ジョジョ・ラビット : 映画評論・批評
2019年12月24日更新
2020年1月17日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー
10歳男児のリアルがユーモアと感動を呼ぶ、ナチス映画の冒険作!
ナチスドイツの末期を舞台にした映画にしては、「ジョジョ・ラビット」の幕開けはカラフルでコミカル。戦時中の映像に被さって聞こえるのは、ビートルズの「抱きしめたい」ドイツ語バージョンだ。そしてこの冒険作は「早く立派なドイツ兵になりたい」と願う我らが主人公、10歳のジョジョへとフォーカスする。
ナチスの青少年団ヒットラーユーゲントのキャンプに参加したジョジョは、任務を果たせず「臆病なジョジョ・ラビット」とからかわれる。そんな彼を力強く励ますのは、憧れの結晶とも言うべき脳内フレンドのアドルフ・ヒットラー(タイカ・ワイティティ監督が自ら演じている!)だ。
映画界で最もポピュラーなジャンルの1つであるナチスものは、これまでにも風刺ユーモアを打ち出す大胆なアプローチが何度もなされてきた。だが、この映画はひと味違う。ワイティティ監督が誠実に描くのは、10歳男児の目を通して見た“戦争”という世界であり、戦時下に置かれた男児の“心”。10歳くらいの男の子というのはたいてい女の子より未熟であり、無知で愚かで純粋で無垢。経験の足りなさゆえ、妄想と思い込みの中に棲息するマジメな生き物なのだ。この映画のユーモアはほとんどが、そういう愛すべき男児のアホさ、けなげさ、滑稽さ、かわいさから来ている。脳内アドルフがどこか間抜けなのも、ジョジョの分身だから。これまで戦争映画における男の子は子供らしさを封じられることが多かったが、これは戦争映画である以前に“男の子”のリアルを見事に映し出した映画といえるのだ。
男児の描写は当然、“戦争”の非道さをクッキリと浮かび上がらせる。このバランスが絶妙。ジョジョのキャンプは序盤、ウェス・アンダーソンの牧歌的な「ムーンライズ・キングダム」を思わせるが、もちろん彼だって容赦ない現実の厳しさ、醜さに直面せざるを得ない。彼は優しく勇敢なママが、憎むべきユダヤ人の少女を家の中に匿っていることを発見し、パニックに。そしてこの少女との出会いが、すべてを変える。
この映画が見せるのは、影響を受けやすく、間違いやすく、それでも正しさを追い求めようとする人間の思い。「ライフ・イズ・ビューティフル」の幼いジョズエよりずっと成熟しているジョジョは気づき、成長し、失い、そして愛を知る。彼を取り巻く大人たち(スカーレット・ヨハンソンのママ、サム・ロックウェルの大尉)の描き方も、胸を打つ。しかし何より、10歳児のリアルを本能的に表現しきったローマン・グリフィン・デイビスくんの演技! これはもう奇跡と言っていいレベル。くるくる変わる小さな名優の表情1つ1つが、心を鷲掴みにする映画だ。
(若林ゆり)