ウエスト・サイド・ストーリーのレビュー・感想・評価
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楽しめました。
堪能しました。
まあ、でもいくら何でも一目ぼれなのに思いが強すぎるだろうなと。
あと、プロボクサーってすごく強いはずなので、相手はもっと体格で圧倒してないと、殴りあいで勝つっていうのはどうかと思いました。
マンボ!!が1番好き!
恥ずかしながら私はウエストサイドストーリーの大筋も知らなかったので、終盤の展開が衝撃過ぎて空いた口が塞がらなかった…🥲
悲しすぎる…マリアが生きていたことを知って嬉しそうに息を引き取ったのが唯一の救い…。
移民同士のシマ争い…と言ってしまってはそこまでなんだけど、両者ともにあまりに悲しい結果になったので、争いはなにも生まないという教訓的な意味合いを強く感じる。
移民の若者たちの背景も、それぞれにスポットが当たっていて感情移入もしやすかった。
1番好きなシーンは、Mambo!!
乱れ咲き合う花々!!ってかんじ!!観てて本当に幸せだった!!
「ロックはあるけどロールはどうした」の名言を思い出させる、巨匠による"正しい"名作リメイク。
この作品を見て、場違いかも知れないがキース・リチャーズの言った名言「ロックはあるけどロールはどうした?」を思い出した。
不朽で「アンタッチャブル」なクラシックを現代にリメイクするに当たって、スピルバーグはこれ以上ないほど完璧に「正しく」やり遂げた。(唯一の注文は「ランブル」後にインターミッションが欲しかった位か…。)トニー・クシュナーの驚く程よく練り直された知的な脚本を、映像作家として映画史に残る巨匠による余りも美しいシーンの数々。何よりも時代を経てオリジナルにアニタとして出演したリタ・モレロによって、「Somewhere」をこの時代に併せて新たな意味を持たせただけでもこのリメイクの意義は有り余る程にある。だけど、オリジナルがこれ程までに今も残るのは、映画全編から発せられる荒削りで生々しいエナジー、言い換えれば産みの親であるジェローム・ロビンソンの振付の表現者としての迸る魂が、あのフィルムには刻まれているからだと。それはこのバーンスタインのスコアを使う以上は、もうどうしようも無く必須なのだ。皮肉にもスピルバーグの見事な仕事がそれを裏付けてしまった。また若き名匠デュダメルがこの作品の為に、バーンスタインのスコアをこの美しい画に流麗に再現させているのも、この作品を一段素晴らしい物にしていると思うのだが。。
それでも「ウエストサイド・ストーリー」が観たくなったら、迷わずオリジナルをチョイスしてしまうだろうな。それが全てだと思う。
永遠の課題に挑む。
元々は60年ほど前に製作された映画の再映画化で
前作は荒さもあるが、新鮮さと衝撃度もある。
何故スピルバーグは、今、、、と思うが
出来上がった映画自体は自身のものにしている。
この物語は1600年頃に発表されたシェイクスピアの
「ロミオとジュリエット」を下敷きにしているのだが
家vs家、人vs人、国vs国と今に通じる物語を書いた
シェイクスピアの才能の高さを感じる。
また作曲をクラシック系のバーンスタインが担当しており
ブロードウエイ用にいくつか作曲をしていて
映画にはなってないが「オン・ザ・タウン」の曲も素敵だ。
シェイクスピア、バーンスタイン、ワイズ監督の才能により
前作「ウエストサイド物語」が世に出たと思うが、
今回のスピルバーグは、現代風に少し洗練させて
自分好みの映画に仕上げた、と理解している。
特にエンドクレジットの映像には
一見なんでも無い映像を重ねいるが
彼のメッセージが含まれている
そんな気がしてならないのである。
ミュージカル好きだけではなく
製作者の意図を受け止めながら
本作の色彩と大胆さに酔いしれたい。
また、前作と比べて観るのも楽しいと思う。
※
映像綺麗だなあ(だけ)
白人とプエルトリコ人が恋に落ちる話。
昔の作品は観たことありました。
話の流れは同じなんだろうなあと思って
映画館では観なかったです。
が、映像がとても綺麗で
映画館で観なかったことを後悔しました。
飛行機の中でスマホの画面で観てましたけど
ダンスパーティーあたりのシーンは
とても迫力あるし色合いも綺麗で
鳥肌が立ちました、、
ただ感動したのはそれくらいで、
観たことある展開、聴いたことある音楽なので
もうひとつな評価です。
あとやっぱり感情移入できないんですよね、、
愛を知らないからか、、
現代版ロミオとジュリエット
是非舞台作品も観たいと感じる作品で、私は吹き替え版で鑑賞しましたが字幕で鑑賞もしたいと思います。
現代版ロミオとジュリエット、まさにその名の通りのストーリーで鑑賞後は余韻が多く残ります。
愛や友情、その両方を天秤にかけた時愛が勝つのか友情が勝つのかそれともどちらも選ばないのか、最後まで鑑賞して初めて分かる気持ちもあると思います。
是非鑑賞してみてください。
2022 163本目
スピルバーグだから。というのは無しで観ました。
悲しい物語ですね。オリジナルは名前だけ知ってました。歌も映像もストーリーもいいんだけど、個人的にグレイテストショーマンや、レミゼラブル、マンマミーアなどに比べて響きませんでした。
でも70才を越えてなお新たなジャンルに挑むスピルバーグ。流石です
ラストってこうだっけ・・・?
