家族を想うときのレビュー・感想・評価
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原題の「Sorry, We Missed You」って何のことかと思ったら…英語文化はこういう表現が上手いなぁと思う。
しみじみと切なく辛い。でもこの映画を観たあとは人に優しくなれるように思う。妹の子がいじらしい。彼女が○を○○○ことを○○するシーンは泣かされます。
他のレビューにもありましたが
他の人のレビューにもありましたが、自分自身を見ているみたいでした。
自分の子供達にどう伝えたら良いのでしょうか。
二十歳そこそこの子供に伝えても、自分のこととは思えないでしょう。
しかしこの先はこれより日本は酷くなります。
“家族”の中に自分をカウントし忘れちゃダメ。
娘たちがそれぞれ十代になって、クリスマスにサンタクロースが来なくなった頃から、ウシダ家では忘年会が催されるようになった。
いつもの食卓ではいつもの家族だけど、たまの非日常には腹を割った話になるのも恒例になりつつある。娘たちからの話題や相談も、進路や恋愛など深い話になってきた。僕には娘たちに残すような財産はないので、こういう機会に経験知を教え伝えることが、親としてできることの最大だと常々思ってる。
10時間説教しても100回怒鳴っても通じない話が、こういう時に1つの経験談として話せば伝わることが多々ある。これも経験知のひとつだ。
あとどれくらいこういう時間を過ごせるかわからないけど、たぶん漠然とイメージしているよりはずっと少ないんだろうとも思う。
2019年の“映画納め”として観に行った。ハートウォーミングなホームドラマを期待してケン・ローチの映画を観ることはさすがにないけれど、「しがない自営業、4人家族のお父さん」といえば、全くもって他人事じゃあないし、そこに描かれる家族や仕事のゴタゴタは心にドスドス刺さって痛かった。
この主人公とその家族は、不遇で不運が続く。でもこの物語のおよそ最後まで、主人公たち家族は不幸ではなかったと僕は思う。不遇や不運は別に主人公のせいではないけれど、映画の最後に、またはエンドロールの後に、この家族が不幸になるんだとしたら、それは雇用者や格差社会の問題ではなく、主人公の責任だ。このへんがこの作品のミソなんじゃないかという気がする。
確かに今の世の中は政治、行政や労働問題ひとつ取ってみても、どう考えても何かが間違っているし、真面目に生きててもどうにも上手く行かないことが多々ある。この映画の主人公も、続く不運に真面目に向き合ってなんとかしようと頑張ってたし何も悪いこともしていない。でも、だからこそ思考を停止してしまっていた。しかし立ち止まる機会は何度かあった。家族を守るのは男の役割ではあるけれど、そういう価値観で生きる男はその守る家族の中に、自分をカウントするのを忘れて自己犠牲のワナに陥りがちだ。
この映画は天下国家に向けて社会的強者や社会そのものを糾弾するような物語ではなく、そんな社会に生きるひとびとに、大切なものを見失うなというケン・ローチからのメッセージのような気がする。
2020年代、今よりちょっとはマシな時代になるといいね。頑張りましょうお互いに。
家族を守りたい気持ちは一緒なのに
キネ旬ベストテンの発表など昨年の映画を振り返る記事に、外国語映画ではこの作品がよく語られています 私もようやく観ることができました 史上空前の好況と言われる一方で、早期退職、年金支給年齢引上げ、就職超氷河期世代の非正規雇用、老後資金2000万、など生活不安が高まる中年期、フランチャイズとか脱サラ、独立という言葉に希望を持つ人々が日本にも多いのでしょう 今よりもわずかばかりの幸せ、安定を求めて「独立」をした
ことで、家族全体で支えあっていくも疲弊し、悲しい事件になっていった話の象徴が、昨年来の大手コンビニチェーン、最近は弁当屋チェーンをめぐる問題なのでしょう そういった我が国の現状をみているから余計に、家族の幸せのためにさらにもがき苦しみ、搾取され、そして捨てられていく姿、ラストでは希望を感じることもなく終わったのは、残念だけど現実の姿でもあります 是枝監督との対談や比較される記事もたくさん見られましたが、どうしても抜けられない貧困から、抜け出すことが不可能な社会になってしまっていることを感じずにはいられません 「世間(よのなか)を憂しとやさしと思えども、飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」、という山上憶良(貧窮問答歌)の歌を思い出します
