アルプススタンドのはしの方のレビュー・感想・評価
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「しょうがない」の先にある青春
今年ほど「しょうがない」と言って涙を飲んだ人々が数多くいた夏はないと思う。
兵庫県立東播磨高校演劇部の名作戯曲を映画化した本作は、夏の甲子園の1回戦に出場している母校を応援しているアルプススタンドを舞台に、様々な「しょうがない」を抱えた若者達の群像劇を繰り広げていく。
普通、高校野球を題材にした作品だとプレイする選手達を中心に描いていくが、本作は選手はおろか試合が展開されているフィールドを全く映さず、あくまでアルプススタンドで応援している“部外者達”が中心になっている。
この“部外者達”は様々な「しょうがない」事情で、諦念を抱えてアルプススタンドに仕方なくいる。
映画は登場人物一人一人の「しょうがない」事情を、ストーリーの展開と共に徐々に紐解いていく。
人間どんなに汗水垂らして努力しても、その努力が必ずしも報われるとは限らない。
ましてや今年のような異常事態下にあっては、「どうしようもない」としか言い様がないと思う。
それでも本作は、「どうしようもない」「しょうがない」の先にある“何か”を希望と共に見出だそうとしている。
初めは白けて観戦していた登場人物達が、終盤の或る切っ掛けから変わっていく様は、何度観ても胸が熱くなる。
“後日談”のようなラストの展開にある優しさや温もりが何時までも心に残ります。
映像的には地方球場一塁側スタンドの端の方
夏の甲子園1回戦に出場している母校の応援に来た生徒達のお話。
球場フィールド内を映さず、主に一塁側アルプススタンド側のみの限定的な映像設定であるにも関わらず、非常に工夫されたシチュエーション映画であった。
スクリーンからは日差しの強い夏を感じ、周りの草木が揺れ、虫の声が聞こえてくる。
この製作会社作品の割には映像も音響も良く、コロナ禍による今夏の甲子園中止がなければもっと面白く感じただろうなとも思ったし、これが夏以外の季節で且つ映画館以外で鑑賞ならば面白味は半減してたであろう。
この映画の主要メンバーはたった数人ながら、自分達の置かれている状況を踏まえてスクリーン内には出てこない野球部選手を絡めて話が進んでいく様は正に「応援スタンドの端」話であり、野球のルール分からずとも知り合いや恋する選手の為に徐々に応援していく様は胸熱である。
しかし、映像からして甲子園のスタンドには見えず。(アルプススタンドの呼称は甲子園のみ)
また野球に詳しい人ならば「(元野球部の)藤野のフィールド説明が一塁側アルプススタンド側目線では無い様な説明じゃね?」や「代打まで出ない矢野なんてベンチで座っているのだから前半アルプススタンド側から矢野が見える訳が無い。」などツッコミ所が多々。
甲子園と言う舞台設定であるならば本当にお金を掛けてアルプススタンドを使わせて貰う(せめてラストシーンだけでも。)とか、使用許可が降りなければタイトルの事を割り切りし地方大会一回戦として設定を替えるとか、フィールド内選手を映し出さなくても仮でもフィールド選手を使い、映し出す応援団のフィールド目線(追いかけ目線は私的評価75点なので)をより上手くするなど、表現方法にやれるなりの工夫がもっとあれば個人的に評価は高くなっていたかも知れません。
「夢の舞台」に隠れる裏とすみっコの物語
自分は普段予告やあらすじは一応チェックして観るか判断するですが、今回は珍しく予告もあらすじも一切チェックしない状態で鑑賞しました。
今年の邦画は自分にとって当たりが少ないのですが、高校野球は大好きなので期待値半々の状態で観たのですが、想像以上に面白かったです!
主な主要人物は4人で、野球に全く興味ない演劇部の女子二人、元野球部の男子、そして成績優秀で人見知りな女の子の4人ですが、もう全員がいとおしいです。
面白いのが、野球の応援側の視点である上に主要人物の4人中3人が野球に全然詳しくない人物ということです。
これによって、普段野球を観てない子達がどういう風に高校野球を見てるのかが描かれるので、こうした視点も凄く良い!