流石はスピルバーグ。
長いけど、飽きずに鑑賞出来る。
ただし、ダンスのシーンかな。
昔のは奇麗に揃った印象を受けたけど、今作は、力押しってのかな。
そこが気になった。
ちなみにラストってこんなんだったっけ?
あまりの完璧な演出の完成度に圧倒されてしまいました。
上映中の157分間、あまりの完璧な演出の完成度に圧倒されてしまいました。これまで年間少ないときでも100本以上映画を見続けたわたしにとって、本作が最高の作品に感じたのです。
核となる物語の『ロミオとジュリエット』にインスパイアされた悲恋の古めかしさは否めません。でも、傑出した楽曲と一糸乱れず振り付けのダンス、50年代後半の超リアルな背景、それを捉える躍動感あるカメラワーク、まばゆい光を駆使したスピルバーグの演出が、混然一体となって生む高揚感は圧巻でした。
映画史上の金字塔たる古典のリメークにはリスクが伴うし、監督は相当な勇気と力量を試されます。そんな企画に挑んだのはスティーブンースピルバーグ。彼にとって初のミュージカルとなる1957年に初演されたミュージカル「ウエストーサイド物語」の再映画化したのが本作です。
物語は50年代後半、ニューヨークのスラム街。ポ上フンド系移民の不良グループ「ジェツツ」元リーダーのトニー(アンセルーエルゴート)は、敵対するプエルトリコ系「シャークス」リーダーの妹マリア(レイチェルーゼグラー)と許されない恋に落ちます。 ロバートーワイズ、ジェロームーロビンス両監督が手がけた映画「ウエストーサイド物語」(61年)は、アカデミー賞10冠に輝いた名作。けれども、約60年がたち、ミュージカルを映画にするための演出や撮影技術は進化しました。映画を知り尽くした巨匠による“最新版”を味わえるのは幸せなことです。
ところで本作は「ストリート」が陰の主役となっていました。歌、ダンスシーンの多くはスタジオの外で展開します。筆頭がプエルトリコの男女の群舞「アメリカ」。シャークスリーダー、ベルナルドや恋人のアニータ(アリアナ・デボーズ)らが、人波をかき分け数ブロックを疾風のごとく駆け抜けるのです。
このシーンでもスピルバーグ作品に欠かせない、撮影監督ヤヌスーカミンスキーによる流麗なカメラワークが、躍動する肢体を臨場感たっぷりに映し出されます。その絶頂は、大人も子供も飛び出し、興奮のるつぼと化した交差点を俯瞰するショット。スクリーンから迫り来るダイナミズムに歓声を上げたくなるほどでした。
時代設定やストーリーは、オリジナル版をほぼ忠実に踏襲しているものの、その半面、移民が直面する差別や貧困などの問題、憎しみの根深さをシビアに描き、分断と不寛容にあらがう“愛”という現代のアメリカ社会に通じるテーマを強く打ち出しました。
プエルトリコ移民のシャークスは、差別と闘い成功を夢見ています。一方のジェッツも、白人ながら貧しい移民3世として毎日の生計を立てる刹那に追われています。
脚本を手がけた劇作家トニー・クシュナーは、両者の違いを鮮明にしつつ、生い立ちや境遇を掘り下げ、彼らに「人生」を与えましたのです。
トニーは、ケンカ相手に傷を負わせて服役し、刑務所を出たばかり。ベルナルドは有望なボクサー。ジェッツリーダーのリフ (マイク・ファイスト)は、カリスマ性を持つ一方でもろさものぞかせ、離れていく幼なじみトニーの心をつなぎ留めようともがくのでした。
時を経た変化は技術的のものばかりではありません。本作のプロデュース自体が、「多様性」を目的にリブートされたことが大きな変化だと思います。そのためにシャークスには、顔をメイクで塗った白人ではなく、全てプエルトリコ系の俳優が起用されたのです。いまようやく、この物語が描く“真実”にハリウッドが追いついたといえるでしょう。
上映時間、2時間37分。
【追伸】
オリジナルのファンにとって、伝説的な女優リター・モレノの出演もうれしいところでしょう
名曲を楽しむ作品。
舞台版では何度も観たウエストサイドストーリー。
もともと物語としては誰にも共感できないし不良の集まりという感じで好きではないけれど、でもウエストサイドストーリーは音楽やダンスを楽しむ作品だと思っているのでOK。
音楽はどの曲もイントロが流れた瞬間からテンションが上がるような名曲ばかり。
ミュージカルが苦手な人は「いかにも!」なので、なぜ急に歌うの?いきなり踊るの?といった感じだとは思う(シカゴやはそれを感じなかった)
ただ、楽しみにしていた分、その期待を越すほどではなかった。
2本立て1本目。スピルバーグだから見られたが、これはもう現代には合...