皆さんがおっしゃる通り、この夫は家族に対する思いが強く、一生懸命生活をよくしたい、そのために働いているいいお父さんです こんな普通のお父さんが、普通の家族が堕ちていく姿は決して少なくはなくなっているのが悲しいです
(2月6日 京都みなみ会館にて鑑賞)*30年ぶりに京都みなみ会館に行きました シネコンばかりの中、名画座・ミニシアターを守っていて嬉しかったです
現実の厳しさ
ただただ厳しい現実に打ちのめされる。
反抗期の少年の不愉快さが胸に刺さります。本当にぶん殴りたくなる様な状況ですが、真の問題は親が子と向き合うことを阻む経済状況です。
当たり前ですが、実際に働かなければ食えず、着れず、住めません。
それはそこに家族への愛や責任感があればあるほど、重要なテーマになります。
それに加えて父親としてのプライドも影響を与えているでしょう。あそこまで追い詰められた状況でもプライドを捨てられない、惨めであればあるほど一線を超えられない、人間の愚かにも感じる強さを感じました。
頼みにくい…
見たら頼みにくくなるよね。通販。
なるべく再配達の内容にしてるけど。
搾取って言葉がピッタリな会社と個人の話。
いつからこんな世の中になったんだろう…
できることなら、世界中の誰もが笑顔になるような買い物がしたいけど、オレにはそれを買えるお金がないだろうな。
今回のエンディングで一筋の光がなかったのは余分に辛い…
脚色ドキュメンタリー
重い、重すぎる。
これでもかと、次々叩きつけられる絶望的現実。
一瞬光が見えたかと思えて、、
奇跡などありはしない、自己の選択が敷いたレール通りに、変わらない現実がやってきて、そして物語は終わる。
この作品に、ツクリモノの喜びや悲しみはない。
過剰なBGMもなければ、派手な展開もない。
データやコストで測れるものばかりじゃない、なんて綺麗事もいらない。
重すぎる、素晴らしく。
時はもう遅い
観ているのが辛くなる大変に苦しい映画である。主人公は教育程度は高くないが、真面目で勤勉な夫だ。独善的で愚かではあるが、家族の幸せを願っている。妻は良妻賢母だが子供たちはそこそこだ。よくある家族の一例である。ケン・ローチ監督らしく、主人公にも容赦がない。
日本における偽装請負はキヤノンの事例が有名である。経団連会長の会社による違法行為として大きく報道されたが、オテアライが時の安倍晋三政権と仲よしだったおかげで何のペナルティも課せられなかった。2006年の話である。桜を見る会と同じ構図がずっと前から続いているということだ。
同じようなことは世界中で起きていて、イギリスも例外ではない。権力は必ず腐敗する。長期政権になればなるほど腐敗の度合いは強くなる。安倍政権がいい例だ。官僚は政権が代わっても同じように仕事を続けるのが普通だが、政権に人事権を握られていては従うしかない。官僚も勤め人である。昇格降格昇給降給異動で脅されれば従うしかない。国民に奉仕する前に自分の生活が大事なのである。やむを得ない話だ。そんな官僚の弱みにつけこめば、政権はやりたい放題にできる。憲法を無視して戦争だってやろうとしているくらいだ。
ケン・ローチ監督の前作「私はダニエル・ブレイク」では役人が自分の保身を第一に、税金が自分たちの金であるみたいな勘違いをしていることで、体を壊して失業したダニエル・ブレイクをとことん苦しめた。
本作品は民間の話であるが、構造的にはあまり変わらない。金を持っている人間が弱者から労働力を搾取して太っていく。近江商人の三方良しではないが、客よし労働者よし会社よしみたいな企業は滅多にない。寧ろ逆の企業、つまりブラックな企業が多い。本作品に出てくる運送会社は典型的である。