また、唯一の野球経験者の男子も野球部を辞めているので野球の応援にはそんなに積極的ではありません。
だからこそ、アルプススタンドという夢の応援席では端っこの方の存在だから、このタイトルなんだとすぐに解りました。
ラストの台詞や4人の存在は、去年話題になったアニメ映画「すみっコぐらし」を彷彿とさせます。
あと厚木先生という鬱陶しいまでに暑苦しい先生のキャラもメチャクチャ面白いです(笑)
リアルな松岡修造を思わせるような劇中の台詞や応援してる様が本当に面白おかしく、かなり好きな人物でした。
ただ、個人的に吹奏楽部員のキャラクター達の描写が少し微妙に感じました。
調べたところ、この子達は元々演劇に無かったオリジナルキャラらしいのですが、入れるならもう少し細かく描写してほしかったです。
そこがこの映画における数少ない「惜しい」と感じる点でした。
しかし、甲子園に出ている「輝いて見える人達」ではなく「見えない人々」に視点を向ける所が何よりも素晴らしいポイントでした。
なお、この映画は高校野球を題材にした内容でありながら試合の情景は一切登場せず、登場人物達の会話や歓声のみで進んでいきます。
こういった構成は、やはり原作における舞台演劇ならではの手法でとても面白いです。
普段の映画でメインとなる場面をあえて映さず、殆ど会話劇で進行していく映画構成は、タランティーノの「レザボア・ドッグス」を彷彿とさせました。
映画自体も、高校野球のようにどんどん熱くなる展開になっていくのですが、会話劇から出てくるテーマも見事でした。
「努力をする事」と「諦める事」がどちらが大事なのか、というのもなかなか考えさせられる難しいテーマですね。
この話で、ある出来事を思い出しました。
先日プロ野球のロッテ対日本ハムの試合を観ていまして(自分ロッテファンです)、その日は6-8でロッテが勝ったのですが、その試合がなかなかドラマチックでして!
まず、5回表(日ハムが表)時にロッテが1-5で負けてて「今日は負けたな」と諦めてました。しかし、その裏にロッテが3人もホームランを打ち、次で何と追い付いて7回に5-8まで開いたんです!
そのあとに、日ハムは最終回で1点返すのですが、弟が母に「何で3点差なのに諦めないの?」と聞いたら「負けても1点多く取った方が次頑張ろうと思うんだって」と返ってきました。
なるほどなぁと思いました。
映画終盤での出来事がまさしくそれを物語ってるのかなと思います。
最終回の物語で、登場人物の誰もが後々の人生に影響を与えてると思うんです。
野球って本当に何が起こるか解らないですよね。
思うのが、諦めずに努力をすれば勝っても負けても後悔はあまり残らないと思うんです。
そういった事を考えさせてくれる内容であり、野球と映画における会話劇が好きな自分としては大満足な映画でした!
アルプスの少女(たち)
2017年の全国大会で優勝した東播磨高校の舞台は当時TVで見てとても感心した覚えがあり、映画化と知って見てみることに(出演者は知らない人ばかりなので、てっきり高校演劇部だった連中がそのまま出ているのかと思ったら、そうではなかった)。
もともとの演劇は舞台という制約を逆手にとって、アルプススタンドのみを客席側からの視点で見せながら、グラウンドの試合も想像させる点が秀逸なアイデアだったわけだが…。
①舞台だとずっとロングショットなのが、登場人物のクローズアップが入って表情の機微がわかるようになった点は良かった。
②アルプススタンド以外の球場の通路などのシーンも加わったので、コンセプトの視点があいまいになった。
③狂言回しの英語教師はただただうっとうしかった。
④ラストの後日談も蛇足。
⑤安田あすは役の人は上手だと思った。
演劇を映画にする場合、何を足すか、あるいは足さないかの選択が肝になる。この作品に関しては改めて演劇という枠組で構想されたものとして再認識した。世間に広く知らしめたという功績はもちろんあるが。
今この時期だからこそ胸に響く
ブラスバンドや全校応援のない甲子園が開かれている今、体育会系だけでなく演劇をはじめとした文化系の大会も中止されているこの時期に、この映画が公開され、観られたことは奇跡的とも言える。
「しょうがない」と自分で納得しようとしても、納得しきれない屈託や無念さが胸に響く。登場人物それぞれが抱えていた想いが、次第に(画面に一切現れない)野球部員への応援を通じて解放されていく様が清々しい。
ただ、せっかく映画化したのに、どう見ても甲子園には見えないロケーションは、苦しい。地方予選の決勝大会とかに設定を変えても、十分成立したのではないか。
役者陣は全く知らないメンバーばかりだが、先生役も含め、いい味を出していた。エピローグの後日談も、出来すぎ感はあるが、とても良かった。
何故だか、のれない
「しょうがない」って無意識にたくさん言ってたかも。 めんどくさい事...