2本立て1本目。スピルバーグだから見られたが、これはもう現代には合わないのではないか。
ミュージカルは基本楽しいものでなきゃ。チンピラの抗争やん、感情移入全く出来ず。兄貴が◯されたのに、その相手と当日…できますか、そんなこと。ラスト、◯体を前に歌いそうになった時はめまいが。蘇って踊りだすかと(笑)
一応見られたのでこの点だが、感情的にはもっと低くしたい気分です。
少年が少年に見えない件
これってヤンキー映画だよね?50年代のポーリッシュ高校とプエルトリカン高校のOBを巻き込んだ抗争をミュージカル仕立ての映画にしたんだよね。でも出演者が皆んなティーンエイジャーに見えないんだな。
日本のヤンキー映画でも「高校生役は無理があるやろ」って役者が良く出演しているけれども、これはひどい。皆んなおっさんに見える。
アメリカ人から見ると、彼らはキチンと子供に見えるのだろうか?
子供に見えなければこの物語は些細なことでケンカを繰り返すチンピラ映画になってしまうんだよなぁ、あーあ。
とは言えあの楽曲を聴くだけでテンションは上がります。僕は予告編だけでテンション上がりまくり、初日に勇んで映画館に出かけました。オリジナルの楽曲を生かした事、50年代のアメリカを再現したセットは素晴らしかったです。
追記
凪良ゆうさんが小説の中で、ロミオとジュリエットがもっと大人になってから出会っていたら、そもそも恋に落ちなかったかも知れないと書かれてました。その通りですね。やっぱり二人は見かけも心も10代の若者じゃなきゃいけませんね。
隣人を愛せよ
ヴォネガットのチャンピオンたちの朝食に「なんでおれが『二都物語』なんか読みてえかよ?なんで?」という台詞がある。
それを言うのは教育のない黒人だった。
ニュアンスが伝わるか解らないが文学からかけ離れた生活環境の人間にとって文学は意味がない。
もちろん建前において文学は人心の糧(かて)となるものだ。が、じっさいどうだろう。DQNはシェイクスピアを読むだろうか。ちんぴらは往生要集を読むだろうか。労働者はディケンズを読むだろうか。
かれの生活環境と文学は天地ほどのへだたりがある。鑑賞するなら教養がひつようになる。けっきょくそんなものを読んでいるヒマがあるなら働けということになる。
人々から虐げられ、ひどい扱いをうけてきた黒人が「なんでおれが『二都物語』なんか読みてえかよ?なんで?」と言うのは、そんなかれにとって至極まっとうな了見ではなかろうか。
わたしは極東の田舎の百姓である。
だから、この映画を見るにあたって「なんでおれが『ウエスト・サイド・ストーリー』なんか見てえかよ?なんで?」と思いながら見た。
それが言いたかった。
むろんそれを言うならほとんどの映画が、じぶんの生活とはかけはなれた世界のものにちがいない。
だがミュージカル映画となると、なんとなく中産階級&知識階級の娯楽に感じられ、漠然とした気恥ずかしさを覚える。
その逆もある。
逆とは知性を否定するようなばかばかしさ。ボリウッドを見ていて「な、なんでおどる?」と感じたことはないだろうか・・・。
──こじんてきなミュージカル感はさておき、スピルバーグの新作がウエスト・サイド・ストーリーだと知ったときも「なんで?」と思った。
スピルバーグの新作がウエスト・サイド・ストーリーだと知ったとき「くるとおもった」と感じた人がいるだろうか?