立場の弱い主人公は、偽装請負の契約を受けざるを得ず、その条件の中で懸命に頑張る。配達先の客の中には嫌な奴もいるが、そんなことは気にしていられない。なんとしても金を稼いで借金生活から脱出しなければならないのだ。しかし契約には落とし穴があって、様々な罰金制度が主人公をがんじがらめに縛り付ける。そして家族にはいろいろなことが起きるから、契約を履行できない場面もおとずれる。
契約を完璧に履行して目論見通り稼ぐことができるのは、独身で超人的な体力の持ち主だけだ。それともうひとり、現場を取り仕切るボスである。会社が絶対に損しないように出来ているから、この男も損をしない。損をするのは常に労働者だけだ。被害者になっても尚、会社からたかられる。弱者にとって世の中は理不尽すぎる。
あまりの不条理に耐えかねた主人公だが、どのような道があるのか。リアリズムの映画だからウルトラCはない。ダニエル・ブレイクは体を壊して職を失った貧しい老人として社会に抗議するささやかな行為を行なった。本作品の主人公リッキーはどうするのだろうか。
令和の年号になって、岡林信康の「山谷ブルース」を知らない人も増えただろう。つまり知っている人がたくさん死んでいったということだ。その「山谷ブルース」の歌詞は次のようにはじまる。
今日の仕事はつらかった
あとは焼酎をあおるだけ
どうせどうせ山谷のドヤずまい
ほかにやる事ありゃしねえ
仕事が終わって一杯飲んで、仕事のことや仲間のこと、その他よしなしごとをつらつらと意味もなく語り合う。酔ったら寝て明日はまた仕事だ。なんだかんだ、ここまで生きてきた。後悔はたくさんあるが言っても仕方がない。将来のことなどわかりもしないし考えたくもない。
「山谷ブルース」が発表されたのが1968年。それから52年。ITが急速に進み、スマホも普及したが、労働者の環境は何か変わっただろうか。
ケン・ローチが告発するのは政治家でも役人でも資本家でもない。時代というやつだ。世の中の理不尽を勝ち組、負け組という言葉で両断し、勝ち組に入ることを人生の目標とする世の中。取りも直さずそういう世の中を作ったのは、人々自身である。自分だけは勝ち組に入ると信じて疑わない人々、負け組に冷たい人々が自分たちに似た政治家に投票し、格差社会を作り上げてきた。いざ自分が負け組に入ったことを思い知らされたとき、すべての間違いに気が付くが、時はもう遅い。
頑張り過ぎるな!と言いたいが・・・
父親だから頑張る、男だから頑張る、家を買うために頑張る。頑張らざるを得ないような社会も問題だが、その社会に囚われすぎてもいないか?
そういう私も同じように頑張ってきた一人だけど。
主人公は、作中で「あと半年」というけれど、そんな訳はなく、モノと我に囚われている限りずっと頑張ってしまう。頑張ることを頑張るようになってしまう。
どうすりゃいい?見る人皆に投げかける。
便利さが世界中のゆとり、寛容性を失って行く。
今回初めてのケン.ローチ監督作品を観て来ました。
最初から最後まで、今の世界中で起きている問題がありのままに描かれていて、フランチャイズサービス、公共サービス、介護、教育、環境問題等が取り上げられています。
奨学金問題、トラブルを起こすとペナルティの科料を課せられる、全てが自己責任で片付けられてしまう、廃棄物が回収されず放置されている、医療機関の要員不足で患者が充分な診察を受けられない事、ネットで学習する事や、スマホ依存症候群等、身近にある問題が作品に反映されています。
インターネット、スマホの普及でが身近になった所で、SNSによる炎上、ネット通販でのトラブル、格差、環境問題が世界中で身近になった今、本当のゆとり、寛容性等が問われています。
お勧めします。
希望
希望を与えてくれない映画である。
最近目にする映画は希望をくれない。
でも、そういう時代になっていたんだと思う。
ずっと前から
目を閉じていただけだった。
家族の幸せは、掴み取るものだと思う。
でも掴めない家族も居る。
そこに光を当てた。
希望だけではない人生。
現実。
生きていくのって大変
悪いときってどうやっても上手く行かなかったりするよなぁ
家族を持つことが必ずしも幸せに繋がるとは言えない時代になっちゃったな
足るを知る、身の丈で生きることも大事だよな
GORE-TEXの上着じゃなくても、ワークマンのでも暖かかったんじゃないのかなぁ