共感度100
私の大好きな劇団ゴジゲンの1人・奥村徹也が脚本を書いた高校生の、新しいタイプの青春映画。去年舞台で上演された作品の映画化。
母校の甲子園一回戦に応援で来た、演劇部員や元野球部、帰宅部など数人の学生がたまたま応援スタンドの端っこに一緒に座り、互いの思いや心境を徐々に吐露しながら野球部の応援もしがら進んでいく会話劇。
私には共感しかなかった。青春といえばスポーツが上位に確実に入る世の中だけど、応援席の更に端にいる生徒にスポットライトがあたり、試合を見つつ自分達の悩みや心のモヤをぽつりぽつりと話してく姿が、共感度100だし、この場面だって、この瞬間だって青春の1コマというか青春そのものなんだよなと。とはいえ野球部の試合を観て色々心動かされたり心境の変化が徐々に現れてく登場人物達の様子もとても◎。
夏や初夏に合う映画でした。
アルプススタンド全体の空気。”映画のはし”にも魅力がある。
一度もマウンドを見せることなく、高校野球の1試合を描くのがスゴい!
スタンド席しか映らないのに物語が成り立つなんて……演劇って面白いなー。
映画的な演出としても、席の位置だったり日の照り方だったり……環境がさりげなく変わっていくなど巧い撮り方がいくつか。ちゃんと映画としての魅力が加わってました。
自然とクライマックスへと向かっていく。自分の気持ちも高校生たちと一緒に盛り上がってる心のザワザワ!
はしに座っている4人が主要キャラではあるのだけれど、のめり込んでる終盤では一切セリフのない高校生たち全員と一緒に盛り上がってる感覚がありました。アルプススタンドの空気が素晴らしい。
4人だけが変わるんじゃなくグループ全体が変わる一体感。
みんなでウワー!って一喜一憂するゾーン。
なんだこのエモさは!
藤野が良い演技と空気。まったく嫌味がない存在感。顔立ちも絶妙だなー。
あすはの雰囲気も素敵。超絶美人ってわけではないけど親しみやすくて魅力的。あー、こういう女子いたなーとか。
この二人のみになるシーンとかすごく好き。
逆にひかるの演技がどうしても好きになれず。セリフが”セリフ”になってて台本あるなぁって感じてしまいました。
明るい子なのに○○でちょっと変になってるって状態だと思うのだけど、ずっと喋り方が違和感あってもともと変な子に見えてしまった。
静かな少女・宮下もキャラ色が強すぎて……うーん。
あすはと藤野の自然なトークが見事だからこそ、この2人に違和感を強く感じてしまった。
物語は”アルプススタンドだけでどうやって展開していくの?”って面白さがある。
それぞれの関係性や状態を丁寧に解きほぐしていく。
そして様々な伏線を終盤に回収していく。
その回収具合に無駄がなさすぎて”え、それまで触れるの?”とトゥーマッチに感じてしまった部分も。そこまで全部をケアしなくても……と。
料理で例えるなら、海老一匹をまるごと無駄なく頭も調理して出されたみたいな。その頭は口に刺さって痛いんですけどー、みたいな。
と気になる部分もいくつかあったんだけど、最後はアルプススタンド全体の空気に胸が高まりまくった!