どこかの評論家は「まさにいまだからこそ」ウエスト・サイド・ストーリーなのだとのたまっていたが、じぶんは2021になぜウエスト・サイド・ストーリーなのか、まったく解らなかった。(ついでに言うとその評論には、なぜいまなのかの説明が一切なかった。)
そんなわけで、懐疑心だらけで見はじめたウエスト・サイド・ストーリーだったが、きれいな下町で群舞がはじまると雰囲気にのまれる。なにしろスピルバーグである。話のすききらいはともかく、映画として難点が見あたらない。わかりやすい。
物語にはヘイトをやめて隣人を愛しなさい──という教訓がある。そして隣人を愛するために多様性を受けいれる寛容を持とう──とスピルバーグは言っている。
全編を通じて、つねに出てくるキャラクターがいる。Iris Menasという俳優が演じているが男装した「かれ」には役名も、物語上の役割もない。
あだ名は「Anybodys」だがそう呼ぶのはトニーしかいない。ジェッツでもシャークスでもなく、輪の中に入れず、すこし離れたところから、ワイワイやっている者たちをうらやましそうに眺めている。
仲間入りしようと果敢にアプローチするが、あざけられ、ののしられ、はぶられる。
だけどいつもトニーを助けるのはかれだ。
登場人物全員から疎外され続ける、かれAnybodysこそが、じつはウエスト・サイド・ストーリーのキーパーソンであり、エンジンであり、スピルバーグの分身であり、あるいはわたし/あなたなのだ。
映画は古典的なラブストーリーを踏襲しつつ、どこにも所属がなくて、非バイナリ(男女どっちでもない)であるAnybodysの哀しみを背負っている。
けっきょく民族や肌色やジェンダーで憎しみあうかぎり、多様性を認めず仲間はずれをつづけるかぎり、こんな悲劇的結末しかありませんよ──と映画は言っている。
せかいじゅうでヘイトが吹き荒れるいま、その主張はとてもタイムリーだ。まさにいまだからこそウエスト・サイド・ストーリーなのだ。とわたしは思った。
名作を超える名作
『巨匠スピールバーグがウェストサイドストーリーを!』と言うテンプレのような告知につられてまんまと鑑賞してしまいました...
地元のギャングと移民で移り住んできたギャングが、自分たちの存在を認めさせるために抗争するというストーリーでまず興味津々だったのに、キャッチーな音楽、本当に不良なのか?と思わせるダンスに度肝抜かれました。
映画館で見なかったことを後悔してます。
想像の10倍面白かったです。是非
「現代に作られるべき映画」として入念にアップデートされた一作。
スピルバーグ監督としては初ミュージカル作品と言うことで、一定の水準以上を超えてくる映画だとは予想できるものの、一体どんな仕上がりになるのか未知数な部分もありました。いざ鑑賞してみると、これはまさにスピルバーク監督作品だし、誰もがその名は知っている『ウエスト・サイド物語』の要所要所を現代的にアップデートした、「今作られるべき映画」となっていました。
第94回アカデミー賞では、アニータ役を演じたアリアナ・デボースが見事助演女優賞を獲得しました。もちろん主人公二人(トニー役のアンセル・エルゴートとマリア役のレイチェル・ゼグラー)も素晴らしかったんだけど、本作が現代の映画として成立する上で、アニータの役割の変化は明らかに非常に重要だったんですが、デボースの演技は非常に説得力のあるものでした。この受賞は納得の一言です。
前作『ウエスト・サイド物語』(1961)よりも遥かに荒廃したニューヨーク・マンハッタンの風景は、まるで爆撃を受けたかのように寒々としていて、お互い米国主流社会から排除されているマイノリティの若者同士が繰り広げる争いの虚しさが一層強調されています。それでいながらダンスシーンは、まるで男女が挌闘しているかのような迫力で、この映像と見事な歌声を体験できるというだけでも、ああ、映画館で観て良かったー、と実感させられます。この絵作りはさすがスピルバーグです。
劇場で販売されているパンフレット、というかメイキング・ブックは、映画本編よりも高いのですが、これは購入する価値が十二分にある一冊です。本作を楽しんだ方なら読んでも決して後悔しないと思います。
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