉役のサム・ロックウェルが超かっこよかった!
シャル・ウィ・ダンス!!
四回目の鑑賞になる。
レビューしない事にする。
また消されるからね。
ドイツ語の「抱きしめたい」
最後は
ドイツ語のデビット・ボウイ「ヒーローズ(?)」
残念ながら、デビット・ボウイの曲は聞いた事あっても知らなかった。
この映画を
個人的に名作だと思っている。
たが、ビリー・エリオットばりにとは言わなくとも、ちゃんと少女とシャル・ウィ・・・だったらなぁ!
この映画ても、ナチス・ドイツ対ユダヤ人
を事の他強調してくれているが
この映画の中で「ドイツに味方するのは、今や日本だけ」と言う台詞を聞くと、怖くて外国へ行けなくなっちやうね。
追記 なぜドイツ語版の「抱きしめたい」があるか?
この映画でも「ドイツって音楽家ばかりなの?」と言う台詞があるが、「BEETLES」はハンブルクで演奏をして基盤を作っている。リバプールやロンドンより前にハンブルクの時代があった事をわするべからざり。
消さないでね♥
ワイティティ監督は、ヒーロー映画を撮っている場合ではない。
これまでワイティティ監督をあまり意識することはなかった(それでもマイティ・ソー・シリーズは楽しんで観た)のだが、Netflixがおすすめしてくれた『ハント・フォー・ザ・ワイルダーピープル』がとても良かったので、それに引き続いての本作の鑑賞となった。
結論から言うと、とても素晴らしかった。ユーモアとアイロニーで彩りながら、人が生きていくことの悲哀と希望を浮かび上がらせていくこの人の手腕は、扱っているモチーフ(今作はナチズム)の割には重くなりすぎずに、むしろ鑑賞後は爽やかな気持ちにすらさせてくれる。
そして、『ハント・フォー…』の方でも思ったが、子どもを撮るのがとても上手い。自然な演技を引き出しつつ、内面の葛藤をさりげなく薫らせることに成功している。きっと演技指導が巧みなのだろう。
ワイティティ監督は、マーベルのヒーロー映画を撮っている場合ではない。こういうドラマ作品でこそ、持ち味が活きると思う。
ウザギを逃がす勇気
戦時モノであり、過渡期の少年の心の成長を描いた異色ヒューマンドラマ。
冒頭でウサギを逃がそうとしたシーンが作品全体のモチーフであることは言うまでもない。
植えつけられて自らが信じるところと、内なる真実と。
激動の時代の流れの中で、主人公は相反する双方をどう乗り越えて行くのか。
ウサギを逃がした主人公は弱虫とののしられ、
しかし弱さを知る者の発揮する強さこそ、見せかけには終わらない。
同時に鑑賞者へも、世間の目がどうであろうとウサギを逃がす勇気を、と
訴えている気がした。
甘えん坊が物語を追うほどに一人前の男に様子をたがえてゆく様が、
ある意味、ハードボイルド。
母のさいごと、敗戦後の軍人との別れで涙腺崩壊。
ますます孤独になってゆくのに、なぜだかあたたかみ残る世界観が切ない。
その中で不意打ちがごとく描写される戦時中のリアルな殺伐さも秀逸だった。
ライフイズビューティフル感があるのはなんでだろ
Amazon Primeで鑑賞。感動的、いい映画。そう、これはいい映画だ。皮肉たっぷりでナチスについて、第二次世界大戦について、誰かが誰かを支配することについて、人と人について描かれている。ナチス側からの『ライフイズビューティフル』感あり。
この笑いを入れたかったんだろうという部分が、映画のなかで「突拍子もなく」ではない。
つまり、ごくごく自然な演出として「笑い」が映画に組み込まれている。
人生のなかで、深刻なシーンほど笑いに変えるなんて難しい。
それが映画だとうまくいくのは、映画にするほどの状況がそろっているから
だと思う。
映画はそういう意味では僕たちの非日常をどう描いているかで、惹かれる度合いが
ぐんと変わるものだ。
ジョジョのいる世界は、彼にとっては現実だが、過去にも現実としてあったはずだが
今の時代、そして日本から観ていると、それはフィクションのように見えてくる。
そう見えたらダメなんだけど。フィクションじゃないから。
だけども、その俯瞰的距離感で映画を眺めていると、その深刻なシーンは