焦点をあてて描かれた部分だけじゃない。”映画のはし”にも魅力がある。
音楽に鼓舞される気持ちよさ!
エンドクレジットで流れるthe peggiesはクリーンヒット!このバンドにこんなにも青さを感じるとはー。見事なタイミングに見事な選曲が炸裂してました
帰り道、いままでハマりきれてなかった”いい子になったWANIMA”をWALKMANで聴きながら純粋に高まってる自分がいました。良さを感じることができた。そんな映画でした。
ザ・高校演劇って感じが…
前半は良かった。具体的には、主役4人が心に抱えるもやもやとした気持ちが明らかになり、それが彼ら彼女らの行動に影響を与えるまでは。野球応援に来てはいるが、心そこにあらず思い思いを少しずつ打ち明けるさまはまさに青春といってもいいだろう。
しかし後半はあまり…正直、「あ、こういうシーン、高校演劇で何度も見たな」と思ってしまった。具体的には、面倒な先生の評価を覆すところ、己の心情や試合状況をすべて言葉で説明するところ、思いの高ぶりが叫びとなって発露するところ、斜に構えた子が感極まって泣いてしまうところ…。それ以外にも、演劇に限らないよくある展開の目白押しだった。
高校演劇から引っ張ってきた脚本とはいえ、もっと映画ならではの演出を詰め込むことができたのではないか。特に、わざわざ画面から外した試合の描写をすべて口頭で説明してしまうのはいかがなものか…。
また、登場人物のキャラはベタなものが多く、さらに各々が抱える悩みやその解決法もベタ。よく言えば王道ではあるのだが、ほとんど「アルプススタンドのはし」のみで進めるという映画では挑戦的な試みをしておいて、話の筋やキャラ造形がベタというのは、ちぐはぐな印象を受けた。
たとえば、「告白」や「何者」のような、むしろ演劇を思わせるような濃い口の演出があったら逆に好きになれたと思う。
演劇的イマドキ胸熱青春コンテンツ
さくっと目頭を持っていかれた。
水曜日はミニシアターの日(サービスデー)ということで、仕事前にさくっと話題となっている映画『アルプススタンドのはしの方』を観てきた。
"さくっと"という言葉の通り75分と映画にしては短尺。それで同じ値段かと思ってしまうが、時間の方が貴重なわけで、そのなかで凝縮されて満足度が高ければその方がいいわけである。
まさにコンテンツ戦国時代で可処分時間の奪い合いがつづく現代に合った、イマドキの効率の良いコンテンツ。
高校演劇部の戯曲原作で、劇団も主宰している演劇人の奥村徹也脚本ということで、とても演劇的な映画。ほぼタイトル通り「アルプススタンドのはしの方」を舞台に展開する物語。
最初は高校生たちの物憂げなじれったい会話劇が繰り広げられるので、期待値が高すぎたかと思ったがラストに向かうにつれ、それぞれが抱える思春期の悩みや過去が、野球の応援という共通項でどんどんつながって昇華していく。
野球のシーンがまったく映されず、スタンドで応援している観客だけの画なのに臨場感がありその感動が伝わってくる。
それ絶対トランペット吹いてないだろとか、タオル新品できれいすぎて絶対汗吸ってないだろとか突っ込みどころはあったのに、小気味の良いギャップのある切り返しに最後には目頭が熱くなっていた。
何事も傍観者として「しょうがない」と諦めるのではなく、誰しもがたとえ観客だとしても当事者として行動することで叶えられることがある。
この夏、熱く背中を押してくれる作品。
しょうがない、なんてことが、あるか!!!