きっとうまくいくと信じて生きて行くしかないよなぁ
現代の情報化社会の炙り出し
便利なスマホなどの情報機器に頼り、束縛されつつ、懸命に生きる様を描いた秀悦で心に染み入る作品でした。細部に至るまで、現代社会であればいずれもがあり得るシチュエーションばかりで、よくぞここまで盛り込んだものと感心します。人生において絶えず揺れ動くマインドを最小限の一つの家族のごく一時期の一面に限って描き切ってto be continued・・・。皆、多かれ少なかれ心が折れそうなギリギリの立場で踏ん張っていることを再認識できます。
家族を想うとは
非常にリアルで、現実を突きつけられる話
全体的に重たい話で、重たいまま終わる
リアルを突きつけてずしっと背負わせる映画
そういうものとして素晴らしい作品とは思うけど
見た結果悩んじゃうかもなぁ。。
家族を想うとはなんなのか
やはりお金があって不自由なく暮らせることが
なによりも大前提で、それがない限りは色々な
犠牲が出てくるんだろな
誰も喧嘩したいわけでもないけど、考える余裕も
なくなって、少しずつ壊れていく家族が妙に
リアルで、どこにでも起こりそうで、怖かった
なにが幸せか
そのためになにをするのか
ちゃんと考えて生きないとな
人の温もり
どんな便利になった世の中になろうとも、いつの時代だって温もりが大事ということ。
今の世の中、あのような労働環境と家族模様は、世界中至るところに存在するように思います。
長年共に働いてくれた奥さんをなくし、営業時間を24時間から時間を短縮したことに対し、セブンイレブン本社から規約違反だと1700万もの制裁金を課された問題と全く同じことです。
市場原理主義のしわ寄せが、我々国民にも多くのしかかり、そこらじゅうで陰惨な形で溢れ出ています。
それでも、資本主義をひた走る世の中は、便利さや利益ばかりを求め続け、人と人とのつながりを軽薄にし、さらに自ら破滅へと向かっていっています。
片目が腫れながらも必死に運送車を運転するラストが物語っています。
もうこの流れは止まらないんだと。
でも、その中で我々は何をすべきなのか。
我々は、今ある常識に疑いを持たなければならないんだと思います。
あの家族のようにバンを止めないとダメだということです。
人の痛みが分かり、温もりを与えられる人間でありたいとそう思いました。
人と人がぬくもりを少しでも感じ、その温もりをまた分かち合える世の中であって欲しい、そう願います。
生活とは
生きる活きる 生きることを活かす…生活の語源は知らないが その生活が家族を壊していく
ケンローチ新作と聞いてすぐ観ようと思っていて ようやく観れた。驚いたのは 結構混んでいたこと 色んな映画を選べるシネコンで土曜日に スターウォーズでもフォードvsでもジュマンジでもなくこれを選んだということが世の中の深刻さを改めて感じた
英国でもアメリカでも韓国でも日本でも同じ状況が拡がっている…じわりじわりと追い詰められていく。自営 フランチャイズという「奴隷制」いや奴隷は奴隷主が養わなければならない。
そして 遂に養う必要のない奴隷制にたどり着いた。
そういえば バブルの終わる90年代から大学では「経営学」が流行り 将来「経営」がしたいという若者が増えた 何の経営ではなく もはや 職種ではない 奴隷か奴隷主かの選択になっている
家族は崩壊し 家族を作るという夢も見れない それでも オリンピックだとか 夢とか感謝とか生きるって素晴らしいとか歌ってるテレビに白けるのも当たり前のことだろう。
ケン ローチっぽい
ケン ローチの作品あまり好きじゃないけど、こういうテーマに敏感に反応して引退を辞めてまで作るところがすごい。というかこのテーマ選んだ時点で成功だ。ローチは映画としての演出がイマイチだけどこれが真摯さの現れなのか。
役者もとてもよかった。本当にいそうな善良そうな雰囲気もとてもいい。何よりファミリー全員の声や話し方が印象的だった。
イギリス同様日本もこの雇用形態は問題だけど、誰も取りあげようとしない。残念。
今を乗り切ればこの家族は幸せになれる
と想う。
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