笑いに変えられることに、何ら違和感を覚えない。
そう見えた映画は、すごい名作なんだといつも思う。
こむずかしくてゴメン。
演者と脚本と演出とメイクも、衣装も大道具小道具CG周りも
よくできている。
ありていだが、最後のシーンに余韻と余白を残している。
そこから先は観る人が想像していい領域にしてくれているのが
監督のやさしさなのかなと、思う。
あれもこれもジョーク
最近の第二次大戦ものとかナチスものというのは、観る側に充分な知識がある前提で作られている作品が多くなった。
ただホロコーストの悲劇を描いただけの作品なんて過去に何度も作られたし、もう知ってるでしょ?というわけだ。
なので、笑えないことを笑い、笑ったことに気まずくなるブラックジョークの渦に飲み込まれ本作を堪能するためには知識がいる。
ナチスが迫害したり、彼らの言う安楽死させた人たちというのはユダヤ人だけではない。
同性愛者、政治犯、エホバの証人、ジプシー、精神的肉体的に回復の見込みのない非健常者など。
作品内では不具と呼び、ジョジョが負傷したことによりナチでありながら迫害されるかもしれない立場に変わったことがジョークみたいなものだし、その立場になったことでジョジョの視野が広がりお腹に蝶が舞うことになる。
キャプテンKは射撃の腕が良く、本来ならば前線にいるべき男だろうが、目の負傷(不具)のために子どもたちの指導をしている。
能力ではなく不具かどうかで判断しているというジョーク。
そもそもこのキャプテンKという人は後々ゲイであることがわかってくるが、ゲイは迫害対象ですからキャプテンが反ナチなのはほぼ確定。そんな人がユーゲントの指導をしているというジョーク。
そんな相反するクソッタレな状況に飲んだくれているキャプテンKは非常に面白い。
腕や足を失った人が沢山出てくるが、ナチを信奉して戦地に赴き、負傷してナチスの迫害対象になったかもしれないというジョーク。
気付くと、この映画の多くの登場人物がナチスの迫害対象であり、もうそれ自体がジョーク。
そんな人たちを反ナチのレジスタンスでありながら大きな愛で包もうとする人物こそジョジョの母親ロージーなのだ。
ユダヤ人のエルサを匿い、負傷した兵士にドイツにお帰りと優しく声をかけ、ナチである息子を怒鳴りつけることもしない。
それは反ヘイトの塊。反ヘイトとはすなわち広く大きな愛。
エルサがドイツ人を装って難を逃れる場面とジョジョがユダヤ人だと言われて助けられる場面は、ドイツ人もユダヤ人も同じだという対になっているジョーク。
それをどちらも助けたのが反ナチのナチであるキャプテンKで、反ナチのナチってのがもう強烈なジョークなんだけど、このジョークの塊みたいな人が、ロージーと同じように反ヘイトの愛で戦い若者を助ける姿はしびれる。
親ナチも反ナチも女も子どももゲイも不具もシェパードもみんなが戦う市街地でのクライマックスは、壮大なジョークであり悲劇的な、反ヘイトの旗印を掲げる大きな愛のシーン。
あと、とりあえずこれは書いておこうかな。
街中で吊るされている人たちはユダヤ人ではないよ。見せしめのためだから彼らは政治犯ね。ジョジョのお母さんのような人たちだよ。つまりドイツ人ね。
それとジョジョのお父さんはユダヤ人ではないよ。お父さんがユダヤ人ならジョジョもユダヤ人ってことになっちゃうからね。100%ない。
観ている最中はタイカ・ワイティティ監督は天才なんじゃないかと思ったし、観終わった直後はスゴい傑作なんじゃないかと思ったんだけど、いつものように妻とのディスカッションを経て改めて考えてみると、単なる少年の成長ものでそんなに面白いわけではないなと思い直した。
ポップでコミカルでカラフルなコメディに仕上げたことで、監督が言うように作品へのハードルは下がったけれど、同時に色々なところで踏み込み不足だったよね。
映画的な刺激が足りなかった。
とはいっても、非白人に対するヘイト熱が高まっているアメリカに対する啓蒙という意味では上手く出来てると思う。
実際に伝わるかどうかはわからないけどね。
今日の「当たり前」の有効期限は?