どうやらこの現場は甲子園らしい。どうみても甲子園ではない。なのになんで甲子園だと設定するのか。県大会とかに場面を替えればよかったんじゃないのか?・・そんなケチをつけながら見ていたが、いつの間にかそんなささいなことを忘れさせるほど、熱かった。(そもそも、野外設営の舞台だと思えば、なんてことはないんだから)。
結局、甲子園じゃないじゃないかって批難するのは、まるで当初やる気のない「はしっこ」で応援している彼らと同じなのだ。誰かのせいにして、自分はミスった、損をしたって言い訳しながらそこに座っていた彼らの態度と。
しかしまあ、いいなあ、誰かのために応援するって。目の前にいるのは自分じゃないのに、まるで上手くいくこと(この場合試合に勝つこと)が自分の成したい成功であるかのように、自分の願いを仮託して大声でガンバレって叫ぶ。それも、さっきまで諦めばかり言ってた若者たちが。
あんなに白けてた安田だって、送りバントの役割を理解したからこそ、自分たちも県大会にでようと決めたのだ。来年全国大会に出られなくたってそれが後輩への送りバントだって思えたからだ。
厚木先生のキャラもまたいい。見る人はちゃんと見ているんだって励みになる。
僕は知らないが、「中屋敷法仁が『贋作マクベス』をつくったのは、高校三年のとき」っていう話は演劇界隈では有名なのだろう。それを届かない高みではなく、自分にだって登れる山だとチャレンジする心意気がいい。その結果は、試合の結末と同じかもしれないが、そこを目指すことが肝心なのだ。だってさ、結局プロになったのは誰よ?思ってもみてなかったでしょ。その事実が、この映画の中で、目指すものを持っている者の尊さを輝かしくみせてくれているんだもの。それこそがこの映画からのメッセージだ。
人生とは“おーい、お〇”
今、甲子園では無観客の交流試合が行われている。まさしくこの映画の逆パターン。応援団がいなくても努力してきたことは、勝敗にかかわらず必ずいい結果を生む。
茶道部の顧問・厚木先生も声を枯らして応援。のどを痛め血を吐き、声はいかりや長介状態になっている。タッチアップを知らない安田と田宮、それに成績トップの宮下は“迷宮”だと語り合う。また、宮下を抜いて模試1位になった吹奏楽部部長・久住も絡んできて、入間高校のエースソノダの話が彼らの話題の中心となる。
グラウンドにいるはずの高校生球児たちの映像は一切映し出されない画期的な作品でもあり、野球に対するそれぞれの思いから彼らの心情が浮かび上がるのです。最初は甲子園っぽさもなかったので、冷めた目で見てしまいましたが、見えないはずの白球を追う球児たちが浮かんでくる。作り方が上手い!
「人生は三振の連続」、「人生は送りバント」などと軽く言ういい加減さもあるのに、厚木先生はちゃんと生徒たちのことを見ていた。演劇部が関東大会に進みながらも演じられなかったという事実も重みを増してくるけど、藤野にもバカにされていた万年ベンチウォーマーのヤノがバッターボックスに立ったことに意味があった。
「しょうがない」で終わらせてはだめだ。努力は報われなくとも、人生にはきっと大きなウェイトを占める。それが青春ってもの。などと努力してない俺が言っても意味はない・・・かな。松井の5連続敬遠のときにはヤジを飛ばす側だったし、10数年前の母校の応援ではビールを飲んで宴会してたし・・・と、“生茶”飲みながらレビューしてみました。
甲子園ちゃうやん。
夏らしい映画
安易な妥協が名作を台無しに
この作品の原作は、全国高等学校演劇大会で最優秀賞を取った作品で、後にリメイク・舞台化されて好評を博したものです。今作はその映像化であり、ネットの評価も非常に高かったため、楽しみにして劇場に入りました。
しかし始まって5分、その期待は大きく裏切られました。それは、舞台が甲子園球場のはずなのに、全く違う地方球場だったことです。最初これは元の脚本を改編して、地方大会の話にしたのかと思ったのですが、台詞を聞くとここが甲子園球場だとのこと。おいおい、ちょっと待てよ!
私は阪神タイガースの熱狂的ファンであり(ファンクラブダイヤモンド会員)、また高校野球のファンであります。年に5回は東京からわざわざ関西に遠征して、甲子園で試合を観戦しております。一度でも行ったことがある人なら分かると思いますが、甲子園球場は特別な存在です。それは試合に出る選手だけでなく、スタンドで応援する観客にとっても特別なのです。その大きさ、設備の素晴らしさ、雰囲気、どれをとっても代えがたいまさにレジェンドな場所、それが甲子園です!
しかし、映画に出てくる球場のスタンドは、甲子園とは全くの別物。ベンチの色が水色で違うし(本物はモスグリーン)、コンクリートはボロボロ(本物は古いけどきちんと整備されてます)。そして極めつけは、スタンド端の向こう側にはこんもりとした森!本物ならアルプススタンドの向こうは巨大な外野スタンドが見えているはずなのに。たとえて言うなら、時代劇を見に行ったのに、町並みは現代の町並みが映っている感じ?これだけでげんなりしてしまうというか。
これだけ舞台が間違っていると、どれだけ脚本が素晴らしくても、どれだけ役者が良い演技をしても、全部嘘に見えてしまうのです。創作は壮大なフィクション、だからそれを観客に信じさせるには、シチュエーションをリアルに描かなくてはなりません。でもこの作品は全くそれが出来ていないのです。
自主映画で甲子園で撮影するお金が無い。そうでしょうか?プロデューサーはそのお金を集める努力をしたのでしょうか?甲子園球場を借りる努力をしたのでしょうか?ちなみに甲子園球場は平日3時間40万円で借りられます。撮影時間を考えたらその倍の6時間あればいけるでしょう。ましてや撮影自体はグラウンドではなくアルプススタンドなのだから、交渉次第でもっと安く出来るはずです。お金はクラウドファンディングで集めるとか、いくらでも方法があったはず。それをせずに、安い地方球場(旧平塚球場・現バッティングパーク相石ひらつかスタジアム)でごまかしたことが全てを台無しにしてしまいました。
そもそも、この映画のテーマは「しょうがないなんて言うな!前を向いて努力しよう」だったんじゃないの?にもかかわらず、制作者自身が「お金が無いんだから甲子園じゃなくてもしょうがない」っていっているのは裏切りなんじゃないの?
もうね、日本映画の一番悪いところが出てしまいましたね。「お金を掛けなくても良い物は作れる」を自分たちに都合の良い「お金を掛けずに作る」に置き換える悪癖。これじゃハリウッドはおろか、韓国映画からもどんどん置いていかれちゃいます。
この作品、もう一度リメイクして欲しいです。今度はちゃんと甲子園でしっかりロケをして、映像化するのだからスタンドだけではなく、カットバックで時々試合のシーンを入れるとか、舞台では出来なかった演出も加えれば、素晴らしい作品になると思うのです。
ちなみに、もしこの作品がちゃんと甲子園で撮られていたら、星4つ以上は付けていました。本当に残念。
追記:とある方から、制作は甲子園球場と高野連を含めて3ヶ月交渉したが断られたと聞きました。高野連?何故高野連が関係するのか、そもそも甲子園球場は阪神電鉄の所有物であり、その使用許可には高野連の許可は要りません。これは想像なのですが、制作は実際の高校野球選手権の映像を使おうとしたんじゃないでしょうか。そして高校野球選手権を商業利用することを許されず、スケジュールの関係で甲子園での撮影を諦めた、と。いずれにせよ、甲子園で撮影できない以上、脚本を変えるべきでしたね。例えば地方大会の決勝で勝てば甲子園に行けるとかにすれば、まだ見ていてリアリティがあったのに。
「しょうがない。」から始まる、大逆転の青春。響き渡る、吹奏楽の人生賛歌が心揺さぶる
弟が今、最後の高校野球をしている。保護者は二人までしか入れないため、大学生の私がアルプススタンドに入れることはない。「しょうがない。」けど。そんな思いも渦巻きながら、観賞した。
東入間高校は、久々の甲子園出場を決め、全校生徒で応援させることに。はしの方に集まったのは、「しょうがない。」と大会を不完全燃焼で諦めた演劇部ふたり。報われない努力に蹴りをつけた元野球部。友達がいなくてもいいと思っている元学年一位。はしの方で繰り広げられる軽妙な会話。野球のことなんか…と思っていた4人が、最後の大逆転を信じたときに生まれる奇跡とは。先生の暑苦しさも、淀みのないまっすぐな思いと重なり、心を震わせる。また、すっかり遠くなってしまった吹奏楽部の演奏が、彼女たちの人生賛歌のように響き渡る時、大きなエネルギーをもらえてくる。