過去から学び
今を生き
未来を考える。
過去の当たり前が
今の当たり前でないように
今の当たり前が
未来の当たり前でないことを
知っておかなければならない。
そんな重いテーマを考えさせられるのに
柔らかくて暖かい映画、、、。
冒頭からビートルズを流してくるのか!!
当時のヒトラーのカリスマ性を表現するには打ってつけの挿入歌だ。
ヒトラー役の俳優さん好きだなぁ🤔
まさにスピーチの天才。
言葉のチョイスやスピード感
前半と後半の話し方の変化。
素晴らしい!
どちらかと言うと、後半の捲し立てる感じが
まさにヒトラー。
あとは、グレンツェンドルフ大尉。
彼の人間らしさや優しさにとても感動した。
エルサがユダヤ人だと知りながらを見逃したこと、
たぶんフィルケル(部下で同性)と恋に落ちていること、
ロージー(ジョジョの母)の強さと美しさに惚れ込んでいるからこそ、ジョジョを特別に思っていること、
だからこそ、最後の場面であの行動ができたんだろう。
突き放す言葉に、行動に、
「生きてくれ」という思いを感じた。
そんな繊細な表現を演じたサム・ロックウィルに拍手。
黄色い靴が訴えるナチズムへの怒り
この年のアカデミー賞で作品賞・助演女優賞を含む6部門にノミネート。主要な賞は逸したがからくも脚色賞だけの受賞となった。殺伐とした映画が目立つなかで、結果はともあれ本作のようなほのぼのとした映画がノミネートされていることにどこかほっとしてしまうのは私だけではないだろう。
ナチスドイツの敗色濃い大戦末期、ヒトラーに憧れる10才のジョジョはヒトラー・ユーゲント(ヒトラー少年隊)に入隊しナチスの訓練に明け暮れる毎日だが、訓練ではウサギも殺せず、手りゅう弾は投げ損ねて自分が負傷してしまうという始末だ。そんな心優しいジョジョを励まし鼓舞するのが彼の空想の友達アドルフだ。このアドルフを監督のタイカ・ワイティティが自ら演じているのだが、ヒトラーを揶揄したこの空想上の人物に、ナチズムへの痛烈な皮肉を込めた監督の心情が湧き上がる。チャップリンの名作『独裁者』を彷彿させる名演だ。
ジョジョのお母さんを演じるスカーレット・ヨハンセンがまた素晴らしい。『ロストイントランスレーション』の頃からはずいぶんオトナになって、最近ではアクション女優のイメージが強いが、『マッチポイント』や『それでも恋するバルセロナ』などアレン映画でもヒロインを演ずる実は演技派。『真珠の耳飾りの少女』の時の美しさは今でも目に焼き付いている。スカジョのこのお母さんが実はレジスタンスの活動家であり、その悲しい運命を靴だけで表現するワイティティ監督の演出がさりげなくまた痛切で、本作の忘れ難い名シーンのひとつにもなっている。
ジョジョが家の隠し部屋に匿われたユダヤ人少女との触れ合いを通じて、徐々にナチスの欺瞞に気づいてゆく過程が淡々と綴られて胸に迫る。こうした奥深い命題を決して深刻にではなく、コメディの形で提示してみせた監督の手腕に最大限の賛辞を贈りたい。本文冒頭に『ほのぼのとした映画』と書いたが、これは決して『ほのぼのとした』だけの映画ではないことを強く言明しておきたい。
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