一生懸命やることをどこかで諦めた自分へ。今こそ、大逆転を信じてみるべきだ。エールは、誰かに、そして自分に届くのだから。最後に、弟の素敵な報告が聞けることを祈りながら、僕は心でこう叫ぶ。「頑張れ!!!」と。
追記
2020/11/28 2回目@川越スカラ座
テーマは「”しょうがない”を言わない」ではなく「あきらめない」
映画としては純粋に面白かったけれども、
この自主製作映画はきちんとした体制とお金をかければ、きっと良い青春ものになると思う。
音楽を監修する人間がいないようだが、青春期の篤い思いを表現する為には
映画に合ったきちんとした曲を数曲、挿入する必要がある。
本物の監督なら、吹奏部の演奏でそれを表現するだろう。
矢野さんの”送りバント”はどう聴いても、バントにも内野ゴロにも聴こえず、単なる打音で他とも同じ
人が歩く音もみな同じ。。。
映画では音響に対する思い入れ度も0
撮影の多くは順撮りしたようだが、
主要演者は中盤まで、まるで演技ができておらず、後半になり、ようやく カツレツも演技もよくなったが、
”セリフ劇”でこの手の素人を使うには
撮影前に読み合わせ等を
丁寧に行っておくべきだったと思う。
冒頭シーンで「しょうがない」と言っているのだろうが、それが良く判らず、映画のテーマなのにきちんと表現できていないのは残念
これはシナリオライターの脆弱さ
チープな撮影は何もかも「サ・甲子園」には見えない。
どう見ても舞台設定も県大会2~3回戦レベル
エースを準プロ級と称えるなら、各セリフも当然変わってくるし
エースが試合中にlineしてるなんて、ありえない。
トランペットが2人並んでも、口元は体裁的に添えているだけで
2名の指もあっていない。
撮影での演技指導の10分間を惜しんだのか? 何もかも拘りがないのか?
夏の試合なら、”輝く太陽”や”冒頭シーンでの暑さを表現する”カットが必ず必要だ。
また暑い試合なら、応援の合間に頭にタオル・ハンカチをのせたりするし、汗も拭う。
そんなシーンもない。
なぜ「すみっこ(端)」なのか、この映画のスタッフは全員理解できていない。
全体があるから、端が存在する。
その”全体とすみっこをつなぐ役目”を持たせねばならない
唯一の移動キャラである 茶道部顧問 だが、
画面の見えない部分でも、同調子に大声をだしてしまっていては、すみっこと全体との対比ができなくなってしまい、重要なセリフを言うが、
単なるオチャラケキャラで終り、存在意義が消えてしまっている。
同時に”端”を生かすためには、すみっこが在る”味方応援席全体”を映すカットが、数カットないと、対比ができない。
全体的に主要女子はAKBのような子だけを使ってもよかったが、本作はリアルな子を登用するが、要となる2名の漫談演技は作品の質を落とした。
唯一最初から好演技ができていたのはガリ勉女子のみ
この映画を修正をするなら、
舞台が甲子園である必要性がないので、「まぐれで勝ち進んだた県予選の順々決勝」位にすれば、
”スタンドのチープさ”が気にならなくなるし、少ない観客数にも対応できる。
保護者や町内会、OB等の大人の応援者を減らす事もできます。
また主要キャラが、冷めた気持ちで試合を見に来た展開も生きてくる。
シナリオ的に意味のない 「全校生徒が全員強制出席」「ホテルから会場いりした」という
いらぬ墓穴を掘らずに済みますし、エースの園田君がプロスカウトが見に来たという いらぬくだりも不要となる。
唯一のプラスポイントは 数回 ゆらぎ を表現したカットが入っていたことだ。
この映画を観て、30数年前に観た「トリオでランチ(日本大学 文理学部文化会 映画部)」を久々に観たくなった。テンポよ井3人会話劇だ。
全157件中、81~100件目を表示